第7話 閉ざされた坑道
鉱山の朝は、いつも怒鳴り声から始まる。
「起きろ! いつまで寝てやがる!」
鉄格子を棍棒で叩く耳障りな音が響き、ユウキは反射的に身体を起こした。
すぐに手首の鎖が引っ張られ、傷ついた左肩に痛みが走る。思わず顔をしかめたものの、以前よりも少しだけ痛みに慣れてきた自分に気づき、複雑な気持ちになった。
こんなものに慣れたくはない。
けれど、慣れなければ生きていけない。
この鉱山で過ごしたわずかな時間が、その現実を嫌というほど教えてくれていた。
「……おはようございます」
隣で身体を起こしていたバルドへ声をかけると、老人は眠そうに片目を開けた。
「おう。今日は昨日より顔色がましだな」
「……そうですか?」
「ああ。最初にここへ来たときは、今にも死にそうな顔をしとったからな」
バルドは冗談めかして笑った。
ユウキも小さく笑い返す。
しかし、その笑顔はすぐに消えた。
昨夜聞こえた、あの声を思い出したからだ。
『……やっと、見つけた』
第三坑道の最深部から聞こえてきた、幼い少女のような声。
あれが何だったのか、今もわからない。
ただ、自分の固有権能「略奪」が反応していたことだけは確かだった。
夢や幻聴で片づけるには、あまりにも鮮明だった。
「……バルドさん」
「なんだ?」
「昨日話してくれた、古い坑道のことなんですけど……」
バルドの表情がわずかに変わった。
「……まだ気にしとるのか」
「……はい」
ユウキは正直に頷いた。
「そこから、本当に外へ出られるかもしれないんですよね?」
老人は周囲を確認してから、静かに息を吐いた。
「わしが聞いたのは、昔の鉱夫が使っていた運搬路の話だ。地上まで繋がっていたらしいが、今も通れるとは限らん」
「……場所は、わかるんですか?」
「おおよそならな。ただし、そこへ行くには古い坑道を通らにゃならん。今は立ち入りが制限されとる場所だ」
バルドはそこで言葉を切り、ユウキをまっすぐに見つめた。
「いいか、坊主。逃げたい気持ちはわかるが、焦るな。ここじゃ、焦った奴から死んでいく」
その言葉には、長年この場所で生き延びてきた者の重みがあった。
ユウキはゆっくりと頷く。
「……わかりました」
本当は、今すぐにでも逃げ出したかった。
リナがどこへ連れていかれたのか確かめたいし、彼女が無事でいるのかも知りたい。
けれど、今の自分には力も知識も足りない。
森で奴隷商人たちに捕まったときと同じ失敗を繰り返すわけにはいかなかった。
ユウキは膝の上で拳を握りしめた。
まずは生き延びること。
そして、逃げ出すための準備をすること。
今はそれが、自分にできる最善の選択なのだろう。
◇◆◇
採掘場へ向かう通路は、昨日までとは明らかに様子が違っていた。
普段なら数人しかいない看守が、今日は十人以上も配置されている。
さらに、黒い鎧を身につけた兵士たちが分岐点ごとに立ち、通り過ぎる鉱夫を厳しい目で監視していた。
ユウキはできるだけ目を合わせないようにしながら、バルドの後ろを歩いた。
「……なんだか、昨日より厳しくなってますね」
小声で尋ねると、老人は前を向いたまま答えた。
「第三坑道が完全に封鎖されたらしい」
「……完全に?」
「ああ。昨日の騒ぎのあと、奥へ続く道を全部塞いだそうだ」
ユウキの胸が小さく跳ねた。
第三坑道。
あの場所に、何かがいる。
そして、自分を呼んでいる。
しかし、封鎖されてしまったのなら、確かめることすらできない。
「……どうして、そこまで?」
「知らん。だが、ただの落盤なら帝国の兵士まで動員する必要はないだろうよ」
バルドの言葉に、ユウキは黙って頷いた。
そのとき、前方から怒鳴り声が響いた。
