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第82話 新たな力の手応え

 冒険者ギルドを後にしたネクシアの四人は、昼前の賑わいに包まれたリーヴェルの大通りを歩いていた。


 街路の両側には食料品店や雑貨屋が軒を連ね、焼きたてのパンの香りに混じって、どこからか香辛料の刺激的な匂いが漂ってくる。荷車を引く商人が道を譲るよう声を張り上げ、その脇では幼い子供たちが笑いながら走り抜けていった。


 ほんの昨日まで、命を落としてもおかしくない戦いを繰り広げていたことが嘘のような光景だった。


「……なあ、ユウキ」


 隣を歩いていたトーマが、不意に声をかけてきた。


「どうしたの?」


「俺さ、さっきから妙に身体が軽いんだよ。ほら、歩いてるだけでも違うっていうか……」


 そう言いながらトーマが軽く地面を蹴った瞬間、本人の予想を超える勢いで身体が前へ進み、ちょうど横道から出てきた荷車の前へ飛び出しかけた。


「うおっ!?」


 慌てて踏み込んだ足が石畳の上を滑り、トーマは両腕を広げながら辛うじて体勢を立て直した。


「危ねえぞ、兄ちゃん!」


「す、すみません!」


 荷車を引いていた男に頭を下げるトーマを見て、バルドが深いため息をつく。


「お前なぁ……街中で何やってんだ」


「いや、違うんだって! 普通に一歩踏み出したつもりだったんだよ!」


「それで荷車に突っ込みかけるなら、なおさら問題だろうが」


 バルドの容赦ない指摘に、ドランが肩を揺らして笑った。


「身体能力が上がったところで、動かし方まで一瞬で身につくわけじゃないってことだな。新しい道具を使うときと同じだ。性能が良くなれば、それに合わせた扱い方を覚えなきゃならん」


