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第5話 灰の鉱山の住人たち

 ――カンッ、カンッ、カンッ。


 規則正しく響く金属音が、薄暗い牢の静寂を切り裂いていた。


 ユウキは冷たい石壁にもたれたまま、鉄格子の向こうをぼんやりと見つめていた。どれほど眠っていたのか、あるいは一睡もできていないのかさえわからない。


 天井に窓はなく、外の明かりも届かない。壁に取り付けられた松明だけが、地下の牢獄を頼りなく照らしていた。


 身体を少し動かすと、手首と足首を繋ぐ鎖が擦れ合い、不快な金属音を立てる。


「……痛っ」


 左肩の傷が疼いた。


 森で奴隷商人に斬られた場所だ。血はすでに乾いているものの、傷口の周囲は熱を持ち、制服の布が張りついていた。


 腹部にも鈍い痛みが残っている。


 父親から受けた暴力の傷が癒えないうちに、魔物との戦闘や奴隷商人との争いが重なったのだから当然だろう。


 それでも、ユウキが最も気にしていたのは自分の怪我ではなかった。


「……リナ」


 小さく名前を呼んでみる。


 しかし、返ってくるのは遠くで鳴り続ける金属音だけだった。


 森で出会った、首輪をつけられた少女。


 助けを求める声を聞き、見捨てることができずに手を差し伸べた。


 初めて会ったばかりなのに、彼女が笑ってくれたことが嬉しかった。


 ありがとう、と言われたときには、胸の奥が温かくなった。


 それなのに、結局は守りきれなかった。


 あの灰色の外套をまとった男の命令で、リナは別の場所へ連れていかれた。


 今頃どうしているのだろう。


 また酷い扱いを受けてはいないだろうか。


 考えれば考えるほど、胸が苦しくなった。


「……俺、何やってるんだろう」


 ユウキは膝を抱え、ゆっくりと俯いた。


 誰かを守りたいと願っても、現実はそう簡単には変わらない。


 力がなければ、大切な人を守ることさえできないのだ。


「……おい、坊主」


 不意に隣から声が聞こえた。


 顔を上げると、昨夜話しかけてきた白髪の老人が、こちらを見つめていた。


「朝っぱらから死人みてえな顔をするな。こっちまで気が滅入る」


「……すみません」


 反射的に謝ると、老人は呆れたように眉をひそめた。


「別に謝れとは言っとらん」


「……あ」


「まったく、妙な坊主だな」


 老人は乾いた笑いを漏らすと、膝に置いていた手をゆっくりと動かした。


 その指は節くれ立ち、爪の間には黒い汚れが染み込んでいる。長年にわたる労働の痕跡が、手の隅々にまで刻まれていた。


「名前は?」


「……ユウキです。ユウキ・コバヤシ」


「ユウキ、か。聞かん名前だな」


 老人はしばらく考えるように顎を撫で、それから自分の胸を軽く叩いた。


「わしはバルド。ここじゃ、ただの老いぼれ鉱夫だ」


「……バルドさん」


「さん付けなんぞいらん。好きに呼べ」


 ユウキは小さく頷いた。


 その様子を見たバルドは、少しだけ表情を和らげた。


「それで、何をやらかしてここへ来た?」


「……え?」


「盗みか、借金か、それとも貴族の機嫌でも損ねたか?」


 ユウキは答えに困った。


 自分が何をしたのかと問われても、うまく説明できない。


 見知らぬ森で目を覚まし、魔物に襲われ、逃げている途中で奴隷の少女と出会った。


 彼女を助けようとして奴隷商人たちと争い、気づけばこの場所に連れてこられていた。


 そう説明しても、信じてもらえるだろうか。


「……女の子を、助けようとしたんです」


 迷った末、ユウキは正直に答えた。


 バルドの眉がわずかに動く。


「女?」


「はい。怪我をして倒れていた子がいて、その子を連れ戻そうとしていた男たちと……」


「喧嘩になったのか?」


「……はい」


 老人はしばらく黙っていたが、やがて深いため息をついた。


「馬鹿なことをしたもんだ」


 その言葉に、ユウキの肩が小さく震えた。


 怒られる。