「おい! そこの奴隷、止まれ!」
ユウキの肩が跳ねる。
しかし、呼び止められたのは自分ではなかった。
少し前を歩いていた中年の男が、二人の兵士に取り囲まれている。
「な、何でしょうか……?」
男は怯えた声で尋ねた。
兵士の一人が、手にした紙へ視線を落とす。
「お前、昨日の午後に第三坑道付近へ立ち入ったそうだな」
「ち、違います! 私は命令された荷物を運んだだけで……!」
「黙れ」
兵士は冷たく言い放った。
「詳しい話は別室で聞く」
男は必死に首を振った。
「ま、待ってください! 本当に何も知りません!」
しかし、兵士たちは聞く耳を持たなかった。
男の両腕を掴み、強引に通路の奥へ連れていく。
「お願いします! 私は何も……!」
悲痛な声が、石壁に反響しながら遠ざかっていった。
ユウキは思わず足を止めた。
「……あの人、どうなるんですか?」
バルドは答えなかった。
ただ、深く刻まれた皺の間に、苦い表情が浮かんでいた。
「……行くぞ、坊主」
「……でも」
「今は、どうにもできん」
その言葉に、ユウキは唇を噛んだ。
助けを求める声を聞いても、何もできない。
その無力さが、胸の奥へ重く沈んでいった。
◇◆◇
午前の採掘は、昨日以上に過酷だった。
第三坑道が封鎖された影響なのか、通常の坑道へ割り当てられる作業量が増えていたのだ。
看守たちは苛立った様子で鉱夫を急かし、少しでも手を止めれば容赦なく怒鳴り声を浴びせた。
「もっと速く掘れ! 今日の割り当てが終わらなければ、飯は抜きだ!」
ユウキはツルハシを握り直し、何度も岩壁へ振り下ろした。
採掘技能を覚えたおかげで、昨日より動きは安定している。
しかし、技能があるからといって、疲労や痛みまで消えるわけではなかった。
左肩にはまだ傷が残り、手のひらにはいくつもの水ぶくれができている。
それでも、作業を止めれば看守に目をつけられてしまう。
「……はぁっ、はぁっ……」
息を整えながら、ユウキは足元に転がった鉱石を拾い上げた。
青白く輝く、小さな魔鉱石。
手のひらに乗せると、わずかな温かさが伝わってきた。
「……綺麗だな」
思わず呟く。
こんな場所でなければ、もっと素直に感動できたのかもしれない。
ユウキが鉱石を見つめていると、隣からバルドが声をかけてきた。
「おい、坊主。そいつは純度が少し高いな」
「……そうなんですか?」
「ああ。光が濃いだろう。魔鉱石は含まれる魔力によって価値が変わるんだ」
老人はユウキの手元を覗き込んだ。
「ここで採れるものは低純度が多いが、たまに質のいい石が混じる。そういうのは別の籠へ入れろと言われとる」
「……なるほど」
ユウキは言われたとおり、鉱石を専用の籠へ入れた。
そのとき、ふと疑問が浮かんだ。
「……バルドさん。魔鉱石って、何に使うんですか?」
「武器や防具、魔道具なんかだな。街の灯りに使われるものもある」
「……街の灯り?」
「ああ。魔力を蓄えた石を使えば、火を使わずに光を生み出せるんだ」
ユウキは目を丸くした。
電気とは違う仕組みで街を照らすのだろうか。
日本では考えられなかった技術だ。
「……すごいですね」
「便利なもんさ。ただし、いい魔鉱石は高い。わしらみたいな連中には縁のない代物だがな」
バルドは苦笑した。
ユウキは再びツルハシを握り直した。
この世界には、まだ知らないことがたくさんある。
魔法も、技能も、国家の仕組みも。
何もかもが初めてだった。
だからこそ、今は一つでも多くのことを覚えておきたい。
それが、いつか自由を取り戻すための力になるかもしれないからだ。
◇◆◇
昼の休憩時間。
ユウキはバルドとともに壁際へ座り、配られた薄い粥を口へ運んでいた。
