第53話 お祖父ちゃん
飲み物を買いに行くなんて嘘だ。
「あの人がこの雨を降らしたんです。」
そんな風に指を刺されるのが怖くなって、体育館の中には居られなくなって、俺は体育館の外に出たんだ。
けれど、その先に行き場所なんてなかった。
俺は体育館の脇に敷かれたスノコの上にたって、滝のような大雨の前にただ立ち尽くしていた。
どうしよう。
どうしてこんな事になったんだろう。
一体俺は、どうすればいいんだろう。
咲は、俺に別れの言葉を残して消えてしまった。
三琴のおじいちゃんも、俺を責めることもなく、家に帰した。
残された道は、咲が告げたようにこの泉北を見捨てて逃げ出す事しかなかったけど、そんな事もできなかった。
この雨は俺のせいだ。俺のせいなんだ。
確かに三琴は言っていた。
「咲ちゃんは鬼なの。」と。
五十年前、泉北に大水害を引き起こした鬼なのだと。
その大水害を食い止めるために三琴のお爺ちゃんは咲を封印したのだと。
その咲の封印を、俺は、何も考えずにに解いてしまったんだ。
でも……だからって……なんで……。
どんなに悔やんでも、もう取り返しがつかない。
川が溢れて、田畑が水浸しになって、街中の人が避難して……。
全部、俺のせいなんだ……。
街をこんなにしてしまった自分が許せなかった。
責任の取りようもない。しでかした事の大きさが胸を締め付ける。
けれど、「この雨が俺のせいだ」なんて誰にも言えるはずもなく、俺はただ降り続ける雨を眺めるしかできなかった。
咲は言った。
「十日の内に泉北は雨に沈む。」と。
あと七日。
こんな雨が降り続いたらどうなってしまうのか。
泉北のアチコチで川は氾濫して崖は崩れ、建物は崩れ去り、泉北にはもう誰も住めくなってしまうんじゃないのか。
俺の……せいで。
俺が……咲の封印を解いたせいで……。
手にしたスマホを一層強く握りしめた時、ヴヴ、ヴヴとバイブが鳴った。
三琴からの電話だ。
『吾田三琴』の文字の下の緑の『通話』と赤の『切断』の文字。
俺は一瞬、赤いボタンに指を添えかけてから、通話のボタンをスライドさせた。
一体、なんの用なんだよ。
思い当たる事なんて山ほどあった。
三琴の言葉を聞かなかった事、咲の封印を解いた事。
いくら責められても言い訳の……償いのしようもない事だけど、けど、いま、せめて俺の事を責めてくれるのは、全ての事情を知っている三琴だけだった。
「三琴……なんのようだ……」
喉から胃袋が出てきそうな声で、ようやく絞り出した俺の声に三琴は開口一番「お祖父ちゃんがいなくなった!!」と叫び声を響かせた。
「お祖父ちゃん、昨日までずっとこの雨を止めるための祈祷をしてて、でも裏の川の水位も上がってきて、それで昨日から避難したんだけど、いつの間にかいなくなってて……」
「じいちゃんが……」
脳裏に、俺が咲の封印を解いたときのじーちゃんの表情が思い浮かぶ。
あの驚愕と絶望とが入り交じった表情。
そして咲が姿を消した後、じーちゃんは封印を解いた俺のことを一言も責めず、ただ「儂の所為や」と言葉を漏らした。
一体何がじーちゃんの所為なのか。
あの時はもうあまりの事が起きすぎて頭が一杯で、気に留める事もできなかったけど、言われてみればじーちゃんの様子は何かが奇妙かった。
「分かった。すぐ行く。」
俺は雨合羽を頭から被って大豪雨の中に駆け出した。
こんな大豪雨の中でも泉北高速が動いていたのには助かった。
『視界不良のため現在速度を落として運転しております。』
そんなアナウンスが改札口から聞こえてきた。
電車から降りてくる人影は疎らで閑散とした改札口の前でポツンと立って三琴を待っていると、ずぶ濡れの三琴がやってきたり
「それで、じーちゃんは……どうしたんだ?」
会って挨拶もそこそこに早速本題を切り出した俺に三琴は「分からない……」と首を振った。
「お祖父ちゃん……ずっと祈祷してたの。
食事も……寝る暇も惜しんで。
なんとかこの雨を止めるんだって。
でも昨日いよいよウチも避難しなくちゃいけなくなって、
流石に昨日の夜はお祖父ちゃんも一緒に上神谷の体育館に避難したんだけど、今朝起きたらいつの間にかいなくなってて……」
「寝る暇も惜しんでって、……そんな……どうして?」
「分かんないよ!!
フラフラになって倒れるまで祈祷して、
どうしてって聞いても、何を言っても、『お前には関係ない。』『これは儂の問題や。』ってそう言って何も答えてくれなくて……」
「じゃあじーちゃんは……」
「どこかで祈祷してるんだと思う。」
「三琴、お前の家は?櫻井神社で祈祷してるんじゃないのか?」
「お祖父ちゃんがいなくなって、真っ先にお父さんが見に行った。
家にはいなかった。って。」
「じゃあ……」
「多分、和田川のお社だとおもう。
お祖父ちゃんがこの雨を止めるために、もう一度咲ちゃんとお話しするために祈祷しているのは間違いないと思うから、咲ちゃんと関係ない場所で祈祷するはずがないと思うの。
お願い!翔!!
一緒に和田川のお社に行って!
お父さんもお母さんも二人とも鬼の事なんて知らないから、どうして和田川のお社にお祖父ちゃんがいるのか説明できない。
どうにかして和田川のお社に行ってお祖父ちゃんを見つけても、私一人じゃ説得して連れ帰るなんてできない。」
三琴の目に涙が浮かんでいた。
俺だって、泣けるもんなら泣きたかった。
でも、この雨の原因が俺のせいだと思えば涙を流す事さえできずにいたんだ。
それを、三琴のじーちゃんはもう一度、咲を呼び出すために命がけで祈りを捧げているという。
「分かった三琴。行こう。」
なにが正解で、なにが間違いなのか。
もう見当も付かなかった。
けど、祈りを続けるじーちゃんを救い出す。
そんなやるべき事を見つけて漸く俺は一歩前に踏み出した。




