第59話 いつの日にか坐しておった
咲の唇が小さく動いた。
咲の口から発せられた言の葉は頭の中に直接響いて、それは光となり音となり匂いとなり感触となった。
そしてそれらは形を成して、木々の木漏れ日となり川のせせらぎとなり土の香りとなり朝露の冷たさとなった。
それはまるで咲が作り出した夢の中に迷い込んだかのようだった。
今は昔の事。
八百万の神々が山に野に海に満ち満ちていた頃の話。
後に泉北と呼ばれる山林に、いつの頃からか此方と兄様が坐り暮らすようになっておった。
やがてその山林に人が分け入るようになり、いつしか此方らは人々と共に里を拓き、共に暮らすようになったのじゃ。
里の男の者共と兄様は山に入り鹿や猪を狩り、女の者と此方は川で魚を捕らえたり栗や茸を摘んだりして、長い間に里は少しずつ少しずつ大きくなっていった。
そうして小さな里が邑となった頃のこと。
遠い出雲の地の大上様より遣いの者がやってきたのじゃ。
「其方に問う。音に聞こえたる、此の地に坐わしたる二柱の神とは其方らのことであるか。」
「其方に答えん。
正しく我らは此の地に坐わしたる二柱の神なり。」
出雲の遣いの者は兄様の答えを聞くと、供の者に命じて、持ってきた籠を下ろして中を開けたのじゃ。
中には今まで見たこともない摩訶不思議な物が入っておった。
その形はまるで壷。
長細い卵を上下半分に切ったような形のソレは、片側は大きく口を開けて、もうは口を閉じておった。
大きさは腕を回して一抱えある程。
その形と大きさは、ちょうどどんぐりを煮るのに使っておる壷と瓜二つであった。
しかしその壷のようなものは土を焼いて作った物ではなく、見たこともない石よりも固いもので出来ており、その表面はキラキラと朝日に映える水面のように輝いておった。
その姿は此方が使っておる壷とは似ても似つかぬ物であった。
此方がこれが何であるか不思議に見つめておると遣いの者は「これはカネでございます。」と此方の疑問に答えた。
「カネ?」
「左様、このカネなる物、火に炙り熱すれば泥のように柔らかく、そして冷やせば石よりも堅くなり申す。
そのカネを熱し、このように形を整えて作った物がこの鐸でございます。」
「して、この鐸を我らに捧げて何とする?」
兄様は出雲の者が差し出したる鐸に触れようともせず問いただすと、出雲の者は一層朗らかに笑みを浮かべて申した。
「この鐸は二柱の神がこの地の守り神である証でござる。
最近は人なる者が森の奥深くまで分け入り、ほかの者と諍いを起こすこと度々にございます。
故に大上様は土地土地に守り神を定めて、諍いをなくそうとお考えです。
この鐸なるものは、かのように木に吊し揺らして音を鳴ならすものでございます。」
遣いの者が申すように供の者が鐸を木に吊して揺らすと、中の棒が鐸の内側を叩きカーンカーンと甲高い音を鳴らした。
その音は木々の葉のさえずりとも鹿の鳴き声とも違う聞いたことのない音であった。
「かのように揺らせば鐸は音を鳴らしてございます。
これよりこの地はこの鐸の音の果てる地まで二柱の守りたる地。
二柱は名を咲櫻命、咲橘姫としてこの鐸の音の届く地をお守り願いたい。」
「なにを勝手を申すのか!
この地は境なく見渡す限り此方らの地。
それを其方はこの地に線を引き、境を作ると言うのか!」
短慮な此方が声を荒げると、兄様は此方の言の葉を遮るように此方の頭を撫で答えたのじゃ。
「どうやらこの鐸の音は我らが行かぬ地にまで聞こえておる様子。
その地を越えてまで我が物にせんとすと、他の神との諍いの元になる。
大上様はそう仰るのだな。」
「ご明察痛み入ります。」
思慮深い兄様が大上様の御心を思い測ると、遣いの者は丁寧にその頭を下げた。
その様子に兄様は深く頷いて謳ったのじゃ。
「我はこの地に坐る兄妹の神が一柱、名を咲櫻命と申す。
出雲の大上様に従い、この地を治める守り神なり。」
そのように兄様が得心すれば此方にも異論はない。
「此方はこの地に坐る兄妹の神が一柱、名を咲橘姫と申す。
兄様と共に大上様に従い、この地を治める守り神なり。」
此方は兄様に従い出雲よりの遣いの者より鐸を預かった。
こうして、此方と兄様は出雲の大上様に認められた、この地の守り神となったのじゃ。