昨日より量が少ない気がしたが、周囲の鉱夫たちは誰も文句を言わなかった。
その中で、トーマだけが不満そうに器を睨んでいる。
「……また減ってる」
少年が小さく呟いた。
「昨日より、絶対少ないって」
「声が大きいぞ、トーマ」
バルドが注意する。
「聞かれたら面倒なことになる」
「……わかってるよ」
トーマは不満そうに唇を尖らせた。
ユウキは二人のやり取りを見ながら、少しだけ微笑んだ。
この鉱山で出会った人々。
まだ知り合って間もないが、バルドとトーマの存在は、ユウキにとって大きな支えになり始めていた。
「……そういえば、トーマ」
「ん?」
「昨日の夜、変な声とか聞こえなかった?」
ユウキが尋ねると、少年は首を傾げた。
「変な声?」
「……うん。誰かが助けを求めてるような……」
トーマは少し考え込んだ。
「……いや、聞いてないと思うけど」
「……そっか」
ユウキは小さく頷いた。
やはり、あの声は自分にしか聞こえないのだろうか。
そんなことを考えていると、トーマが思い出したように顔を上げた。
「……あ、でも」
「……なに?」
「昨日の夜、看守たちが変な話をしてた」
ユウキは思わず身を乗り出した。
「……どんな?」
「第三坑道の奥で、壁が光ってるんだって。それも、普通の魔鉱石とは違う赤い光らしい」
胸の奥が小さく脈打った。
赤い光。
夢の中で見た魔法陣。
そして、封印された石の扉。
偶然とは思えなかった。
「……ほかには?」
「うーん……何かを運び出そうとしてるとか、そんなこと言ってた気がする」
「……何か?」
「そこまではわかんない」
トーマは首を振った。
そのとき、バルドが低い声で口を挟んだ。
「……その話は、もうやめろ」
二人が顔を向ける。
老人の表情は険しかった。
「ここじゃ、余計なことを知った奴から消えていく。好奇心で命を捨てるんじゃない」
「……でも」
ユウキが口を開きかけると、バルドは静かに首を振った。
「お前には、探したい人がおるんだろう?」
その言葉に、ユウキは息を呑んだ。
リナ。
森で出会った少女の姿が浮かぶ。
彼女を助けるためには、まず自分が生き延びなければならない。
「……はい」
ユウキは小さく頷いた。
バルドはその様子を見て、わずかに表情を和らげた。
「なら、今は我慢しろ。焦らず、できることを増やせ」
老人の言葉は正しかった。
だからこそ、ユウキは何も言い返せなかった。
◇◆◇
午後の作業が始まって間もなく、採掘場に緊張が走った。
「全員、作業を止めろ!」
看守の怒鳴り声が響く。
ユウキはツルハシを止め、周囲を見回した。
通路の奥から、黒い鎧を身につけた兵士たちが現れた。
その中央には、灰色の外套をまとった男が歩いている。
ユウキの心臓が跳ねた。
「……あの人」
森で自分たちを捕らえた男だった。
特徴的な灰色の外套。
冷たい目つき。
そして、周囲の人間を威圧するような静かな雰囲気。
見間違えるはずがなかった。
ユウキは反射的に顔を伏せた。
見つかりたくない。
理由はわからないが、あの男にはできるだけ関わりたくなかった。
「……ユウキ?」
バルドが小声で尋ねる。
「どうした?」
「……あの人、俺をここに連れてきた人です」
老人の表情が変わった。
「……何?」
「森で捕まったとき、あの人が……」
バルドは灰色の外套の男へ視線を向けた。
そして、低い声で呟く。
「……そういうことか」
「……え?」
「いや、なんでもない。今は顔を上げるな」
ユウキは言われたとおり俯いた。
足音が近づいてくる。
男は周囲の鉱夫たちを一人ずつ確認するように歩いていた。
やがて、その足がユウキの前で止まった。
「……お前か」
冷たい声が降ってきた。
ユウキの身体が固まった。