 そう思った瞬間、自然と身体が強張った。


 しかし、バルドは怒鳴ることも、手を上げることもしなかった。


「……まあ、助けようとしたことまで馬鹿だとは言わんがな」


「……え?」


「この国じゃ、奴隷を連れ戻そうとする商人に逆らえば、厄介なことになる。相手にどれだけ非があろうとな」


 バルドは鉄格子の向こうへ視線を向けた。


「ここには、お前みたいな奴が何人もいる。誰かを庇った者もいれば、身に覚えのない罪を押しつけられた者もいる。もちろん、本当に罪を犯した奴だっているがな」


「……そんな」


「珍しいことじゃない」


 老人の声は淡々としていた。


 それがかえって、ユウキには恐ろしく感じられた。


 誰かを助けた結果、自由を奪われる。


 何も悪いことをしていなくても、奴隷として働かされる。


 そんなことが、当たり前のように起こる世界。


「……この国って、どこなんですか?」


 ユウキが尋ねると、バルドは不思議そうに目を細めた。


「お前、どこの生まれだ?」


「……遠いところです」


「遠いところ、ねえ」


 老人は疑わしげな顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。


「ここはアルヴェイン王国の西部辺境だ。正確には王国の管理が行き届かん、帝国との境に近い土地だがな」


「……アルヴェイン王国」


 初めて聞く国名だった。


「それじゃあ、帝国っていうのは……?」


「ゼルガ帝国だ。東方に広大な領土を持つ軍事国家で、この辺りじゃ名前を聞くだけで顔をしかめる者も多い」


 バルドは周囲を一度見回してから、少しだけ声を落とした。


「表向きは国境の均衡が保たれとるが、裏じゃ小競り合いも珍しくない。奴隷商人の中には、帝国と繋がっている連中もおるらしい」


 ユウキは息を呑んだ。


 アルヴェイン王国。


 ゼルガ帝国。


 聞いたことのない国家が存在する、見知らぬ世界。


 そして、その世界では人間が商品として売り買いされている。


 日本で暮らしていた頃には、想像もできなかった現実だった。


「……逃げることは、できないんですか?」


 ユウキが尋ねると、バルドは苦笑した。


「できるなら、とっくに逃げとるわ」


 老人は自分の足首を持ち上げた。


 そこにはユウキと同じような鉄の枷がはめられており、鎖の付け根には小さな黒い石が埋め込まれていた。


「こいつは魔封石を使った拘束具だ。魔力の流れを乱し、強引に引きちぎろうとすれば警報が鳴る。魔法を使える奴でも簡単には外せん」


「……魔法」


 ユウキは思わず呟いた。


 バルドが怪訝そうな顔をする。


「なんだ、お前。魔法まで知らんのか?」


「……少しは、知ってます」


 ゲームの中だけなら。


 心の中でそう付け加えた。


 すると、バルドは小さく笑った。


「まあ、世間知らずなのは見りゃわかる。ここで生き残りたいなら、少しずつ覚えることだな」


 その言葉には、不思議な温かさがあった。


 初めて会った老人が、自分に生き残るための知識を教えようとしてくれている。


 それだけのことなのに、ユウキは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。


「……ありがとうございます」


 頭を下げると、バルドは気まずそうに顔を背けた。


「礼を言われるようなことはしとらん」


 ◇◆◇


 しばらくして、鉄格子の向こうから重い足音が近づいてきた。


「起きろ、屑ども!」


 怒鳴り声とともに現れたのは、革鎧を身につけた大柄な男だった。


 腰には短剣、右手には黒ずんだ鞭を持っている。


 男は牢の扉を乱暴に開け放つと、中にいる者たちを睨みつけた。


「いつまで寝てやがる! 今日の採掘が始まるぞ!」


 その声を聞いた瞬間、ユウキの肩が跳ねた。


 胸が苦しくなり、呼吸が浅くなる。


 頭ではここが日本の家ではないと理解しているのに、身体は父親の怒鳴り声を聞いたときと同じ反応をしていた。


