第一話 卒業式の日
卒業式というものは、もっと晴れ晴れしい気分になるものだと思っていました。
少なくとも、六年間通った学院を今日で卒業するのです。先生方への挨拶を終え、友人たちとも「またね」ではなく「今度はいつ会えるかしら」と話すようになれば、何かしら胸に迫るものがあってもよさそうです。
実際には、講堂を出た時点でかなり疲れていました。
卒業証書の筒は思ったより大きいですし、式服は普段より重いですし、その上今日はこのあと、我が家で卒業祝いがあります。
父がずいぶん前から張り切っていました。
「馬車、少し遅れているようですね」
隣から声をかけられ、私は学院の正門へ目を向けました。
「ええ。門のところが混んでいるのでしょう」
卒業生を迎えに来た馬車が何台も並び、御者たちが互いに少しずつ場所を譲りながら進んでいます。普段ならもっと広く感じる学院前の道も、今日ばかりは窮屈そうでした。
これでは、我が家の馬車がすぐ来なくても仕方ありません。
「少しくらい遅れてもいいかもしれません」
「どうしてです?」
「屋敷へ着いたら、父が全員揃うまで待てと言い出す気がしますので」
「伯爵らしいですね」
「そうでしょう?」
今日の主役は一応、私です。
ですが父にとっては、「娘が無事学院を卒業したので、きちんと祝いをする日」でもあります。朝から食堂の花がどうだの、客用の菓子がどうだのと使用人に確認していました。
私が卒業することより、卒業祝いを無事終えることの方が大事なのではないかと思うほどです。
もっとも、そのくらいでちょうどいいのかもしれません。
六年間も通えば、学院は生活の一部になります。
今日で終わりだからといって、急に泣きたくなるほどの感慨が湧くわけでもありませんでした。
女子部の友人たちとは、卒業後も会おうと約束しています。家同士の付き合いがある者もいますし、王都に残る者ならなおさらです。
学院が終わるというより、次へ移るのだと思った方が私にはしっくりきました。
そんなことを考えていた時です。
「……なんだか、騒がしくありませんか」
「そうですね」
隣の人も同じ方を見ました。
少し離れた場所に、卒業生が三人集まっています。
二人が言い争い、一人がその少し横に立っている。
最初は、卒業式の日には珍しいこともあるものだと思っただけでした。
ですが、声に聞き覚えがありました。
「話が違うだろう!」
あら。
あの声は。
人が多い中でも、よく通る声です。
私は証書の筒を持ったまま、そちらを見ました。
男子部の卒業式用の制服姿で立っているのは、トルナド・クライン様でした。
こうして立ち止まって見るのは、少し久しぶりです。
少し髪が伸びたでしょうか。
もっとも、元婚約者について最初に思ったことがそれなのですから、私の方もずいぶん落ち着いたものです。
「何の話よ」
トルナド様の向かいにいる少女が、不思議そうに首を傾げました。
アプフェル様です。
彼女も今日、女子部を卒業しました。
式の間は離れた席でしたので話してはいませんが、もちろん顔くらいは知っています。
むしろ、この半年でずいぶんよく見るようになりました。
トルナド様と一緒にいるところを、ですが。
「何の話って…… 君、今なんて言った?」
「だから、今日で終わりでしょう?」
アプフェル様は、本当に何が分からないのか分からない、という顔をしています。
私は少しだけ眉を寄せました。
ああ。
これは、もしかすると。
「終わりって、学院がだろう?」
「学院もよ」
アプフェル様が笑いました。
「私たちのお付き合いも」
トルナド様の口が止まりました。
離れたところにいる私にまで、それが分かりました。
周囲にも何人か、足を止めた卒業生がいます。
これは目立ちます。
卒業式の日、それも正門前でする話ではないように思うのですが、今さら二人とも気にしていないのでしょう。
「……何を言ってるんだ」
「何って?」
「付き合いを終わらせるって、どういう意味だ!」
意味はそのままだと思います。
ですが、今口を挟むほど私は親切ではありません。
そもそも私が近づいていけば、話がさらにややこしくなるでしょう。
このところ、せっかく関わらずに済んでいたのです。
このまま馬車が来てくれれば一番いいのですが。
「どういう意味も何もないわ。在学中だけって言ったでしょう?」
やはり。
私は思わず、手にした証書の筒へ目を落としました。
覚えています。
とてもよく覚えています。
その言葉を。
「そんなの、最初だけの話だろう!」
「最初だけって何?」
「だって半年も付き合ったんだぞ!」
「半年で卒業だったもの」
「そうじゃなくて!」
トルナド様の声が、さらに大きくなりました。
何人かがこちらを振り返ります。
アプフェル様も、ようやく少し困った顔になりました。
怒鳴られて驚いたというより、人目が増えてきたことに気づいたのでしょう。
「ちょっと、声が大きいわよ」
「大きくもなる! 俺は君のために婚約まで解消したんだぞ!」
まあ。
そこまで言いますか。
しかも、ここで。
さすがに私も、もう一度そちらを見ました。
アプフェル様も目を丸くしています。
「私、そんなこと頼んでないわよ?」
「何だって?」
「婚約を解消してなんて、一度も言ってないでしょう?」
「でも君は俺を選んだじゃないか!」
「選んだって……」
アプフェル様は、そこで初めて横に立っていた男性へ目を向けました。
眼鏡をかけた男子生徒です。
クライド・ステイン様。
男子部でも成績上位の方ですから、私でも名前を知っています。
それだけではありません。
彼がアプフェル様の婚約者であることも知っていました。
少なくとも、この時までは婚約者だと思っていました。
「クライドだって知ってたわよ?」
アプフェル様が、まるで助けを求めるように言いました。
クライド様はくいっと眼鏡の位置を直しました。
「知っています」
「ほら」
「ですから、以前申し上げましたよね。やめた方がいいと思います、と」
アプフェル様の動きが止まりました。
トルナド様も、クライド様を見ます。
私は少しだけ隣へ顔を向けました。
「……長くなりそうですね」
「そのようですね」
隣の人の返事も淡々としていて、それがありがたいです。
あちらの騒ぎを面白がって近寄られるより、ずっといい。
もっとも、私は事情を知らないわけではありません。
むしろ、かなり知っています。
トルナド様がなぜアプフェル様と付き合うことになったのか。
アプフェル様が最初に何と書いたのか。
そしてトルナド様が、その手紙をどう読んだのか。
そこまで知っています。
ですから、今目の前で起きていることについても、驚いたというより、
やはりそうなりましたか。
という気分の方が近いでしょう。
え?
どうして私が、あちらの事情をそんなに詳しく知っているのかですって?
それはもちろん。
あの方が半年前まで、私の婚約者だったからです。




