↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/89

第72話 夜に潜む影

 村の西側に広がる畑は、想像していた以上に荒らされていた。


 収穫を間近に控えた作物が無残に踏み倒され、柔らかな土には大小さまざまな足跡が刻まれている。畑を囲っていた木柵は一部が外側へ倒れ、折れた支柱が湿った地面へ突き刺さっていた。


 ユウキは柵の手前で足を止め、周囲を見渡した。


 畑の向こうには緩やかな斜面が続き、その先に森が広がっている。畑と森の間には背丈ほどの草が生い茂っており、身を低くすれば人間でも容易に姿を隠せそうだった。


 村から畑までは歩いて数分。


 もし夜中に魔物が現れれば、村人が駆けつける前に作物を荒らして逃げることも難しくない。


「……ひどいね」


 トーマが呟いた。


 足元には、根元から引き抜かれた野菜が散らばっていた。


 食べられた部分もあるが、ほとんど手をつけられていないものも多い。


「食べるためだけに荒らしたわけではなさそうだな」


 ドランが腰を落とし、折れた柵を調べ始めた。


 木材の断面には新しい裂け目があり、古くなって腐った様子はない。


 さらに、柵の横木には泥が付着し、何かが強い力で押しつけられたような痕跡が残っていた。


「村長、この柵は以前から傷んでいたのか?」


「いえ。先月、村の者たちで修理したばかりです」


「なら、自然に壊れた可能性は低いな」


 ドランは折れた支柱を持ち上げた。


「それに、壊れ方がおかしい。外から内へ押し倒されたように見えるが、支柱の根元には横方向の力もかかっている」


 バルドが隣へしゃがみ込んだ。


「何体かで押したのか?」


「その可能性もある。だが、まだ断定はできん」


 2人が柵を調べている間、ユウキは畑に残された足跡へ視線を向けていた。


 小さな蹄のようなもの。


 丸みを帯びた大きな跡。


 そして、爪のような細い線が伸びたものもある。


 一見すると複数の種類に見えるが、泥の上で滑ったり、ほかの足跡と重なったりした結果かもしれない。


「トーマ、こっちを見てくれる?」


 ユウキが声をかけると、トーマはすぐに近づいてきた。


「どうしたの?」


「足跡がいくつかあるんだけど、同じ魔物のものかどうかわからなくて」


 トーマはしゃがみ込み、地面へ顔を近づけた。


 しばらく無言で調べていたが、やがて畑の端へ視線を移す。


「……全部が同じじゃないと思う」


「わかるの?」


「うん。この細い足跡は、体重が軽いものだと思う。でも、こっちの深い跡は違う」


 トーマが指差した場所には、ほかより大きく沈んだ足跡があった。


 長さはユウキの手のひらほど。


 先端には、地面を抉ったような跡が残っている。


「……かなり重そうだね」


「そうだと思う。それに、この足跡だけ歩幅が広い」


 トーマは地面へ落ちていた小枝を拾い、足跡の間隔を測った。


 大きな足跡は、畑の中央から壊れた柵へ向かって続いている。


 一方、小さな足跡は作物が踏み荒らされた場所を行き来していた。


「……もしかすると、大きな魔物が柵を壊して、小さい魔物たちが後から入ってきたのかもしれない」


 ユウキが呟く。


 トーマは頷いた。


「ありそうだね」


 そのとき、バルドが声をかけた。


「ユウキ、少しいいか」


 2人が振り返ると、バルドは壊れた柵の横へ立っていた。


「ここに毛が引っかかっておる」


 指差された場所には、短く硬い毛が数本残されていた。


 色は暗い灰褐色。


 ユウキは慎重に近づき、毛を確認した。


 森狼の毛とは少し違うように思える。


 ただ、それだけで魔物の種類を判断することはできなかった。


「……鑑定できるかな」


 ユウキは毛へ意識を集中した。


 しかし、視界に現れたのは簡単な情報だけだった。


【鑑定結果】


 名称:魔獣の体毛

 状態:採取前の残留物

 詳細:不明


「……駄目だ。種類まではわからない」


 ユウキが呟くと、ドランが頷いた。


「鑑定の対象が生きた魔物ではないからかもしれんな。技能の限界についても、まだわかっていないことが多い」


「……はい」


 ユウキは毛から視線を外した。


 戦闘前に相手を鑑定できれば、非常に大きな助けになる。


 だが、痕跡だけで魔物の正体まで判明するとは限らない。