 ユウキは思わず頷いた。


 第二ジョブを取得したことで、四人の能力値は確かに上昇した。特にトーマは敏捷性が大幅に伸び、これまで以上の速さで動けるようになっている。


 しかし、身体の感覚がその変化に追いついていなければ、むしろ危険になる。


「訓練場で、ちゃんと確かめた方がよさそうだね」


「だな。さっきのはちょっと焦った」


 トーマは苦笑しながら、自分の足元を見つめた。


 いつもなら軽口を返すところだが、今回は本人も少し反省しているようだった。


「その前に、ガルドのところへ寄るぞ」


 バルドが口を開く。


「黒震狼との戦いで、武器も防具も相当傷んでる。迷宮へ潜るつもりなら、まず装備の状態を確かめねえとな」


「そうだね。僕の剣も、刃が少し欠けてたし」


「俺の短剣も結構使ったからなぁ」


 ユウキが腰の剣に触れると、バルドはさらに声を落とした。


「それに、借りもまだ返しきってねえ」


 その言葉に、ユウキは思わず苦笑する。


 ガルドに用意してもらった装備の代金は、まだ銀貨十一枚ほど残っていた。


 命を守るために必要なものだったとはいえ、決して小さな金額ではない。


「……うん。ちゃんと返さないとね」


「ま、そのためにも稼がなきゃな!」


 トーマが明るく言うと、バルドはすかさず睨みを利かせた。


「だからって、無茶な依頼を受けるんじゃねえぞ」


「分かってるって!」


「その返事が一番信用ならねえんだよ」


 そんなやり取りを交わしながら、四人は鍛冶屋のある通りへと足を向けた。


     ◇


 店に近づくにつれ、金属を打つ乾いた音が聞こえてきた。


 カン、カン、と規則正しく響く鎚の音。開いた扉からは炉の熱気が流れ出し、焼けた鉄と炭の匂いが鼻をくすぐる。


「こんにちは、ガルドさん」


 ユウキが声をかけると、作業台の奥で鎚を振るっていたガルドが顔を上げた。


「……おう、お前らか」


 煤のついた布で額の汗を拭いながら、ガルドは四人を見渡す。


 その視線がバルドの左肩へ移り、続いてドランの足元へ向けられた。


「黒震狼とやり合ったんだってな。随分と派手なことをしてくれたじゃねえか」


「もう知ってるんですか?」


「当たり前だろ。あんな魔物が出たとなりゃ、街中の冒険者が噂するさ」


 ガルドは鼻を鳴らした。


「で、全員揃って帰ってきたわけだ」


「はい。何とか……」


「なら、それで十分だ」


 ぶっきらぼうな言い方だったが、その声にはどこか安堵が混じっていた。


「ほら、装備を出せ。傷み具合を見てやる」


 促されるまま、四人は武器や防具をカウンターへ並べていった。


 最初にガルドが手に取ったのは、ユウキの剣だった。


 刃を光にかざし、ゆっくりと角度を変える。鍛冶師の目は小さな傷も見逃さず、刃先の欠けや歪みを一つずつ確かめていった。


「……こりゃあ、随分と無茶したな」


「やっぱり、傷んでますか?」


「ああ。刃先の欠けは研ぎ直せるが、こっちの歪みは少し厄介だ。何を相手にした?」


「黒震狼の爪を受けたり、身体に斬りかかったりしました」


「……よく折れなかったな」


 ガルドは呆れたように言った。


「剣ってのは、ただ硬けりゃいいわけじゃねえ。刃の角度も、力の逃がし方も大事なんだ。相手が硬いからって、無理に叩きつけりゃ簡単に駄目になる」


「……はい」


「まあ、あんな化け物が相手なら、綺麗に戦えなんて言ってられなかっただろうがな」


 そう付け加えてから、ガルドは剣を作業台へ置いた。


 続いてトーマの短剣を確認すると、細かな刃こぼれを見つけて眉を寄せる。


「お前のは、刃先よりも手入れの問題だな」


「えっ、そうなの?」


「細かい傷がそのままになってる。こういうのを放っておくと、いざってときに刃が欠けるぞ」


「うっ……」


「短剣は軽いぶん、使い方も手入れも丁寧にしろ。命を預ける道具なんだからな」


「……分かったよ」


 珍しく素直に答えたトーマを見て、ユウキは小さく笑った。


 だが、ガルドがバルドの盾を持ち上げた瞬間、その場の空気が少し変わった。


「……おいおい」


 盾の表面には、黒震狼の爪によって刻まれた深い傷が残っていた。縁の金具は一部が歪み、裏側の固定具にも負担がかかっている。


 ガルドは盾を横から覗き込み、指先で金具を押した。


 かすかな軋みが響く。


「こいつは、思ったよりひでえな」


「そこまでか?」


「ああ。表面を直しただけじゃ駄目だ。内部まで衝撃が入ってる可能性がある」


 バルドは黙って盾を見つめた。


 黒震狼の一撃を受け止めたとき、腕から肩へ突き抜けた衝撃を思い出しているのだろう。


 あのとき、盾がなければ。


 そう考えるだけで、背筋が冷たくなる。


「……頼めるか?」


「任せとけ。ただし、すぐには終わらねえぞ」


 ガルドは盾を脇へ置き、最後にドランの鎚を手に取った。


「こいつは比較的ましだが……柄の固定が少し緩んでるな」


