第10話 封鎖された旧連絡路
――カラカラ、カラカラ。
錆びついた車輪が、石の床を引っかくような音を立てていた。
第四坑道へ続く通路を歩きながら、ユウキは荷車の取っ手を握り直した。掌の傷はまだ癒えておらず、硬い木材が触れるたびに鈍い痛みが走る。
昨日の運搬作業で見つけた、古い線路と封鎖された通路。
そして、トーマが目にしたという数字の書かれた木の板。
それらが第五坑道へ続く手掛かりである可能性は高かったが、今のところ確証はない。
何より、ユウキたちはまだ枷を外す方法すら知らなかった。
「……今日は、昨日より看守が少ないですね」
ユウキが小声で話しかけると、隣を歩くバルドが前を向いたまま頷いた。
「第三坑道の方へ人手を取られとるんだろう。だからといって、気を抜くんじゃないぞ」
「……はい」
少し後ろでは、トーマが工具の入った小さな箱を抱えていた。
少年の熱は下がり始めていたが、顔色はまだ良くない。何度か足元をふらつかせ、そのたびに荷車の端へ手をついている。
「トーマ、大丈夫?」
「平気だって。昨日よりずっと楽だよ」
そう答えた直後、少年は小さく咳き込んだ。
ユウキが心配そうに見つめると、トーマは気まずそうに目を逸らした。
「……本当に、少しは良くなったんだ」
「うん。でも、辛くなったら教えてね」
「……わかった」
二人のやり取りを聞いていたバルドが、呆れたように鼻を鳴らす。
「お前らは、もう少し自分の身体を心配しろ」
その言葉に、ユウキは小さく笑った。
けれど、胸の奥には不安が残っている。
第四坑道に来られたとしても、これからどうすればいいのか。
見つけた道が本当に地上へ続いていたとして、三人揃って逃げ切れるのだろうか。
考えるべきことは多かった。
だからこそ、ユウキは今日も周囲を注意深く観察しながら歩いていた。
◇◆◇
「おい! そこの三人!」
第四坑道の資材置き場へ到着すると、看守が大声で呼び止めた。
ユウキは反射的に肩を震わせ、足を止める。
「今日は奥の通路を片づけてもらう。第三坑道の補修資材を運ぶのに、ここの荷車が邪魔になってるんだ」
男が指さしたのは、昨日トーマが古い標識を見つけた資材置き場の奥だった。
ユウキの心臓が大きく跳ねる。
あの場所だ。
しかし、嬉しさよりも先に緊張が込み上げてきた。
「古い木箱と壊れた道具を手前へ移せ。勝手に封鎖区画へ入るんじゃねえぞ」
「……はい」
バルドが落ち着いた声で返事をした。
看守はそれ以上何も言わず、別の運搬班のもとへ歩いていく。
その背中が見えなくなると、トーマが小声で囁いた。
「……ユウキ、昨日の板があった場所だよ」
「……うん」
「本当に見られるかもしれないな」
ユウキは頷きかけたが、バルドが先に口を開いた。
「浮かれるな。今日は仕事を任されてここへ来とる。それを忘れるなよ」
二人は揃って頷いた。
三人は声を潜めながらも、できるだけ普段どおりに作業を続けた。
やがて、奥に積み上げられていた資材が少しずつ減っていく。
そして、その向こうから古い木の板が姿を現した。
「……あった」
トーマが小さく呟いた。
板には、薄く消えかけた文字が刻まれている。
『第四坑道・第五坑道 旧連絡路』
その下には、右方向を示す矢印。
ユウキは思わず息を呑んだ。
確かに、第五坑道への道がここにあったのだ。
「……バルドさん」
老人も標識を見つめていた。
「……間違いない。昔の連絡路だ」
その声には、懐かしさと驚きが混じっていた。
ユウキは標識の示す方向を見た。
そこには、岩と古い資材で塞がれた通路がある。床には錆びた線路が伸びており、暗闇の奥へと消えていた。
完全に崩落したようには見えない。
だが、人が通れるほどの隙間があるかどうかは、近づかなければわからなかった。
