第85話 灰脈の迷宮
朝のリーヴェルには、前日の雨が残した湿り気が漂っていた。
石畳の継ぎ目には小さな水たまりができ、通り沿いの店では、軒先から落ちる雫を避けるように商品が並べられている。焼きたてのパンを抱えた子供が人混みをすり抜け、その後ろを母親らしき女性が慌てて追いかけていた。
そんな賑やかな街並みの中を、ユウキたちは冒険者ギルドへ向かって歩いていた。
「なあ、昨日の青い結晶だけどさ」
トーマが歩きながら口を開く。
「あれ、やっぱり気になるよな。光ったと思ったら、奥からコツコツ音がするんだぜ? 絶対何かあるって!」
「何かあるのは確かだろうが、それが何かまでは分からねえからな」
バルドは左肩を軽く回しながら答えた。
黒震狼との戦いで受けた傷は、昨日よりもさらに落ち着いているようだった。とはいえ、激しく動かせばまだ鈍い痛みが残るらしく、時折肩を気にする仕草が見られる。
「俺としては、あの結晶の方が気になるな」
ドランが言った。
「昨日、素材鑑別を使ってみたが、詳しい情報はほとんど得られなかった。魔力反応があることは分かるが、材質がはっきりしないんだ」
「僕の鑑定でも同じだったよ」
ユウキは頷いた。
鑑定 Lv.3。
以前の解析から進化した技能であり、魔物の能力や道具の性質を調べる際には何度も助けられてきた。
しかし、万能ではない。
黒震狼との戦いの最中に現れた巨大な存在もそうだったが、自分の力では読み取れないものが確かに存在する。
迷宮で見つけた青い結晶も、その一つだった。
「それにしても、不思議だよね」
ユウキは昨日の光景を思い浮かべた。
岩壁の奥へ向かって規則的に伸びる青い筋。
一定の間隔で明滅する結晶。
そして、それに呼応するように響いた乾いた音。
単なる鉱脈であれば、あのような現象が起きるのだろうか。
そう考えているうちに、四人は冒険者ギルドへ到着した。
◇
ギルドの扉を開くと、朝の賑わいが一斉に押し寄せてきた。
依頼掲示板の前では冒険者たちが報酬や条件を確認し、受付には数組のパーティーが列を作っている。奥の食事スペースからは温かな料理の香りが漂い、金属製の食器が触れ合う音が聞こえていた。
「おはようございます、皆さん」
受付に立っていたセシリアが、四人の姿を見つけて微笑んだ。
「おはようございます、セシリアさん」
「昨日は無事に戻られたようで安心しました。探索はいかがでしたか?」
「魔物は問題なかったんですけど、少し気になるものを見つけて……」
ユウキがそう答えると、セシリアは興味深そうに首を傾げた。
「気になるもの、ですか?」
ドランが地図と記録用の紙を取り出し、カウンターの上へ広げる。
「石殻蟲が掘った穴の奥に、青く光る結晶があったんだ。普通の鉱石とは違うようでな」
紙には結晶の形や位置、光が強まる間隔などが細かく書き込まれていた。
セシリアはその記録に目を落とし、次第に表情を引き締めていく。
「……少々お待ちください」
彼女は受付の奥にある棚へ向かい、何冊かの資料を取り出した。
戻ってきたセシリアが開いたのは、灰脈の迷宮に関する記録をまとめた厚い冊子だった。
「皆さんが探索されている迷宮について、改めてご説明しておきますね」
そう言うと、彼女は冊子の最初のページを開いた。
「正式名称は、灰脈の迷宮。アルヴェイン王国のリーヴェル郊外に位置する、古い採掘坑と地下遺跡がつながった迷宮です」
ユウキは頷いた。
この迷宮には以前にも足を踏み入れている。
しかし、そのときは採取可能な区域を中心に行動していたため、迷宮全体の仕組みについて詳しく聞く機会は少なかった。
「そして、灰脈の迷宮は現在、Dランク迷宮として管理されています」
「Dランクか……」
トーマが呟く。
「俺たちが昨日戦った石殻蟲はランク1だったよな?」
「はい。ただし、迷宮のランクと魔物のランクは別の分類です」
