第6話 第三坑道の秘密
暗闇の中で、誰かが泣いていた。
『……たすけて』
遠くから聞こえてくる、かすれた声。
その声に導かれるように、ユウキは何も見えない空間を歩いていた。
足元には冷たい水が広がり、一歩進むたびに小さな波紋が生まれる。どこまで歩いても景色は変わらず、周囲には底の見えない暗闇だけが続いていた。
「……誰か、いるんですか?」
返事はない。
しかし、立ち止まろうとした瞬間、再び声が聞こえた。
『……どうして』
今度は、幼い子供の声だった。
『どうして、ぼくたちが……』
ユウキは息を呑んだ。
聞き覚えがある。
日本で父親に殺されそうになったあの日、赤い魔法陣の中から聞こえてきた無数の悲鳴。
その中に、確かに同じ声があった。
「……君たちは、いったい」
問いかけようとした瞬間、足元の水面が赤黒く染まり始めた。
そこに映し出されたのは、見知らぬ人々の姿だった。
粗末な服を着た老人。
泣き叫ぶ子供を抱きしめる女性。
鎖に繋がれた男たち。
誰もが何かに怯え、必死に助けを求めていた。
ユウキは思わず手を伸ばしたが、指先が触れるよりも早く、その光景は水面の中へ沈んでいった。
「待って……!」
追いかけようとした、そのとき。
『……お前は』
背後から低い声が響いた。
振り返ると、暗闇の奥に一人の人影が立っていた。
顔は見えない。
ただ、その人物の周囲には赤黒い光が漂い、無数の細い糸が虚空へと伸びていた。
『……何を、奪う』
「……え?」
『……何を守るために、何を奪う』
その問いに答える前に、人影がゆっくりと手を伸ばしてきた。
ユウキは逃げようとした。
しかし、身体が動かない。
冷たい指先が額に触れようとした瞬間、視界が真っ白に染まった。
◇◆◇
「……っ!」
ユウキは勢いよく身体を起こした。
直後、手首の鎖が激しく鳴り、左肩に鋭い痛みが走る。
「いっ……!」
思わず顔をしかめると、隣から呆れたような声が聞こえた。
「……朝から騒がしい坊主だな」
振り返れば、バルドが壁にもたれながらこちらを見ていた。
薄暗い牢の中には、まだ眠っている囚人たちの姿がある。
ユウキは荒くなった呼吸を整え、周囲を見回した。
「……夢、か」
「悪い夢でも見たか?」
「……はい。ちょっと、変な夢を」
ユウキは額に浮かんだ汗を拭った。
夢の内容は、驚くほど鮮明に覚えていた。
赤い水面。
助けを求める人々。
そして、最後に現れた正体不明の人影。
何を守るために、何を奪う。
その言葉だけが、いつまでも耳の奥に残っていた。
「……顔色が悪いぞ」
バルドが眉をひそめる。
「昨日から無理をしとるんだ。少しは休め」
「……でも、もうすぐ仕事ですよね」
「だからこそだ。働く前から倒れられたら、こっちが困る」
老人はそう言いながら、ユウキの左肩に目を向けた。
傷口を覆っていた布は乾いた血で汚れ、周囲の皮膚は赤く腫れている。
「……その傷、まだまともに手当てしとらんのか」
「……はい」
「見せてみろ」
バルドは有無を言わせぬ口調で告げた。
ユウキが恐る恐る肩を見せると、老人は傷口を確認し、深いため息をついた。
「まったく。若いからといって無茶をしおって」
そう言いながら、バルドは自分の服の内側から小さな布切れを取り出した。
「綺麗な水があればよかったんだがな。今はこれくらいしかできん」
老人は布を丁寧に折りたたみ、傷口を保護するように当ててくれた。
「……ありがとうございます」
ユウキが頭を下げると、バルドは気まずそうに顔を背けた。
「礼なら、元気になってから言え」
その言葉に、ユウキは小さく笑った。
この世界に来てから、誰かに怪我を心配してもらったのは初めてかもしれない。
日本にいた頃、どれほど傷ついて帰宅しても、両親が心配してくれることはなかった。
