第84話 岩壁の向こう側
轟音とともに岩壁が崩れ、無数の石片が通路へ飛び散った。
ユウキは咄嗟に左腕で顔を庇いながら一歩後退し、土煙の向こうに現れた黒褐色の塊へ視線を向ける。岩石を幾重にも重ねたような外殻、その下から伸びる節のある脚、地面を引っかく耳障りな音には見覚えがあった。
「石殻蟲だ!」
ユウキが叫ぶと、トーマはすでに二本の短剣を抜いていた。
「前にも倒したやつだろ? だったら問題ないな!」
「油断はするなよ」
バルドが盾を構えながら釘を刺す。
土煙を押し分けるように姿を現した石殻蟲は、頭部を低く下げ、硬い脚を地面へ突き立てた。以前遭遇した個体とほとんど変わらない姿だが、ユウキは念のため鑑定を発動する。
【鑑定結果】
名称:石殻蟲
種族:蟲型魔物・甲殻型
魔物ランク:1
レベル:4
HP:36
MP:6
STR:9
VIT:14
AGI:5
MAG:2
MND:3
DEX:5
【保有スキル】
硬質外殻 Lv.2
掘削 Lv.2
振動感知 Lv.1
突進 Lv.1
確認した能力は以前と同じだった。
かつては硬い外殻を前に攻撃の通し方を考え、慎重に距離を測る必要があった相手。しかし、今のネクシアはあの頃とは違う。
「バルド、正面をお願い。トーマは横から!」
「おう!」
「任せろ!」
石殻蟲が地面を蹴った。
低く構えた頭部が盾へ向かって突き出され、硬い外殻が通路の岩肌を削る。だが、バルドはその突進を真正面から受け止めることなく、盾を斜めに傾けて進行方向をわずかに逸らした。
鈍い衝撃音が響く。
「……ふんっ!」
バルドの足が半歩滑ったものの、身体はほとんど揺らがない。新しく習得した衝撃緩和の感覚を捉えながら、空いた右手の片手斧を振り上げる。
「盾斧連携!」
盾で流した勢いを利用して斧を振り下ろすと、刃が外殻の縁へ食い込み、石殻蟲の身体が横へ傾いた。
そこへトーマが滑り込む。
無駄な跳躍も、大きな踏み込みもない。以前より格段に上がった敏捷性を必要な分だけ使い、魔物が姿勢を立て直すより早く側面へ回り込んでいた。
「そこだっ!」
二本の短剣が連続して閃き、外殻の隙間から露出した脚の付け根を正確に切り裂く。
急所看破の効果なのか、継ぎ目の位置を捉える感覚は以前よりも鋭くなっていた。
石殻蟲が甲高い音を発し、脚をばたつかせる。
だが、反撃は間に合わない。
「はあっ!」
ユウキが踏み込み、露わになった外殻の隙間へ剣を突き込んだ。
刃先に硬い抵抗が伝わったものの、身体強化によって高められた腕の力がそれを押し切り、剣が深く食い込む。
石殻蟲は一度だけ大きく身体を震わせると、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「……よし!」
トーマが短剣を引き抜く。
戦闘開始から、ほんのわずかな時間しか経っていなかった。
「前はもっと手間取った気がするんだけどな」
「俺たちが強くなったってことだろ」
バルドはそう答えながら、盾の表面を軽く確かめた。
石殻蟲の攻撃を受けた部分には浅い擦り傷が残っていたが、構造に問題があるようには見えない。
「……確かに」
ユウキは倒れた魔物を見つめた。
以前は厄介だった外殻も、今ではそれほど大きな障害ではない。攻撃を受け止めるバルド、隙を作るトーマ、そして仕留める自分という役割が、言葉を重ねなくても自然につながるようになっていた。
新しいジョブの力だけではない。
これまで積み重ねてきた経験そのものが、四人を確実に成長させている。
そう実感した、そのときだった。
ゴリッ、ゴリゴリッ――。
壁の奥から、再び岩を削る音が響いた。
「……まだいるみたいだね」
ユウキが振動感知へ意識を向けると、最初に崩れた穴の奥から別の揺れが近づいてくる。
直後、穴の縁が崩れ、二体目の石殻蟲が這い出してきた。
「今度は俺がやる!」
ドランが一歩前へ出る。
石殻蟲は身体を低く沈めて突進しようとしたが、その前にトーマが側面へ回り込み、短剣で脚の一つを切り裂いた。
動きが鈍ったところへ、ドランの鎚が振り下ろされる。
ゴンッ!
