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第69話 調査報告と新たな依頼

 リーヴェルの東門が閉じられる少し前、5人の冒険者が街へ戻ってきた。


 先頭を歩くラウル・ベルガーは、左腕を胸元へ引き寄せるようにして歩いていた。革鎧の肩口には泥がこびりつき、頬には乾いた血が細く残っている。腰の剣も鞘へ収めてはいたものの、鍔の近くまで土で汚れていた。


 その後ろでは、ゲインがミレアの身体を支えていた。ミレアは自力で歩けているが、左腕を動かすたびに表情を歪める。弓はキースが預かり、オスカーも道具袋を肩へ掛け直しながら、疲れた足取りで続いていた。


 門番の1人が、彼らの姿を見て駆け寄ってくる。


「おい、どうした! 魔物に襲われたのか?」


「……調査対象と接触した」


 ラウルは短く答えた。


「負傷者が2人いる。治療院へ連絡を頼む。それと、ギルドの調査担当へ至急報告したい」


 門番は頷き、すぐに近くの兵士へ指示を飛ばした。


 ラウルはその様子を確認すると、街の奥へ視線を向けた。


 森を抜けたあとも、何度か背後を振り返った。


 黒震狼が追ってきている可能性を考えたからだ。


 だが、結局その姿を見ることはなかった。


 あの魔物は、途中で自分たちへの追撃をやめた。


 理由はわからない。


 ただ、ラウルの脳裏には、最後に見た黒震狼の姿が焼きついていた。


 森の深部へ向けられた耳。


 風の匂いを確かめるように持ち上げられた鼻先。


 そして、人間たちへの興味を失ったかのように背を向けた、その不自然な行動。


 もし、あのとき追撃を続けられていたら。


 ミレアを支えながら逃げる自分たちは、果たして全員で帰還できただろうか。


 ラウルは左腕の痛みに顔をしかめた。


 今は、その答えを考える必要はない。


 生きて帰ったのなら、得た情報を伝えなければならなかった。


     ◇◆◇


 翌朝。


 冒険者ギルドの会議室では、数枚の報告書が長机の上へ並べられていた。


 セドリック・ハルトは、その中央に置かれた地図へ視線を落としていた。


 東部街道から森へ入った地点。


 最初に足跡を確認した沢。


 そして、調査隊が大型魔物と交戦した斜面。


 それぞれの位置には赤い印が付けられ、細い線で移動経路が結ばれている。


 対面にはラウルが座っていた。


 左腕には治療院で施された包帯が巻かれ、上から固定用の布が当てられている。


 骨に大きな異常は確認されなかったものの、筋肉と周辺組織への損傷が強く、しばらくは剣を振ることを控えるよう指示されていた。


 ミレアも同様に、肩の負傷によって弓を引けない状態が続いている。


 調査隊は5人全員が生還したが、任務の継続は不可能だった。


「……つまり、交戦した個体には、複数の技能が確認されたということですね」


 セドリックが尋ねた。


「ああ」


 ラウルは頷いた。


「赤い光を伴う加速能力と、灰色の光を伴う地面への衝撃。少なくとも、この2つは確実だ」


「ほかには?」


「尾を武器として使っていた。単に振り回すだけじゃない。こちらの槍を弾き、剣を受け流した直後に追撃へ使ってきた」


 セドリックは素早く書き込んだ。


「……戦術的な行動ですね」


「それも、かなり高度だ」


 ラウルは机の上へ右手を置き、戦闘中の位置関係を示した。


「俺が正面から注意を引き、ゲインが右側を塞いだ。その間にミレアが後方から矢を放ったんだが、あいつは最初の数回で俺たちの役割を理解したらしい」


「理解した、ですか?」


「そう考えるのが自然だ」


 ラウルは頷いた。


「最初は俺とゲインへ反応していた。だが、矢が頬をかすめたあと、すぐにミレアへ狙いを変えた。しかも、ただ一直線に向かってきたわけじゃない」


 指先を地図の斜面へ移す。


「木と岩で退路が狭くなる場所へ追い込んだんだ。ミレアは斜面へ飛び降りて避けたが、そのとき肩を痛めた」


 セドリックは眉を寄せた。


「偶然とは考えにくいですね」


「俺もそう思う。だが、あの個体の知能を正確に測れたわけではない。そこは推測として記録してくれ」


「わかりました」


 ラウルは少しだけ息を吐いた。


「もう1つ、重要なことがある」


 セドリックが顔を上げる。


「あの魔物は、負傷した右後脚を庇っていた。足跡にもその様子が出ていたし、戦闘中も何度か重心を崩した」


「ネクシアの報告と一致していますね」


「ああ。だが、それでも十分に速かった」


 ラウルの声が低くなる。


「武技で攻撃しても、浅い傷しか与えられなかった。オスカーの土壁術も突進を一瞬鈍らせる程度だったし、地盤固定で足場を確保しても、あの力を完全に防ぐことはできなかった」