それなのに、出会って間もない老人が、自分のために貴重な布を使ってくれている。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……バルドさん」
「なんだ?」
「……本当に、ありがとうございます」
バルドは一瞬だけ目を丸くした。
そして、何も言わずにユウキの頭を軽く小突いた。
「……まったく、変な坊主だ」
その手には、痛みなどほとんどなかった。
◇◆◇
朝の食事を終えた囚人たちは、看守の怒声に急かされながら採掘場へ向かっていた。
ユウキも重い鎖を引きずり、バルドの後ろを歩いている。
昨日と同じ薄暗い通路。
同じ湿った空気。
そして、どこからともなく響いてくるツルハシの音。
しかし、今日は昨日と違うことがあった。
通路のあちこちに武装した看守が立ち、普段以上に厳しい警戒態勢が敷かれていたのだ。
「……なんだか、今日は人が多いですね」
ユウキが小声で尋ねると、バルドは前を向いたまま答えた。
「第三坑道で、また何かあったらしい」
「……第三坑道?」
昨夜の夢が脳裏をよぎった。
「今朝方、奥から妙な音が聞こえたそうだ。看守どもが慌てて走り回っとった」
「……何があったんですか?」
「さあな。わしらみたいな奴隷に、詳しいことを教えるわけがなかろう」
バルドはそう言いながら、前方へ視線を向けた。
通路の分岐点には、普段とは違う鎧を身につけた兵士たちが立っていた。
革鎧ではない。
黒い金属で作られた胸当てに、統一された意匠の外套。
腰には長剣を下げ、一般の看守たちとは明らかに異なる雰囲気を纏っていた。
「……あの人たちは?」
ユウキが尋ねると、バルドの表情が険しくなった。
「……知らん方がいい連中だ」
「……え?」
「余計なことは聞くな。目も合わせるんじゃない」
普段は気さくな老人の声に、明確な警戒が滲んでいた。
ユウキはそれ以上尋ねることができなかった。
兵士たちの横を通り過ぎる際、一人の男がユウキをじっと見つめていた。
その視線に気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
森で出会った、灰色の外套の男。
あの男と似た雰囲気を感じたからだ。
しかし、顔を上げて確認する勇気はなかった。
ユウキは俯いたまま、バルドの後ろを歩き続けた。
◇◆◇
「……はぁっ、はぁっ……!」
採掘作業が始まってから、どれほど時間が経っただろう。
ユウキはツルハシを振り下ろしながら、額から流れ落ちる汗を袖で拭った。
昨日よりも、少しだけ身体の使い方がわかってきた気がする。
腕だけでなく、腰と脚を使って振り下ろす。
バルドから教わった動きを意識すると、同じ力でも岩が砕けやすくなった。
「……よし」
小さな魔鉱石が岩壁から転がり落ちる。
ユウキはそれを拾い、近くの籠へ入れた。
そのときだった。
――ピコン。
青白い文字が浮かび上がった。
《一定の技能習熟を確認しました》
《一般技能「採掘 Lv.1」を習得しました》
「……え?」
ユウキは思わず手を止めた。
採掘。
昨日から何度も練習していた技能だ。
まさか、本当に覚えられるとは思っていなかった。
「……すごい」
小さく呟く。
略奪によって奪った技能ではない。
自分自身が練習し、身につけた技能。
その事実が、何よりも嬉しかった。
ユウキは周囲を確認してから、小声で呟いた。
「……ステータス」
視界に半透明の板が現れた。
==============
【STATUS】
名前:ユウキ・コバヤシ
種族:人間(異界者)
年齢:17
ジョブ:無職
レベル:1
HP:11 / 32
MP:3 / 8
【能力値】
STR(筋力):7
VIT(耐久):6
AGI(敏捷):9
MAG(魔力):3
MND(精神):12
DEX(器用):11
【固有権能】
略奪 Lv.1
【技能】
嗅覚強化 Lv.2
身体強化 Lv.2
採掘 Lv.1
【称号】
異界からの漂流者
空白の魂
【状態異常】
疲労
