第66話 新たな武具への道
窓の外から聞こえてきた鳥の鳴き声で、ユウキは目を覚ました。
薄い朝日が木製の窓枠を照らし、隙間から差し込んだ光が床へ細長い影を落としている。昨夜、消し忘れないようにと確かめたランプは、机の隅に置かれたまま静かに冷えていた。
ユウキは毛布の中で小さく身じろぎした。
その瞬間、あることに気づく。
「……あれ?」
いつもなら身体を起こすとき、右肩の奥へ鈍い痛みが走っていた。
だが、今朝は違った。
寝台へ肘をつき、ゆっくりと上体を起こしてみる。背中にはわずかな張りが残っているものの、昨日まで感じていた刺すような痛みはほとんどない。
ユウキは驚きながら右腕を持ち上げた。
肩の高さまで。
さらに、その少し上まで。
痛みはない。
慎重に腕を回してみても、関節の奥に残っていた重さは随分と軽くなっていた。
「……本当に、良くなってる」
思わず声が漏れた。
昨日、治療院で施された白魔法『継続回復向上』。
治癒魔法によって傷ついた部分を直接回復させ、そのあと身体本来の回復力を高める魔法を受けた。
治療師は、今日にはかなり良くなっているだろうと言っていた。
その言葉どおり、身体は明らかに回復している。
ただし、痣がすべて消えたわけではない。胸元には薄い変色が残り、背中を大きく捻ると筋肉が少し引っ張られた。
ユウキは途中で腕を下ろした。
楽になったからといって、無理をしてはいけない。
そのことも、昨日教わったばかりだった。
「……お、起きたか」
部屋の奥から声がした。
バルドだった。
すでに寝台の端へ腰を下ろし、左肩を確かめるようにゆっくりと腕を動かしている。
「おはようございます、バルドさん」
「ああ、おはよう」
「肩の調子はどうですか?」
「驚くほど良い」
バルドはそう答えると、左腕を前へ伸ばした。
続いて肘を曲げ、肩を少しずつ回す。
動きはまだ慎重だったが、昨日のように途中で顔をしかめることはなかった。
「昨日は腕を上げるだけでも痛んだが、今朝は随分と動かせるようになっておる」
「……よかったです」
ユウキは自然と笑顔になった。
その様子を見たバルドも、穏やかに微笑んだ。
「お前のおかげだな」
「僕だけじゃありません。治療師さんが白魔法を使ってくれたからです」
「それもそうだ。だが、お前の治癒魔法がなければ、ここまで早く回復できなかっただろう」
ユウキは自分の手を見下ろした。
治癒魔法。
エルナ・フィオレから受け継いだ力。
昨日、治療院でその価値を知ったとき、真っ先に浮かんだのは彼女の顔だった。
森で出会った、優しい老齢の治癒師。
彼女が生涯をかけて積み重ねてきたものが、今も自分の中にある。
そして、その力で仲間の傷を治すことができた。
ユウキはそっと拳を握った。
いつか、もっと多くの人を助けられるようになりたい。
ただ傷を治すだけではなく、傷つく前に守れるようにもなりたい。
そんな思いが、胸の奥へ静かに広がっていった。
「……あれ、もう起きてるの?」
寝台から眠そうな声が聞こえた。
トーマが毛布を頭まで被ったまま、こちらを見ている。
「おはよう、トーマ」
「……おはよ」
トーマは大きな欠伸をした。
そして、ユウキとバルドの様子を見比べる。
「……あれ? 2人とも元気そうじゃん!」
「うん。だいぶ良くなったよ」
「本当に? じゃあ、もう訓練できる?」
「いや、それはまだ早いだろう」
バルドが即座に答える。
「回復したことと、全力で身体を動かしてよいことは別だ」
その言葉を聞き、ユウキも頷いた。
「今日、もう一度治療院で確認してもらおうと思う」
「なるほどね」
トーマは少し考え、それから笑った。
「じゃあ、それまでは休みだ!」
その声に、部屋の奥で道具を整理していたドランが振り返った。
「……お前は、どうあっても休みたいらしいな」
「そりゃそうだよ!」
トーマが胸を張ると、3人は思わず笑った。
◇◆◇
朝食を終えたあと、ネクシアは再び治療院を訪れた。
昨日と同じ初老の治療師が、ユウキ達を迎えてくれた。
「おや、もう来られましたか」
「はい。昨日よりずっと楽になったので、一度確認してもらおうと思って」
ユウキが答えると、治療師は満足そうに頷いた。
「それはよかった。では、状態を見てみましょう」
最初にバルドの診察が始まった。
男性は左肩へ手を添え、腕をゆっくりと動かしていく。
昨日は途中で痛みが走っていた動作も、今日は最後まで行うことができた。
「かなり回復していますね」
治療師が頷く。
「痛みは残っていますか?」
「強く動かせば少し張る程度だな」
「それなら、もう少し休めば問題なさそうです。ただし、今日は重い盾を使った訓練は控えてください」
「わかった」
バルドは素直に頷いた。
続いて、ユウキの番になった。
右肩と背中を確認し、昨日と同じように腕を動かす。
治療師はその動きを観察しながら、何度か頷いた。
「こちらも良好ですね」
「……本当ですか?」
「ええ。治癒魔法による直接的な回復と、継続回復向上による補助がうまく働いたようです」
男性はユウキの肩から手を離した。
「昨日と比べれば、驚くほど回復しています」
ユウキは安堵の息を吐いた。
すると、治療師は少しだけ表情を引き締めた。
「ですが、これで無理をしていいわけではありません。激しい戦闘や長時間の訓練は、もう少し控えてください」