「……ここを通れたら」
ユウキが小さく呟くと、バルドは静かに首を振った。
「まだ早い。道が繋がっとるかもわからんし、枷も外せん。今は場所を覚えるだけだ」
「……はい」
ユウキは頷いた。
それが正しいとわかっている。
しかし、自由へ続くかもしれない道を目の前にして、何もできないことが歯がゆかった。
◇◆◇
そのときだった。
――カリ、カリ、カリ。
何かが石を引っかくような音が聞こえた。
「……今、何か聞こえませんでした?」
ユウキが顔を上げると、トーマも動きを止めた。
バルドが耳を澄ませる。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
すると、再び音が響いた。
――ガリ、ガリ。
今度は先ほどよりも近い。
音は封鎖された旧連絡路の奥から聞こえていた。
「……鼠、でしょうか」
ユウキが尋ねると、バルドの表情が険しくなった。
「……ただの鼠ならいいがな」
老人は床に置いていた木箱をゆっくりと下ろした。
「トーマ、少し下がれ」
「……え?」
「いいから、こっちへ来い」
その声には、普段とは違う緊張が滲んでいた。
トーマが後ずさる。
ユウキも荷車から手を離した。
すると、崩れた岩の隙間から、黒い影が動くのが見えた。
ぬらりとした灰色の前脚が、岩の隙間から突き出す。
「……っ!」
現れたのは、犬ほどの大きさをした奇妙な生き物だった。
細長い胴体に、岩を削るような鋭い爪。全身には硬そうな灰色の皮膚があり、背中には石のような突起が並んでいる。
濁った黄色い目が、三人をじっと見つめていた。
「……魔物?」
ユウキの声が震える。
バルドが低く答えた。
「……岩穿ち鼠だ。こんな浅いところまで出てくるとは」
「……知ってるんですか?」
「ああ。普段は人を避けるが、追いつめられると厄介だ」
魔物は出口を探すように左右へ顔を動かしていた。
その背後には崩れた岩があり、逃げ込める隙間も狭くなっている。
「……ゆっくり下がれ」
バルドが囁いた。
三人が後退しようとした、その瞬間。
トーマの足首に巻かれた鎖が、床の金属片に引っかかった。
――ガシャン!
乾いた音が響く。
岩穿ち鼠が甲高く鳴き、身体を低くした。
「……来るぞ!」
バルドの叫び声と同時に、魔物が地面を蹴った。
◇◆◇
「トーマ、下がって!」
ユウキは反射的に少年の前へ出た。
岩穿ち鼠は地面を這うように駆け、一直線に三人へ向かってくる。
速い。
森で戦った灰牙狼ほどの大きさはないが、低い姿勢で走るため動きが読みづらかった。
ユウキは近くに立てかけてあった短い木材を掴んだ。
武器としては頼りない。
それでも、素手よりはましだった。
「……っ!」
魔物が飛びかかる。
ユウキは咄嗟に木材を突き出したが、狙いがずれ、先端が硬い背中を滑った。
次の瞬間、鋭い爪が足元を掠める。
「……うわっ!」
ユウキは慌てて後ろへ跳んだ。
しかし、手首と足首の枷が動きを妨げ、体勢を崩してしまう。
膝から石の床へ倒れ込み、強い衝撃が走った。
「……ぐっ!」
魔物がこちらへ向き直る。
濁った黄色い瞳が、ユウキを捉えた。
森で初めて灰牙狼と戦ったときの恐怖が蘇る。
あのときも、自分は何もできなかった。
必死に抵抗し、偶然に近い形で生き延びた。
今も、同じだ。
身体は傷つき、魔力も十分ではない。
しかも、今回は自分一人ではなかった。
背後にはバルドとトーマがいる。
自分が倒れれば、二人まで危険に晒されてしまう。
「……ユウキ!」
トーマが叫んだ。
魔物が再び飛びかかろうとした、その瞬間。
「頭を下げろ!」
バルドの声が響いた。
ユウキは反射的に身を伏せた。
直後、頭上を長い木の棒が横切る。
――ゴンッ!