負傷
==============
HPとMPが昨日より少しだけ回復していた。
十分な休息とは言えなかったが、それでも身体が回復へ向かっていることには安心した。
そして何より、新しい技能が一つ増えている。
「……ちゃんと、成長できるんだ」
ユウキは小さく微笑んだ。
略奪という力に頼らなくても、自分の努力で何かを身につけられる。
それは、彼にとって大きな希望だった。
「……おい、ユウキ」
隣からバルドが声をかけてきた。
「何を嬉しそうにしとる?」
「……あ、いえ。ちょっと、できることが増えた気がして」
「ほう?」
バルドはユウキの足元にある鉱石を見て、満足そうに頷いた。
「確かに、昨日よりはまともになったな」
「……本当ですか?」
「ああ。まあ、まだまだ半人前にも届かんが」
そう言って、老人は小さく笑った。
ユウキもつられるように笑う。
こんな場所でも、誰かと笑い合うことができる。
ほんの短い時間だったが、その温かさが心に染みた。
◇◆◇
昼の休憩時間。
ユウキは壁際に座り、配られた薄い粥を口へ運んでいた。
相変わらず味はほとんどなく、量も少ない。
それでも、昨日よりは少しだけ食欲が戻っていた。
「……ユウキ」
小さな声が聞こえた。
振り返ると、そこには昨日食事を分けた少年、トーマが立っていた。
「……トーマ?」
少年は一瞬だけ視線を逸らした。
昨日より顔色は良くなっているようだったが、まだ身体は細く、足元もふらついている。
「……これ」
トーマは小さな木の器を差し出した。
中には、硬そうな黒いパンが一切れ入っていた。
「……え?」
「昨日、飯くれただろ」
「……うん」
「だから、その……お返し」
トーマは照れくさそうに顔を背けた。
ユウキは一瞬、言葉を失った。
この鉱山では、食べ物が何よりも貴重だ。
それを、わざわざ自分に分けようとしてくれている。
「……ありがとう。でも、トーマが食べて」
ユウキがそう言うと、少年は不満そうに眉をひそめた。
「なんだよ。せっかく持ってきたのに」
「……だって、まだ身体が辛いでしょ?」
「もう平気だよ」
トーマは少しだけ胸を張った。
しかし、直後に小さく咳き込む。
「……全然平気じゃないじゃん」
ユウキが苦笑すると、トーマは悔しそうに唇を尖らせた。
「……うるさいな」
そのやり取りを見ていたバルドが、横から口を挟んだ。
「まったく、お前らは揃いも揃って人の心配ばかりしおって」
老人は大きなため息をついた。
「なら、半分ずつ食えばいい。それで文句はなかろう」
ユウキとトーマは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑った。
「……そうだね」
「……うん」
ユウキはパンを二つに割り、片方をトーマへ渡した。
硬くて、決して美味しいとは言えないパンだった。
それでも、不思議と昨日の粥よりも美味しく感じられた。
◇◆◇
「……そういえば、ユウキ」
パンを食べ終えたトーマが、周囲を気にしながら声を落とした。
「お前、第三坑道の噂って知ってる?」
ユウキの手が止まった。
「……第三坑道?」
「うん。最近、あそこに行った奴が何人も戻ってこないんだ」
昨夜バルドから聞いた話と同じだった。
ユウキはゆっくりと頷いた。
「……少しだけ、聞いた」
「俺、昨日の夜に見たんだ」
トーマはさらに声を潜めた。
「看守たちが、奥の方から何かを運んできてるところ」
「……何か?」
「布をかけた、大きな荷車だった。中身は見えなかったけど、変な匂いがした」
ユウキは思わず身を乗り出した。
「……どんな匂い?」
「わかんない。薬みたいな、それでいて腐ったものみたいな……」
トーマは思い出したくないのか、顔をしかめた。
ユウキの脳裏に、昨夜の夢が蘇る。
赤黒い水面。
助けを求める人々。
そして、第三坑道の奥から届く謎の反応。
何かが繋がっているのだろうか。