外殻の継ぎ目に重い一撃が叩き込まれ、石殻蟲の身体が地面へ押しつけられた。
さらにユウキが剣を突き込み、魔物は抵抗する間もなく動かなくなった。
「……終わりだな」
ドランが鎚を持ち上げる。
「うん。もう近くにはいないと思う」
ユウキは周囲の振動を確かめてから答えた。
二体の石殻蟲。
以前であれば、もっと時間をかけて対処していた相手だった。
しかし今回は、ほとんど苦戦することなく倒せた。
「いやあ、気持ちいいな!」
トーマが嬉しそうに笑う。
「前よりずっと動きやすいし、狙った場所にもちゃんと刃が届く!」
「そこで調子に乗るなよ」
バルドが呆れたように言う。
「黒震狼みてえな相手もいるんだからな」
「……分かってるよ」
トーマは少しだけ表情を引き締めた。
ユウキも頷く。
石殻蟲に余裕を持って勝てたからといって、迷宮のすべてが安全になったわけではない。
むしろ、ここから先にどれほど強い魔物が待っているのかは、まだ分からないのだ。
◇
戦闘を終えた四人は、石殻蟲が突き破った岩壁へ近づいた。
崩れた穴は人が屈めば通れそうな大きさで、奥には魔物が掘り進んできたと思われる細い通路が続いている。壁面には無数の爪痕が刻まれ、削り取られた石の粉が床へ厚く積もっていた。
「……思ったより深そうだな」
トーマが穴を覗き込む。
「どこまで続いてるか分からねえ。むやみに入るなよ」
バルドの忠告に、トーマは素直に頷いた。
ドランはランタンを持ち上げ、穴の内側へ光を向ける。
すると、削られた岩肌の奥に、淡い青色の光が浮かび上がった。
「……ん?」
ドランの手が止まる。
「どうしたの?」
「あれを見てみろ」
指差した先には、小さな結晶がいくつも埋まっていた。
半透明の青い結晶は、岩の割れ目に沿うように伸びており、ランタンの炎とは異なる冷たい輝きを放っている。
「あっ、さっき見つけたやつだ!」
トーマが声を上げる。
石殻蟲と遭遇する直前、通路の壁に埋まっていたものとよく似ている。
だが、こちらは一つや二つではなかった。
穴の内側を照らしてみると、細い結晶の筋がいくつも連なり、暗闇の奥へ向かって伸びている。
「……これは面白いな」
ドランが目を輝かせた。
「どういうこと?」
「見ろ。この並び方だ」
ドランは岩壁の表面を指差した。
結晶は無秩序に散らばっているわけではなく、何本もの細い線となって同じ方向へ伸びている。
自然の鉱脈にも一定の方向性が生まれることはある。
だが、目の前の結晶は、それだけでは説明しきれないほど均一な間隔を保っているように見えた。
「……まるで、何かの道筋みたいだな」
トーマが呟く。
その何気ない言葉に、ドランが顔を上げた。
「道筋、か……」
考え込むように顎へ手を当てる。
「確かに、そう見えなくもない」
ユウキは結晶の一つへ視線を向け、鑑定を発動した。
【鑑定結果】
名称:未識別の鉱物
分類:魔力を帯びた鉱物
詳細:鑑定不能
「……やっぱり駄目だ」
「鑑定でも分からないのか?」
ドランが尋ねる。
「うん。魔力を帯びていることしか分からない」
「なら、俺も試してみるか」
ドランは結晶へ近づき、慎重に意識を集中させた。
「……素材鑑別」
しばらくして、彼は小さく眉を寄せる。
「……妙だな」
「何か分かった?」
「魔力反応はある。だが、材質がはっきりしない。一般的な鉱石とは少し違うのかもしれん」
ドランは興味深そうに結晶を見つめた。
昨日、訓練場で試した素材鑑別では、石材や鉱石の性質を簡単に読み取れた。
しかし、目の前の結晶から得られる情報は限られている。
技能レベルが足りないのか。