バルドが運搬用の棒を振り下ろし、魔物の横腹を叩いたのだ。
岩穿ち鼠が短く鳴き声を上げ、横へ転がる。
「……今だ、離れろ!」
老人の指示に従い、ユウキは這うように距離を取った。
だが、魔物はすぐに体勢を立て直した。
硬い皮膚に守られているのか、先ほどの一撃でも大きな傷を負った様子はない。
「……効いてない」
ユウキが呟くと、バルドは歯を食いしばった。
「背中は硬い。狙うなら腹だが、無闇に近づくな」
魔物は低い唸り声を上げながら、三人の周囲を動き始めた。
逃げ道を探しているのか、それとも次の獲物を狙っているのか。
ユウキには判断できなかった。
そのとき、岩穿ち鼠が突然方向を変えた。
狙いは、壁際に立つトーマだった。
「……トーマ!」
ユウキは叫んだ。
少年は驚いて後ずさったが、足がもつれて尻もちをついてしまう。
魔物が飛びかかる。
ユウキの身体が、考えるより早く動いた。
トーマを庇うために飛び込む。
しかし、足首の鎖が張り、あと一歩が届かない。
「荷車を倒せ!」
バルドが叫んだ。
ユウキは反射的に振り返った。
すぐ横には、古い木製の荷車がある。
積まれていた資材はすでに降ろされており、今は空になっていた。
ユウキは取っ手を掴み、残った力を振り絞った。
車輪を軸に荷車を傾け、肩で思い切り押し込む。
「……うああっ!」
荷車の片側が持ち上がる。
次の瞬間、重い荷台が横倒しになった。
――ガシャアアン!
大きな音が坑道に響き渡る。
岩穿ち鼠は咄嗟に方向を変えようとしたが、間に合わなかった。
横倒しになった荷車の縁が、その胴体へ激しくぶつかる。
――ギィッ!
魔物が悲鳴を上げた。
荷車の重みに押さえられ、身体の一部が床と木枠の間に挟まっている。
四肢を激しく動かしているが、簡単には抜け出せないようだった。
「……今のうちに逃げるぞ!」
バルドが叫んだ。
ユウキはトーマの手を掴み、立ち上がろうとした。
しかし、その瞬間。
――ドクン。
胸の奥で何かが反応した。
視界の端に、青白い文字が浮かび上がる。
《固有権能「略奪」の発動条件を確認》
《対象:岩穿ち鼠》
《状態:行動不能》
《略奪可能な技能を検出しました》
ユウキは息を呑んだ。
略奪。
森で灰牙狼を倒したときと同じ感覚だった。
ただし、今度の相手はまだ生きている。
荷車に挟まれ、動けなくなっているだけだ。
それでも、発動条件を満たしていた。
「……ユウキ?」
トーマが不安そうに呼びかけた。
ユウキは魔物を見つめた。
岩穿ち鼠は必死に身体を捻り、荷車から抜け出そうとしている。
このまま放っておけば、再び襲われるかもしれない。
しかし、相手はまだ生きている。
魔物とはいえ、その力を奪うことに抵抗がなかったわけではなかった。
それでも。
もし、この力があれば。
もう少しだけ、誰かを守れるようになるかもしれない。
「……ごめん」
ユウキは小さく呟いた。
そして、視界に浮かぶ技能の一覧へ意識を向ける。
《略奪可能技能》
・掘削爪 Lv.2
・暗所感知 Lv.1
・振動感知 Lv.1
《選択可能数:1》
ユウキは三つの技能を見つめた。
掘削爪。
暗所感知。
振動感知。
どれも、今の自分には持っていない力だった。
しかし、迷っている時間はない。
荷車は今にも動き出しそうになっている。
ユウキは一つの技能を選んだ。
「……振動感知」
《技能「振動感知 Lv.1」を略奪します》
《対象から技能を剥奪しました》
《技能獲得に成功しました》
直後、頭の奥に冷たい感覚が流れ込んできた。
暗い地中。
土の振動。
岩の向こうを移動する小さな生き物。
目では見えないはずの世界が、足元から伝わる揺れとして感じられる。
「……ぐっ!」
ユウキは思わず頭を押さえた。
獣の記憶のようなものが、一瞬だけ脳裏を掠める。
狭い巣穴。
地面を掘り進める感覚。
突然の落盤と、仲間が押し潰される恐怖。
それらが断片的に流れ込み、すぐに消えた。
《魂蝕値が上昇しました》
ユウキは荒く息を吐いた。
まただ。
技能を奪うたびに、知らない誰かの感覚が入り込んでくる。