「……おい、坊主」


 隣にいたバルドが小声で呼びかける。


「立て。目をつけられるぞ」


「……は、はい」


 ユウキは慌てて立ち上がった。


 しかし、傷ついた身体が悲鳴を上げ、足元がふらつく。


 壁に手をついて身体を支えたところで、看守の視線がこちらへ向いた。


「なんだ、そのガキは?」


「昨日入った新入りです」


 別の看守が答える。


「上からは、しばらく鉱山で働かせろとの命令が出ています」


「ふん。妙な服を着たガキだな」


 男はユウキへ近づくと、顎を乱暴に掴んだ。


「おい、坊主。ここじゃお前の都合なんざ関係ねえ。働けと言われたら働く。それだけだ」


「……はい」


「返事が小せえ!」


「は、はい!」


 思わず声を張り上げた。


 看守は満足したのか、ユウキの顎を突き放した。


「よし、全員出ろ!」


 囚人たちが一斉に動き始める。


 誰も口を開かず、ただ黙々と牢の外へ歩いていく。


 ユウキもその後に続いた。


 薄暗い通路を進むにつれて、金属を打ちつける音が大きくなっていった。


 やがて、目の前に巨大な空間が広がる。


「……すごい」


 思わず声が漏れた。


 そこは、山の内部を丸ごと削り取ったような巨大な採掘場だった。


 高い天井からは無数の鍾乳石が垂れ下がり、壁には青白く光る鉱石が点在している。


 何十人、いや何百人もの人々が、ツルハシを振るいながら岩壁を掘り進めていた。


 大人だけではない。


 ユウキと同じくらいの少年もいれば、まだ幼く見える子供の姿もあった。


 痩せ細った老人が重い籠を運び、足を引きずる男が岩を砕いている。


 誰もが疲れ切った顔をしていた。


「……こんなに、たくさん」


 ユウキが呟くと、隣のバルドが低い声で答えた。


「ここは西部辺境でも最大級の採掘場の一つだ。表向きは民間の鉱山だが、実際には複数の商会や有力者が利益を分け合っとる」


「……何を掘ってるんですか?」


「主に魔鉱石だ。魔道具や武器の製造に使われる、価値の高い鉱石さ」


 バルドは壁に埋まった青白い石を指さした。


「あれが低純度の魔鉱石だ。もっと奥へ行けば、純度の高いものも採れるらしい」


「……魔鉱石」


 ユウキはその言葉を繰り返した。


 異世界らしい光景だと思った。


 しかし、周囲で働く人々の顔を見ていると、単純に感動することはできなかった。


 ここでは、魔法の力を宿した美しい鉱石が、人々の自由と引き換えに掘り出されているのだ。


「おい! そこ、何を突っ立ってる!」


 看守の怒声が響いた。


 ユウキは慌てて頭を下げる。


「……すみません!」


「新入りなら、さっさと道具を受け取れ!」


 男は乱暴にツルハシを投げてよこした。


 ユウキは咄嗟に両手で受け止めたが、予想以上の重さに身体がよろめいた。


「……重っ」


「一日中振るうんだ。今のうちに慣れとけ」


 バルドが苦笑する。


 その笑顔には、長年の苦労が滲んでいた。


 ◇◆◇


 採掘作業は、想像を絶するほど過酷だった。


 ユウキは指定された岩壁の前に立ち、ツルハシを振り下ろしていた。


 最初の数回は、なんとか持ちこたえた。


 しかし、十分も経たないうちに腕が重くなり、掌には水ぶくれができ始める。


 傷ついた左肩に鋭い痛みが走るたび、思わず顔をしかめた。


「……はぁっ、はぁっ……!」


 額から汗が流れ落ちる。


 地下の空気は湿っていて、少し動くだけでも息苦しかった。


「腕だけで振るうな」


 隣で作業していたバルドが声をかけてきた。


「腰を使え。そうすりゃ、少しは楽になる」


「……こう、ですか?」


 ユウキは老人の動きを真似しながら、ツルハシを振り下ろした。


 金属の先端が岩に当たり、小さな破片が飛び散る。


「そうだ。力任せに叩くな、割れ目を狙え」


 何度か繰り返すうちに、わずかながら動きが安定してきた。


 ユウキは驚いた。


 老人の動きには無駄が少ない。


