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「婚約一つだろう?」と言って私を捨てた元婚約者が、卒業式で振られているようです。  作者: さんけい


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2/24

第二話 婚約を解消してくれ

「マロン。婚約を解消してくれ」


 そう言われたのは、半年前のことでした。

 場所は学院の共用談話室です。

 男子部と女子部の生徒が使える場所はいくつかありますが、ここはその中でも比較的静かで、放課後になると課題を片づける生徒がよく集まります。

 私もその日、女子部で出された課題を一つ終わらせるつもりでいました。

 ところが、向かいに座ったトルナド様は、私が教本を開くより先にそう言ったのです。


「……婚約を、ですか?」

「ああ」


 聞き間違いかと思いました。

 ですが、トルナド様はいつもの顔をしています。冗談を言っている様子でもありません。

 私は膝の上に置いていた教本を机へ戻しました。


「理由を伺っても?」

「好きな女性ができた」


 ずいぶん簡単でした。

 婚約を解消するという話も、それを説明する言葉も。

 私たちの婚約は、子供の頃から決まっていたものです。

 フライエ伯爵家は私が継ぐことになっていますから、いずれ夫となる人には家へ入ってもらう必要があります。トルナド様はクライン子爵家の次男で、家を継ぐ予定もありません。

 年齢も近く、家同士の付き合いもありました。

 ですから、お父様たちが相談して婚約が決まりました。

 恋物語のような始まりではありません。

 けれど私は、それを嫌だと思ったこともありませんでした。

 いずれ夫婦になるのだと思ってきましたし、トルナド様とも、そのつもりで付き合ってきたのです。


「どなたですか?」

「それは今はいいだろう」

「今は?」

「そのうち分かる」


 ずいぶん得意そうです。

 私は少し考えました。

 婚約を解消したいほど好きな人ができたのなら、それ自体は仕方のないことかもしれません。

 気持ちまで契約で縛ることはできませんし、結婚してから言われるよりは今の方がいいでしょう。

 ただし。


「では、ご両親にはもうお話しになったのですか?」

「いや」

「まだなのですか?」

「先に君に言った方がいいと思ったんだ」


 それはそうかもしれません。

 私も、何も知らないうちに両家の話だけが進んでいたら嫌です。


「分かりました。では今日中にお父様へお話しします」


 そう言って教本を閉じると、トルナド様が眉を寄せました。


「どうして伯爵に話すんだ?」


 今度は私が聞き間違えたのかと思いました。


「婚約を解消するのでしょう?」

「だからって、すぐ親に言わなくてもいいだろう」

「では、いつ言うのです?」

「もっと後でいい」

「もっと後とは?」


 トルナド様は少し面倒そうに椅子へもたれました。


「マロンは何でも大げさなんだよ」

「大げさ?」

「婚約一つだろう」


 しばらく、返事が出ませんでした。

 机の上には、私の教本と筆記具があります。つい先ほどまで、課題を終わらせて帰るつもりでした。

 今日の予定の中に、婚約解消は入っていません。

 当然です。


「婚約一つ、ですか」

「ああ。別に結婚したわけじゃない」

「それはそうですが」

「君だって伯爵家の跡取りなんだから、困らないだろう」


 何の話をしているのでしょう。


「何に困らないのですか?」

「次の婚約者だよ」


 トルナド様は、私が本当に分かっていないと思ったらしく、少し身を乗り出しました。


「フライエ伯爵家なら、婿に入りたい男なんていくらでもいる。君だって成績はいいし、別に見た目が悪いわけでもないし」


 褒められているのでしょうか。

 今まで聞いた中では、かなり判断の難しい褒め方でした。


「だから、そんなに深刻に考える必要はないって言ってるんだ」

「私は、まだ深刻だとも何とも申し上げていませんが」

「そういう顔をしてる」


 どのような顔でしょう。

 自分では分かりません。

 ただ、胸のあたりが妙に詰まって、すぐには次の言葉が出てきませんでした。

 私はトルナド様と結婚するものだと思っていました。

 伯爵家を継いだあと、どの仕事を私が受け持ち、どのあたりを夫に任せるのか。学院を卒業したら、少しずつ領地のことも覚えてもらった方がいいのではないか。

 そんなことまで考えていました。

 その相手が、目の前で「婚約一つ」と言っています。


「……私が傷ついていると思っていらっしゃるのですか?」

「ほら、やっぱり」

「まだ何も言っていません」

「でもそうなんだろう?」


 トルナド様は、なぜか少し安心したようでした。

 そこで私は、ようやく気づきました。

 この方は、私が引き止めると思っているのです。


「安心しろよ。君が悪いわけじゃない」

「はい」

「ただ、俺にも選ぶ権利はあるだろう?」

「ありますね」

「そうだろう?」


 返事をすると、トルナド様の機嫌が少し良くなりました。

 話が通じたと思ったのでしょう。

 私には、何の話が通じたのかよく分かりませんでした。


「ですから、正式なお話はご両親とお父様、お母様の間で進めていただきましょう」

「またそれか」

「婚約ですから」

「だから大げさなんだよ」


 トルナド様は額を押さえました。


「俺と君の話だろう?」

「いいえ」

「いいえ?」

「婚約は、私たち二人だけで決めたことではありません」


 私が幼い頃、お父様とクライン子爵が話をまとめました。

 条件もあります。

 トルナド様が将来フライエ伯爵家へ入ること。そのために必要な教育を受けること。卒業後は一定期間、お父様のもとで領地経営について学ぶこと。

 これは単に「好きだから付き合っています」という話ではありません。


「ですが、トルナド様が解消を望んでいらっしゃることは分かりました」

「そう。それでいいんだよ」

「私からもお父様へ申し上げます」


 また顔をしかめられました。

 ですが、ここは譲るところではないでしょう。


「それと」

「まだ何かあるのか?」

「お相手の方にも婚約者がいらっしゃるのですか?」


 トルナド様の動きが止まりました。

 分かりやすい方です。


「……なぜそう思う?」

「今の反応で」

「いや、それは」

「いらっしゃるのですね」


 否定はありませんでした。

 私は教本の端をそろえ、筆記具をしまいました。

 今日はもう課題をする気にはなれそうにありません。


「その方の婚約についても、当然ご本人とご家族のお話になるのでしょうね」

「そこは大丈夫だ」

「もうお話が済んでいるのですか?」

「いや」

「では、何が大丈夫なのです?」


 トルナド様は少し笑いました。

 今思い返しても、あの自信がどこから来ていたのか分かりません。


「彼女は俺を選んだんだから」


 そう言いました。

 ずいぶん嬉しそうでした。

 私は鞄を閉じました。


「そうですか」

「何だよ、その言い方」

「いえ」


 その時の私は、まだアプフェル様の手紙を見ていません。

 ですから本当に、それ以上のことは何も分かりませんでした。

 ただ一つだけ。

 婚約を解消したいと言い出した本人より、なぜ私の方が後始末の手順を考えているのでしょう。

 そこだけは、少し不思議でした。



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