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「婚約一つだろう?」と言って私を捨てた元婚約者が、卒業式で振られているようです。  作者: さんけい


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6/24

第六話 本当に解消するのですね

 両家の話し合いは、その週の終わりに行われました。場所は我が家です。


 クライン子爵ご夫妻とトルナド様がいらして、お父様とお母様、それから私が応接室で迎えました。

 子供の頃から何度も顔を合わせている方々です。

 お茶の好みまで知っています。

 ですから、婚約解消のために改めて向かい合って座るというのは、何とも妙な気分でした。


「この度は、本当に申し訳ありません」


 最初に頭を下げたのは、クライン子爵でした。


「息子が勝手なことを申しまして」

「お父様、勝手って」

「黙っていなさい」


 トルナド様が口を挟みましたが、すぐ止められました。

 いつもは穏やかな方なのですが、今日はさすがに怒っているようです。

 お父様は少し間を置いてから答えました。


「まずは本人たちの意思を確認したいと思っています」

「もちろんです」


 そこで全員の視線が、私とトルナド様へ向きました。

 こういう時、先に話すのはどちらなのでしょう。

 考えているうちに、トルナド様が口を開きました。


「俺は、婚約を解消したいと思っています」


 はっきりしています。

 ここまで来ても変わらないのなら、もう迷いはないのでしょう。


「理由は」


 お父様が尋ねました。


「好きな女性ができました」

「その女性には婚約者がいると聞いているが」

「はい」

「その婚約は、もう解消されているのか」

「まだです」


 お父様の眉が少し動きました。

 クライン子爵夫人が隣で目を伏せます。


「では、相手方の婚約がどうなるのかも分からない状態で、先にこちらを解消したいということか」

「俺たちは、お互いに好き合っています」


 トルナド様は迷わず言いました。

 私は膝の上で指を組みました。

 好き合っている。……そこまでアプフェル様が書いていたでしょうか?