「……その荷車、どこへ運ばれていったの?」
「管理棟の方だと思う。でも、途中で看守に見つかりそうになって逃げたから、最後までは見てない」
ユウキは考え込んだ。
すると、隣で黙って聞いていたバルドが低い声を出した。
「……その話は、ここで終わりだ」
二人が顔を向ける。
老人の表情は、これまで見たことがないほど険しかった。
「第三坑道には近づくな。あそこは、ただの採掘場じゃない」
「……バルドさん?」
「詳しいことは知らん。だが、長くここにおれば、知らん方がいいこともあるとわかる」
バルドは周囲を見回した。
看守たちは離れた場所で食事を取っている。
それでも、老人は警戒を解かなかった。
「……この鉱山には、鉱石だけを求めて来とるわけじゃない連中がおる」
ユウキは息を呑んだ。
「……どういう、意味ですか?」
バルドは答えなかった。
代わりに、遠くの通路へ視線を向ける。
そこには、黒い鎧を身につけた兵士が立っていた。
朝、分岐点で見かけた兵士と同じ装備だった。
「……あいつらだ」
バルドが小さく呟いた。
「あいつらが来るようになってから、妙なことばかり起きる」
ユウキは兵士を見つめた。
男は何かを探すように採掘場を見回し、やがて近くの看守へ声をかけた。
その会話は遠くて聞こえない。
しかし、男が懐から取り出した紙を見た瞬間、ユウキの胸が強く脈打った。
赤黒い紋章。
どこかで見たことがある気がした。
「……あれ」
ユウキが呟いた瞬間。
――ドクン。
胸の奥で、再びあの感覚が生まれた。
「……っ!」
ユウキは思わず胸を押さえた。
視界の端に、青白い文字が浮かぶ。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源との距離が変化しました》
《反応源:第三坑道深部》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
その瞬間、耳の奥で声が聞こえた。
『……ここに、いる』
ユウキは目を見開いた。
昨日よりも、はっきりとした声だった。
『……まだ、ここに……』
男なのか、女なのか。
年齢さえわからない。
ただ、その声には深い苦痛が滲んでいた。
「……誰?」
思わず呟いた。
トーマが不思議そうに顔を覗き込む。
「……ユウキ?」
「……あ、いや」
ユウキは慌てて首を振った。
周囲の誰も、声には気づいていないようだった。
やはり、自分にしか聞こえないのだろうか。
そのとき、黒い鎧の兵士がこちらへ顔を向けた。
ユウキは反射的に視線を逸らした。
心臓が激しく鼓動する。
見られた。
そんな気がした。
しかし、兵士は何も言わず、そのまま通路の奥へ姿を消した。
「……おい、大丈夫か?」
バルドが小声で尋ねる。
「……はい」
ユウキは頷いたが、自分の声が震えていることに気づいていた。
第三坑道。
あの場所に、何かがある。
しかも、その何かは自分の能力と反応している。
知らないふりをしていることはできそうになかった。
◇◆◇
午後の作業が始まって間もなく、採掘場全体を揺るがす大きな振動が起きた。
――ゴゴゴゴゴッ!
「うわっ!?」
ユウキは慌てて壁に手をついた。
天井から細かな石が降り注ぎ、周囲の鉱夫たちが悲鳴を上げる。
「落盤か!?」
「全員、壁際に寄れ!」
看守たちが怒鳴り声を上げる。
しかし、振動は収まらなかった。
むしろ、次第に大きくなっていく。
「……まずいぞ」
バルドが険しい顔で呟いた。
「これは、ただの落盤じゃない」
その言葉を聞いた直後、採掘場の奥から凄まじい轟音が響いた。
――ドオオォォン!
地面が大きく揺れる。
壁に埋まっていた魔鉱石が、一斉に青白く輝き始めた。
「……な、なんだ!?」
ユウキは目を見開いた。
魔鉱石の光が脈打つように明滅し、岩壁の奥から何かが押し寄せてくる。
その瞬間。
――ドクン!