セシリアは丁寧に説明を続けた。
「迷宮の危険度は、内部に出現する魔物の強さだけで決まるわけではありません。階層の深さ、環境、罠の有無、魔物の生態系などを総合的に評価したものなんです」
「じゃあ、弱い魔物ばかりいる場所でも、迷宮自体の危険度が高い場合があるってこと?」
ユウキが尋ねる。
「そのとおりです。例えば、魔物の数は少なくても、足場が不安定だったり、有毒な気体が発生したりする場所なら、探索者にとっては危険な区域になります」
セシリアは冊子を一枚めくった。
「迷宮のランクは、E、D、C、B、A、Sの六段階です。同じランクでも、迷宮ごとに構造や魔物の種類、探索上の危険は異なります」
「……なるほどな」
バルドが腕を組む。
「魔物を倒せるからって、迷宮を攻略できるとは限らねえわけだ」
「はい。むしろ、魔物以外の危険を見落としてしまうことが、重大な事故につながる場合もあります」
ユウキは昨日のことを思い出した。
突然崩れた岩壁。
石殻蟲が掘った細い通路。
そして、正体の分からない青い結晶。
確かに、あの場所で危険だったのは魔物だけではなかった。
「ところで、俺たちはEランクだろ?」
トーマが尋ねる。
「どこまで進んでいいんだ?」
セシリアは頷き、地図へ指を伸ばした。
「まず、皆さんが以前Fランクだった頃は、特別許可によって第一層の指定区域で採取を行っていましたよね」
「はい」
「その区域では、採取活動が認められている一方で、魔物討伐を目的とした依頼は受けられません。もちろん、自衛のための戦闘は認められています」
ユウキは当時のことを思い出した。
岩穿ち鼠との遭遇。
慎重に進んだ暗い通路。
まだ冒険者としての経験が浅かった自分たちにとって、あの場所は十分に危険な環境だった。
「現在は皆さんEランクですが、だからといって迷宮内を自由に進めるわけではありません」
セシリアは地図の一部を指でなぞった。
「灰脈の迷宮では、探索経験や装備、パーティーの構成などを確認したうえで、進入できる区域を判断しています。未知の通路や崩落の危険がある場所は、許可なく進まないようにしてください」
「……昨日、引き返して正解だったな」
バルドが呟いた。
「ええ。慎重な判断だったと思います」
セシリアは微笑んだ。
◇
「それで、青い結晶のことなんですが……」
ドランが話を戻す。
「過去の記録に、似たものはないか?」
セシリアは冊子の後半を開き、鉱石や採取物について記された項目を確認した。
そこには、灰脈の迷宮で採取されるさまざまな鉱物の特徴がまとめられている。
鉄を多く含む鉱石。
魔力を蓄える性質を持つ結晶。
そして、魔導具の材料として利用される導魔晶石。
「灰脈の迷宮では、導魔晶石が採取されることで知られています」
セシリアは資料の一部を指差した。
「魔力を伝えやすい性質があり、魔導具の部品や加工素材として利用されることがあります」
「導魔晶石か……」
ドランが目を細める。
「昨日の結晶も、それに近いものかもしれんな」
「ただし、記録されている導魔晶石は、通常、光が規則的に明滅するような性質を持ちません」
セシリアの言葉に、ユウキは顔を上げた。
「……じゃあ、別の鉱石なんですか?」
「現時点では断定できません。魔力の流れや周囲の環境によって見え方が変わる可能性もありますし、別の種類である可能性もあります」
セシリアは資料を閉じ、少し考え込んだ。
「結晶の位置は、こちらの地図で間違いありませんか?」
「はい。石殻蟲が壁を破った場所です」
ドランが記録した印を指差す。
セシリアはしばらく地図を見つめた後、受付の奥にいる職員へ声をかけた。
「すみません。こちらの記録を確認していただけますか?」
職員は地図を受け取ると、別の資料を取りに向かった。