 少なくとも、私が見た手紙には書かれていませんでした。

 ですが今ここで、それを指摘する必要もないでしょう。


「マロンはどうなんだ」


 お父様がこちらを見ました。

 私は一度、息をつきました。


「解消で構いません」


 トルナド様がわずかに動きました。

 たぶん、もう少し何か言うと思っていたのでしょう。


「本当にいいのか」

「はい」


 お父様は私の顔を見ています。

 気持ちまで確認しようとしているのだと分かりました。

 ですから、少し考えてから続けました。


「傷ついていないわけではありません」


 お母様の手が、膝の上で少し動きました。


「長く婚約していましたし、卒業後のことも考えていました。ですから、何も感じていないと言えば嘘になります」


 言葉にすると、また少し痛みました。

 けれど、それと婚約を続けることは別です。


「ただ」


 私はトルナド様を見ました。


「好きな方ができて、私との婚約を続けたくないというのであれば、無理に続けても仕方がありません」

「そうだろ?」


 トルナド様がすぐ言いました。

 クライン子爵が横から睨みます。


「お前は黙っていなさい」

「でも、マロンだってそう言ってるじゃないですか」

「そういう話ではない」


 どういう話なのか、トルナド様には分からないようです。

 私にも全部は分かりませんが、少なくとも今この場で嬉しそうにするところではないと思います。


「確認しておきたい」


 お父様が言いました。


「トルナド君。君はフライエ家へ婿入りする予定だった。それも承知の上で、婚約を解消したいのだな」

「はい」

「卒業後は、うちで領地経営を学ぶ予定もなくなる」

「分かっています」

「将来、伯爵家の夫として受ける予定だった立場もない」

「はい」

「後になって話が違うと言われても、こちらでは対応できない」

「そんなこと言いませんよ」


 即答でした。

 私は少しだけ目を伏せました。

 なぜでしょう。

 その言い方を聞くと、かえって少し心配になります。


「では、こちらとしても解消に異存はありません」


 お父様が言いました。

 クライン子爵はもう一度、深く頭を下げました。


「本当に申し訳ない」

「子供同士の婚約です。こういうこともあるでしょう」


 お父様の声は穏やかでした。

 けれど、それで全部済んだわけではありません。

 婚約時に取り交わした書面の確認――これまで両家で準備していたことの整理――贈答品の扱い。

 細かい話がいくつも続きました。

 婚約というものは、始める時も大変ですが、やめる時も簡単ではありません。

 トルナド様は途中から、かなり退屈そうでした。

 私はそれを見て、少しだけ納得しました。

 この方が最初に「婚約一つ」と言った理由です。

 たぶん、本当にこういう細かいことを何も考えていなかったのでしょう。


「では、これで」


 話がまとまり、クライン子爵が立ち上がりました。

 私たちも立ちます。

 そこでトルナド様が、こちらを見ました。


「マロン」

「はい」

「少し話せるか?」


 お父様が何か言いかけましたが、私はうなずきました。


「少しだけなら」


 応接室を出て、廊下の端へ移りました。

 使用人たちが遠くを通ります。

 トルナド様は、さっきまでより少し落ち着かない様子でした。


「本当に解消するんだな」


 今さら何を言うのでしょう。


「そのために今日は集まったのでは?」

「そうだけど」

「トルナド様が望まれたことです」

「ああ」


 それでも、何か言いたそうです。


「何ですか?」

「いや」


 少し黙ったあと、ようやく続けました。


「もっと嫌がると思ってた」


 私は返事に困りました。


「嫌がってほしかったのですか?」

「そういう意味じゃない」

「では、どういう意味です?」

「長く婚約してたんだから」

「はい」

「もう少し、その……」


 言葉を探しているようです。


「引き止めるとか」


 やはり。

 前から何となくそうではないかと思っていました。


「引き止めたら、考え直してくださったのですか?」

「それは……」


 トルナド様は口ごもりました。

 答えは分かりました。


「では、同じでしょう」

「そういう言い方するなよ」

「事実ですので」

「君、本当に可愛げがないな」


 また少し痛みました。ですが、前回ほどではありません。

 不思議です。

 同じようなことを言われても、一度目と二度目では違います。


「そうかもしれませんね」

「だから、そうやって」

「トルナド様」


 私はそこで止めました。


「本当に解消するのですね」


 今度はこちらから確認しました。

 トルナド様は少し驚いた顔をしましたが、すぐうなずきました。


「ああ」

「アプフェル様とお付き合いするために」

「そうだ」

「では、それでいいです」

「……本当に?」

「はい」


 もう一度、はっきり言いました。

 たぶん、これで終わりです。子供の頃から続いていた婚約が、今日でなくなりました。

 何か大きな音がするわけでもありません。

 廊下の向こうでは、使用人が食器を運んでいます。

 窓の外では庭師が枝を集めています。

 家の中はいつも通りでした。

 私はそのことに、少しほっとしました。


「では、失礼します」

「マロン」


 また呼ばれました。

 振り返ると、トルナド様はまだそこに立っています。


「何ですか?」

「……いや。何でもない」

「そうですか」


 今度こそ歩き出しました。

 自分の部屋へ戻ると、お母様が少し遅れて入ってきました。


「大丈夫?」

「たぶん」


 それしか答えられませんでした。


「泣きたいなら泣いていいのよ」

「今は、あまり」


 悲しいのは悲しいです。

 ただ、それ以上に疲れていました。

 お母様は私の隣に座りました。


「そう」


 それだけ言って、しばらく一緒にいてくれました。

 私は机の上に置いてあった翌週の課題を見ました。

 まだ手をつけていないものがあります。


「勉強するの?」

「少しだけ」

「今日くらい休んでもいいのよ」

「何もしないでいる方が、考えてしまいそうなので」


 お母様は少し笑いました。


「あなたらしいわね」


 その日は結局、課題を一つだけ終わらせました。

 出来はあまり良くありませんでした。

 翌日読み返して、二か所書き直しました。

 婚約がなくなっても、試験はなくなりません。

 学院生活も、まだ半年残っています。



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