「やっぱりか。俺も気になってた」


 ドランが身を乗り出す。


「接合部に負担が集中してるのか?」


「ああ。このまま使い続けりゃ、次に強く打ち込んだときに危ねえ」


 二人はそのまま金属部品の構造について話し始め、気づけばユウキたちには半分も理解できない専門的な話になっていた。


「……なあ、あれ分かる?」


 トーマが小声で尋ねる。


「ううん。全然」


「だよな」


 二人が顔を見合わせて苦笑すると、ガルドがこちらを睨んだ。


「聞こえてんぞ」


「何も言ってないって!」


「今、分かんねえって言ってただろうが!」


 店内に笑い声が広がった。


 しばらくして装備の確認を終えると、ガルドは修理が必要なものをまとめながら口を開いた。


「盾は特に時間をかける。ほかの武器も一通り見直すから、今日は預かるぞ」


「お願いします」


 ユウキが頭を下げる。


 そして、少しだけ迷ってから続けた。


「あの……装備代のことなんですけど」


「銀貨十一枚の件か?」


「はい。まだ全部は用意できてなくて……」


 ガルドは一瞬だけ手を止めた。


 そして、面倒そうに頭を掻く。


「分かってるよ。別に今日全部払えとは言わねえ」


「でも、修理もお願いすることになりますし……」


「だからこそ、無茶して稼ごうとするなって言ってんだ」


 ガルドはユウキの顔をまっすぐに見つめた。


「武器が直っても、使う奴が死んじまったら意味がねえだろ。金のことは忘れるな。だが、命を安売りするんじゃねえぞ」


 その言葉に、ユウキは深く頭を下げた。


「……ありがとうございます。必ず返します」


「おう。忘れんなよ」


 ガルドはそれだけ言うと、再び作業台へ向き直った。


 職人気質で口は悪いが、誰よりも装備を使う者のことを考えている。


 ユウキは改めて、そう感じていた。


     ◇


 鍛冶屋を出た四人は、街外れにある冒険者向けの訓練場へ向かった。


 広い敷地には踏み固められた土の地面が続き、周囲には木製の人形や練習用の盾、魔法の試射に使う標的が並んでいる。


 奥の区画では数人の冒険者が模擬戦を行っており、木剣が打ち合わされる乾いた音が風に乗って聞こえてきた。


「よし! まずは俺からな!」


 トーマが勢いよく駆け出そうとする。


「待て」


 バルドが襟元を掴んだ。


「ぐえっ!?」


「さっき街中で転びかけたのを、もう忘れたのか?」


「わ、忘れてないって!」


「なら、最初は歩幅から確かめろ」


 バルドに解放されたトーマは、少し不満そうに唇を尖らせながらも、素直に訓練場の中央へ向かった。


 まずは普段どおりの歩幅で歩き、次に軽い駆け足へ移る。


 それだけでも、以前とは違う感覚があった。


 地面を蹴った際の反発が強く、身体が予想より前へ進む。足を戻すタイミングが少し遅れるだけで重心が乱れ、慣れたはずの動きがぎこちなくなった。


「……思ってたより難しいな」


 トーマは足を止め、深く息を吐いた。


「AGIが上がったからって、全部勝手に上手くなるわけじゃないんだな」


「そういうことだ」


 バルドが頷く。


「速く動けるのと、速く動いて戦えるのは別だからな」


 トーマはもう一度構え直し、今度は踏み込む距離を意識しながら身体を動かした。


 何度か同じ動作を繰り返すうちに、足の運びが少しずつ安定していく。


 最後には、ユウキの目でも明らかに分かるほど滑らかな動きを見せた。


「……おお、今のはいい感じだったかも!」


「うん。さっきよりずっと自然だった」


「だろ!?」


 嬉しそうに笑ったトーマは、その場で軽く跳ねるように方向を変えた。


 以前よりも鋭い切り返し。


 AGIが39まで上昇した影響は、決して小さくない。


「じゃあ、次は新しい技能だな」


 トーマは周囲を確認し、少し離れた場所にある木製の柱の陰へ移動した。


「……影纏い」


 意識を集中させた瞬間、足元に落ちた影がわずかに揺らめいた。


 ユウキは目を細める。


 トーマの身体の輪郭が、柱の陰に溶け込むように曖昧になっている。


 完全に姿が消えたわけではない。


 だが、注意して見なければ、どこに立っているのか分かりにくくなっていた。


「……すごい」


 ユウキが呟く。


「見えてるか?」


 影の中からトーマの声が聞こえた。


「うん。でも、少し見つけにくいかな」


「マジか! それなら……」


 興奮したトーマが柱の陰から飛び出そうとした瞬間、身体を覆っていた影が霧散した。


「……あれ?」


「集中が切れたんだろうな」


 ドランが腕を組む。


「技能の効果を維持したまま動くには、まだ慣れが必要なんじゃないか?」


 トーマはしばらく自分の影を見つめた後、にやりと笑った。


「なるほどな。気配遮断と組み合わせたら、もっと面白いことができそうだ」


「面白いだけで済めばいいがな」


 バルドの言葉に、再び笑い声が上がった。