その間、ユウキはカウンターの上に広げられた地図へ視線を落とした。
第一層。
採取区域。
そして、まだ詳細が記されていない部分。
石殻蟲が掘った穴は、そうした未確認区域へ近い場所に位置していた。
「……あの先って、誰も調べたことがないんでしょうか?」
ユウキが尋ねる。
「正式な探索記録が残っていない区域はいくつかあります。ただ、過去に誰も足を踏み入れていないとは限りません」
セシリアは答えた。
「古い採掘坑は、時代によって通路の状態が変わります。崩落によって塞がった道が、魔物の活動などで再び開くこともあるんです」
「……なるほど」
ユウキは頷いた。
昨日の穴も、そうした通路の一つなのかもしれない。
やがて、奥へ向かった職員が一冊の古い記録帳を持って戻ってきた。
「セシリアさん、該当する資料がありました」
「ありがとうございます」
セシリアは記録帳を受け取り、指定されたページを開いた。
そこには、現在の地図よりも粗い線で描かれた古い坑道の図が載っていた。
「……これは?」
ドランが身を乗り出す。
「以前の採掘記録をもとにした図面のようです」
セシリアは紙面を慎重に広げた。
古びた紙には、いくつもの横道と、それらをつなぐ細い線が描かれている。
その中の一本が、昨日ネクシアが発見した穴の方向へ伸びていた。
「……あった」
ユウキが思わず呟く。
図面の端。
現在の地図には記されていない場所に、小さな空間が描かれている。
その周囲には複数の線が集まり、何らかの施設があったようにも見えた。
「これって、部屋?」
トーマが尋ねる。
「そう見えるな」
ドランは顔を近づけた。
「だが、何のための空間なのか分からん」
バルドも図面を覗き込み、眉を寄せる。
「入口が一つだけじゃねえな。ほかにも通路がつながってる」
「はい。ただし、この図面は古いものです。現在も通れるかどうかは分かりません」
セシリアは慎重に言葉を選んだ。
「それに、この部分には詳しい説明が残っていないようです」
ユウキは図面を見つめた。
昨日の青い結晶。
規則的に響く音。
そして、古い図面に描かれた小さな空間。
偶然なのだろうか。
それとも、何かつながりがあるのだろうか。
「……あの音、もしかして」
ユウキが口を開きかけたとき、ドランが静かに頷いた。
「ああ。何かの装置が動いている可能性もあるな」
「装置?」
トーマが目を丸くする。
「古い採掘坑なら、鉱石を運ぶための仕組みや、魔導具を利用した設備があってもおかしくない」
ドランは図面を指差した。
「ただし、それが今も動いているかどうかは別の話だ」
ユウキは小さく頷いた。
何かがある。
それだけは、ほぼ間違いないように思えた。
◇
「……皆さん」
セシリアが口を開いた。
「この場所については、一度ギルドで確認を行いたいと思います」
「調査するんですか?」
ユウキが尋ねる。
「はい。新しい通路や未知の魔力反応が確認された場合、放置してよいかどうか判断する必要がありますから」
セシリアは地図へ視線を落とした。
「特に、現在の探索区域とつながっている可能性があるなら、ほかの冒険者への影響も考えなければなりません」
「……それなら、俺たちも手伝えないか?」
トーマが身を乗り出した。
セシリアは少し驚いたように目を瞬かせる。
「皆さんが、ですか?」
「だって、最初に見つけたのは俺たちだろ? 場所も分かってるしさ!」
トーマはそう言って、ユウキたちを振り返った。
「なあ?」
ユウキは少し考えた。
未知の通路。
正体の分からない結晶。
危険があることは間違いない。
だが、だからこそ慎重に調査する必要があるのだろう。
「……僕も、できることがあるなら協力したいです」
ユウキが答えると、バルドは小さく息を吐いた。
「まあ、話を聞くくらいなら構わねえ。ただし、無茶な条件なら断るぞ」
「俺も賛成だ」