 筋力では若い自分の方が上かもしれないのに、採掘の速度は比べものにならなかった。


「……すごいですね」


 思わず口にすると、バルドは鼻を鳴らした。


「こんなもん、長くやってりゃ誰でも覚える」


「でも、俺には難しいです」


「なら覚えろ。ここじゃ、覚えが悪い奴から倒れていく」


 老人の口調は厳しかったが、突き放すような冷たさはなかった。


 ユウキは小さく頷き、再びツルハシを握り直した。


 そのときだった。


 ――ピコン。


 視界の端に、青白い文字が現れた。


《反復動作による技能習熟を確認》


《技能獲得条件の一部を満たしました》


《採掘技能の習得進行中》


「……え?」


 ユウキは思わず手を止めた。


 採掘技能。


 今まで持っていなかった技能だ。


 もしかして、略奪を使わなくても技能を覚えられるのだろうか。


 そんな考えが浮かぶ。


 しかし、詳しく確認する前に看守の怒声が響いた。


「おい! 手を止めるな!」


「……はい!」


 ユウキは慌てて作業を再開した。


 胸の奥に、小さな希望が生まれていた。


 この世界では、戦闘以外でも成長できるのかもしれない。


 ならば、今の自分にできることは何だろう。


 魔物を倒す力はない。


 剣を扱う技術もない。


 それでも、少しずつ何かを覚えることはできる。


 ユウキはツルハシを握り直し、目の前の岩壁を見つめた。


 今は、できることから始めよう。


 そう自分に言い聞かせ、再び腕を動かした。


 ◇◆◇


 昼食と呼べるものが配られたのは、どれほど働いたあとのことだっただろう。


 看守の合図で作業を中断した囚人たちは、壁際に座り込んでいった。


 ユウキの前にも、木の器が一つ置かれる。


 中には薄い灰色の粥が入っており、具らしいものはほとんど見当たらなかった。


「……これが、ご飯?」


 思わず呟く。


 バルドは隣で器を持ち上げると、慣れた様子で粥を口へ運んだ。


「嫌なら食わんでもいいぞ。ただし、次の食事まで何も出んがな」


「……食べます」


 ユウキは慌てて器を手に取った。


 口へ運ぶと、ぬるく、ほとんど味がしなかった。


 それでも、空腹だった身体にはありがたかった。


 日本の家でも、十分な食事を与えられない日はあった。


 けれど、ここではそれが当たり前なのだろう。


 周囲の囚人たちは誰も文句を言わず、黙々と粥を食べている。


 その中に、一人だけ食事へ手をつけない少年がいた。


 ユウキよりも二、三歳ほど年下に見える、痩せた少年だった。


 少年は壁にもたれたまま、顔を伏せている。


 その身体が、小さく震えていた。


「……あの子、大丈夫なんですか?」


 ユウキが尋ねると、バルドは少年へ視線を向けた。


「……ああ、あいつか」


 老人は小さくため息をついた。


「名前はトーマ。ここへ来て、まだ十日ほどだ」


「……十日?」


「昨日から熱を出しとる。まともに働けんから、看守どもに目をつけられとるんだ」


 ユウキは少年を見つめた。


 頬は赤く、呼吸も荒い。


 明らかに具合が悪そうだった。


「……お医者さんには?」


 バルドは首を振った。


「ここで医者に診てもらえるのは、管理者が価値を認めた奴だけだ。普通の奴隷にゃ、そんな贅沢は許されん」


「……そんなの」


 ユウキは唇を噛んだ。


 目の前で苦しんでいる人がいる。


 それなのに、誰も助けようとしない。


 いや、助けられないのだ。


 周囲の囚人たちも、自分が生き残ることで精一杯なのだろう。


 ユウキは自分の器を見つめた。


 薄い粥。


 これが、今の自分に与えられた唯一の食事。


 それを手放せば、次の作業で倒れてしまうかもしれない。


 そう考えながらも、ユウキは立ち上がっていた。


「……おい、坊主」


 バルドが声をかける。


「何をするつもりだ?」


「……ちょっと、行ってきます」


 ユウキは器を持ち、トーマのもとへ歩み寄った。