ゆっくりと顔を上げると、灰色の外套の男がこちらを見下ろしていた。
「……ユウキ、だったな」
「……はい」
「身体の具合はどうだ?」
思いがけない問いかけに、ユウキは戸惑った。
「……え?」
「聞こえなかったか?」
「……い、いえ。まだ少し、痛いところはありますけど……」
男はユウキの左肩へ目を向けた。
そして、短く頷いた。
「そうか。なら、まだ働けるな」
その言葉には、何の感情もこもっていなかった。
ユウキは唇を噛んだ。
自分がどれほど傷ついていようと、目の前の男にとっては関係のないことなのだろう。
男は少しだけ身を屈め、ユウキの顔を覗き込んだ。
「……一つ、聞いておきたいことがある」
「……なんですか?」
「お前は、どこの国から来た?」
ユウキの心臓が跳ねた。
どう答えればいいのかわからない。
日本。
そう言っても、この世界の人間には通じないだろう。
それどころか、余計な疑いを招くかもしれない。
「……遠いところです」
ユウキは小さく答えた。
男は目を細めた。
「……遠いところ、か」
「……はい」
「国の名前も言えないほど、遠いのか?」
ユウキは答えられなかった。
沈黙が続く。
男はしばらくユウキを見つめていたが、やがて立ち上がった。
「……まあ、いい」
そして、背後の兵士へ視線を向けた。
「この少年は、しばらくここで働かせろ。勝手な移動は許すな」
「はっ!」
男はそれだけ言うと、再び歩き始めた。
ユウキはようやく息を吐いた。
しかし、安心するには早かった。
男が数歩進んだところで、突然振り返ったからだ。
「……そうだ、ユウキ」
「……はい?」
「第三坑道には、決して近づくな」
その声には、先ほどまでとは違う鋭さがあった。
「……え?」
「命が惜しければ、な」
男はそれだけ告げると、今度こそ通路の奥へ姿を消した。
ユウキは呆然と立ち尽くした。
どうして、わざわざそんなことを言ったのだろう。
自分が第三坑道に興味を持っていることを、知られているのだろうか。
そんな不安が胸の奥に広がっていった。
◇◆◇
その夜。
ユウキは牢の片隅で、バルドと向かい合って座っていた。
周囲の囚人たちは疲れ切った様子で眠っており、遠くから看守の足音だけが聞こえてくる。
「……あの男に、何かされたのか?」
バルドが低い声で尋ねた。
「……いえ。今日は何も」
「そうか」
老人はしばらく考え込んでいたが、やがて静かに口を開いた。
「……ユウキ。お前、本当にここから出たいんだな?」
ユウキは迷わず頷いた。
「……はい」
「なら、少しだけ話しておこう」
バルドは周囲を確認し、さらに声を落とした。
「昔、この鉱山には五つの主要な坑道があった。今も使われとるのは第一と第二、それに第四の一部だけだ」
「……第三坑道は?」
「封鎖された。第五坑道は、もっと昔に使われなくなっとる」
ユウキは身を乗り出した。
「……第五坑道?」
「ああ。古い運搬路へ繋がっていたのは、そっちだ」
老人の言葉に、ユウキの胸が高鳴った。
脱出の手掛かり。
ついに、具体的な場所が見えてきた。
「……そこへは、どうやって行くんですか?」
「簡単じゃない。第四坑道の奥に、古い分岐路がある。今は崩れた岩で塞がれとるが、完全に埋まったわけじゃないらしい」
バルドはそこで言葉を切り、ユウキを真剣な目で見つめた。
「ただし、問題が一つある」
「……問題?」
「その分岐路は、第三坑道の封鎖区画とも近い」
ユウキの胸が大きく脈打った。
第三坑道。
あの声が聞こえる場所。
そして、帝国の兵士たちが厳重に警戒している場所。
まさか、脱出の手掛かりまで同じ方向にあるとは思わなかった。
「……偶然、なのかな」
思わず呟く。