 続いて急所看破を試してみたものの、こちらは簡単には効果を確かめられなかった。


 訓練用の人形を前にして意識を集中させても、生きた魔物を相手にするような感覚は得られない。


「……これは実戦向きかもしれないな」


 トーマは少し残念そうに呟いた。


「だからって、いきなり魔物相手に試すなよ」


「分かってるって!」


「お前、その言葉何回目だ?」


 バルドの呆れた声が、訓練場に響いた。


     ◇


「次は俺だな」


 バルドは訓練場に備え付けられた木製の盾を手に取った。


 ガルドに預けた盾とは重さも形状も違うため、普段どおりには扱えない。


 それでも、新しい技能の感覚を確かめる程度なら十分だろう。


「肩は大丈夫?」


 ユウキが尋ねる。


「ああ。無理はしねえ。今日は軽く試すだけだ」


 バルドは盾を構え、足を肩幅に開いた。


 その姿勢は以前と変わらないように見えたが、ユウキにはわずかな違いが感じられた。


 重心が安定している。


 身体全体に力が行き渡り、地面を踏みしめる足にも余裕があるようだった。


「……衝撃緩和」


 バルドが技能を意識する。


 すると、身体の内側を何かが巡るような感覚が生まれた。


「ドラン。軽く押してみてくれ」


「ああ、分かった」


 ドランは盾の正面に手を当て、ゆっくりと力を加えた。


 木の表面が微かに軋む。


 その瞬間、バルドは眉を動かした。


「……なるほど」


「どうだ?」


「衝撃が、少し散るような感覚があるな」


 バルドは盾を下ろし、腕を軽く回した。


「今までなら腕や肩に集まっていた力が、身体全体へ逃げていく感じだ」


「それが衝撃緩和の効果かもしれないね」


 ユウキが言うと、バルドは頷いた。


「ただし、どんな攻撃でも防げるわけじゃねえだろう。黒震狼みたいな相手の一撃を、これだけで受け止められるとは思わねえ」


 その言葉には、実際に強敵と戦った者だけが持つ重みがあった。


 数値上のVITは51。


 確かに高い。


 しかし、それだけで危険がなくなるわけではない。


「盾斧連携の方は、装備が戻ってからにする」


 バルドは練習盾を元の場所へ戻した。


「今は肩を悪化させる方が怖いからな」


「うん。それがいいと思う」


 ユウキも頷いた。


 強くなったからこそ、焦らず力を確かめる必要がある。


 そのことを、四人は少しずつ理解し始めていた。


     ◇


「さて、俺も試してみるか」


 ドランは訓練場の端にある作業台へ向かった。


 そこには、魔法や技術系技能の練習用として、小さな石片や金属片が用意されていた。


「まずは素材鑑別だな」


 ドランは手のひらほどの大きさの石を持ち上げると、表面を指先で撫でた。


 色は灰色がかっており、目立った特徴はない。


 普段なら、見た目や重さから材質を推測するところだ。


 だが、今は新しい技能がある。


「……素材鑑別」


 意識を集中させると、ドランの視界に半透明の文字が浮かび上がった。


【素材鑑別】


名称:一般的な石材


主成分:鉱物質


魔力反応:微弱


加工適性:低


「……ほう」


 ドランは感心したように声を漏らした。


「何か分かった?」


 ユウキが尋ねる。


「ああ。材質や魔力反応が表示された。思っていたより細かいな」


「僕の鑑定と似てるのかな?」


「似ている部分はあるだろうが、こっちは素材の性質に特化しているんじゃないか?」


 ドランは石を作業台へ戻し、今度は赤茶色の小さな鉱石を手に取った。


 表面には細かな金属質の粒が浮かび、光にかざすと鈍い輝きを返す。


「……素材鑑別」


【素材鑑別】


名称:鉄を含む鉱石


主成分:鉄系鉱物


魔力反応:なし


加工適性:精錬後に利用可能


「なるほどな……」


 ドランの目が輝いた。


「見た目だけでもある程度は分かるが、これは便利だ。未知の素材が相手なら、もっと役立つかもしれん」


 その言葉に、ユウキは迷宮のことを思い出した。


 まだ見たことのない鉱石。


 特殊な性質を持つ素材。


 そして、魔力を帯びた道具。


 そうしたものが迷宮に眠っているなら、ドランの新しい技能は大きな助けになるはずだ。


「じゃあ、錬金術も試してみる?」


 トーマが尋ねる。


「もちろんだ」


 ドランは意気込んで二つの素材を手に取った。


 だが、しばらく考え込んだ後、首を傾げる。


「……さて、どうしたものか」


「え?」


「技能はある。だが、何をどう組み合わせればいいのか、さっぱり分からん」


 トーマが目を丸くした。


「何か適当に混ぜたらできるんじゃないのか?」


「そんな簡単な話なら、錬金術師は苦労せんだろう」


 ドランは苦笑する。


「素材には性質がある。相性もあるだろうし、魔力の流し方や加工の手順だって必要なはずだ。何も知らずに試せば、失敗するだけならまだいいが、危険な反応が起きるかもしれん」