 少年は近づいてきたユウキに気づき、怯えたように顔を上げた。


「……な、なんだよ」


「……大丈夫?」


「……ほっといてくれ」


 かすれた声だった。


 ユウキは少しだけ距離を取り、少年の前にしゃがみ込んだ。


「……熱、あるんだよね」


「……だから、なんだよ」


「これ、食べられる?」


 ユウキは自分の器を差し出した。


 少年は目を見開いた。


「……え?」


「俺の分だけど、まだ少し残ってるから」


 トーマはしばらく器を見つめていたが、やがて警戒するように眉をひそめた。


「……なんで?」


「……なんでって」


「なんで、俺にくれるんだよ」


 ユウキは少し考えた。


 特別な理由があるわけではなかった。


 ただ、目の前で苦しんでいる少年を放っておけなかっただけだ。


「……食べた方が、少しは元気になるかもしれないから」


 そう答えると、トーマはますます困惑した表情になった。


「……変なやつ」


「……よく言われる」


 ユウキは苦笑した。


 少年はしばらく迷っていたが、やがて恐る恐る器を受け取った。


「……ありがと」


 小さな声だった。


 ユウキは微笑んだ。


「……うん」


 そのとき、背後から低い声が聞こえてきた。


「……お人好しも、ほどほどにしとけよ」


 振り返ると、バルドが立っていた。


 老人は呆れたような顔をしていたが、その目にはわずかな優しさが浮かんでいた。


「自分の飯まで分け与えてたら、お前の方が先に倒れるぞ」


「……でも」


「わかっとる。だから余計に厄介なんだ」


 バルドは小さく息を吐くと、自分の器に残っていた粥をユウキへ差し出した。


「……ほれ」


「……え?」


「少し余っとる。食え」


「でも、バルドさんの……」


「年寄りはそんなに食えん。遠慮するな」


 ユウキは驚いた。


 老人の器には、まだそれなりの量が残っている。


 それを自分に渡そうとしているのだ。


「……ありがとうございます」


 ユウキが頭を下げると、バルドは気まずそうに顔を背けた。


「……まったく、変な坊主だ」


 その言葉を聞いて、ユウキは少しだけ笑った。


 この鉱山には、恐ろしい人間ばかりがいるわけではない。


 そんな当たり前のことが、今はひどく嬉しかった。


 ◇◆◇


 午後の採掘が始まる頃、鉱山の奥から不気味な振動が伝わってきた。


 ――ゴゴゴゴ……。


 足元の石が微かに揺れる。


 天井から細かな砂が落ち、壁に埋まった魔鉱石が淡く明滅した。


「……地震?」


 ユウキは思わず手を止めた。


 周囲の鉱夫たちも、同じように顔を上げている。


 その中で、バルドだけが険しい表情を浮かべていた。


「……またか」


「……また?」


 ユウキが尋ねると、老人は周囲を警戒しながら小声で答えた。


「最近、奥の坑道で妙なことが起きとる」


「……妙なこと?」


「夜になると、誰もいないはずの場所から声が聞こえるらしい。それに、奥へ送られた鉱夫が何人も戻ってきとらん」


 ユウキの背筋に冷たいものが走った。


「……戻ってこない?」


「ああ。看守どもは事故だと言っとるが、妙な噂もある」


 バルドはそこで言葉を切った。


 近くを看守が通り過ぎたからだ。


 男が離れたのを確認してから、老人はさらに声を落とした。


「……奥の坑道には、魔物が出るって話だ」


「……魔物?」


 ユウキの脳裏に、森で戦った灰牙狼の姿が浮かんだ。


 鋭い牙。


 赤く濁った瞳。


 そして、命を奪ったときの生々しい感触。


 あれと同じような存在が、この地下にもいるのだろうか。


「……危なくないんですか?」


「危ないに決まっとる。だから皆、奥へ行きたがらん」


 バルドは苦々しく笑った。


「だが、命令されりゃ逆らえん。ここじゃ、それが当たり前だ」


 ユウキは何も言えなかった。


 そして、再び地面が揺れた。


 今度は先ほどよりも強い。


 ――ドンッ!