それとも、特殊な素材なのか。
判断するには、まだ知識が足りなかった。
「採取できそう?」
ユウキが尋ねる。
「できなくはないだろうが……」
ドランは結晶へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「いや、やめておこう」
「珍しいな。ドランが採らないなんて」
トーマが驚く。
「珍しい物だからこそだ。性質が分からない素材を、適当に掘り出すわけにはいかん」
そう答えると、ドランは腰の袋から紙と筆記具を取り出し、結晶の形や位置を記録し始めた。
ユウキはその隣で、改めて壁の奥を見つめる。
ランタンの光が届く範囲は限られており、その先には濃い暗闇が広がっていた。
石殻蟲は、なぜこの場所を掘り進んでいたのだろう。
単に移動していただけなのか。
それとも、あの青い結晶に何か関係があるのか。
ユウキがそんなことを考えていたときだった。
コツン。
小さな音が、穴の奥から響いた。
「……?」
ユウキは顔を上げた。
最初は落石かと思った。
だが、少し間を置いて、再び音が鳴った。
コツン、コツン。
石と石が軽くぶつかるような乾いた響き。
しかも、その間隔は不自然なほど整っていた。
「……今の、聞こえた?」
ユウキが尋ねると、トーマが頷く。
「ああ。奥からだよな?」
「何かが動いてるのか?」
バルドは盾を構え直した。
ユウキは振動感知へ意識を集中させる。
通路の奥から、微かな揺れが伝わってきた。
だが、その感覚は石殻蟲のものとは違う。
地面を掘り進むような不規則な震動ではなく、一定の間隔で岩を軽く叩いているような、奇妙な規則性を持っていた。
「……何だろう」
ユウキは思わず呟いた。
その直後、ドランが突然声を上げた。
「待て!」
「どうしたの?」
「……結晶を見ろ」
ドランの指差す先で、青い光がわずかに強まっていた。
最初は気のせいかと思うほどの変化だった。
しかし、四人が見つめる中で、結晶の明るさはゆっくりと弱まり、再び強くなった。
まるで、一定の周期で脈打っているようだった。
「……光が変わってる?」
トーマが目を見開く。
「ああ。さっきまでは一定だったはずだ」
ドランの声が低くなる。
青い結晶は、再び淡い光を放った。
その直後。
コツン。
奥から音が響く。
ユウキは息を呑んだ。
「……もしかして」
結晶が明るくなる。
そして、音が鳴る。
もう一度、結晶が脈動する。
コツン。
同じ間隔。
同じ繰り返し。
「……光と音が、つながってる?」
ユウキの言葉に、ドランが頷いた。
「少なくとも、偶然とは思えんな」
四人はしばらく、無言でその光景を見つめていた。
迷宮の奥から響く音。
脈動する青い結晶。
そして、石殻蟲が掘り進んできた細い通路。
それらが何を意味するのか、今の彼らには分からない。
だが、ただの鉱脈ではない可能性が、次第に大きくなっていた。
◇
「……奥を調べてみたいな」
トーマが呟いた。
いつもの軽い調子ではなく、目の前の不思議な光景に純粋な興味を抱いている声だった。
ユウキも同じ気持ちだった。
暗闇の向こうに何があるのか。
確かめたい。
その思いは、確かに胸の奥にあった。
しかし――。
「……今日は、ここまでにしよう」
バルドが静かに言った。
「えっ?」
トーマが振り返る。
「まだそんなに奥まで進んでないぞ?」
「だからだ」
バルドは穴の奥を見つめたまま答えた。
「ここは、俺たちが知ってる通路じゃねえ。しかも、何があるか分からん場所から妙な音まで聞こえてくる」
「でも、石殻蟲くらいなら……」
「その先にいるのも、同じ石殻蟲だって保証はあるのか?」