その不快感には、いつまで経っても慣れそうになかった。
しかし、異変はそれだけでは終わらなかった。
――ピコン。
聞き慣れない通知音が響いた。
《戦闘経験の蓄積を確認》
《これまでの戦闘および危機への対処経験を評価しています》
《成長条件を達成しました》
ユウキは目を見開いた。
「……え?」
視界に浮かぶ文字が、ゆっくりと切り替わっていく。
《LEVEL UP》
《Lv.1 → Lv.2》
《基本能力値が上昇しました》
次の瞬間、身体の奥を温かな感覚が駆け抜けた。
冷え切っていた手足に、わずかな熱が戻ってくる。
力が湧き上がるような、不思議な感覚だった。
しかし、傷が消えることはなかった。
左肩の痛みも、手のひらの傷も、そのまま残っている。
急に全身の疲労がなくなったわけでもない。
「……レベル、アップ?」
ユウキは小さく呟いた。
灰牙狼と戦ったとき。
奴隷商人たちから少女を守ろうとしたとき。
そして、今の岩穿ち鼠との戦闘。
何度も危険な目に遭い、そのたびに必死で生き延びてきた。
それらの経験が、少しずつ積み重なっていたのだろうか。
詳しい仕組みはわからない。
けれど、確かに何かが変わった。
ユウキが自分の手を見つめていると、バルドの怒声が響いた。
「ユウキ! 何をしておる!」
「……っ!」
顔を上げる。
荷車の下では、岩穿ち鼠が再び暴れていた。
レベルが上がっても、目の前の危険は消えない。
「……今、行きます!」
ユウキは慌てて立ち上がった。
◇◆◇
――ガタン。
荷車が大きく揺れる。
岩穿ち鼠が、再び身体を動かし始めたのだ。
先ほどまでとは違い、足元の振動に対する反応が鈍っているように見えた。
振動感知を奪われた影響なのだろうか。
魔物は方向を見失ったように暴れ、荷車の木枠を激しく揺らしている。
「……まずい」
ユウキは咄嗟に周囲を見回した。
逃げるためには、倒れた荷車の横を通らなければならない。
しかし、今にも魔物が抜け出しそうだった。
そのとき、トーマが小さく叫んだ。
「……ユウキ! あそこ!」
少年が指さした先には、古い木材が積み上げられていた。
その中に、長い補修用の板が何枚か混じっている。
「……バルドさん!」
ユウキは老人へ振り返った。
「……あの板で、荷車を押さえられませんか?」
バルドは一瞬だけ目を見開いた。
そして、すぐに頷いた。
「……やってみる価値はある!」
三人は協力して長い板を運び、倒れた荷車の側面へ差し込んだ。
バルドが木材の角度を調整し、ユウキが反対側を押さえる。
トーマは近くにあった石を板の下へ差し込み、動かないように固定した。
岩穿ち鼠は激しく暴れたが、荷車はそれ以上大きく動かなかった。
「……よし」
バルドが深く息を吐いた。
「これなら、しばらくは持つだろう」
ユウキは頷いた。
しかし、完全に安心できたわけではなかった。
木材が折れれば、また魔物が動き出す可能性がある。
それに、先ほどの大きな音を看守が聞いていないはずがない。
「……早く、離れましょう」
三人は急いで荷車から距離を取った。
その直後、遠くから足音が響いてきた。
「おい! 今の音はなんだ!」
看守たちだった。
ユウキの身体が強張る。
逃げようにも、足首には鎖がある。
しかも、この場所から走り出せば、余計に怪しまれるだけだ。
「……落ち着け」
バルドが小声で告げた。
「わしに任せろ」
やがて、二人の看守が資材置き場へ現れた。
倒れた荷車と、その下で暴れる岩穿ち鼠を見た瞬間、男たちの表情が変わった。
「……魔物!?」
「くそっ! どこから入り込んだ!」
一人が剣を抜き、もう一人が後方へ叫ぶ。
「応援を呼べ! 第四坑道に魔物が出た!」
バルドは落ち着いた声で説明した。
「古い資材を動かしていたら、封鎖された通路から出てきたんだ。荷車で押さえたが、いつまで持つかわからん」
看守はユウキたちを睨みつけた。
「……お前ら、勝手に奥へ入ったんじゃないだろうな?」
「命令された資材整理をしていただけだ。倒れた箱の奥から出てきた」
バルドは静かに答える。
ユウキも頷いた。
