3.男爵令嬢から見た自分の生い立ち
side 男爵令嬢ピコリス
王立学園なんていう場所に私がそぐわない事は、自分自身が一番分かっていた。
私の生まれは地方の下町。それもスラムのすぐ近く。母とふたりで、商店の2階の狭い一室を間借りして暮らしていた。母は下町ではあまり見かけないような美人で、少し品があって、色々な事を知っていた。私は優しくて、上品で、綺麗で、色々な事を教えてくれる母が大好きだった。自慢の母だった。彼女は私に生活の為の知恵と知識と教養を与えてくれた。
母が刺す刺繍を売って、私たちは細々と生活していた。
私の15歳の1年間は、正に怒涛だった。15歳の誕生日を迎えて1週間後、母が急逝した。死因は今も分かっていない。商店のおじさん、おばさんに助けてもらって何とか小さな葬儀と埋葬を行った。悲しみに暮れて毎晩泣いたけれど、現実問題、貯金もない。時々母の仕事を手伝いながら覚えた刺繍を何とか形にして売るようになった。
母の死から、3ヶ月ほど経った頃の事。母は生前、私がひとりで外を出歩く事に否定的だった。だから、必然的に前より外出する機会が多くなっていた。
刺繍を買い取ってくれる数ヶ所の商店と服屋に商品を持って行く。計算と文字の読み書きを母がしっかり教えてくれていた事と、早くに天涯孤独になった私を不憫がって面倒を見てくれる町の人たちのお陰で、何とか生活を続ける事が出来ていた。
最後の商店に商品を卸し終え、出口に向かう。と、私が扉に辿り着くよりも先に、ひとりの男性が店に入って来た。見るからにいいご身分の、中年の男性。着ている服の仕立てやデザインが豪華で、肌艶が良く、髪には光沢がある。外からの光が逆光になり、顔は見えなかった。
「ピコリスという名の娘はお前か?」
話しかけられ、冷や汗がどっと溢れる。身なりのいい…下手したら貴族かもしれない男に話しかけられる理由が思い浮かばなかった。もしかしたら、気付かないうちに粗相をしてしまったのかもしれない。更なる怒りを買ってはいけないと、重い口を開く。
「はい…私がピコリスです。」
「そうか。私はブレンディ男爵である。お前を探していた。王都に行くから今から準備しなさい。」
何を言われているのか分からなかった。
何故、貴族が自ら地方の下町の小娘を探して王都に連れて行くのか。何故、生まれ育った町と慣れ親しんだ人々から離れなければいけないのか。
しかし、逆らったら何をされるか分からない。命令に慣れた、有無を言わせないその男の態度を見て『貴族という存在の理不尽さ』が、母から聞いていた通りだなと思った。
男に誘導されて外に出ると、店の前に馬車がある。下町の大店の店主が乗るのより立派な馬車。男に乗るように言われ、中肉で上背がある男を見上げる。
その顔を見て、誰かに似ているような気がした。
何も言っていないのに、馬車は私が暮らす商店に着いた。中に入り、営業中の商店のおばさんに声を掛ける。
「おばさん、あの。」
「何だい、ピコ…あんた、顔が真っ青だよ。どうしたんだい。」
心配そうにこちらを覗き込むおばさんに、涙が溢れて来た。詰まりながら、先程あった事を話す。店の前に豪華な馬車が停まっているのを見たおばさん自身の顔も真っ青になる。
「王都だなんて…あんたが何かやらかす訳ないって、おばちゃん知ってるよ。もしかして、好事家の変態貴族に身染められちまったんじゃ…。ごめんね…貴族が絡んできちゃ、あたしにゃどうしようもない。タバサに『あんたに何かあったらあたしが守る』って約束したのに…情け無いよ。」
おばさんは、そう言って私を抱きしめてくれた。おばさんの温かみを感じて、今まで引っ込んでいた涙が堰を切ったように溢れて来た。
少しの間そのまま泣いて、何とか涙を引っ込めておばさんから離れる。
「おばさん、今まで本当にありがとう。ここに戻って来れるか分からないから、お礼を言わせて。母さんが死ぬ前からもお世話になってたけど、死んじゃってからはもっと面倒見てもらって、本当に救われたわ。おばさんとおじさんが居なかったら母さんが死んだ後、私は生きていられなかったと思う。おじさんとお別れできないのだけが心残りだけれど…もう行かないと。」
おばさんの目からも涙が溢れる。
「ダニーにはあたしから話しておくよ。あの人、あんたの事可愛がってたから、王都まで追い掛けて行かないよう見張ってないと。そうだね、荷物を纏めといで。いつまでもこうしてたいけど、お貴族様の逆鱗に触れたら大変だ。」
おばさんが少し茶目っけ混じりに言って下手なウインクをする。シワのある顔がくちゃっとして、ああ、こんな顔を見るのも最後かもしれないと思うともう一粒涙が溢れた。
少ない荷物を、母が持っていた古い大きなカバンに詰める。衣服と刺繍セット、少ないお金くらいしかない。母の物を持って行くのは無理なので、母がいつも身につけていた指輪をつけた。
店に下り、おばさんにもう一度お別れの挨拶をしてから、馬車に乗る。
「遅過ぎる。これからお前は私の娘として生活するのだから、貴族らしくテキパキと行動するように。」
私の顔を見て、男は開口一番そんな事を言った。
「男爵様の娘…ですか?何かの間違いでは?私はしがない下町の娘に過ぎません。父も誰か分からぬ平民の娘でございます。」
男は、ため息をひとつ吐く。
「その誰か分からぬ父が私だと言っているのだ。お前の母の名前を言え。」
「…タバサと、申します。」
「母親から何も聞いていないのか?お前の母親は、貴族である私の子を孕むという栄誉を授かっておきながら、私の前から逃げ出したのだ。お前を我が家の養子として育てると言った私の言葉に反抗してな。…まあ、お前が本当に私の子なのかどうかは王都に行けば分かる。お前が私の娘なら跡取りとして教育するからな。その心積りをしておきなさい。」
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
初めて垣間見た母の過去と見えない私の行先。
何も分からないけれど、ひとつだけ確かな事がある。私はこの先、父を名乗るこの貴族を好きになれないだろう。




