番外三 アプフェル①――何だっていうのよ!
卒業式の日くらい、もっと気分よく帰れると思っていたわ。
六年間通った学院を卒業したのよ?
普通なら家へ帰って、お祝いをして、好きなものを食べて、友人たちとまた会いましょうねって話をして。
そういう日じゃないの?
なのに私は、帰りの馬車へ乗った時からずっと腹が立っていた。
「何なのよ、もう!」
思わず言うと、向かいに座っていた侍女がびくっとした。
「お嬢様」
「分かってるわよ。あなたに怒ってるんじゃないの」
「はい」
でも腹が立つものは腹が立つ。
トルナド様は勝手に怒鳴るし、クライドは勝手に婚約を解消するって言うし、最後にはマロン様までこっちがおかしいみたいに言う。
何なのよ。学院にいる間だけって、ちゃんと書いたじゃない。
卒業したら終わり。それだけでしょう?
トルナド様だって半年楽しそうだったし、私も楽しかった。じゃあそれでいいじゃない。
それなのに、俺は本気だっただの、婚約まで解消しただの。そんなの私に言われても知らないわよ、頼んでないもの。
クライドだって知ってたじゃない、最初から全部! だったら今さら何で怒るの?
*
馬車が屋敷へ着くと、玄関にはお父様とお母様がいた。
卒業式の日だから迎えに出てくれたのだとその時の私は思った。
「ただいま」
「アプフェル」
え、お母様の顔が怖い。嫌な予感がする。
「何?」
「まず中へ入りなさい」
「疲れてるの。着替えたいんだけど」
「その前に話があります」
お父様まで硬い顔をしている。
「何よ」
「応接室へ」
何なのよ、本当に。
仕方なくついていくと、応接室には、お兄様までいた。
「どうしてお兄様までいるの?」
「座れ」
お父様に言われたので、ともかく座る。けど、誰もお茶を出してくれない。
「ねえ、喉乾いたんだけど」
「あとで」
「卒業式だったのよ?」
「知っている」
「だったら少しくらい」
「アプフェル」
お母様が低い声で呼んだので、仕方なく黙る。すると、お父様が机の上の封書を指した。
「ステイン家からだ」
「クライドの?」
「ああ」
嫌な予感がした。卒業式のこと!? あいつ、本当に家へまで言ったの?
「婚約解消について、正式な申し入れが来た」
「……何、それ……」
「聞いていないのか?」
「聞いたけど……」
お父様の眉が動く。
「聞いたのか?」
「ええ、卒業式のあと、クライドが言ったのよ。解消するって」
「それで?」
「それでって……」
「お前は何と答えたんだ?」
思い出すだけで腹が立つ。
「やめる必要ないって言ったわよ!」
「何を」
「婚約を――」
「それでクライド君は?」
「嫌だって」
「そうか」
お父様が一度目を閉じた。
「なぜ嫌だと言われたんだ?」
「知らないわよ」
「アプフェル!」
「だって本当に知らないもの!」
声が大きくなった。
「学院にいる間だけよ? 卒業したら終わりだって最初から言ってたの。クライドも知ってたのよ」
お兄様がこちらを見た。
「知っていた?」
「そうよ」
「お前が他の男と付き合っていることを?」
「だから、そう言ってるじゃない」
「それで何も言わなかったのか」
「言ってきたわよ。やめた方がいいって」
「言われたのか!?」
「二回くらい」
お母様がああ、と額を押さえた。何よ。
「でも、本気じゃなかったのよ」
「誰が?」
「私がよ!」
そんなことも分からないの?