「なんだ?」
「……いえ、なんでもないです」
ユウキは首を振った。
自分の能力と第三坑道の関係については、まだ話すべきではない。
少なくとも、何が起きているのか理解できるまでは。
「……バルドさん」
「なんだ?」
「もし、そこへ行けるとしたら……一緒に逃げませんか?」
老人は目を丸くした。
「……わしもか?」
「……はい」
ユウキは真剣に頷いた。
「バルドさんには、たくさん助けてもらいました。だから、俺だけ逃げるなんて……」
その言葉を聞いたバルドは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑い出す。
「……ははっ」
「……え?」
「まったく、お前は本当に変な坊主だな」
老人は笑いながら、ゆっくりと首を振った。
「こんな老いぼれを連れて逃げたところで、足手まといになるだけだぞ」
「……そんなこと」
「あるんだよ。わしはもう、若い頃みたいには動けん」
バルドは自分の手を見つめた。
節くれ立った指。
古い傷跡。
長年の労働によって曲がった背中。
その身体が、老人の過ごしてきた年月を物語っていた。
「……それでも」
ユウキはゆっくりと口を開いた。
「一緒に行きたいです」
バルドの表情が変わった。
「……どうして、そこまで言う?」
ユウキは少しだけ考えた。
特別な理由があるわけではなかった。
ただ、バルドが自分を助けてくれたから。
怪我を心配し、食事を分け、何も知らない自分にこの世界のことを教えてくれたから。
それだけで、十分だった。
「……だって、バルドさんは俺に優しくしてくれたから」
ユウキは小さく笑った。
「だから、今度は俺が助けたいんです」
バルドは何も言わなかった。
ただ、しばらくユウキを見つめたあと、ゆっくりと顔を背けた。
「……馬鹿な坊主だ」
その声は、少しだけ震えていた。
◇◆◇
同じ頃。
第三坑道の最深部では、帝国の魔術師たちが巨大な石の扉を取り囲んでいた。
扉の表面には複雑な魔法陣が刻まれ、赤黒い光が不規則に明滅している。
その中心には、昨日よりも大きな亀裂が走っていた。
「……封印の劣化が進んでいます」
若い魔術師が報告する。
「魔力を追加投入しても、安定しません」
灰色の外套の男は、静かに扉を見つめていた。
「……原因は?」
「依然として不明です。ただ、外部からの魂魄干渉が断続的に確認されています」
「……外部、か」
男は小さく呟いた。
脳裏に浮かんだのは、一人の黒髪の少年だった。
見慣れない服装。
異国の響きを持つ名前。
そして、奴隷商人たちが報告していた不自然な身体強化。
もし、あの少年が帝都からの命令書に記されていた異界の存在だとすれば。
この異変と、何らかの関係があるのかもしれない。
「……少年の監視を強化しろ」
男が命じた。
「はっ!」
「ただし、まだ手を出すな。こちらから不用意に刺激する必要はない」
兵士が頷く。
男は再び石の扉へ視線を戻した。
その表面に刻まれた赤黒い魔法陣。
千年前の神授戦争に関係するとされる古代の術式。
そして、内部に封じられた正体不明の存在。
帝国の上層部は、この場所について多くを語ろうとしない。
ただ、封印を維持せよという命令だけが繰り返されていた。
男は小さく息を吐いた。
「……何を隠している、帝都の連中は」
その呟きに答える者はいなかった。
しかし、次の瞬間。
――ドクン。
石の扉が、まるで生き物のように脈打った。
「……っ!」
魔術師たちが一斉に顔を上げる。
亀裂の奥から、赤黒い光が漏れ始めた。
「封印値が低下しています!」
「魔力の流出を確認!」
「このままでは、内部の術式が……!」
男は片手を上げた。
