第9話 第四坑道への道
朝の点呼が始まる少し前、ユウキは自分の手のひらを見つめていた。
何度もツルハシを握り続けたせいで、皮膚は硬くなり、破れた水ぶくれには乾いた血がこびりついている。指を曲げるだけでも痛みが走ったが、昨日より少しだけ握力が戻っているような気がした。
それでも、身体の奥には重い疲労が残っていた。
昨夜、魂盤に表示されたHPは8。最大値が32であることを考えれば、決して余裕のある状態ではない。
ユウキはゆっくりと息を吐き、隣に座る老人へ視線を向けた。
「……バルドさん」
「なんだ、坊主」
「今日は、本当に第四坑道へ行けるんでしょうか?」
バルドは手首の鎖を確かめながら、小さく肩をすくめた。
「さあな。運搬の人手が足りんという話は聞いたが、わしらが選ばれるとは限らん。看守の気分一つで変わるような話だ」
「……そうですよね」
「ただし、もし行けたとしても、余計なことはするなよ」
老人の目が鋭くなる。
「今日は道を覚えるだけだ。逃げ出すのはもちろん、怪しい場所を覗くのもやめておけ」
ユウキは頷いた。
昨日までなら、焦る気持ちを抑えきれなかったかもしれない。
だが今は、リナを助けたいという思いが強いからこそ、簡単に捕まるわけにはいかなかった。
「……わかりました。無理はしません」
「その言葉、忘れるなよ」
バルドがそう言ったとき、少し離れた場所からトーマが近づいてきた。
「なあ、俺も第四坑道に行けるかな?」
少年は期待と不安が入り混じった表情を浮かべていた。
熱は以前より下がったようだが、痩せた頬と青白い顔色を見る限り、完全に回復したわけではなさそうだった。
「トーマ、まだ無理しない方がいいよ」
「わかってる。でも、俺だけ何もしないのは嫌なんだ」
その言葉に、ユウキは少し困ったように微笑んだ。
かつての自分なら、同じことを言っていたかもしれない。
誰かに助けてもらうばかりでは申し訳なくて、自分の身体がどれほど辛くても、無理をしてしまう。
「……じゃあ、一つお願いしてもいい?」
「え?」
「今日は俺もバルドさんも、看守に怪しまれないように気をつける。だからトーマも、自分の身体を大事にしてほしいんだ」
トーマは不満そうに唇を尖らせた。
「それって、手伝いになってるのか?」
「なるよ。三人で逃げるんだから、三人とも元気じゃないと困るでしょ?」
少年は少し驚いたように目を見開いた。
それから、小さく頷いた。
「……わかった」
二人のやり取りを聞いていたバルドは、呆れたようにため息をついた。
「まったく。こんな場所で、妙な約束をしおって」
しかし、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
◇◆◇
「第四坑道の運搬に回す奴を選ぶ!」
朝の点呼を終えた直後、看守の一人が声を張り上げた。
囚人たちの間に小さなどよめきが広がる。
普段なら第一坑道や第二坑道での採掘が中心だが、今日は第四坑道へ鉱石や補修資材を運ぶ人手が必要らしい。
「バルド! それから、そこの黒髪!」
突然名前を呼ばれ、ユウキは肩を跳ねさせた。
「……は、はい!」
「お前らは第四坑道へ行け。荷車を運ぶ仕事だ」
ユウキは思わずバルドを見た。
老人は何も言わず、小さく頷く。
「……わかりました」
ユウキは返事をした。
その直後、看守はトーマへ視線を移した。
「おい、そこのチビ。お前も来い」
「……俺?」
「そうだ。荷物くらい運べるだろう」
トーマの顔が一瞬だけ強張った。
ユウキは何か言おうとしたが、先にバルドが口を開いた。