「トルナドとは学院にいる間だけ。卒業したらクライドと結婚するつもりだったの。だから別に何も問題ないでしょう?」
誰も返事をしない。
「……何よ…… 私に、何を言いたいの?」
お父様はふう、と大きくため息をつくと、ゆっくり言った。
「お前はそれを、クライド君にも言ったのか」
「言ったわよ」
「今日?」
「そうよ」
「本人の前で?」
「だって――本当だもの」
また三人とも黙った。だから何なのよ、その顔。
「私、ちゃんと卒業したら終わりにしたのよ?」
「つまり今日だな」
「そうよ」
「それまでは、半年付き合っていたと」
「だから何だっていうのよ!」
我慢できなくなった。
「半年よ? たった半年! しかも学院の中だけ。家に連れ込んだわけでもないし、駆け落ちしたわけでもないし、結婚したわけでもないでしょう!」
「だがお前は婚約はしていた」
お父様が言う。
「クライド君と」
「分かってるわよ!」
「では、その婚約をしている間に、別の男と付き合っていたんだな」
「だから、それは」
「違うのか」
「違わないけど!」
何でそんな言い方するのよ。
「遊びだったの!」
私はもうずばっと言い切った。これなら分かるでしょう。
……ところが、お母様が両手で顔を覆った。
「もう…… どうしてこんな子に……」
「何よ、お母様まで」
「ねえ本当に、あなたそれを言ったの?」
「だから今日言ったって」
「クライド君の前で?」
「何度聞くのよ!」
お兄様はひどく顔をゆがめ、椅子の背へもたれた。
「ああもう、お前本当に最悪だな」
「何ですって?」
「いや、だからお前が」
「は!? お兄様に言われたくないわよ!」
「俺は婚約者がいる時に別の女と半年遊んだことはない!」
「男と女は違うでしょう!」
言った瞬間、お父様が机を叩いた。
「そこではない!」
……びっくりした。お父様が怒鳴るのは珍しい。
「何よ……」
「何度言えば分かる。お前が軽く考えていたかどうかなど関係ない」
「関係あるわ! 私のことよ!」
「ない」
「あるわよ!」
「相手が嫌だと言っているんだ!」
止まった。
「もう、それでは婚約は続けられない」
「でも家同士で決めた婚約でしょう?」
「だから家同士で解消するんだ」
「そんな」
「もう話は始まっている」
お父様が封書をこちらへ寄せた。
「ステイン家から申し入れが来た。こちらも受ける」
「え、ちょっと、待ってよ」
「待てない」
「私、嫌なんだけど」
「クライド君は嫌だと言っている」
「で、でも私とは違うでしょう?」
「何が違うというんだ?」
お父様に答えようとしたけど、上手く言葉が出なかった。
――何がって。
だって私はクライドと結婚するつもりだったのよ。ずっとそう思っていたの。
学院を卒業したら、少し落ち着いてから、クライドの家へ嫁いで、商会の奥様になる。
そういうものだと思っていた。
「だって…… クライドは私の婚約者でしょう?」
「今日まではな」
「じゃあ、戻せばいいじゃない!」
お兄様が更に妙な顔をした。
「お前は…… 何でそんな簡単に言えるんだ? 俺はそんな尻軽女を妹に持った覚えはないぞ」
「だって簡単なことじゃない!? 私、トルナドとはもう終わったもの」
「そこじゃないだろ」
「じゃあどこなのよ」
お兄様は何か言いかけたけど、お父様が手で止めた。
「アプフェル」
「何?」
「クライド君は、お前がトルナド君と付き合ったことだけでなく、その後の説明も含めて、結婚相手として信用できないと判断したそうだ」
「え? 信用?」
「そうだ」
「何それ?」
「そのままだ。お前は言葉の意味もわからないのか」
クライドと同じ言い方だわ、腹が立つ。
「私、嘘なんてついてないわよ」
「嘘の話ではない」
「じゃあ何だっていうのよ!」
「お前は婚約者がいても、楽しいと思えば他の男と付き合う女だ、っていうことだ」
「学院にいる間だけよ!」
「その『だけ』を、相手が信用できないと言っている」
「卒業したらしないわよ!」
「なぜだ? どうしてそう言い切れる?」
またそれ。ああ、クライドにも聞かれたっけ。
「大人になるからよ!」
「今日まで子供だったのか」
「そういう意味じゃない!」
「ではどういう意味だ」
何で皆、同じことばかり聞くの? 説明なんかしなくても分かるでしょう。
学院にいる時と、卒業したあとでは違うし、遊ぶ時と、結婚したあとは違うの! 違うものは違うのよ!
