第九話 話が通じる人
ルドラン様とは、それから何度か話をしました。
毎日のように会うわけではありません。
男子部と女子部では授業が違いますし、お互い試験も近づいています。
週に一度か二度、放課後の共用談話室や図書室で顔を合わせるくらいでした。
そのくらいが、ちょうどよかったのだと思います。
最初から婚約相手として毎日会えば、また「こういうものなのだろう」と何でも受け入れてしまったかもしれません。
お母様に言われたことを、私は少し気にしていました。
今度は、自分でも相手を見ること。
ですから、ルドラン様と話したあとには、何となくその日の会話を思い返すようになりました。
何を話したか――何を聞かれたか――何を勝手に決めつけられなかったか。
最後の一つが入っているあたり、少し嫌な学び方をした気もします。
「今日は領地法ですか」
図書室の共用区画で、ルドラン様が私の机に置いた教本を見ました。
「はい。来週、小試験があります」
「女子部でも扱うのですね」
「当然です。家を継ぎますので」
「なるほど」
それで終わりました。
私は少し待ちました。
ルドラン様が教本を開きます。
「どうしました?」
「いえ」
またです。
最近、ときどきこのようなことがあります。
私が何か説明すると、そのまま受け取られて話が終わる。
それがまだ少し珍しいのです。
「何か続きが?」
「ありません」
「では、なぜこちらを見ているのです?」
「本当にそれで終わりなのだなと思いまして」
「何がです?」
「私が家を継ぐという話です」
ルドラン様はしばらくこちらを見ました。
「知っていますよ」
「はい」
「だから婿入り候補として会っているのでしょう?」
「そうですね」
「では、他に何かありますか」
ありません。
本当にありません。
「すみません。少し確認したくなっただけです」
「何を?」
「気にされないのだな、と」
「婿入りをですか」
「はい」
ルドラン様は教本の端を指で押さえました。
「最初からその話ですよね」
「そうですが」
「それを嫌がるなら、最初に断っています」
たいへん分かりやすい答えでした。
「ですが、伯爵家へ入れば、ルドラン様ご自身の家名は」
「兄が継ぎます」
「それは分かっています」
「では問題ありません」
そこまで言ってから、ルドラン様は少し考えました。
「もちろん、何も思わないわけではありませんよ」
「そうなのですか?」
「生まれてからずっとフォームル家の人間ですから。家を出るとなれば、寂しいとは思います」
その答えには、少し安心しました。
何も感じないと言われるより、その方が自然です。
「ただ、寂しいことと、嫌なことは同じではないでしょう」
「はい」
「それに、家を出るのは結婚すれば珍しい話でもありません。男女が逆なだけで」
私は少しだけ笑ってしまいました。
「ずいぶん簡単におっしゃいますね」
「難しく考える必要がありますか」
「以前は、あるような気がしていました」
「そうなのですか」
「少しだけ」
トルナド様は、婚約した時には婿入りを嫌がっていませんでした。
少なくとも、そう聞いていました。
けれど学院に入ってから、ときどき妙なことを言うようになったのです。
――男子だから。
――男は家を背負うから。
私が家を継ぐと言えば、そういう話ではないと言う。
あの頃は、それぞれ別の会話だと思っていました。
今になると、少しつながっていたのかもしれません。
ですが、それをルドラン様へ話す必要はないでしょう。
「それで、フライエ家では卒業後、何から覚える予定なのです?」
「まずは領地へ行くことになります。お父様について、実際の仕事を見ながら」
「一年くらい?」
「そのくらいでしょうか。王都へ戻る時期もあると思います」
「では、婿になる者も一緒ですか」
「たぶん」
「たぶん?」
今度はルドラン様の方が引っかかりました。
「まだ相手が決まっていませんでしたので、細かくは決めていません」
「ああ、そういう意味ですか」
「そういう意味です」
「私は、婿は置いていかれるのかと思いました」
「どうしてです?」
「フライエ嬢が先に仕事を覚えて、そのあと私が合流する形なのかと」
「それでも構わないかもしれませんが」
考えたことがありませんでした。
これまで卒業後は、トルナド様と一緒に領地へ行くものだと思っていました。
それが当然だと。
ですが、考えてみれば、二人が同じ速度で同じことを覚える必要はないのかもしれません。
