第四話 在学中だけ
トルナド様から渡された便箋は、思っていたより短いものでした。
もっと長々と、熱烈な思いでも書かれているのかと思っていたのです。
ですが、実際には違いました。
私は一度、最初から最後まで読みました。
それから、もう一度読みました。
「……これですか?」
「ああ」
トルナド様はたいそう満足そうです。
私は便箋へ目を戻しました。
そこには、こう書かれていました。
――トルナド様へ。
――突然のお手紙で驚かれたらごめんなさい。
――前から、少し素敵だなと思っていました。
――学院にいる間だけ、お付き合いしていただけませんか。
――卒業するまで、楽しく過ごせたら嬉しいです。
――アプフェル。
以上です。
私は三度目を読む必要はないと判断しました。
「……あの」
「何だ?」
「これは」
「うん」
「在学中だけ、という意味では?」
トルナド様の顔が止まりました。
ほんの一瞬でしたが。
「書いてありますよね」
「それは」
「『学院にいる間だけ』と」
「そこは言い回しだろう」
「言い回し?」
「最初から重くならないようにしてるだけだよ」
そうなのでしょうか。
私には、かなり明確に書かれているように思えました。
「『卒業するまで、楽しく過ごせたら嬉しいです』ともありますが」
「だから、それも同じだって」
「同じ?」
「照れてるんだよ」
私は便箋を持ったまま、トルナド様を見ました。
この方は、手紙に書かれていないことまで読めるらしいです。
私には難しい芸当でした。
「アプフェル様ご本人に確認されたのですか?」
「何を?」
「卒業後もお付き合いするおつもりなのか」
「そんなの、わざわざ聞くことじゃないだろう」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
トルナド様は、かなり自信がありました。
ここまで自信があると、私の方が間違っているのかもしれないと思いそうになります。
ですが、便箋にはやはり、
――学院にいる間だけ。
とあります。
文字は消えていません。
「それに」
トルナド様が言いました。
「わざわざ婚約者がいるのに、俺に手紙をくれたんだぞ」
「はい」
「それだけ俺のことが好きってことだろう」
「……そうなのでしょうか」
「他に何があるんだよ」
学院生活の間だけ、少し恋愛らしいことをしてみたい。
という可能性が、私には思い浮かびました。
実際、手紙はそう読めます。
ですが、それを口にするとまた話が長くなりそうでした。
それより気になることがあります。
「アプフェル様は、ご自分の婚約について何とおっしゃっているのですか?」
「そこは心配しなくていい」
「またそれですか」
「何だよ」
「先日もそうおっしゃっていましたので」
何がどう大丈夫なのかは分からないままです。
「クライドとは、家が決めた婚約なんだよ」
「はい」
「本人同士で好きになったわけじゃない」
「私たちもそうですね」
トルナド様が少し黙りました。
「君はそこをいちいち一緒にするよな」
「同じだからでは?」
「違うって」
また違うらしいです。
どう違うのか尋ねてみたい気持ちはありましたが、今は手紙の話です。
「では、アプフェル様はクライド様との婚約を解消すると?」
「するだろう」
「するとおっしゃったのですか?」
「まだ言ってない」
「では」
「でも普通、そうなるだろう?」
普通。
便利な言葉です。
人によって中身が違います。
「トルナド様は、私との婚約を解消する」
「ああ」
「アプフェル様も、クライド様との婚約を解消する」
「そう」
「そのあと、お二人が婚約する」
「まあ、そうなるだろうな」
そこまでのうち、確定しているのは一番最初だけでした。
しかも、まだ両家の話し合いも終わっていません。
「ずいぶん先まで決まっているのですね」
「決まってるっていうか、自然な流れだろ」
「自然」
「ああ」
トルナド様は、そこでまた少し得意そうになりました。
「アプフェルは俺を選んだんだから」
先日も聞きました。
どうやら、そこが一番大事なようです。
自分には婚約者がいる。
相手にも婚約者がいる。
それでも手紙をもらった。
つまり自分は選ばれた。
トルナド様の中では、そういう順番なのでしょう。
私はもう一度だけ便箋へ目を落としました。
――学院にいる間だけ。
やはり書いてあります。
「それでは、お返しします」
私は便箋を元の折り目に沿って畳みました。
「分かった?」
「何がですか?」
「アプフェルが本気だって」
分かりませんでした。
むしろ、分からないことが増えています。
「私には判断できません」
「まだそんなこと言うのか」
「本人ではありませんので」
「君って本当に堅いよな」
「そうですか?」
「もっと普通に考えればいいんだよ」
また普通です。
「女の子が男に手紙を渡すんだぞ。しかも婚約者がいるのに」
「はい」
「それだけで十分だろう」
十分ではないような気がします。
ですが、トルナド様には十分なのでしょう。
手紙を返すと、彼は大事そうにまた鞄へしまいました。
折れないよう、教本と教本の間へ入れています。
そこまで大切にしているなら、書かれている内容ももう少し大切に読めばいいのではないでしょうか。
とは思いました。
言いませんでしたが。
「それで、クライン家とはいつ話をするのです?」
「今週中じゃないか」
「そうですか」
「マロンも、変に揉めないでくれよ」
「私が?」
「傷ついたからって、解消したくないとか」
またその話です。
私は少しだけ、手に持っていた鞄の位置を直しました。
「私は先日、解消したくないとは申し上げていません」
「でも嫌だろ?」
「嫌かどうかと、解消するかどうかは別です」
「ほら、やっぱり傷ついてる」
なぜ嬉しそうなのでしょう。
そこが一番分かりません。
「トルナド様」
「何?」
「私は、傷ついていますよ」
今度こそ、彼が黙りました。
それくらいは、きちんと言っておこうと思いました。
「長く婚約してきましたし、卒業後のことも考えていました。ですから、急に解消したいと言われれば傷つきます」
「……だろ?」
「ですが」
そこで続けました。
「傷ついたからといって、婚約を続ける理由にはなりません」
トルナド様の眉が少し寄りました。
「好きな方ができたのでしょう?」
「ああ」
「でしたら、それはもう仕方のないことです」
「そうだよな」
今度はまた機嫌が戻りました。
たぶん、私が納得したと思ったのでしょう。
半分は合っています。
婚約を終わらせることには、もう納得し始めていました。
ただし理由は、トルナド様が考えているものとは少し違います。
「では、私はこれで」
「もう行くのか?」
「授業がありますので」
「ああ」
数歩離れたところで、ふと振り返りました。
トルナド様はまだその場に立っています。
そして鞄を開け、もう一度桃色の便箋を見ていました。
とても嬉しそうでした。
ですから私は、それ以上何も言いませんでした。
――学院にいる間だけ。
――卒業するまで。
そこまで書いてあるのです。
後になって意味が違ったと言われても、私は知りません。