「……はい。突然、岩の隙間から出てきて……」
看守は舌打ちした。
しかし、目の前で暴れている魔物への対処が先だと判断したのだろう。
「……わかった。お前らは下がってろ!」
三人は言われたとおり、通路の端へ移動した。
まもなく増援の看守が到着し、岩穿ち鼠は慎重に処理された。
その様子を見つめながら、ユウキは小さく拳を握りしめていた。
新しい技能。
そして、初めてのレベルアップ。
身体の奥に生まれた変化は、確かに感じられる。
しかし、それでも自分はまだ弱い。
今日もバルドとトーマの助けがなければ、きっと生き残れなかった。
「……もっと、強くならないと」
ユウキは誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
◇◆◇
その日の作業は、予定より早く切り上げられた。
第四坑道で魔物が出現したことを受け、管理者が一部区画の立ち入りを制限したためだった。
ユウキたちは看守に連れられ、いつもの牢へ戻された。
冷たい石壁に身体を預けた瞬間、全身から力が抜ける。
「……疲れた」
思わず呟いた。
戦闘と運搬作業が重なり、身体は限界に近かった。
しかし、今夜はそれ以上に考えることが多かった。
「……ユウキ」
トーマが隣へ座る。
「……さっきは、ありがとう」
「……え?」
「魔物から庇ってくれただろ」
ユウキは少しだけ驚いた。
そして、ゆっくりと首を振った。
「……俺だけじゃないよ。バルドさんも助けてくれたし、トーマも板を見つけてくれた」
「……でも」
「三人で助かったんだよ」
ユウキが微笑むと、トーマは少しだけ照れくさそうに笑った。
「……そっか」
その様子を見ていたバルドが、静かに口を開く。
「……今日は、本当に危なかった」
二人が顔を向けた。
老人は真剣な表情だった。
「魔物一匹で、これだけ苦労したんだ。もし古い坑道の奥にもっと危険なものがいたら、今のわしらではどうにもならん」
ユウキは頷いた。
そのとおりだった。
自分には、まだ力が足りない。
レベルが上がったとはいえ、まともな武器もなく、身体も傷ついている。
しかも、枷をつけたままでは自由に戦うことすらできなかった。
「……わかってます」
ユウキは小さく答えた。
「……だから、準備したいです」
バルドが目を細める。
「……準備?」
「逃げ道を探すだけじゃなくて、枷を外す方法も、危険な場所を通るための知識も……少しずつ集めたいんです」
老人はしばらく黙っていた。
やがて、小さく頷いた。
「……そうだな」
その声には、これまでとは違う響きがあった。
単なる無謀な逃亡ではない。
生き延びるための準備。
ユウキがようやく、その大切さを理解し始めたのだろう。
「……なら、まずは今日見つけた標識の場所を覚えておけ」
「……はい」
「それから、拘束具の仕組みも調べる必要がある」
ユウキは真剣に頷いた。
そのとき、トーマが小さく手を上げた。
「……あのさ」
「……なに?」
「今日、魔物が出てきた場所なんだけど……」
少年は少しだけ迷ってから続けた。
「……岩の隙間から、風が吹いてた気がする」
ユウキの心臓が跳ねた。
「……風?」
「うん。冷たい風。あの魔物が出てくる前から、少しだけ感じてた」
バルドの表情が変わった。
「……風が通る、か」
老人はしばらく考え込んでいた。
そして、低い声で呟く。
「……もし本当なら、あの奥には空気が流れる道が残っとるのかもしれん」
ユウキは息を呑んだ。
第五坑道へ続く旧連絡路。
地上へ繋がっていたという古い運搬路。
もし、あの隙間から風が吹いているのなら。
完全に塞がれているわけではないのかもしれない。
「……バルドさん」
「なんだ?」
「……やっぱり、あそこが」
「まだ決めつけるな」
老人は静かに首を振った。
「風が通るからといって、人が通れるとは限らん。地下には自然の亀裂もある」
ユウキは頷いた。
「……はい」
しかし、胸の奥には小さな希望が生まれていた。
少しずつ。
本当に少しずつだが、脱出への道が見え始めている。
◇◆◇
その夜。
