第十四話 卒業式
そして、卒業式の日になりました。
六年間通った学院の最後の日です。
朝からお母様に式服の襟を直され、お父様には三度ほど「忘れ物はないな」と確認されました。
「卒業証書を忘れて帰ってくることはありませんよ」
「そういう問題ではない」
「では何を忘れると思っているのです?」
「分からんから聞いている」
お父様自身がよく分かっていないようです。
今日は学院から戻ったあと、我が家で卒業祝いがあります。
フォームル家の方々も招いていますし、親族も何人か来る予定です。
たぶん、お父様が落ち着かない理由の半分はそちらでしょう。
「あなたの卒業式ではないのよ」
お母様にも言われていました。
「分かっている」
たぶん分かっていません。
それでも馬車へ乗る頃には、お父様もようやく屋敷に残りました。
式そのものは、思っていたより長く感じました。
先生方のお話――卒業生の名前――学院長からの言葉。
六年間を振り返れば、いろいろあったはずなのですが、座っている間に思い出したのは試験前に寝不足になったことや、友人と中庭で昼食を取ったことや、女子部の教室でインクをこぼしたことでした。
もっと立派なことを思い出した方がよかったのでしょうか。分かりません。
式が終わると、今度は挨拶です。
「卒業しても会いましょうね」
「もちろん」
「王都へ来たら手紙をちょうだい」
「あなたもよ」
友人たちと何度も同じような約束をしました。
全部守れるかは分かりません。
けれど、会いたいと思っているのは本当です。
教室へ戻れば、自分の机の中はもう空でした。
壁に掛けてあった名札も外されています。
昨日まで自分の場所だったところが、急に次の人を待つ場所になっています。
そこでようやく、少しだけ卒業らしい気分になりました。
「マロン」
友人に呼ばれます。
「何です?」
「フォームル様が待ってるわよ」
「え?」
廊下を見ると、共用区域へ続く扉の近くにルドラン様がいました。
男子部の卒業式用制服です。こちらに気づくと軽く手を上げました。
「では、また」
「ええ。お祝い楽しんできて」
「ありがとうございます」
友人たちと別れ、ルドラン様のところへ向かいます。
「お待たせしました?」
「それほどでも」
「男子部はもう終わったのですか?」
「こちらより少し早かったようです」
ルドラン様の手にも、卒業証書の筒があります。
私と同じものです。
「六年間、お疲れさまでした」
「ルドラン様も」
何となく改まった挨拶になりました。二人とも少し笑います。
「このあと、フライエ家へ直接向かうのですよね」
「はい。馬車は別ですが」
「父上たちは先に向かっています」
「では、屋敷でまた会いますね」
「そうなります」
卒業したばかりなのに、次に会う時刻まで決まっています。
少し前なら不思議に思ったかもしれません。今はそれが自然でした。
二人で正門へ向かいます。卒業生と迎えの家族で、学院前はかなり混雑していました。
馬車が何台も並び、御者たちが少しずつ場所を詰めています。
「これは時間がかかりそうですね」
ルドラン様が道を見ました。
「そうですね」
「伯爵がお待ちでしょうに」
「むしろ少し遅れた方がいいかもしれません」
「どうしてです?」
「全員が揃う前から、お父様が祝いを始めそうなので」
「さすがにそれはないでしょう」
「どうでしょう」
今日は朝からあの調子でした。
私はあまり信用していません。
正門の脇で待っていると、少し離れた場所から声が聞こえました。
最初は誰かが友人を呼んでいるのだと思いました。
「……話が違うだろう!」
聞き覚えがある声です。ルドラン様はそちらを見ました。
私もつられて顔を向けます。
卒業生が三人いました。
トルナド様とアプフェル様。
そしてクライド様。
半年の間に、何度も見た組み合わせです。
ただし三人が一緒にいることは、それほど多くありませんでした。
「何の話よ」
アプフェル様が首を傾げています。
トルナド様は、すでにかなり困惑していました。
「君、今なんて言った?」
「だから、今日で終わりでしょう?」
来ました!