 遠くで何かが崩れるような音が響いた。


「……っ!」


 周囲の鉱夫たちがざわめき始める。


 看守たちも慌ただしく走り回り、奥の坑道へ向かっていった。


「おい! 第三坑道の封鎖を確認しろ!」


「魔力反応が上昇しています!」


「またか! くそっ!」


 怒鳴り声が飛び交う。


 ユウキはその様子を呆然と見つめていた。


 魔力反応。


 第三坑道。


 何かが起きている。


 それだけはわかった。


 そのときだった。


 ――ドクン。


 胸の奥で、突然何かが脈打った。


「……っ!」


 ユウキは思わず胸を押さえた。


 心臓の鼓動とは違う。


 もっと深い場所から、何かが呼びかけてくるような感覚だった。


 視界の端に、青白い文字が浮かび上がる。


《固有権能「略奪」に微弱な反応を確認》


《未登録の魂魄反応を検出》


《反応源:地下深部》


「……え?」


 ユウキは息を呑んだ。


 略奪が反応している。


 しかし、周囲に倒れた魔物も人間もいない。


 能力の発動条件を満たすような対象は、どこにも見当たらなかった。


《警告》


《反応源の解析に失敗しました》


《干渉は実行されていません》


 表示はそれだけ告げると、静かに消えた。


 ユウキは震える手を見つめた。


 何だったのだろう。


 地下深部に、何かがいるのだろうか。


 それとも、この鉱山そのものに、何か秘密があるのだろうか。


「……ユウキ?」


 バルドが不思議そうに顔を覗き込んできた。


「どうした? 顔色が悪いぞ」


「……いえ、なんでもないです」


 ユウキは慌てて首を振った。


 自分の能力については、まだ誰にも話していない。


 バルドを信用していないわけではなかったが、略奪という力がどれほど危険なものなのか、ユウキ自身にもわかっていなかった。


 不用意に話すべきではない。


 そう判断した。


 バルドは少しだけ疑わしそうな顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。


「……まあ、無理はするな。今日はもうすぐ作業が終わる」


「……はい」


 ユウキは頷き、再びツルハシを握り直した。


 しかし、胸の奥に残る違和感は消えなかった。


 ◇◆◇


 その夜。


 ユウキは牢の片隅で、膝を抱えて座っていた。


 昼間の騒ぎは、結局何事もなかったかのように収まった。


 看守たちは第三坑道の封鎖を確認したあと、囚人たちを通常どおり牢へ戻したのだ。


 けれど、ユウキにはどうしても気になることがあった。


 地下深部から感じた、あの奇妙な反応。


 略奪という力が、何かを探しているような感覚。


 そして、森で少女を助けようとしたときに起きた異常反応。


 どちらも、通常の略奪とは明らかに違っていた。


「……なんなんだろう、この力」


 ユウキは小さく呟いた。


 能力を奪う。


 それだけでも十分に恐ろしい。


 しかし、この力には自分の知らない何かが隠されている気がした。


 それが何なのかは、まだわからない。


 今は考えても仕方がないのかもしれなかった。


 ユウキはゆっくりと息を吐き、目を閉じようとした。


 そのとき、隣にいたバルドが声をかけてきた。


「……坊主」


「……はい?」


「お前、外に出たいか?」


 突然の問いかけに、ユウキは目を瞬かせた。


「……外、ですか?」


「ああ。この鉱山から逃げ出して、自由になりたいかと聞いとる」


 ユウキは少しだけ考えた。


 答えは決まっている。


「……はい」


 迷いなく頷いた。


「……俺、ここから出たいです」


 バルドは静かに頷いた。


「そうか」


「……それに」


 ユウキは小さく拳を握りしめた。


「……探したい人が、いるんです」


 リナ。


 あの少女が今、どこで何をしているのか。


 無事でいるのか。


 まだ何もわからない。