胸の奥に、これまでで最も強い衝撃が走った。
「……ぐっ!」
ユウキは膝をついた。
頭の奥が激しく痛む。
視界が赤黒く染まり、無数の声が一斉に流れ込んできた。
『……たすけて』
『……いやだ』
『……もう、やめて』
子供。
老人。
男。
女。
数え切れない声が重なり合う。
「……やめ、て……!」
ユウキは両手で頭を押さえた。
しかし、声は止まらない。
むしろ、ますます大きくなっていく。
《警告》
《高密度の魂魄反応を検出しました》
《固有権能「略奪」が強制的に共鳴しています》
《対象の特定に失敗しました》
《魂蝕値の上昇を確認》
文字が次々と浮かび上がった。
ユウキは苦しそうに息を吐いた。
何が起きているのかわからない。
ただ、胸の奥で何かが暴れている。
そして、その何かが第三坑道の奥へ向かおうとしているような感覚があった。
「……ユウキ!」
バルドの声が聞こえた。
肩を掴まれる。
「おい! しっかりしろ!」
「……バルド、さん……」
「何があった!? どこか痛むのか!?」
ユウキは答えようとした。
しかし、その瞬間。
頭の奥に、一つの光景が浮かび上がった。
薄暗い地下空間。
巨大な石の扉。
その扉の表面には、見覚えのある複雑な魔法陣が刻まれている。
赤黒く輝く幾重もの円。
無数の文字。
そして、中心に描かれた不可解な紋章。
日本で見た、あの魔法陣とよく似ていた。
「……っ!」
ユウキは息を呑んだ。
どうして。
どうして、この世界の地下に。
自分が転移したときと同じような魔法陣があるのだろう。
その疑問が浮かんだ瞬間、耳元で声が囁いた。
『……見つけて』
幼い少女の声だった。
『……ここから、出して』
ユウキは反射的に手を伸ばした。
しかし、指先が何かに触れるよりも早く、目の前の光景は消え去った。
◇◆◇
「……おい、ユウキ!」
バルドの声で、ユウキは現実へ引き戻された。
気づけば、採掘場の床に座り込んでいた。
周囲では看守たちが慌ただしく走り回り、鉱夫たちが避難するように移動している。
「……大丈夫か?」
バルドが心配そうに顔を覗き込んだ。
「……はい」
ユウキは荒い息を整えながら頷いた。
頭痛は少しずつ収まっていた。
しかし、先ほど見た光景は、今も鮮明に記憶に残っている。
巨大な扉。
赤黒い魔法陣。
そして、助けを求める少女の声。
「……バルドさん」
「なんだ?」
「……第三坑道の奥には、何があるんですか?」
老人の表情が変わった。
「……なんだ、急に」
「……知りたいんです」
ユウキは真剣な目で老人を見つめた。
「……あそこに、何があるのか」
バルドはしばらく黙っていた。
やがて、周囲に誰もいないことを確認すると、低い声で話し始めた。
「……昔、聞いた話だ」
老人は採掘場の奥へ視線を向けた。
「この鉱山がまだ今ほど大きくなかった頃、奥の坑道で妙な遺跡が見つかったらしい」
「……遺跡?」
「ああ。誰が造ったのかもわからん、古い石造りの施設だそうだ」
ユウキの胸が高鳴る。
「……そこには、何が?」
「知らん。ただ、その遺跡が見つかってから、鉱山の管理者が何度も入れ替わったそうだ」
バルドは眉をひそめた。
「そして、ある時期から帝国の連中が出入りするようになった」
「……帝国?」
「ゼルガ帝国だ。表向きは商会の護衛や鉱石の買い付けということになっとるが、どうにも胡散臭い」
ユウキは唇を噛んだ。
ゼルガ帝国。
自分をこの世界へ召喚した国家の名を、彼はまだ知らない。
だが、その名前を聞くたびに、胸の奥で何かがざわつくような感覚があった。
「……その遺跡、今もあるんですか?」
「おそらくな。第三坑道の奥に封鎖された区画があるとは聞いとる」
バルドはそこで言葉を切った。
そして、厳しい目でユウキを見つめる。
「……いいか、坊主。興味本位で近づくなよ」
「……はい」
「わしは何十年もここで生きてきた。だからわかる。あそこには、普通じゃない何かがある」