「……なるほど」


 ユウキは頷いた。


 ただ技能を習得しただけで、すべてが理解できるわけではない。


 それは魔法も同じなのだろう。


「まあ、今日は素材鑑別が使えると分かっただけで十分だ」


 ドランは満足そうに石片を並べ直した。


「錬金術の方は、書物でも探して勉強するとしよう」


「ドランらしいね」


 ユウキが笑うと、ドランも楽しそうに笑い返した。


     ◇


「……それじゃあ、最後は僕だね」


 ユウキは魔法練習用の区画へ向かった。


 背の高い土壁の前には、魔法を受け止めるための標的が並び、周囲には流れ弾を防ぐための防護設備が設けられている。


 訓練場の管理人から使用許可を得たユウキは、標的から十分な距離を取り、ゆっくりと息を整えた。


 新しく習得した技能は三つ。


 魔力付与 Lv.1。


 MP回復速度上昇 Lv.1。


 そして、光魔法 Lv.1。


 その中でも、最も気になっていたのは光魔法だった。


「……よし」


 ユウキは右手を前へ差し出し、意識を集中させた。


 治癒魔法を扱うときと同じように、身体の奥にある魔力へ意識を向ける。


 胸の内側に感じる、温かな流れ。


 それを腕へ、そして指先へと導いていく。


 以前よりも魔力の存在をはっきりと感じられるのは、魔法剣士の影響だろうか。


 MPは46。


 MAGも19まで上昇している。


 数値上は確かに成長していた。


 だが――


「……あれ?」


 手のひらには、何の変化も起こらなかった。


 ユウキはもう一度集中する。


 魔力はある。


 確かに指先まで流れている。


 それなのに、光は生まれない。


「……難しいな」


 小さく呟く。


 治癒魔法なら、傷を癒すという明確な目的がある。


 エルナから教わったときも、魔力をどのように流し、何を意識すればいいのかを少しずつ学んできた。


 しかし、光魔法は違った。


 技能を習得したからといって、具体的な術式や魔力の変換方法まで理解できるわけではない。


 光魔法の基礎となる術を学ばなければ、安定した発動は難しいのだろう。


「ユウキ、どう?」


 トーマが少し離れた場所から声をかける。


「まだ何もできない。魔力は感じるんだけど……」


「光って、あれだろ? こう、ぱーっと明るくなるやつ!」


 両腕を広げて説明するトーマに、ユウキは思わず苦笑した。


「それは分かるけど、どうやって光に変えるのかが……」


「難しいんだな、魔法って」


「うん。思ってた以上に」


 ユウキはもう一度、自分の手を見つめた。


 光とは何なのか。


 太陽の光。


 蝋燭の炎。


 夜道を照らすランタン。


 それらを思い浮かべても、魔力の扱い方までは分からない。


 だが、何かが足りないという感覚だけはあった。


「……もう一回」


 今度は無理に光を生み出そうとせず、指先へ集めた魔力を一定の状態で保つことに集中する。


 胸から腕へ。


 腕から手のひらへ。


 細い流れを絶やさないよう、慎重に魔力を送り続けた。


 そのときだった。


 指先の周囲に、ほんのわずかな輝きが生まれた。


「……!」


 ユウキは息を呑む。


 淡い光。


 それは蝋燭の炎よりも弱く、手のひらの輪郭をぼんやりと照らす程度のものだった。


 安定した魔法というより、集めた魔力が一瞬だけ光の性質を帯びたようにも見える。


「おおっ!?」


 トーマが声を上げる。


「光った! 今、光ったよな!?」


「……うん」


 ユウキは驚いたまま、自分の手を見つめていた。


 確かに光が生まれている。


 だが、次の瞬間。


 ふっと輝きが消えた。


「あ……」


 同時に、身体の奥から何かが抜け落ちるような感覚があった。


 ユウキは慌ててステータスを確認する。


【ステータス】


MP:43/46


「……3も使ったのか」