「ルドラン様は、何をなさりたいのです?」
「卒業後ですか」
「はい」
「今のところ、法務か財務の仕事に興味があります」
「では、領地経営にも使えますね」
「そうですね。ただ、フライエ家で必要かどうかは聞いてみないと」
「必要だと思います」
「では、そのあたりを多めに覚えればいい」
また簡単です。
「私が領主になるのですよ?」
「その予定でしょう?」
「はい」
「なら、私は全部同じことをする必要はないでしょう。二人で同じ帳面を見ても仕方ありません」
それはそうです。
「どちらかが外へ出て、どちらかが屋敷に残る日もあるでしょうし」
「はい」
「一人で全部やろうとしたら、先に倒れますよ」
「お父様も似たようなことを言っています」
「では、伯爵と気が合うかもしれません」
「それはどうでしょう」
「そこは否定するのですね」
「お父様は少し心配性ですので」
「娘の婚約が一度なくなった直後なら、仕方ないのでは?」
私は教本から顔を上げました。
ルドラン様が前の婚約について自分から触れたのは、これが初めてです。
けれど、そこで止まりました。
詳しく聞く気はないようです。
「気にならないのですか」
「何がです?」
「前の婚約のことです」
「気にはなります」
意外でした。
「聞かないのに?」
「今すぐ聞く必要がないからです」
「そういうものですか」
「もし将来、本当に婚約することになったなら、知っておいた方がいいことはあると思います」
「はい」
「ですが今、誰が悪かったとか、どちらから解消したとか聞いても、私が判断できる材料がありません」
私は少し考えました。
「本人から聞けば、材料になるのでは?」
「本人は、自分に都合よく話すでしょう」
「私も?」
「多少は」
ずいぶんはっきり言われました。
「そこは否定してくださらないのですね」
「人間ですから」
仕方ありません。
確かに私だって、トルナド様とのことを話せば、自分の側から見た話になります。
「では、もし聞く時が来たら?」
「あなたから聞いて、そのあと家同士で必要なことだけ確認します」
「必要なこと?」
「婚約解消に問題が残っていないか、とか」
「ああ」
なるほど。
感情の話ではなく、自分が次の婚約者になるなら確認すべきところを見るのでしょう。
「分かりました」
「何がです?」
「ルドラン様は、聞きたいことと聞かなくてもいいことを分けるのですね」
「普通では?」
また出ました。
普通。
「たぶん、そうなのでしょうね」
「また何かありました?」
「いいえ」
今回は説明しませんでした。
ルドラン様も、それ以上追いませんでした。
*
その日、帰宅すると、お母様が居間にいました。
「今日はフォームル様と?」
「はい」
「どうだった?」
「普通でした」
「また?」
「はい」
お母様が笑います。
「その方、ずいぶん普通なのね」
「かなり」
「褒めているのよね?」
「もちろんです」
そこはもう説明できます。
私はお茶を受け取りながら、今日話したことを少しだけ話しました。
婿入りのこと――卒業後のこと――領地で何を覚えるか――前の婚約について、今は無理に聞かれなかったこと。
お母様は途中で何度かうなずきました。
「それで、あなたはどう思ったの?」
「どう、とは?」
「条件ではなくて」
困りました。
条件なら説明できます。
婿入りに抵抗がない――成績も十分――家を継ぐ私と張り合う様子もない。
話も通じます。
ですが、それを聞きたいのではないのでしょう。
「……話していて、疲れません」
しばらく考えて、そう答えました。
お母様が少し目を丸くします。
「それは大事ね」
「とても」
そこは自信があります。
「では、また会いたい?」
「はい」
これはすぐ答えられました。
お母様が笑いました。
「なら、今日はそれで十分でしょう」
その夜、机に向かって小試験の勉強をしました。
領地法の教本を開き、昼間ルドラン様と話したところをもう一度読みます。
しばらくして、ふと思いました。
以前は、婚約者と話すというのは、もっと面倒なものだと思っていました。
相手の機嫌を見て、言い方を考えて、どこまで言えば嫌がられるかを気にする。
たぶん、それを普通だと思っていたのです。
今は違います。
分からなければ聞くし、違えば違うと言う。それで話が続く。
ずいぶん簡単です。
私は教本の余白へ試験範囲を書き込みました。
次に会った時、男子部ではこの部分をどう習うのか聞いてみようと思いました。