 今は、足跡と周囲の状況から判断するしかなかった。


 村長は不安そうに4人を見つめていた。


「……何かわかりましたか?」


 ユウキは立ち上がった。


「まだ種類まではわかりません。でも、大きさの違う魔物が複数いた可能性があります」


「……複数ですか」


「はい。それと、柵を壊したのは比較的大きな個体かもしれません」


 村長の顔色が悪くなった。


 ユウキはその様子を見て、言葉を続けた。


「ただ、今の段階では推測です。夜に現れるかどうか、まずは安全な場所から確認したいと思います」


 村長は何度か頷いた。


「……どうか、よろしくお願いします」


     ◇◆◇


 夕方までに、ネクシアは村の西側を一通り調べ終えた。


 森へ通じる獣道は3本。


 そのうち畑に最も近い道には、比較的新しい足跡が残されていた。


 ただし、森の奥まで追跡することは避けた。


 今回の依頼は村周辺の安全確認であり、正体不明の魔物を追って危険な場所へ踏み込む必要はない。


 ドランは村の見張りたちから話を聞き、夜間の巡回経路を確認した。


 村人が普段使っている見張り台は、畑の東端にある低い木造の建物だった。


 高さは地面からおよそ3メートル。


 村の入口と畑を見渡せるものの、森の縁は草に隠れ、足元まで確認することが難しい。


「……このままだと、魔物が柵へ近づいてからでないと気づけないな」


 ドランが言った。


 バルドは見張り台の周囲を見渡した。


「それに、畑へ飛び出されたら村人が逃げる場所も限られる」


 ユウキは地面へ広げた簡単な地図を見つめた。


 畑の北側には浅い用水路があり、東側には村へ続く道がある。


 西側は森へ向かう斜面。


 南側には古い石垣が続き、その先は少し低くなっていた。


 もし魔物が現れた場合、村へ向かわせないことが最優先だ。


「……僕とバルドさんが畑の東側を守って、トーマが北側から様子を確認するのはどうでしょう?」


 ユウキが提案した。


 ドランは地図へ視線を落とした。


「悪くない。ただし、トーマを森へ近づけすぎるのは危険だ。距離を保って、何かあればすぐ合流できる位置にしよう」


「うん、わかった」


 トーマが頷く。


 バルドも口を開いた。


「わしは村へ続く道を守ろう。もし魔物が突破してきても、できるだけ時間を稼ぐ」


「じゃあ、僕はその少し前に出ます」


 ユウキが言うと、ドランは頷いた。


「わしは見張り台の下で周囲を確認する。必要なら道具を使って、村人が退避する時間を作ろう」


 こうして、夜間の警戒体制が決まった。


 村人たちには、魔物が現れても決して畑へ近づかず、合図があれば家へ避難するよう伝えた。


 農具を持って戦おうとしていた若者たちも、バルドの説得によって村の入口で待機することになった。


「……無理に戦えば、守るべき人まで危険に晒すことになる」


 バルドの言葉に、若者たちは渋々ながら頷いた。


 準備を終える頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。


 西の森へ沈んでいく太陽。


 木々の影が畑へ伸び、昼間には見えていた獣道も、次第に闇の中へ溶け込んでいく。


 ユウキは剣の柄へ手を添えた。


 何が現れるのか、まだわからない。


 それでも、ここには守るべき人々がいる。


 その事実だけは、はっきりしていた。


     ◇◆◇


 夜。


 村の明かりが少しずつ消え、周囲には虫の鳴き声が響いていた。


 畑の端へ置かれた小さな灯火が、風に揺れながら地面を照らしている。


 ユウキは畑の東側にある道へ立ち、森の方向を見つめていた。


 バルドは数歩後方で盾を構え、村へ続く道を守っている。


 トーマは北側の用水路近くに身を潜め、森の縁を警戒していた。


 ドランは見張り台の下で周囲を確認しながら、必要な道具をすぐ取り出せるよう準備している。


 時刻が進むにつれ、夜の冷たい空気が身体へ染み込んできた。


 ユウキは小さく息を吐いた。


 夜の森は、昼間とはまったく違う。


 木々の間に広がる闇。


 風に揺れる草。


 遠くから聞こえる獣の鳴き声。


 どれも、何かが潜んでいるように感じられた。


 ユウキは聴覚強化と嗅覚強化を意識しながら、周囲の変化を探った。


 ただし、技能へ頼りすぎないよう注意していた。