 わずかな光を生み出しただけで、MPを3消費していた。


 しかも、安定した術式を使ったわけではないため、同じ方法でもう一度成功するとは限らない。


「でも、できたじゃん!」


 トーマが嬉しそうに言う。


「うん。ほんの少しだけど」


 ユウキは小さく笑った。


 たった一瞬。


 それでも、自分の魔力が光へ変わったという感覚は、確かに残っていた。


 その感覚を忘れないうちに、もう一度試したい。


 そんな衝動が湧いたが、ユウキは首を横に振った。


 焦って魔力を消費しても、得られるものが増えるとは限らない。


 今は、次の技能も確かめるべきだろう。


「次は魔力付与を試してみる」


「おっ、剣に魔力を流すやつか!」


「うん。ただ、ガルドさんに剣を預けてるから……」


 ユウキは訓練場に備え付けられた木剣を手に取った。


 握り慣れた剣とは重心も手触りも違うが、魔力の流れを確かめる程度なら問題ないはずだ。


 両手で木剣を握り、呼吸を整える。


「……魔力付与」


 今度は、剣の内部へ魔力を流し込むことを意識した。


 手のひらから柄へ。


 柄から刀身へ。


 細い流れを慎重に伸ばしていく。


 すると、木剣の表面を淡い輝きが走った。


「……おお」


 ユウキは思わず目を見開いた。


 光魔法のときとは違い、魔力が武器を伝わっていく感覚がはっきりと分かる。


 だが、その流れは決して安定していなかった。


 刃先に相当する部分まで魔力を送ろうとすると、途中で拡散してしまう。


 逆に柄の近くへ集中させると、今度は先端まで届かない。


「……難しい」


 ユウキは歯を食いしばり、何とか魔力を保とうとした。


 しかし、数秒後には輝きが消え、木剣は元の姿へ戻ってしまった。


【ステータス】


MP:39/46


「……今ので4か」


 光魔法の試行と合わせて、MPを7消費していた。


 たった二つの技能を試しただけで、最大MPのかなりの部分を使ってしまったことになる。


「どうだった?」


 バルドが尋ねる。


「魔力を流すことはできたけど、うまく維持できなかった」


「そりゃ最初から上手くはいかねえだろうな」


 バルドは腕を組んだ。


「剣だって、初めて握ったときからまともに振れたわけじゃねえだろ?」


「……うん」


「なら、魔法も同じだ。少しずつ覚えていきゃいい」


 ユウキは木剣を見つめた。


 確かにそのとおりだった。


 剣術も、治癒魔法も、鑑定も。


 最初から使いこなせたものなど、ほとんどない。


 何度も失敗し、そのたびに考え、少しずつできることを増やしてきた。


 今回も同じなのだろう。


「……そうだね」


 ユウキは静かに頷いた。


 魔法剣士。


 その力は、まだ自分のものになったとは言えない。


 けれど、確かに新しい道が開かれている。


 そのことが、何より嬉しかった。


     ◇


 訓練を終えた頃には、陽が西へ傾き始めていた。


 四人は訓練場の端に腰を下ろし、持参した水を飲みながら今日の成果を振り返っていた。


「いやあ、思ったより難しかったな」


 トーマが大きく伸びをする。


「AGIが上がったのは嬉しいけど、速く動きすぎると自分でもびっくりする」


「慣れるまでは慎重に動け」


 バルドが言う。


「俺も衝撃緩和の感覚は掴めたが、実戦で使うにはまだ練習が必要だ」


「錬金術も同じだな」


 ドランが頷く。


「素材鑑別は使えたが、錬金術そのものはまだ理解が足りん」


 三人の言葉を聞きながら、ユウキも今日の出来事を思い返した。


 第二ジョブを取得したときは、すぐに強くなれたような気がしていた。


 実際、能力値は上昇している。


 身体の感覚も、以前とは違う。


 だが、それだけでは足りなかった。


 新しい技能を使いこなすには、これまでと同じように練習を積み重ねる必要がある。


「……結局、地道にやるしかないんだね」


 ユウキが呟く。