「そいつはまだ熱が残っとる。重い荷は無理だ」
「ああ?」
看守が不機嫌そうに眉をひそめる。
「奴隷のくせに、仕事を選ぶつもりか?」
「そうは言っとらん。軽い道具の運搬ならできる。重い鉱石を任せて途中で倒れられるよりはましだろう」
看守はしばらくバルドを睨みつけていたが、やがて面倒そうに手を振った。
「……好きにしろ。ただし、仕事が遅れたら全員まとめて罰だ」
ユウキは胸を撫で下ろした。
こうして、三人は第四坑道へ向かう運搬班に加わることになった。
偶然だったのか、それとも誰かの意図が働いているのか。
このときのユウキには、まだわからなかった。
◇◆◇
第四坑道へ続く通路は、これまで働いていた採掘場とは明らかに雰囲気が違っていた。
第一坑道や第二坑道では、ひっきりなしにツルハシの音が響いていた。しかしこちらには人の気配が少なく、代わりに地下水が滴り落ちる音が不気味なほど鮮明に聞こえてくる。
壁に埋め込まれた魔鉱石の数も少なく、一定の間隔で取り付けられた松明が、辛うじて道を照らしていた。
ユウキは重い荷車の取っ手を握りながら、慎重に足を進めた。
「……ここ、ずいぶん静かですね」
小声で尋ねると、隣を歩くバルドが頷いた。
「第四坑道は、昔ほど鉱石が採れんのだ。今じゃ運搬路や資材置き場として使われとる区画の方が多い」
「……じゃあ、第五坑道へ続く道も、この近くに?」
「声が大きい」
「……っ、すみません」
バルドは一度だけ周囲を確認し、低い声で続けた。
「まだ先だ。奥へ行けば、古い分岐路がある。ただし、今の通路が昔のままとは限らん」
ユウキは静かに頷いた。
荷車の車輪が石の床を軋ませ、重たい音を響かせる。
しばらく進むと、道が三つに分かれる場所へ出た。
左側には鉱石を運ぶための広い通路。
中央には木材や道具が積まれた資材置き場。
そして右側には、古びた鉄柵によって封鎖された細い道があった。
その道を見た瞬間、ユウキは足を止めそうになった。
奥へ続く暗闇。
崩れかけた石壁。
そして、足元に残る錆びついた鉄の線路。
誰かが長い年月をかけて使っていた道なのだろう。
しかし今は、ほとんど人が立ち入っていないように見えた。
「……あれは」
思わず呟くと、バルドが荷車を押しながら囁いた。
「見るな。前を向け」
ユウキは慌てて視線を戻した。
その直後、前方から看守が近づいてきた。
「おい! 運搬班、何をしている!」
「荷車が少し引っかかっただけだ」
バルドは落ち着いた声で答えた。
「この辺りは床が傷んどる。車輪を取られると厄介なんでな」
看守は荷車の足元を確認すると、舌打ちした。
「……さっさと進め。今日は奥の資材も移動させるんだ」
そう言って通り過ぎていく。
ユウキは息を止めていたことに気づき、ゆっくりと呼吸を整えた。
たった一度、道を見ただけで怪しまれかけた。
バルドが慎重になる理由を、身をもって理解した。
◇◆◇
第四坑道の作業場に到着すると、三人は別々の荷物を運ぶよう命じられた。
バルドは補修用の木材。
トーマは小さな工具箱。
そしてユウキには、鉄製の部品が詰まった重い木箱が割り当てられた。
手首の枷が邪魔で持ちにくく、持ち上げるたびに左肩の傷が疼く。
「……っ、重い」
ユウキは歯を食いしばった。
普段なら身体強化を使えば、もう少し楽に運べるかもしれない。
しかし、残りのMPは十分ではない。しかも、枷に埋め込まれた魔封石が魔力の流れを乱している。
今ここで試すのは危険だった。
ユウキは木箱を床へ下ろし、呼吸を整えた。
そのとき、すぐ近くで甲高い音が響いた。
――ガシャン!