 技能で気づけない危険もある。


 それは、黒震狼との戦いで痛いほど理解している。


 しばらくすると、北側からトーマの小さな声が聞こえた。


「……ユウキ」


 ユウキは顔を向けた。


 トーマは片手を上げ、森の方向を指差している。


「……動いた」


 その言葉に、ユウキは身体を低くした。


 草の向こう。


 森の縁から、何かがゆっくりと姿を現した。


 最初に見えたのは、暗い灰色の背中だった。


 続いて、地面へ伸びた短い脚。


 その身体は、昼間に見た足跡と同じくらいの大きさをしているようだった。


 魔物は鼻先を地面へ近づけ、何かの匂いを探っている。


 その後ろから、さらに2体が現れた。


 合計3体。


 ユウキはすぐに動かなかった。


 まずは正体を確かめる。


 ――鑑定。


 意識を集中すると、視界へ淡い文字が浮かび上がった。


【鑑定結果】


 名称:牙猪(ファングボア)

 種族:魔獣

 魔物ランク:1(下級魔物)

 レベル:4


 HP:45

 MP:3

 STR:14

 VIT:12

 AGI:8

 MAG:1

 MND:4

 DEX:5


 習得技能:

 突進 Lv.1

 嗅覚強化 Lv.1


 ユウキは眉を寄せた。


 牙猪。


 猪に似た魔物で、強い脚力と鋭い牙を持っている。


 鑑定結果からも、筋力と耐久力が高いことがわかる。


 続いて、残りの2体へ鑑定を行った。


【鑑定結果】


 名称:牙猪(ファングボア)

 種族:魔獣

 魔物ランク:1(下級魔物)

 レベル:3


 HP:39

 MP:2

 STR:12

 VIT:10

 AGI:9

 MAG:1

 MND:3

 DEX:5


 習得技能:

 突進 Lv.1


【鑑定結果】


 名称:牙猪(ファングボア)

 種族:魔獣

 魔物ランク:1(下級魔物)

 レベル:5


 HP:52

 MP:4

 STR:16

 VIT:14

 AGI:7

 MAG:1

 MND:4

 DEX:6


 習得技能:

 突進 Lv.2

 皮膚硬化 Lv.1


 ユウキは息を呑んだ。


 3体目は、明らかにほかより強い。


 レベル5。


 高い筋力と耐久力。


 さらに、突進Lv.2と皮膚硬化Lv.1を持っている。


 同じ牙猪でも、これほど能力に違いがあるのだ。


 ユウキは小声で仲間たちへ情報を伝えた。


「……牙猪が3体。全部ランク1だけど、1体だけレベル5で、突進Lv.2と皮膚硬化を持ってる」


 バルドが頷いた。


「……なら、そいつが最も危険だな」


「はい。真正面から受け止めない方がいいと思います」


 トーマが用水路の陰から顔を出した。


「僕は、動きの速い個体を警戒するね」


「うん。無理に近づかないで」


 ユウキは頷いた。


 ドランも声をかける。


「わしは地形を見ておく。あの魔物たちは突進してくる可能性が高い。畑の中で真っ直ぐ走れる場所を作らせない方がいい」


 ユウキは周囲を確認した。


 畑の中央には収穫を終えた畝が並び、ところどころに土の盛り上がりがある。


 北側には用水路。


 南側には古い石垣。


 この地形を利用すれば、魔物の突進をある程度制限できるかもしれない。


 しかし、問題は3体だけなのかどうかだった。


 ユウキは再び森の縁へ視線を向けた。


 牙猪たちは、ゆっくりと畑へ進んでいる。


 そして、その奥。


 木々の間に、何かが動いた。


 ユウキは目を凝らした。


 暗闇の中で、さらに大きな影が揺れている。


 最初は木の幹かと思った。


 だが、違った。


 その影は、ゆっくりと動いていた。


 木々の間から、重い息遣いのような音が聞こえてくる。


 ユウキは思わず、喉を鳴らした。


「……まだ、いる」


 小さく呟く。


 トーマが振り返った。


「……え?」


 ユウキは森の奥を見つめたまま、続けた。


「……3体だけじゃない」


 その瞬間。


 森の中から、低く響く唸り声が聞こえた。


 牙猪たちが一斉に顔を上げる。


 まるで、その声へ反応したかのように。


 そして、木々の間に潜んでいた大きな影が、ゆっくりと前へ進み始めた。


――第72話 完。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。