ユウキは牢の片隅で、静かに魂盤を呼び出した。
青白い光が視界に浮かび上がる。
魂盤【STATUS】
名前:ユウキ・コバヤシ
年齢:17
種族:人間(異界者)
職業:無職
レベル:2
HP:6 / 36
MP:6 / 8
STR(筋力):8
VIT(耐久力):7
AGI(敏捷性):9
MAG(魔力):3
MND(精神力):12
DEX(器用さ):11
【固有権能】
略奪 Lv.1
【習得技能】
嗅覚強化 Lv.2
身体強化 Lv.2
採掘 Lv.1
振動感知 Lv.1
【状態】
重度疲労・負傷
魂蝕値:上昇中
ユウキは表示された数値を見つめた。
「……本当に、レベルが上がってる」
レベル2。
最大HPは32から36へ増え、筋力と耐久力も、それぞれ一つずつ上昇していた。
けれど、現在のHPはたったの6。
最大値が増えても、傷ついた身体が勝手に治るわけではないらしい。
それでも、確かな成長だった。
今までの自分なら、重い荷車を倒すことさえできなかったかもしれない。
今日の戦いで得た経験が、身体の奥に少しずつ積み重なっている。
そして、新しく獲得した技能。
振動感知 Lv.1。
岩穿ち鼠から奪った力だった。
その力を使えば、目に見えない場所の動きを感じ取れるかもしれない。
ただし、万能ではない。
今日も、魔物が飛び出してくるまで危険に気づけなかった。
技能を手に入れたからといって、すぐに使いこなせるわけではないのだろう。
「……もっと、覚えないと」
ユウキは小さく呟いた。
その瞬間、足元から微かな振動が伝わってきた。
――トン、トン。
誰かが遠くの通路を歩いている。
今までなら気づかなかったほど小さな振動だった。
ユウキは目を閉じ、意識を集中させた。
すると、足音とは違う、もっと深い場所からの揺れを感じた。
――ドクン。
まるで、巨大な何かが脈打っているような感覚。
ユウキはゆっくりと目を開けた。
「……第三坑道?」
視界の端に、青白い文字が浮かんだ。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源:第三坑道最深部》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
ユウキは息を呑んだ。
また、あの反応だ。
しかし、今夜は少しだけ違っていた。
足元から伝わる振動と、胸の奥で感じる共鳴。
二つの感覚が、微かに重なっているように思えたのだ。
ユウキはゆっくりと手を握りしめた。
この力が何なのかは、まだわからない。
第三坑道の奥に何が眠っているのかも、知らない。
それでも、少しずつ近づいている。
何か大きな秘密へ。
そして、自分自身の運命を変える何かへ。
ユウキは静かに息を吐き、目を閉じた。
明日も、生き延びよう。
リナを助けるために。
バルドとトーマを連れて、この鉱山から抜け出すために。
そして、いつか自分の力が何のために存在するのか、その答えを見つけるために。
冷たい牢の中、ユウキは新たな決意を胸に眠りについた。
その頃。
第三坑道の最深部では、石の扉に刻まれた赤黒い魔法陣が静かに輝いていた。
その中心から、幼い少女のような声が漏れる。
『……また、一つ』
誰にも聞こえない声。
『……奪ったんだね』
そして、まるで何かを確かめるように、静かに続けた。
『……でも、まだ足りない』
赤黒い光が、ゆっくりと明滅する。
その奥で、封印された何かが微かに身じろぎした。
灰の鉱山に眠る秘密は、少しずつ目覚めようとしていた。
――第10話 完。
魂盤【STATUS】
名前:ユウキ・コバヤシ
年齢:17
種族:人間(異界者)
職業:無職
レベル:2
HP:6 / 36
MP:6 / 8
STR(筋力):8
VIT(耐久力):7
AGI(敏捷性):9
MAG(魔力):3
MND(精神力):12
DEX(器用さ):11
【固有権能】
略奪 Lv.1
【習得技能】
嗅覚強化 Lv.2
身体強化 Lv.2
採掘 Lv.1
振動感知 Lv.1
【状態】
重度疲労・負傷
魂蝕値:上昇中