「……うわっ!」
振り返ると、トーマが工具箱を落としていた。
中から小さな金属部品が転がり、床の上へ散らばっていく。
「……ご、ごめん!」
少年は慌ててしゃがみ込んだ。
ユウキも手伝おうとしたが、先に看守が近づいてきた。
「何をしている!」
「す、すみません! 手が滑って……」
看守は苛立たしげに鞭を持ち上げた。
その姿を見た瞬間、ユウキの身体が反射的に動きかける。
しかし、今度はバルドが先に口を開いた。
「待て。その箱は留め具が壊れかけとる。中身を確認した方がいい」
看守は眉をひそめた。
「……なんだと?」
「工具が足りなくなれば、補修作業が止まる。今ここで数えれば、あとで騒ぎにならん」
男はしばらく黙っていたが、やがて面倒そうに手を振った。
「……さっさと片づけろ」
看守が離れていくと、トーマは深く息を吐いた。
「……助かった」
ユウキも胸を撫で下ろした。
「……よかった」
「よくないわい」
バルドが二人を見下ろす。
「お前ら、少し落ち着け。ここで騒ぎを起こしたら、それこそ終わりだ」
「……はい」
二人が揃って返事をすると、老人は呆れたように首を振った。
しかし次の瞬間、バルドの視線が床の一角で止まった。
「……ん?」
そこには、トーマが落とした小さな金属の輪が転がっていた。
バルドはそれを拾い上げ、しばらく眺める。
「……どうしたんですか?」
ユウキが尋ねると、老人はすぐには答えなかった。
やがて周囲を確認してから、低い声で呟く。
「……古い型の部品だな」
「……古い型?」
「ああ。昔の運搬設備に使われとったものに似ている」
老人は金属の輪を工具箱へ戻した。
「ここに、まだ残っとったとはな」
ユウキは何かを尋ねようとしたが、バルドの視線に気づいて口を閉じた。
老人はわずかに首を振っていた。
今は話すな。
そう伝えているようだった。
◇◆◇
昼の休憩時間。
三人は資材置き場の隅に座り、配られた硬いパンを分け合っていた。
トーマは朝より少しだけ元気を取り戻していたが、まだ顔色は良くなかった。
「……なあ、バルドじいさん」
少年が小声で呼びかける。
「さっきの部品、何か知ってるのか?」
バルドはパンを口へ運びながら、しばらく黙っていた。
「……昔の運搬路には、鉱石を乗せた小さな台車を走らせる仕組みがあった」
「台車?」
「ああ。今みたいな荷車を人が押すんじゃなく、鉄の線路の上を走らせるものだ」
ユウキは先ほど見た錆びた線路を思い出した。
「……あの封鎖された道にも、線路がありました」
「そうだ。第五坑道へ続く古い運搬路にも、同じものが敷かれていた」
ユウキの胸が高鳴った。
「……じゃあ、あの道が?」
「まだ決めつけるな」
バルドは静かに首を振った。
「第四坑道には、使われなくなった運搬路がいくつもある。どれが第五坑道へ続いとるかは、線路を見ただけじゃわからん」
「……そうですよね」
「だが、手掛かりにはなる」
老人は小さく頷いた。
「昔の分岐路には、行き先を示す番号が刻まれとった。もしそれが残っとれば、道を見分けられるかもしれん」
ユウキはその言葉を心に刻んだ。
番号。
古い分岐路。
線路。
少しずつ、逃げ道の輪郭が見え始めている。
しかし、同時に大きな問題もあった。
「……でも、そこへ行けたとして、枷はどうするんでしょうか?」
ユウキが尋ねると、バルドは黙り込んだ。
トーマも自分の手首を見つめた。
冷たい鉄の輪。
魔封石が埋め込まれた拘束具。
逃げ道を見つけても、これを外せなければ自由にはなれない。
「……そこが一番厄介なんだ」
バルドは低い声で答えた。
「普通の鍵だけじゃない。魔封石と警報の仕組みがある以上、無理に壊せば見つかる」
「……解除する方法は、ないんですか?」
「あるはずだ。看守どもが付け外ししとるんだからな。ただ、わしらが簡単に使えるものではない」