 セドリックは書き込む手を止めた。


「……Cランク5人で、そこまで苦戦したのですか」


「苦戦という言葉では足りんかもしれん」


 ラウルは静かに答えた。


「俺たちは、あいつを討伐できるかどうか確かめる前に、撤退を決断した。そうしなければ、誰かが死んでいた可能性が高い」


 会議室に沈黙が落ちた。


 セドリックはしばらく報告書を見つめ、やがてゆっくりと頷いた。


「……危険度の再評価が必要ですね」


「頼む」


 ラウルは椅子の背へ身体を預けた。


「それと、最後に1つだけ」


「何でしょう?」


「あいつは、俺たちへの追撃を途中でやめた」


 セドリックが眉を寄せた。


「負傷が原因でしょうか?」


「可能性はある。だが、俺には別の何かを警戒しているようにも見えた」


 ラウルは森の奥へ向けた黒震狼の視線を思い返した。


「あいつは俺たちから目を離し、森の深い方を見ていた。耳を立てて、何かの音か匂いを確かめているようだった」


「……別の魔物ですか?」


「わからん。そこまでは確認できなかった」


 ラウルは首を横に振った。


「ただ、調査を続けるなら、その点も忘れないでくれ」


 セドリックは真剣な表情で頷いた。


     ◇◆◇


 同じ日の昼過ぎ。


 ネクシアの4人は、冒険者ギルドの掲示板の前に立っていた。


 ユウキとバルドの負傷は、治癒魔法と白魔法による回復補助、そして十分な休息によって、日常生活に支障のない状態まで改善していた。


 ただし、ガルドからも治療師からも無理な訓練は控えるよう言われている。


 そのため、今日は次の依頼を探すことだけを目的にギルドを訪れていた。


「……やっぱり、新しい武器って高いんだね」


 トーマが苦笑した。


 昨日、鉄火の槌で見せてもらった双短剣を思い出しているのだろう。


 ガルドが紹介した8級の装備は、どれも自分たちの戦い方に合っていた。


 ユウキには軽量片手剣。


 トーマには双短剣と軽量革装。


 バルドには軽量複合盾。


 そして、ドランには技工鎚と携帯補修道具一式。


 どれも魅力的だったが、4人が一度に購入できるほどの資金はない。


 今回の護衛依頼で受け取った銀貨8枚のうち、銀貨2枚は共同資金として残してある。


 残りは4人で分配したため、手元にある金を使っても、すべてを揃えることは難しかった。


「……まずは、必要なものからだな」


 バルドが言った。


「わしの盾は、もう実戦で使えん。次に危険な依頼を受けるなら、新しい盾を用意する必要がある」


 ドランも頷いた。


「それに、ユウキの剣も傷んでいる。今回の戦いを考えれば、装備の更新は急いだ方がいい」


「……でも、焦って危険な依頼を受けるのは違うよね」


 ユウキが言うと、バルドは頷いた。


「そのとおりだ」


 4人は掲示板を見上げた。


 そこには、街道の巡回や薬草採取、小型魔物の討伐、荷物の運搬など、さまざまな依頼が並んでいる。


 しかし、東部街道周辺の依頼には、赤い注意書きが追加されていた。


『大型魔物出現につき、一部区域の依頼受付を停止』


 ユウキはその文字を見つめた。


 調査隊が出発したことは聞いていた。


 だが、まだ結果は知らない。


 そのとき、ギルドの奥から職員たちの慌ただしい声が聞こえてきた。


「……例の調査隊が帰還したらしいぞ」


「負傷者が出たって?」


「詳しいことはまだわからないけど、相当危険な魔物だったみたいだ」


 その会話を聞き、ユウキは思わず振り返った。


 トーマも表情を変える。


「……帰ってきたんだ」


「うん」


 ユウキは静かに頷いた。


 あの魔物。


 自分たちが逃げ延びた、あの巨大な存在。


 Cランクの調査隊でさえ、負傷者を出したというのだろうか。