バルドの問いに、トーマは言葉を詰まらせた。
確かに、今の自分たちならランク1の魔物を相手に苦戦することはほとんどないだろう。
だが、それはすべての魔物に勝てるという意味ではない。
黒震狼。
そして、その戦いの最中に現れた、正体すら分からなかった巨大な存在。
あの恐怖は、まだ四人の記憶に鮮明に残っている。
「……僕も、バルドの意見に賛成かな」
ユウキが口を開いた。
「気になるけど、今ここで無理に進む必要はないと思う。場所は分かったし、結晶のことも記録できたから」
「そうだな」
ドランが頷く。
「ギルドに戻れば、あの鉱物について何か情報が見つかるかもしれん。場合によっては、詳しい者に相談した方がいいだろう」
「……分かったよ」
トーマは少し残念そうに肩を落とした。
だが、すぐに顔を上げる。
「じゃあ、次に来るときはちゃんと調べようぜ!」
「うん」
ユウキは頷いた。
「そのためにも、今日は全員で帰ろう」
四人は結晶の位置と、石殻蟲が掘った穴の場所を地図へ記録した。
ドランはさらに、光と音の間隔について簡単なメモを残し、後から比較できるようにしていた。
その間も、青い結晶は静かに脈動を続けている。
コツン。
一定の間隔で響く音は、まるで何かがこちらへ存在を知らせようとしているかのようだった。
ユウキは最後に一度だけ穴の奥を見つめ、剣を鞘へ収めた。
「……行こう」
四人は来た道を引き返し始めた。
◇
迷宮の入口が見えてきた頃には、外から差し込む光が少しずつ橙色を帯び始めていた。
湿った岩壁に囲まれた通路を抜けると、夕方の風が頬を撫で、ユウキは思わず深く息を吸い込んだ。
冷たい空気に慣れていた身体には、外の暖かさが心地よかった。
「……やっぱり外はいいな!」
トーマが大きく伸びをする。
「お前、さっきまで奥へ進みたがってただろ」
バルドが呆れたように言う。
「それとこれとは別だって!」
「便利な頭をしてるな」
ドランが笑う。
そんなやり取りを交わしながら、四人は迷宮の入口にある詰所へ向かった。
帰還手続きを済ませると、ユウキは振り返って岩山を見上げた。
夕日に照らされた岩肌は赤茶色に染まり、その麓に開いた迷宮の入口だけが、深い影を落としている。
あの奥には、まだ自分たちの知らないものが眠っている。
だが、今はそれ以上に、今日の探索で得た収穫が大きかった。
石殻蟲との戦闘では、以前とは比べものにならないほど余裕を持って動けた。
新しいジョブの技能も、実戦の中で少しずつ使い方が見えてきた。
そして、未知の青い結晶。
規則的に響く奇妙な音。
新しい謎まで見つかった。
「……明日、ギルドで詳しく聞いてみよう」
ユウキが言うと、ドランが頷いた。
「ああ。あの鉱物について調べれば、何か分かるかもしれん」
「ついでに、もっと奥の情報も聞いてみようぜ!」
トーマが身を乗り出す。
「そうだな。ただし、今度は情報を集めてからだ」
バルドが答えた。
ユウキは三人の顔を見渡し、自然と笑みを浮かべる。
強くなった。
それは確かなことだ。
けれど、本当に大切なのは、強くなった自分たちの力をどう使うかだった。
危険を見極め、仲間と相談し、進むべきときに進む。
そして、退くべきときには退く。
今日の探索は、その判断ができるようになったことも教えてくれた。
四人はリーヴェルの街へ向かって歩き始める。
背後では、岩山の影がゆっくりと長く伸びていた。
その暗闇の奥で、青い結晶が今も脈動を続けていることを、彼らはまだ知らない。
そして、あの規則的な音が、ただの自然現象ではないことも。
――第84話 完。




