第60話 御鏡と銅鐸
そうして、此方と兄様が守り神となり、幾十年幾百年の時が過ぎた。
此方と兄様そして里の者共は、出雲の大上様の命に従い、他の神と諍いを起こすことなく平和に暮らしておった。
此方はそんな日々が永遠に続くものと思っておったのじゃ。
そんなある日のこと。
いつもの変わらぬように東の空が曙に紅く染まり始めた頃、まだ夜の明け切らぬ暗い西の彼方に小さき日が点々と現れたのじゃ。
その小さき日は十に二十に数を増しこの地に近づいておった。
「これはなんの吉凶か!?」
こんなことは此方がこの地に坐ってから初めてのことじゃ。
此方は兄様と共にその小さき日の近付くのを見ておると兄様は「彼は鏡か。」と呟いた。
鏡とは鐸と同じカネを、皿のように円く平たく延ばした物。
その表面を平たく平たく叩き上げ磨き上げ擦り上げた鏡は二つ世を写すという。
ならばあの小さき日は、今、東より登らんとしておる太陽を写し出しておる鏡ということか。
「確かに兄様、あれは鏡のようじゃ。」
始めのうちは点のようにしか見えなかった小さき日は止まることなくこの地に近付いて、徐々にその姿を明らかにしておった。
其は鏡。
船の舳先に据えられた台座に飾られた鏡。
そのような鏡を据えた船が幾十も連なって、波に揺れる鏡は東の空の曙を写し、その鏡の光は白く此方らの地に差していた。
「咲、鐸を鳴らせ。
彼方らはこの地を目指しておる。」
兄様に言われて此方は慌てて里の鐸を打ち鳴らした。
カーンカーンカーン。と常より強く激しく打ち鳴らした鐸の音は間違いなく船の者どもにも聞こえておるはずじゃ。
『この鐸の音の聞こえる地は、此方と兄様の二柱の神が守りたる地』
そうと知れば船の者どもも引き返すであろう。
此方は当然そう思っておった。
しかし、兄様は何かを予感したのか瞬き一つせず鏡の船団を睨み付けおると、やはり船団は勢いを止めることなく浜から陸へと乗り出した。
「鐸の音が届いておらんのでしょうか?」
強く叩いたつもりでおったが不足があったか。
今度は目一杯力一杯鐸を打ち鳴らそうとした此方を兄様は「届いてはおるだろう。」と制した。
船より降り立った者共は此方らの鐸の音を無視して、船の舳先に取り付けた鏡を外すと、それを先頭にして、列はこの地を目指して歩み始めた。
「やはり、今一度鐸を鳴らして参る。」
鐸の音が届かぬ訳はないのだ。
それでもそれを無視してこちらに向かってくる一団に、此方は言い知れぬ悪寒を感じて踵きびすを返したとき。
「申す。
我が名は咲櫻命。
咲橘姫の兄にして、この地を守る一柱なり。」
そう兄様が名乗りを上げたのじゃ。
もう声の届く地にまで一団は迫っておるのか。
此方も慌てて兄様の傍らに駆け寄ると兄様に倣って名乗りを上げた。
「申す。
此方は咲橘姫。
咲櫻命の妹にして共にこの地を守る一柱なり。」
果たして鐸の音すら無視する者共に、此方の言葉が通じるものか。
胸に広がる不安を押し殺して声を上げたそのとき、一団の手にした鏡が一斉にこちらに向けられて、此方らは白い光に包まれた。
そうして一団よりの眩い光に目を眩ませておると彼方より名乗りの声が聞こえたのじゃ。
「申す。
此方は大和に連なるが一柱。名を御田恵命。
出雲に連なる二柱、咲櫻命、咲橘姫に命ず。
これよりこの地は大和が預かる。
出雲に連なる二柱はこの地を去られよ。」
奴は何を言っておるのか。
この地は幾百年も古に出雲の大上様が定めた、此方ら二柱が守りし地。
それを預かるだの、去られよだの。
全く理解に及ばぬ。
やはり此方らの言の葉の通じぬ輩であったか。
「御田恵命に申す。
其方らは何処いずこと間違えておるかは知らぬが、この地は此方らが出雲の大上様より預かりし地。
そうと知ったら早々に引き返すが良かろう。」
嫌な予感がする。
此方は何も間違っておらぬのに、言えども言えども一団の歩は緩まず、俄かに此方の背を冷たい汗が伝う。
そうしてついに嫌な予感は現実の物となった。
御田恵命の一団が来た瀬戸の海。
その海の西の果てより新たに船が現れたのじゃ。
その船は戦船であった。
船に乗る者共は皆、手に手に槍を矛を弓を携えて此方らに差し向くと、その中より一柱が現れて名乗りを上げたのじゃ。
「我は大和に連なる一柱、武御雷命と申す。
出雲に連なる二柱、咲櫻命、咲橘姫に命ずる。
先立てて出雲の大上大国主命は大和の大上天照大神と和談し、国譲り致した。
故にこの地も今よりはこの大和に連なる一柱、御田恵命が治めることと相成った。
前にこの地を治めたる出雲に連なる二柱、咲櫻命、咲橘姫は大上様に従いて早々にこの地を去られるが宜しからん。
なおも分からず拒むとならば、この武御雷命。
出雲と同じくこの地においても力比べをせん。」
その武御雷命の声に戦船の者共は槍を矛を弓を掲げて「おー」と声を合わせて呼応した。
「従わぬと言うなら力づくと言うわけか!
おもしろい。
この地は古より永久に此方らが守りし地。
取れるものなら……」
汗ばむ掌を袖に隠し震える声で叫んだ声を、兄様は此方の口にその手を当てて制した。
「それは悪し。咲橘姫。
我らは古より永久にこの地を守りし神じゃ。
故にこそ、この地をこの民を戦火に晒すは出雲の大上様の意に背く。」
兄様はいつ何時にも優しく怜悧であった。
兄様は小さく震える此方の頭に手を添えると「心配いらぬ。」と大和の神々に答えたのじゃ。
「申す。
彼方出雲の地での大上様大国主命と天照大神に倣い、我らも其方らと和談を願う。」
「和談は成った事。最早問答は無用。」
武御雷命は腰に付けた弓を手に取り矢を構えるとゆるりその弦を引いた。
その武御雷命を制したのは歩みを止めずこの地を目指す御田恵命であった。
「暫し待たれよ武御雷命。
此方は相、承知した。」
この御田恵命の声を合図にして、この地を目指す一団はその地に槍、矛、剣を置いて丸腰になると再びこの地を目指し歩み始めた。
相手に戦意はないとなると、此方らもそれに応じねばならぬ。
此方らは邑に御田恵命を招き入れ和談と相成ったのじゃ。