ユウキは拳を握りしめた。
逃げ道だけでは足りない。
枷を外す方法も必要だ。
そして、三人全員が無事に動けるだけの体力も。
考えなければならないことは、想像以上に多かった。
そんなユウキを見て、バルドが静かに言った。
「……焦るな。一つずつだ」
ユウキはゆっくりと頷いた。
「……はい」
◇◆◇
午後の運搬作業が始まってしばらくした頃。
第四坑道の奥から、数人の兵士が現れた。
黒い金属の胸当て。
統一された外套。
第三坑道の周辺を警備していた、あの兵士たちと同じ装備だった。
ユウキは思わず身体を強張らせた。
彼らは周囲を見回すと、近くの看守へ何かを告げた。
看守が慌てて頭を下げる。
「……わかりました。すぐに確認します」
その会話を聞いたバルドが、わずかに眉をひそめた。
「……何かあったな」
ユウキは小声で尋ねた。
「……第三坑道ですか?」
「おそらくな」
その直後、看守の怒声が響いた。
「運搬班! 全員、資材置き場から離れろ!」
囚人たちは一斉に動き始めた。
ユウキも荷車を押しながら、指定された通路へ向かう。
しかし、その途中。
――ドクン。
胸の奥で、突然あの感覚が生まれた。
「……っ!」
ユウキは足を止めかけた。
頭の奥が微かに痛む。
そして、視界の端に青白い文字が浮かび上がった。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源:第三坑道深部》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
ユウキは息を呑んだ。
まただ。
あの声が聞こえる。
『……ユウキ』
幼い少女の声。
今度は、以前よりも近く感じた。
『……こっち』
ユウキは反射的に顔を上げた。
声が聞こえた方向には、古い資材置き場があった。
その奥には、錆びた鉄柵で塞がれた細い通路が続いている。
先ほど見た封鎖区画とは別の場所だった。
「……あそこ?」
思わず呟いた瞬間、視界が赤黒く揺らいだ。
ほんの一瞬。
目の前の景色が、別の光景へ置き換わる。
暗い通路。
崩れた石壁。
その奥に立つ、大きな石の扉。
表面には赤黒い魔法陣が刻まれている。
第三坑道の最深部にあるはずの、あの扉だった。
「……っ!」
ユウキは思わず荷車へ手をついた。
激しい頭痛が走る。
しかし、幻のような光景はすぐに消えた。
《警告》
《対象との共鳴による精神負荷を確認》
《干渉は実行されていません》
《固有権能「略奪」は通常状態を維持しています》
ユウキは荒くなった呼吸を整えた。
略奪は発動していない。
技能を奪ったわけでもない。
それなのに、なぜこんな光景が見えるのだろう。
「……おい、ユウキ」
バルドの声が聞こえた。
顔を上げると、老人が心配そうにこちらを見ていた。
「また顔色が悪いぞ」
「……すみません。少し、頭が痛くて」
「無理をするなと言っただろう」
バルドはユウキの肩を支えた。
「今日はもう、余計なことを考えるな」
「……はい」
ユウキは頷いた。
しかし、先ほど見た光景が頭から離れなかった。
第三坑道の封印。
第五坑道へ続く古い運搬路。
二つは別の場所のはずなのに、なぜ自分には同じ方向から呼びかけてくるように感じるのだろう。
偶然なのか。
それとも、地下深くで何かが繋がっているのだろうか。
今はまだ、答えが出なかった。
◇◆◇
同じ頃。
第四坑道の管理通路では、灰色の外套をまとった男が一枚の報告書を読んでいた。
「……今日も、あの少年は運搬作業に参加しているのか」
「はい」
黒い鎧を身につけた兵士が答える。
「監視対象の少年、ユウキ・コバヤシは、老人バルドおよび少年トーマと行動をともにしています」
「……ふむ」
男は報告書へ視線を落とした。
「不審な行動は?」