「もういい!」
立ち上がった。
「部屋へ戻るわ」
「待ちなさい」
「嫌よ!」
「まだ話は終わっていない」
「私は終わったのよ!」
「お前自身の話じゃない」
扉へ向かいかけた足が止まった。
「何よ」
「これからの話だ」
「これから?」
「お前にはこの先、婚約者がいなくなる」
「だから?」
また三人がこちらを見る。
「……だから、何なのって言ってるじゃない。みんなよってたかってそんな目で」
するとお母様はため息をついて、こう続けた。
「あなた、卒業したらどうするつもりだったの?」
「どうするって」
「クライドさんと結婚するまで」
「家にいるつもりだったわよ」
「それから?」
「結婚でしょ?」
「そう、でもその結婚がなくなったのよ?」
分かってる。分かってるけど。
「……じゃあ次を探せばいいでしょう?」
お母様の手が止まった。
「何?」
「そんなすぐには無理よ」
「どうして?」
「どうしてって……」
「私だって子爵家の娘でしょう?」
「ええ」
「だったら縁談くらいあるじゃない」
「今回のことはすぐに広まるわ」
「何で!」
思わず叫んだ。
「言わなきゃいいでしょう!」
「お前な、卒業式の正門前で騒ぎにしたんだぞ? あれだけ人が集まっている中でやったことを、どう隠すっていうんだ?」
お兄様が言った。
あ。それは。
「で、でも学院の全員が知った訳じゃないわ?」
「だが、少なくとも、ステイン家との婚約が解消されたことは分かる」
お父様が続けた。
「理由を尋ねられれば、こちらも嘘はつけない」
「私を悪く言うつもり?!」
「縁談相手に隠す方がまずい」
「じゃあ、ちょっと言い方を変えればいいじゃない」
「どう変える」
「だから、その……」
――少し遊んだだけ。
そう言おうとして――やめた。それを言うと、また皆同じ顔をする。
「ともかく」
お父様が封書を畳んだ。
「しばらく縁談は来ないと思え」
「え…… しばらくってどのくらい?」
「分からん」
「一か月?」
「分からん」
「三か月?」
「分からんと言っている」
「半年?」
「アプフェル!」
「だって困るじゃない!」
何で誰も分かってくれないのよ。
私は卒業したの。これから家にいて、そのうち嫁いで――そうなるはずだった。
「別に明日結婚したいわけじゃないわよ。でも、ずっと家にいるわけにもいかないでしょう?」
「だからこそ、少し考えなさい」
「何を?」
「自分が何をしたのかだ」
またそれ?! もう聞き飽きたわ。
「ちょっと遊んだだけでしょう!」
言ってから、椅子を押し戻した。
「もういい!」
今度こそ部屋へ戻って扉を閉める。すると侍女が後ろからついてきていた。
「着替えるわよ!」
「はい」
卒業式の服を脱ぐ。こんな重い服、もう着たくない。
「お茶!」
「すぐに」
「甘いものも!」
「はい」
鏡の前に座って髪をほどいてもらっていたら、また腹が立ってきた。
クライド――トルナド――お父様――お母様――お兄様。
皆して大げさなのよ。
卒業したのよ! だからもう学院生活は終わったの。トルナドとも終わったのよ!
だったらそれで全部元通りでいいじゃない!
頭の中で同じことをぐるくる繰り返していたら、侍女が髪飾りを外した。
「お嬢様」
「何?」
「こちらはしまってよろしいですか」
卒業式用の髪飾りだった。
「いいわよ」
「はい」
箱の蓋が閉じる。
そう、学院生活は今日で終わったの。私はちゃんと終わらせたのよ。
なのに。
どうして卒業したあとまで、こんな面倒なことがついてくるのよ。