 けれど、もう一度会いたかった。


 今度こそ、彼女を助けられる自分になりたかった。


 ユウキの言葉を聞いたバルドは、しばらく黙っていた。


 そして、周囲の囚人たちが眠っていることを確認すると、さらに声を落とした。


「……なら、一つだけ教えてやる」


「……え?」


「この鉱山にはな、昔から使われとらん古い坑道がある」


 ユウキは息を呑んだ。


 バルドは続けた。


「今じゃ封鎖されとるが、わしがここへ来た頃には、まだ人が通れた場所だ。詳しいことは知らんが、地上へ繋がっていたという話を聞いたことがある」


「……地上へ?」


「ああ。ただし、そこへ辿り着けた者が本当に外へ出られたのか、わしは知らん」


 ユウキの胸が高鳴った。


 出口。


 この鉱山から逃げ出せるかもしれない、唯一の手掛かり。


 しかし、バルドはすぐに表情を険しくした。


「勘違いするなよ。簡単な道じゃない。奥の坑道は危険だし、見つかればただでは済まん」


「……それでも」


 ユウキは老人を見つめた。


「……可能性があるなら、知りたいです」


 バルドはその瞳をしばらく見つめていた。


 やがて、諦めたように小さく笑う。


「……まったく、頑固な坊主だ」


 老人は壁にもたれ、静かに目を閉じた。


「なら、まずは生き延びろ。ここで倒れたら、出口も何もあったもんじゃない」


「……はい」


 ユウキは深く頷いた。


 まだ何も解決していない。


 自由を奪われ、鎖に繋がれたまま、明日も過酷な労働が待っている。


 それでも、少しだけ希望が見えた気がした。


 ユウキは自分の手首にはめられた枷を見つめる。


 冷たく重い鉄の輪。


 今の自分には、これを壊す力はない。


 けれど、いつか必ず。


 自分の力で、この場所から抜け出してみせる。


 そう心に誓ったときだった。


 ――ドクン。


 再び、胸の奥で何かが脈打った。


 昼間よりも、はっきりとした感覚だった。


 ユウキは思わず顔を上げる。


 周囲の囚人たちは眠っている。


 バルドも目を閉じたままだ。


 誰も、何も感じていないようだった。


 しかし、ユウキには聞こえた。


 どこか遠い場所から、誰かが呼んでいる。


『……たすけて……』


 かすれた声。


 男とも女ともつかない、不思議な声だった。


 ユウキの背筋に冷たいものが走る。


 聞き覚えがあった。


 あの日。


 日本で父親に殺されそうになった瞬間、足元に現れた赤い魔法陣。


 そのとき聞こえた、数え切れないほどの悲鳴。


 あの声に、似ていた。


「……まさか」


 ユウキは震える手を握りしめた。


 そして、視界の端に青白い文字が浮かび上がる。


《未登録の魂魄反応を検出》


《反応源:第三坑道深部》


《固有権能「略奪」が共鳴しています》


 ユウキは息を呑んだ。


 地下深くに、何かがある。


 それが何なのかは、まだわからない。


 しかし、確かなことが一つだけあった。


 この鉱山の奥には、単なる魔鉱石や魔物とは違う、何かが眠っている。


 そして、その何かが自分を呼んでいるのだ。


 ユウキは暗い天井を見上げた。


 自由への手掛かりと、正体不明の声。


 二つの謎が、同じ地下深部へと繋がっているような気がした。


 恐怖がないわけではない。


 むしろ、今すぐ耳を塞いでしまいたいほど怖かった。


 それでも、あの声を聞いてしまった以上、知らないふりをすることはできなかった。


 ユウキはゆっくりと目を閉じる。


 いつか必ず、この鉱山から抜け出す。


 そして、リナを探し出す。


 そのために、まずは明日を生き延びよう。


 そう決意しながら、ユウキは冷たい石壁に身体を預けた。


 地下深くから聞こえる声は、いつまでも彼の耳に残っていた。


――第5話 完。

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