 胸の奥へ、不安が広がっていった。


「……ユウキ」


 バルドが声をかけた。


「気になるのはわかる。だが、まずは正式な情報を待とう」


「……はい」


 ユウキは頷いた。


 そのとき、受付の女性職員がこちらへ近づいてきた。


「ネクシアの皆さん、少しよろしいでしょうか?」


「はい」


 ユウキが答える。


「調査担当のセドリックから、皆さんへ伝言があります」


 4人は顔を見合わせた。


「……あの魔物のことですか?」


「はい。ただし、詳しい内容は現在整理中です」


 女性職員は少し声を落とした。


「今回の調査で、皆さんが遭遇した魔物の危険性が改めて確認されたそうです」


 ユウキは息を呑んだ。


「……やっぱり」


「そのため、東部街道周辺の警戒区域が拡大される予定です。皆さんにも、当面は近づかないようお願いしたいとのことでした」


「……わかりました」


 ユウキは静かに答えた。


 女性職員は頷き、続けた。


「それから、別件なのですが……」


 そう言って、1枚の依頼書を差し出した。


「ネクシアの皆さんへ、紹介したい依頼があります」


     ◇◆◇


 依頼書には、リーヴェル近郊の村への物資運搬と、周辺の安全確認について記されていた。


 目的地は、街から西へ半日ほどの場所にある小さな村。


 街道の整備状況は比較的良好で、東部街道の警戒区域からも離れている。


 依頼内容は、農具や生活用品を積んだ荷車の護衛と、村周辺の簡単な巡回だった。


「……西側の村ですか」


 ユウキが呟いた。


「はい。依頼人は村の代表者です。最近、村の周辺で小型魔物の目撃が増えているそうで、物資を運ぶついでに安全確認をお願いしたいとのことでした」


 トーマが身を乗り出す。


「小型魔物って、どんなの?」


「現時点では、森に生息する下級魔物が中心と考えられています。ですが、詳しい種類までは確認できていません」


 その言葉に、ユウキは少し考え込んだ。


 小型魔物。


 安全確認。


 そして、物資運搬。


 仕事内容としては、今のネクシアでも対応できそうに思える。


 しかし、今回の東部街道での経験がある。


 危険性が低いとされる依頼でも、予想外の魔物と遭遇する可能性はある。


 だからこそ、慎重に判断する必要があった。


「……報酬は?」


 ドランが尋ねた。


 女性職員は依頼書の下部を指差した。


「基本報酬は銀貨6枚です。村周辺の安全確認まで完了すれば、追加で銀貨2枚が支払われます」


 トーマの目が輝いた。


「……全部で銀貨8枚!」


 バルドが腕を組む。


「悪くないな」


 ドランも頷いた。


「ただし、条件を確認してからだ」


 ユウキは依頼書へ目を落とした。


 目的地までの距離。


 荷車の台数。


 依頼人の人数。


 予定されている滞在日数。


 そして、周辺で確認された魔物の情報。


 以前なら、報酬の金額ばかり気にしていたかもしれない。


 だが、今は違う。


 自分たちが安全に依頼を完了できるか。


 そのために、何を準備すべきか。


 それを考える必要があった。


「……少し、相談してもいいですか?」


 ユウキが尋ねると、職員は頷いた。


「もちろんです。お返事は、条件を確認してからで構いません」


 4人は掲示板から少し離れたテーブルへ移動した。


 ユウキは依頼書を中央へ置き、仲間たちを見渡した。


「……どう思う?」


 最初に口を開いたのはドランだった。


「報酬は悪くない。だが、今の装備で受けるなら、戦闘を避けることを前提に考えるべきだ」


 バルドも頷く。


「わしの盾は、もう使えん。まず代わりを用意する必要がある」