ドランが頷く。
「特にあの結晶については、もう少し調べてみたい」
四人の意見を聞いたセシリアは、静かに頷いた。
「分かりました。では、調査の必要性と、皆さんにお願いできることがあるかを確認してみます」
そう言って、記録帳を閉じる。
「ただし、正式な依頼として発行できるかどうかは、ギルドの判断になります。それまでは、昨日の通路へ立ち入らないようにしてください」
「はい」
ユウキは頷いた。
焦る必要はない。
せっかく見つけた手がかりを、無謀な行動で失うわけにはいかないのだから。
そのとき、セシリアが古い図面の端へ視線を戻した。
「……あら?」
「どうしました?」
ユウキが尋ねる。
セシリアは紙面の隅にある小さな文字を指差した。
「ここに、何か書かれていますね」
文字は古びてかすれ、読み取れる部分も限られていた。
ドランが身を乗り出し、目を細める。
「……何だ、これ?」
そこには、現在使われている表記とは少し異なる、古い形式の記号が並んでいた。
その横には、小さな円形の図が描かれている。
円の周囲から何本もの線が伸び、中央に一つの点が記されていた。
「……結晶の並びに、似てない?」
トーマが呟いた。
ユウキは昨日見た青い結晶の光景を思い浮かべる。
岩壁に沿って伸びる細い線。
その奥へ向かって集まっていくような配置。
確かに、どこか似ている気がした。
ドランは図面と自分の記録を並べ、しばらく見比べた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……偶然とは思えんな」
その声には、先ほどまでの興味とは異なる真剣さがあった。
「もしかすると、俺たちが見つけた結晶は……」
ドランはそこで言葉を切った。
ユウキは黙って続きを待った。
「……昔、この坑道で使われていた何らかの設備につながっているのかもしれん」
その言葉に、四人の間へ静かな緊張が広がった。
もし本当にそうなら、あの青い結晶は単なる採取素材ではない。
古い採掘坑と地下遺跡。
その二つがつながる灰脈の迷宮には、今も何かが残されているのかもしれなかった。
◇
ギルドを出た頃には、昼の陽光が街路を明るく照らしていた。
トーマは歩きながら、何度も振り返っては興奮した様子で話し続けていた。
「いやあ、まさか昔の図面が出てくるとは思わなかったな!」
「まだ何かあると決まったわけじゃねえぞ」
バルドが言う。
「分かってるけどさ! ああいうのって、ちょっと冒険っぽいじゃん!」
「迷宮探索は、もともと冒険だろう」
ドランが笑う。
「でも、あの結晶が何につながっているのかは、俺も気になるな」
ユウキは三人のやり取りを聞きながら、静かに歩いていた。
灰脈の迷宮。
古い採掘坑と地下遺跡がつながる場所。
その奥には、自分たちがまだ知らない空間が広がっている。
昨日まで、迷宮は魔物と戦い、素材を集めるための場所という印象が強かった。
だが、今は少し違う。
古い図面。
未知の結晶。
規則的に響く音。
それらが意味するものを知りたいという気持ちが、胸の中で大きくなっていた。
「……ねえ、みんな」
ユウキが声をかける。
「何だ?」
バルドが振り返る。
「もし調査を任せてもらえたら、今度はもっと準備を整えて行こう」
「おう!」
トーマが元気よく答える。
「当然だな」
ドランも頷いた。
バルドは三人を見渡した後、わずかに口元を緩めた。
「……ったく。お前ら、本当に探索が好きだな」
「バルドだって、嫌いじゃないでしょ?」
ユウキが尋ねると、バルドは小さく笑った。
「まあな」
四人は顔を見合わせ、自然と笑みを浮かべた。
新しい力を手に入れたばかりのネクシア。
その前には、まだ見ぬ世界が広がっている。
そして今、彼らの次なる冒険につながる扉が、静かに開かれようとしていた。
――第85話 完。