私は思わずルドラン様の隣で姿勢を直しました。
何となくこうなるのではないかと思っていました。正確には、半年ほど前から知っていました。
「終わりって、学院がだろう?」
「学院もよ」
アプフェル様は笑いました。
「私たちのお付き合いも」
トルナド様の口が止まりました。周囲の卒業生も何人か気づき始めています。
卒業式の日の正門前です。
場所としては、かなり目立ちます。
「……何を言ってるんだ」
「何って?」
「付き合いを終わらせるって、どういう意味だ!」
意味は、そのままだと思います。半年ぶりに同じことを思いました。
「在学中だけって言ったでしょう?」
「そんなの、最初だけの話だろう!」
「最初だけ?」
「だって半年も付き合ったんだぞ!」
「半年で卒業だったもの」
そうですよね、と私は心の中でうなずきました。
アプフェル様は最初から一度も話を変えていません。
無論、それをよいことだとは思いません。
婚約者がいる状態で別の男性と付き合ったことについては、クライド様の言う通り、やめた方がよかったのでしょう。
ですが、
――学院にいる間だけ。
――卒業するまで。
そこだけは、本当に最初から同じです。
「……ご存じだったのですか?」
隣でルドラン様が小声で尋ねました。
「何をです?」
「終わるという話を」
「半年前から」
ルドラン様がこちらを見ました。
「半年前?」
「手紙に書いてありました」
「手紙?」
「長くなります」
「では、あとで聞きます」
話が早いです。そして向こうは、さらに話が長くなりそうでした。
「ちょっと、声が大きいわよ」
「大きくもなる!」
トルナド様の声はもう周囲へかなり響いています。
「俺は君のために婚約まで解消したんだぞ!」
周りの何人かが、はっきりこちらを見ました。
私ではありません。トルナド様をです。
ただ、事情を知っている人なら私のことも思い出すでしょう。
少し居心地が悪いです。
「私、そんなこと頼んでないわよ?」
アプフェル様が目を丸くしました。
「何だって?」
「婚約を解消してなんて、一度も言ってないでしょう?」
「でも君は俺を選んだじゃないか!」
「選んだって……」
アプフェル様はそこでクライド様を見ました。
クライド様は、いつものように眼鏡へ指を添えました。
今日は式服です。眼鏡は新しくなったのでしょうか。少し形が違うような気がします。
こんな時に気づくことではないかもしれません。
「クライドだって知ってたわよ?」
アプフェル様が言いました。クライド様はくいっと眼鏡を押し上げました。
「知っています」
「ほら」
「ですから、やめた方がいいと思います、と申し上げました」
以前、図書室でも聞きました。その前にも一度言ったそうです。
少なくとも二度です。
アプフェル様は少しだけ口を開けました。
「でも、あなた」
「知っていることと、賛成していることは別です」
同じ言葉です。
半年前から、クライド様の方も変わっていないようです。
「……長くなりそうですね」
私が言うと、ルドラン様もうなずきました。
「そのようですね」
馬車はまだ来ません。こういう時に限って遅いものです。
「場所を移動しますか?」
「いえ」
一瞬考えましたが、やめました。
「今動くと、かえって目立ちそうです」
「それもそうですね」
それに、ここまで来ると少し気になります。
半年間、あれだけ互いに違う話をしてきた二人が、ようやく同じ話を始めました。
「じゃあ、本当に今日で終わりだっていうのか?」
トルナド様がアプフェル様へ詰め寄りました。
「そうよ」
「俺とのことが?」
「そう」
「何でだよ!」
「何でって」
アプフェル様が困ったように眉を寄せました。
「最初からそう言ってたでしょう?」
「そんなの本気だと思うわけないだろ!」
「どうして?」
「どうしてって……」
トルナド様が言葉に詰まりました。
半年間、その「どうして」を一度も確認しなかったのでしょう。
アプフェル様も、確認する必要があると思わなかったと?
どちらも、自分の意味が当然相手にも伝わっていると思っていました。
ここまで来ると、少しだけ感心します。
よく半年間、無事に続いたものです。
「俺は君と卒業後も」
「私はそんな話してないわよ」
「してただろ! 劇場へ行くとか、家へ行くとか!」
「あれ、卒業したら会うこともあるって話でしょう?」
「同じじゃないか!」
「同じじゃないわよ」
ようやく、そこに気づいたようです。半年かかりました。
ルドラン様が私の横で、ごく小さく息をつきました。
「……本当に長くなりそうですね」
「ええ」
今度は私も迷わず答えました。
正門前の馬車の列は、少しずつ進んでいます。
我が家の馬車が見えるまで、もう少しかかりそうでした。
そしてその間に、向こうの話はさらに大きくなりそうです。
卒業式は終わりました。
けれどトルナド様にとっては、どうやら今からが本番のようでした。