「……そうですね」


 ユウキは頷いた。


 ガルドが勧めてくれた8級の軽量複合盾。


 あれを購入できれば心強いが、価格によっては資金が足りないかもしれない。


 それでも、盾なしで護衛依頼を受けるわけにはいかない。


「……じゃあ、明日もう一度、鉄火の槌へ行ってみませんか?」


 ユウキが提案した。


「価格を確認して、今の資金で何が揃えられるか考えましょう」


 ドランが頷く。


「それがいいだろう」


 トーマも笑った。


「僕の双短剣も、値段だけ聞いてみたい!」


 バルドは苦笑した。


「まずは、必要な装備からだぞ」


「わかってるって!」


 そのやり取りに、ユウキも少し笑った。


 依頼はまだ受けていない。


 しかし、次に進むための目標は見えてきた。


 装備を整えること。


 仲間の状態を確認すること。


 そして、無理のない依頼を選ぶこと。


 それらを1つずつ積み重ねていく。


 ユウキは依頼書を丁寧に畳んだ。


「……じゃあ、まずは準備から始めよう」


 3人が頷いた。


     ◇◆◇


 その日の夕方。


 リーヴェルのギルド長室では、セドリックが1冊の古い記録書を開いていた。


 表紙は擦り切れ、紙の端は黄ばんでいる。


 そこには、過去に確認された魔物の変異事例がまとめられていた。


 セドリックは、あるページで手を止めた。


 森狼に関する記録。


 その中には、通常の森狼とは異なる外見と能力を持つ個体についての報告があった。


 黒褐色の体毛。


 大型化した四肢。


 異常な筋力。


 そして、地面へ衝撃を伝える能力。


 セドリックの指が、そこで止まった。


「……まさか」


 彼は別の資料を引き寄せた。


 そこには、今回の調査隊が提出した報告が記されている。


 赤い光を伴う加速能力。


 灰色の光による地面への衝撃。


 高度な戦術判断。


 そして、通常の森狼を遥かに上回る体格。


 特徴が、あまりに似ていた。


 セドリックは古い記録へ視線を戻した。


 そのページの上部には、古い文字で魔物の名称が記されている。


『黒震狼(グラウンドウルフ)』


 その下には、危険度を示す記述があった。


『魔獣種・ランク3――上位魔物』


 セドリックは息を呑んだ。


 そして、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「……ギルド長へ、報告しなければ」


 その声は、静かな部屋へ小さく響いた。


 長い年月を経て、再び確認された可能性のある上位魔物。


 そして、その魔物が今も生きているという事実。


 セドリックは古い記録書と調査報告を手に取り、部屋の扉へ向かった。


 廊下の奥では、夜の業務を終えようとする職員たちの声が聞こえている。


 しかし、彼の表情に安堵はなかった。


 黒震狼。


 その名前が正式に確認されれば、東部街道の警戒はさらに強化されるだろう。


 場合によっては、討伐隊の編成も必要になる。


 だが、セドリックの頭から離れないことがあった。


 調査隊の隊長、ラウルが報告した最後の行動。


 黒震狼が突然、人間たちへの追撃をやめ、森の奥へ視線を向けたという話だ。


 何かを警戒していたのか。


 それとも、別の理由があったのか。


 その答えは、まだわからない。


 ただ、セドリックは胸の奥へ小さな不安を感じていた。


 もし、あの上位魔物でさえ警戒する存在が森の奥にいるのだとしたら。


 この問題は、単なる大型魔物の出現では終わらないかもしれない。


――第69話 完。

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