老人の声は、いつになく真剣だった。
「生きて出たいなら、余計なことには首を突っ込むな」
ユウキは頷いた。
バルドの言うことは正しい。
自分はまだ弱い。
まともに戦える力もなければ、鉱山から逃げ出す方法すらわかっていない。
危険な場所へ近づく理由など、どこにもないはずだった。
それでも。
『……見つけて』
あの声が、頭から離れなかった。
もし、あの場所に本当に誰かが閉じ込められているのなら。
もし、誰にも助けを求められず、暗闇の中で苦しんでいる人がいるのなら。
自分は、知らないふりをできるのだろうか。
ユウキは小さく拳を握りしめた。
そのとき、採掘場の奥から怒鳴り声が響いた。
「全員、作業を中止しろ!」
看守の一人が大声で叫ぶ。
「第三坑道で事故が発生した! これより周辺区画を封鎖する!」
鉱夫たちがざわめき始めた。
バルドの表情が険しくなる。
「……やはり、何か起きたか」
ユウキは第三坑道へ続く通路を見つめた。
その奥には、重い鉄製の扉が設置されている。
普段は固く閉ざされ、看守たちが見張っている場所。
しかし今、その扉の向こうから、かすかな赤い光が漏れているように見えた。
「……あれは」
ユウキが呟いた瞬間、視界の端に新しい文字が浮かんだ。
《反応源の一部を特定しました》
《対象:不明》
《状態:封印》
《魂魄構造に異常を確認》
《固有権能「略奪」との適合性を検出》
ユウキは息を呑んだ。
封印。
魂魄構造。
適合性。
聞き慣れない言葉が並んでいる。
そして最後に、今まで表示されたことのない一文が浮かび上がった。
《警告》
《対象への接触は推奨されません》
《現在の使用者では、干渉時の安全性を保証できません》
ユウキは震える手を見つめた。
この力は、いったい何なのだろう。
魔物や人間から技能を奪うだけではない。
もっと別の何かが、自分の中に眠っている。
そんな気がした。
だが、今は何もわからない。
ユウキはゆっくりと息を吐き、青白い表示を閉じた。
少なくとも、無闇に近づくべきではない。
今の自分には、まだ力が足りないのだから。
◇◆◇
その夜。
第三坑道の最深部では、数人の魔術師が巨大な石の扉を取り囲んでいた。
扉の表面には、複雑な魔法陣が刻まれている。
赤黒い光が不規則に明滅し、そのたびに地下空間全体が微かに震えていた。
「……封印の魔力が低下しています」
若い魔術師が、震える声で報告した。
「原因は?」
奥に立っていた男が尋ねる。
灰色の外套をまとった、鋭い目つきの男だった。
「不明です。ただ、昨日から異常な魂魄反応が続いておりまして……」
「……昨日から?」
「はい。まるで、外部から何かが呼びかけているような反応です」
男は静かに目を細めた。
外部からの干渉。
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に一人の少年の姿が浮かんだ。
見慣れない服装。
黒い髪。
異国の響きを持つ名前。
そして、奴隷商人たちが報告していた奇妙な能力。
「……ユウキ、だったか」
男が小さく呟く。
若い魔術師が顔を上げた。
「何か?」
「……いや」
男は首を振った。
「封印を維持しろ。帝都からの指示があるまで、誰も中へ入れるな」
「はっ!」
魔術師たちが一斉に魔力を流し込み始める。
しかし、扉の奥から響く低い振動は収まらなかった。
――ドクン。
まるで、巨大な心臓が脈打っているかのようだった。
男は扉を見つめた。
その表面に刻まれた古代文字。
千年前の神授戦争に関係するとされる、失われた術式。
それがなぜ、この鉱山の地下に存在するのか。
詳しい事情を知る者は、帝国の中でも極めて限られている。
少なくとも、男自身に知らされていることは多くなかった。
ただ一つ。
この場所に眠るものを、決して外へ出してはならない。