「現時点では確認されていません。ただ、第四坑道の封鎖区画へ何度か視線を向けていたとの報告があります」
男の指が止まった。
「……封鎖区画?」
「はい。古い運搬路に続く通路です」
男はしばらく考え込んだ。
第三坑道の封印に異常が起き始めてから、あの少年の周囲では不可解な出来事が続いている。
偶然にしては、あまりにも重なりすぎていた。
しかし、確かな証拠はない。
少年が本当に異界から召喚された存在なのか。
そして、封印されたものと何らかの関係があるのか。
どちらも推測の域を出ていなかった。
「……引き続き監視しろ」
男は静かに命じた。
「ただし、必要以上に刺激するな。あの少年が何を知っているのか、まだ判断できん」
「はっ!」
兵士は敬礼し、通路の奥へ姿を消した。
男は再び報告書を見つめた。
そこには、ユウキが熱を出した少年の作業を肩代わりしたことも記されていた。
「……他人のために、自分から罰を引き受けるか」
男は小さく呟いた。
奴隷として捕らえられた人間が、他人を庇うこと自体は珍しくない。
しかし、あの少年の場合は少し違うように思えた。
恐怖に怯えながらも、目の前の人間を見捨てようとしない。
その態度が、男には理解できなかった。
「……何を考えている、あの少年は」
答えは出なかった。
ただ、報告書を閉じた男の目には、以前よりも強い警戒が浮かんでいた。
◇◆◇
夕方。
運搬作業を終えた囚人たちは、再び牢へ戻されていた。
ユウキは冷たい石壁にもたれ、疲れ切った身体を休めていた。
朝よりも腕が重い。
足も痛む。
それでも、今日は確かな収穫があった。
第四坑道の構造。
封鎖された古い通路。
線路の跡。
そして、第五坑道へ続く道を見分けるための番号。
昨日まで曖昧だった脱出への手掛かりが、少しずつ形になり始めている。
「……バルドさん」
ユウキは周囲を確認してから、小さく呼びかけた。
「なんだ?」
「……今日、古い線路を見ました」
「……ああ」
「やっぱり、あの道の先に第五坑道があるんでしょうか?」
バルドはしばらく考え込んだ。
「可能性はある。だが、まだ確証はない」
老人は手首の枷を見つめながら続けた。
「それに、今日の様子を見る限り、第四坑道も監視が強くなっとる。昔のように自由に歩ける場所じゃない」
「……そうですよね」
ユウキは小さく頷いた。
すると、隣で話を聞いていたトーマが口を開いた。
「……でもさ」
「……なに?」
「今日、工具を片づけてるときに、古い木の板を見たんだ」
バルドの眉が動いた。
「……木の板?」
「うん。壁の近くに立てかけてあって、数字が書いてあった」
ユウキは思わず顔を上げた。
「……数字?」
「たしか、四と五だったと思う。古くてよく見えなかったけど」
バルドの表情が変わった。
「……それは、どこにあった?」
「資材置き場の一番奥。使われてない道具が積まれてるところ」
老人はしばらく黙り込んだ。
そして、低い声で呟いた。
「……古い坑道標識かもしれん」
「……標識?」
「ああ。昔は坑道ごとに行き先を示す板が置かれとった。第四坑道と第五坑道の分岐を示すものなら、重要な手掛かりになる」
ユウキの胸が高鳴った。
しかし、すぐに不安も押し寄せてくる。
「……でも、どうやって確かめれば」
「まだ動くな」
バルドは静かに言った。
「次に同じ場所へ行けるとは限らんし、あの辺りは看守も多い。まずは本当に分岐路を示すものなのか、考える必要がある」
ユウキは頷いた。
焦ってはいけない。
目の前に希望が見えたからこそ、慎重にならなければならない。
そのとき、トーマが小さく笑った。
「……なあ、ユウキ」
「……なに?」
「俺、少しは役に立った?」
ユウキは驚いて少年を見つめた。
そして、自然と笑みがこぼれた。
「……うん。すごく助かったよ」
「……本当?」