「落ち着け。補助結界を展開しろ」
魔術師たちが慌ただしく動き始める。
その中で、男だけは扉の奥を見つめ続けていた。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声が、暗闇の向こうから響いた。
『……もうすぐ』
幼い少女のような声だった。
『……もうすぐ、会えるね』
男は眉をひそめた。
しかし、声の正体を確かめる前に、扉の光は静かに消えた。
◇◆◇
牢の中。
ユウキは冷たい石壁にもたれながら、目を閉じていた。
隣ではバルドが眠り、少し離れた場所ではトーマが小さな寝息を立てている。
静かな夜だった。
少なくとも、表面上は。
ユウキはゆっくりと目を開け、自分の手首に巻かれた鉄の枷を見つめた。
自由を奪うための道具。
日本では、目に見えない恐怖に縛られていた。
今は、目に見える鎖に繋がれている。
世界が変わっても、結局同じなのだろうか。
そんな考えが浮かんだが、すぐに首を振った。
違う。
少なくとも、今は違う。
自分には、バルドがいる。
トーマがいる。
そして、もう一度会いたいと願うリナがいる。
それだけでも、日本にいた頃とは大きく違っていた。
「……絶対に、出よう」
ユウキは小さく呟いた。
そのとき。
――ドクン。
胸の奥で、あの感覚が生まれた。
「……っ!」
ユウキは顔を上げた。
視界の端に、青白い文字が浮かび上がる。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源:第三坑道最深部》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
そして、続いて現れた文字に、ユウキは息を呑んだ。
《封印構造に変化を確認》
《対象との距離:不明》
《対象の意識反応が活性化しています》
その瞬間、耳の奥で声が聞こえた。
『……ユウキ』
ユウキの身体が固まった。
今、確かに自分の名前を呼ばれた。
「……誰?」
小さく問いかける。
返事はない。
しかし、声は再び響いた。
『……ユウキ、お願い』
幼い少女の声。
どこか悲しげで、ひどく切実な声だった。
『……ここから、出して』
ユウキは胸を押さえた。
痛みはない。
けれど、心臓が激しく鼓動していた。
どうして自分の名前を知っているのだろう。
どうして、この世界に来たばかりの自分へ助けを求めるのだろう。
わからない。
何もわからない。
それでも、その声を聞いた瞬間、ユウキは一つのことを思い出した。
日本にいた頃。
誰にも助けを求められず、暗い部屋で泣いていた自分。
あのとき、誰かが手を差し伸べてくれていたなら。
どれほど救われただろう。
「……待ってて」
ユウキは小さく呟いた。
「……今は、まだ何もできないけど」
鉄の枷を握りしめる。
冷たい金属が、掌に食い込んだ。
「……いつか、必ず」
その言葉に、答えるように。
第三坑道の最深部から、微かな振動が伝わってきた。
まるで、誰かが静かに笑ったかのようだった。
ユウキはゆっくりと目を閉じた。
恐怖は消えていない。
不安も、疑問も、山ほどある。
それでも、胸の奥には確かな決意があった。
この鉱山から抜け出すこと。
リナを探し出すこと。
そして、あの声の正体を確かめること。
そのすべてを成し遂げるには、まだ力が足りない。
だからこそ、明日も生き延びよう。
少しずつでも強くなろう。
そう心に誓いながら、ユウキは静かに眠りについた。
しかし、その夜。
彼の知らない場所で、運命の歯車はすでに動き始めていた。
第三坑道の石の扉。
その表面に刻まれた古代の封印に、また一つ、新たな亀裂が生まれていた。
――第7話 完。