「そういうことだ」


 バルドが頷いた。


「ジョブが増えたからって、いきなり達人になれるわけじゃねえ」


「でもさ」


 トーマが顔を上げる。


「昨日までできなかったことが、今日できるようになったんだぜ?」


 ユウキは目を瞬かせた。


「俺なんか、影に紛れることができたんだぞ! まだちょっとだけだけど!」


「俺も、新しい素材を調べる方法が増えた」


 ドランが続ける。


「守り方の選択肢も増えたな」


 バルドも頷いた。


 ユウキは三人の顔を見渡し、自然と笑みを浮かべた。


「……うん。そうだね」


 できないことばかりに目を向けていた。


 けれど、確かにできることも増えている。


 大切なのは、その変化を積み重ねていくことなのだろう。


 そのとき、ドランが何かを思い出したように口を開いた。


「そういえば、迷宮の準備なんだが……明日、必要な物を揃えておかないか?」


「明日?」


 トーマが尋ねる。


「ああ。食料や水はもちろん、灯りや予備の道具も必要だろう。迷宮の奥へ進むなら、準備不足が命取りになる」


「確かに、セシリアさんも言ってたね」


 ユウキが頷く。


「それに、ガルドさんのところへ装備の様子も見に行かないと」


「そういうことだ」


 ドランは楽しそうに笑った。


「せっかく新しい技能も手に入れたんだ。迷宮で素材を調べる機会もあるだろうし、今から楽しみだな」


「よし! じゃあ、明日は買い出しだな!」


 トーマが勢いよく立ち上がる。


「その前に、今日の訓練の疲れを取れ」


 バルドが言う。


「分かってるって!」


 いつものやり取りに、四人は笑った。


     ◇


 夕暮れのリーヴェル。


 街の建物が赤く染まり、通りには仕事を終えた人々の姿が増えていた。


 宿へ戻る途中、ユウキはふと足を緩めた。


 視線の先には、遠くの空を背にして広がる山々の輪郭が見える。


 その向こうには、まだ自分たちの知らない世界が広がっている。


 リーヴェルの迷宮。


 以前に浅い区域へ足を踏み入れたことはあるが、その奥に何があるのかは分からない。


 魔物。


 未知の素材。


 そして、誰も見つけていない何か。


 迷宮という存在は、恐ろしさと同じくらい、不思議な魅力を持っていた。


「……なあ、ユウキ」


 隣を歩くトーマが声をかけてきた。


「何?」


「迷宮、楽しみだな」


 その声には、いつもの明るさがあった。


 ユウキは少しだけ考え、頷いた。


「うん。怖さもあるけど……楽しみだよ」


「だろ?」


 トーマは満足そうに笑った。


「今度は、もっと奥まで行ってみたいよな!」


「行くのはいいが、準備を怠るなよ」


 前を歩いていたバルドが振り返る。


「分かってるって!」


「お前、その言葉を今日何回言った?」


 ドランが笑いながら尋ねる。


「えっ……そんなに言ったか?」


「少なくとも、十回は聞いた気がするな」


「そんなに!?」


 四人の笑い声が、夕暮れの街へ溶けていった。


 ユウキは空を見上げた。


 赤く染まる雲の向こうに、まだ見ぬ世界が広がっている。


 リナを救うまでの道のりは、きっと長い。


 そして、決して平坦ではない。


 だが、今は一人ではない。


 頼れる仲間がいる。


 新しい力も手に入れた。


 だからこそ、進んでいける。


 ユウキは胸の奥にある決意を確かめるように、そっと拳を握った。


 今日得た力を、明日はもっと上手く使えるように。


 明日できることを、その次の日にはさらに増やせるように。


 そうして、一歩ずつ前へ進んでいく。


 迷宮の奥に何が待っているのか。


 今の彼らには、まだ分からない。


 けれど、その扉を開く日は、確実に近づいていた。


――第82話 完。

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