それが、上層部から与えられた命令だった。
「……厄介なことになったな」
男は低く呟いた。
そのとき、扉の中心にある魔法陣が、一瞬だけ赤く輝いた。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声が、扉の向こうから響いた。
『……見つけた』
◇◆◇
同じ頃。
牢の中で横になっていたユウキは、突然目を開けた。
「……っ!」
胸の奥で、何かが脈打った。
しかし、今度は痛みがなかった。
代わりに、奇妙な感覚があった。
誰かが、自分を見ている。
そんな気がした。
周囲を見回しても、囚人たちは眠っている。
バルドも静かな寝息を立てていた。
ユウキはゆっくりと身体を起こし、暗い天井を見上げた。
「……また、あの声」
今度は、はっきりと聞こえた。
『……やっと』
幼い少女の声。
『……やっと、見つけた』
ユウキは息を呑んだ。
その声には、喜びとも悲しみともつかない、不思議な感情が滲んでいた。
「……君は、誰なの?」
小さく問いかける。
返事はなかった。
代わりに、視界の端に青白い文字が浮かんだ。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源:第三坑道最深部》
《対象との共鳴が継続しています》
《固有権能「略奪」は通常状態を維持しています》
ユウキは文字を見つめた。
第三坑道。
あの場所に、何かがいる。
そして、その何かは自分を知っているのかもしれない。
しかし、今すぐ確かめに行くことはできなかった。
鉄の枷。
看守たち。
封鎖された坑道。
そして、傷ついた身体。
今の自分では、どうすることもできない。
「……強く、ならないと」
ユウキは小さく呟いた。
リナを助けるために。
この鉱山から抜け出すために。
そして、もし本当に誰かが助けを求めているのなら、その声に応えられるように。
ユウキは両手を握りしめた。
まだ何もできない。
けれど、自分にできることを一つずつ増やしていけば、いつか道が開けるかもしれない。
そのために、明日も生き延びよう。
そう決意したとき、隣から小さな声が聞こえた。
「……坊主」
振り返ると、バルドが片目を開けていた。
「……まだ起きとったのか」
「……はい。ちょっと、眠れなくて」
老人は小さくため息をついた。
「……無理もない。こんな場所じゃ、まともに眠ることすら難しいからな」
そう言いながら、バルドは自分の身体を少しだけ横へずらした。
「こっちへ来い。壁際よりは、まだ寒くない」
ユウキは驚いた。
「……いいんですか?」
「構わん。どうせ年寄り一人じゃ、場所を持て余すだけだ」
ユウキは少し迷ったあと、老人の隣へ身体を寄せた。
冷たい石の床。
湿った空気。
遠くから聞こえる、看守の足音。
何も変わらない牢の中だったが、不思議と先ほどよりも寒さを感じなかった。
「……バルドさん」
「なんだ?」
「……ありがとうございます」
老人は目を閉じたまま、鼻を鳴らした。
「……礼ばかり言っとらんで、さっさと寝ろ」
「……はい」
ユウキは小さく笑った。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
第三坑道の奥から聞こえる声の正体は、まだわからない。
この鉱山に何が隠されているのかも、自分がなぜその存在と共鳴するのかも、何一つ理解できていなかった。
それでも、ユウキの心には確かな変化が生まれていた。
恐怖に怯えながら、ただ明日を待つだけだった自分が、今は誰かを助けるために強くなりたいと願っている。
その小さな願いは、やがて彼自身の運命を大きく変えていくことになる。
そして、第三坑道の最深部では、千年もの間閉ざされてきた石の扉に、誰にも気づかれないほど小さな亀裂が生まれていた。
暗闇の奥で、何かが静かに目覚めようとしていた。
――第6話 完。