「本当。トーマが見つけてくれなかったら、気づけなかったと思う」
トーマは照れくさそうに顔を背けた。
「……そっか」
その表情は、初めて出会った頃よりもずっと明るかった。
ユウキは胸の奥が温かくなるのを感じた。
誰かに助けてもらうこと。
誰かを助けること。
それは、決して一方通行ではないのかもしれない。
この鉱山へ来るまで、ユウキは自分が誰かを守らなければならないと思っていた。
しかし今は、バルドにもトーマにも助けられている。
一人では何もできない自分でも、誰かと力を合わせれば、少しずつ前へ進める。
そんな当たり前のことを、ようやく理解し始めていた。
◇◆◇
夜が更ける頃。
ユウキは牢の片隅で、静かに目を閉じていた。
身体は疲れ切っている。
しかし、眠ろうとすると第三坑道の光景が蘇ってくる。
赤黒い魔法陣。
封印された石の扉。
そして、自分の名前を呼ぶ幼い声。
『……ユウキ』
また、聞こえた。
ユウキはゆっくりと目を開けた。
「……君は、誰なの?」
小さく問いかける。
周囲の囚人たちは眠っている。
バルドもトーマも、規則正しい寝息を立てていた。
返事はない。
しかし、視界の端に青白い文字が浮かんだ。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源:第三坑道最深部》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
ユウキは文字を見つめた。
この力は、いったい何を求めているのだろう。
あの声の主は、本当に助けを求めているのだろうか。
それとも、何か別の目的があるのだろうか。
わからない。
ただ、ひとつだけ確かなことがあった。
今の自分には、あの場所へ行く力がない。
たとえ辿り着けたとしても、何ができるのか想像もつかなかった。
「……まだ、無理だよ」
ユウキは小さく呟いた。
「……ごめん」
すると、頭の奥で微かな声が響いた。
『……知ってる』
ユウキの身体が固まった。
『……だから、待ってる』
声はそれだけ告げると、静かに消えた。
青白い表示も消え、牢の中には再び静寂が戻ってくる。
ユウキはしばらく動けなかった。
あの声は、自分の言葉を理解している。
そして、待っていると言った。
それが何を意味するのかはわからない。
しかし、ユウキの胸には微かな不安が残った。
◇◆◇
同じ頃。
第四坑道の資材置き場では、二人の看守が古い道具を移動させていた。
「……ったく、なんで夜中にこんな仕事を」
一人が不満そうに呟く。
「第三坑道の封鎖に使う資材が足りないんだとよ。上からの命令だ」
「それにしたって、古い道具まで引っ張り出す必要があるのか?」
「知らねえよ。文句があるなら管理者に言え」
二人は話しながら、壁際に積まれた木箱を動かしていく。
そのうちの一つが崩れ、奥に立てかけられていた古い木の板が床へ倒れた。
――ガタン。
「……なんだ、これ」
看守の一人が板を拾い上げた。
表面には、消えかけた文字が刻まれている。
『第四坑道・第五坑道 旧連絡路』
その下には、古い矢印が描かれていた。
「……昔の標識か?」
「ああ、そうだろうな。もう使われてない道だ」
男は興味なさそうに板を放り投げた。
標識は再び資材の陰へ転がり、暗闇の中に隠れてしまった。
しかし、その奥。
崩れた岩壁の向こうには、誰にも気づかれないほど狭い隙間が残されていた。
冷たい風が、その隙間から微かに吹き込んでいる。
長い年月を経ても、完全には閉ざされていない道。
そして、その先には。
今では誰も使わなくなった、古い運搬路が続いていた。
ユウキたちが探し求める自由への道は、確かに存在していた。
だが、それが三人を無事に地上へ導く道なのか、それともさらに深い闇へと誘う道なのかは、まだ誰にもわからなかった。
――第9話 完。




