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泉北の女神様  作者: 大和 政
第6巻
54/54

第54話 降神の儀

 光明池の駅前から続く緑道の赤いアスファルトの上を雨水が小川のようになって流れていた。

車道の下を潜るトンネルには、踝までズッポリ嵌まる深い水溜まりが出来ていたけど、すっかりずぶ濡れになった俺たちには気にもならなかった。

俺と三琴はもう交わす言葉もなくただただ三琴のじーちゃんがいる和田川のお社を目指していた。


 緑道を終点まで歩き切り、泉北四号線の横断歩道を渡り、和田川沿いの砂利道が見え始めたとき、三琴が「アレ」といって指差した。

その先には白い軽トラが止まっていた。

けど、俺の目を引いたのはその軽トラじゃなく、その隣の和田川だった。

「マジかよ。」

 三日三晩降り続けた雨水に、和田川の水位はもう限界を越えていた。

波打ち、泡立ち、渦巻く濁流は護岸のコンクリートを呑み込んで、川岸の砂利道にまで溢れ出していた。

もう、いつ川が溢れ返ってもおかしくない。

けど、あの軽トラがあるってことは、じーちゃもここにいるってことだ。

「急ぐぞ!」

 思わず足を止めた三琴の手を取って、俺は濁流の溢れる砂利道へ踏み出した。


 息が苦しかった。

滝のように叩き降る豪雨に目の前もろくに見えない。

砂利道は、濁流の底に沈んで本当にそこにあるのかさえ分からない。

もしかすると次の一歩を踏み出した瞬間に、ズボンと俺の体が濁流に沈んで川の中に流されるかも知れない。

そんな恐怖を振り払うかのように、俺は乱暴に水飛沫を上げながら駆け出すと、水煙の向こうにようやく和田川のお社が見えた。


 雷は鳴り続け、滝のような雨は降り続け、地面は全て濁流に覆い隠されていた。

お社まではほんの僅か距離。

けど、その距離さえもずっと遠くに感じて、お社の庇にたどり着いたときにはもう息も絶え絶えだった。

 着いた。

俺は、髪から滴り落ちる雨水を拭って、三琴に目をやると、雨に濡れた三琴もひと息付いて、それからコクンと頷いた。


 扉の向こうには、やっぱりじーちゃんがいた。

空っぽの本殿の前に神棚を設けて、じーちゃんはその前でうずくまるように祈りを捧げ続けていた。

神棚の蝋燭の灯が仄かに照らす薄暗いお社の中。

三琴が駆け寄ると、じーちゃんはうずくまったまま「あかん、あかんのや。」と、譫言のように呟いた。

「翔!」

 心配そうにじーちゃんの背をさする三琴の言葉が俺に届く。

けど、俺はお社の中に入ることが出来ずに、入り口で茫然と立ち尽くしていた。

変だ。

何か違う。

何かが変だ。


空っぽの神殿。

その前の神棚。

神棚には榊の葉と御神酒と御鏡。

それは、じーちゃんが咲を呼び出すために準備したものに違いなかった。

でも、それが何か違う。

「これ、降神の儀。だよな……」

 疑問が、形にならないまま口からこぼれ出た。

そうだ。

これは降神の儀だ。

じーちゃんは、咲を呼び出すために降神の儀を行っていたんだ。

「でも……。

なんで、降神の儀なんだ?

咲を呼び出すのに、どうして降神の儀なんだ?」

「それは……」

 うずくまるじーちゃんの背が固く強張った。

そうだ、そうだよ。

咲は……鬼だ。

鬼だって言ってたじゃないか。

なのに、どうして。

どうして鬼を呼び出すのに、降神の儀をやってるんだ?

「なぁ、じーちゃん!

じーちゃんは、何か知ってるんだろ!

何を隠してるんだよ!」

「知らん!

儂は何も知らん!」

「だったら、どうして降神の儀なんかやってんだよ!」

「知らん!知らん!

お前らは何も知らんでええんや!」

 じーちゃんはうずくまり頭を抱え耳を塞いで口を閉ざした。

「じーちゃん!」

 その時、俺の叫び声を遮るかのように三琴がじーちゃんの傍らに歩み寄って、まるで子供をあやすかのように跪いてその背中に優しく手を添えた。

「ねぇ、お祖父ちゃん。

咲ちゃんって、もしかしたら神様なんじゃないの?」

 優しく訊ねる三琴の口調は、けれども何か確信めいたものを持っていた。

「咲が……神様?」

「そう、私ね、見たの。

あの咲ちゃんが鬼切の剣で封印された次の日の朝。

どうしてももう一度咲ちゃんの顔を見たくて。

咲ちゃんが本当に鬼なのかどうか知りたくて、併殿に寝かした咲ちゃんの姿を見に行ったの。

そうしたらね。そのとき、咲ちゃんは綺麗な衣装を着て寝ていたの。まるで天女みたいだった。

どうして咲ちゃんがそんな姿でいたのか疑問だったんだけど……。

それが神様の姿だって言うんなら、確かにそんな気がする。」

「でも、そんなの……って。」

「私もさっきまでは分からなかった。

けど……。

お祖父ちゃん、これって降神の儀だよね。

私も、翔みたいに、どうして咲ちゃんを、鬼を呼び出すのに降神の儀をしてるのか分からなかった。

でも、咲ちゃんが鬼じゃなくて神様だったとしたら……。

お祖父ちゃん。

お祖父ちゃんは、神様の咲ちゃんを呼び出すために降神の儀をしてる。

そうじゃないの?」


「知らん、知らん。

知らんかったんや。」

 絞り出すように言ったじーちゃんの言葉を遮るかのように雷鳴が響いた。

それでもじーちゃんは拳を強く握り締めて言葉を続けた。

「始めは、ホンマに鬼やと思ってたんや。

あの時、あの雨を止めるために……。いや、成り行きやったんかも知れん。

横山さんに付き合って地鎮祭をやった時、目の前に恐ろしい姿の鬼が現れたんや。

儂は考える間もなく、横山さんが鬼切頼光をその鬼の胸に突き立てた。

それであの雨は止んだ。

せやからあの時、儂は鬼を封じた。

ホンマにそう思ってたんや。

それからや。

儂は鬼の事を調べるようになったんは。

いつか封印が解けて、鬼が儂の前に現れたらどうしよう。

復讐に現れたらどうしよう。

そんな不安に駆られて、なんとかせな。と思って。

それで古文書や言い伝え、全国の鬼の話を集めて鬼のことを調べるようになったんや。

鬼はな、ほとんどが錯覚。見間違えみたいなもんや。

大きな猿や山伏、異国人。

そんな人等を鬼と見間違えたことがほとんどや。

それからな、鬼の他にも土蜘蛛とか言われた人たちがおった。

これはな、古代大和朝廷に従わんかった人たちを鬼や土蜘蛛と言って征伐したわけや。

鬼の正体のほとんどは、そんな理屈で説明できるんもばっかりや。

せやけどな。

儂の目の前に現れた鬼は、そんな理屈で説明できる鬼やない。

意のままに雨を降らせて、人に災いを呼ぶ、人ならざる力を持った化け物や。

まさに正真正銘の本物の鬼や。

儂が調べたいのは、そんな正真正銘の鬼の事や。

そう思って儂は、さらに詳しく調べると、全国に幾つか、本物の鬼の話を伝える伝承が残っとった。

これこそ儂が探してた鬼の話や。

これで鬼の知れる。

そう思っとったんやけど、その伝承に出てきた鬼の正体は、どれもその土地に古くから坐る土地神やったんや。」

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