「はい」
「特にあなたは、治癒魔法を使えるからといって、自分の身体を後回しにしないことです」
その言葉に、ユウキは少し驚いた。
「……どうしてですか?」
治療師は穏やかに答えた。
「治せるからといって、傷ついていいわけではないからです」
ユウキは言葉を失った。
「治癒魔法は素晴らしい力です。しかし、魔力には限りがあります。重い傷を負えば、それだけ回復にも負担がかかるでしょう」
男性は静かに微笑んだ。
「誰かを助けたいのなら、まず自分自身が倒れないことです」
ユウキはその言葉を聞きながら、エルナの顔を思い浮かべた。
彼女もきっと、同じように自分を心配してくれただろう。
ユウキは静かに頷いた。
「……ありがとうございます。気をつけます」
治療師は満足そうに微笑んだ。
「ええ。その大切な治癒魔法を、これからも上手に使ってください」
その言葉を胸に、ユウキ達は治療院をあとにした。
◇◆◇
治療院を出たあと、4人は『鉄火の槌』へ向かった。
通りを進むにつれて、金属を打つ音が大きくなっていく。
カンッ、カンッ、カンッ。
一定の間隔で響く音に混じり、炉の中で薪が弾ける音が聞こえてきた。
店の前には、修理を待つ農具や荷車の金具が置かれている。
扉の隙間からは、赤い炉の光が漏れていた。
ユウキは店の前で足を止めた。
あの森での戦いを経験した今では、鍛冶屋へ向かう意味が以前とは違って感じられた。
武器は、ただ持っているだけで自分を守ってくれるものではない。
手入れを怠れば傷み、無理な使い方をすれば壊れる。
そして、相手との実力差が大きければ、どれほど頼りにしていた武器でも通用しないことがある。
ユウキは腰に下げた剣へ視線を落とした。
何度も自分を守ってくれた9級の鉄ショートソード。
今は、その刃に細かな傷が残っている。
「……行こうか」
ユウキが言うと、トーマが頷いた。
「うん!」
4人は店の扉を押し開けた。
熱を帯びた空気が、一気に顔へ流れてくる。
店内では、ガルドが炉の前で作業をしていた。
厚い革の前掛けを身につけ、片手には鉄製の工具を握っている。
こちらへ気づくと、作業を止めて顔を上げた。
「……おう。来たか」
「おはようございます」
ユウキが頭を下げる。
ガルドは4人を見渡し、少しだけ眉を寄せた。
「お前ら、随分と疲れた顔をしてるな」
トーマが苦笑する。
「いやぁ、ちょっと大変な依頼だったんだよ」
「ちょっと、ねぇ」
ガルドはそう言いながら、バルドの持つ盾へ視線を向けた。
「……とりあえず、それを見せてみろ」
バルドが木鉄盾を差し出した。
ガルドはそれを受け取り、作業台へ置いた。
表面には深い爪痕が刻まれ、金属の補強部分も一部が歪んでいる。
盾を裏返して革帯を確認したあと、ガルドは中央の木材へ指先を当てた。
ギシッ。
小さな音が響いた。
ガルドの表情が険しくなる。
「……こいつは酷いな」
「修理できそうか?」
バルドが尋ねた。
ガルドはすぐには答えず、木枠の縁を工具で軽く叩いた。
乾いた音が何度か続く。
しかし、一部分だけ、鈍く濁った音が返ってきた。
「……やっぱりか」
「何かわかったのか?」
「外側だけじゃねえ。中の木材まで傷んでる」
ガルドは盾を傾けた。
金属の縁と木枠の間に、わずかな隙間ができている。
「これを直すなら、木材を一部交換して、補強金具も作り直す必要がある」
「……それなら、修理を頼めるか?」
バルドが言うと、ガルドは首を横に振った。
「修理はできる。だが、俺なら勧めねえ」
その言葉に、4人は顔を見合わせた。
「……どういうことですか?」
ユウキが尋ねる。
ガルドは盾を作業台へ置いた。
「ここまで傷んだ盾を金をかけて直すくらいなら、新しい盾を買った方がいい」
バルドが眉を寄せた。
「……新しい盾か」
「ああ。修理しても、新品と同じ強度へ完全に戻せるとは限らねえ。それなら、今のお前の戦い方に合う盾を選び直した方がいい」
ガルドはバルドの身体を見た。
広い肩幅。
鍛えられた腕。
長年の採掘作業で培われた、安定した足腰。
「お前、盾を使うときは、あまり大きく動かないだろ?」
バルドが少し驚いた。
「……よくわかったな」
「盾の傷を見りゃ、ある程度はわかる。正面から受けることが多いが、ただ突っ立ってるわけじゃねえ。衝撃を逃がすために角度を変えてる」
ガルドは頷いた。
「だったら、軽さだけを優先した盾は合わねえな」
そして、店の奥にある棚へ向かった。
◇◆◇
ガルドが最初に持ってきたのは、厚い金属で縁を補強した大きな盾だった。
表面には滑らかな鉄板が取りつけられ、裏側には腕を固定する革帯と、握りやすい木製の取っ手が備えられている。
「こいつは9級の鉄縁重盾だ」
ガルドは盾を作業台へ立てかけた。
「今使ってる木鉄盾より少し重いが、中央の補強がしっかりしてる。正面からの攻撃を受け止めるには向いてるな」
バルドは盾を持ち上げた。
「……確かに、重い」
左腕へ通し、ゆっくりと構える。
肩にはまだ少し張りが残っているため、激しく動かすことはしなかった。
それでも、腕へ伝わる重量の感覚は確かめられた。
「どうだ?」
ガルドが尋ねる。
「悪くはない。ただ、これを長時間構えるとなると、少し負担が大きいかもしれん」
「だろうな」
ガルドは頷いた。
「防御力だけを求めるなら悪くねえが、お前は片手斧も使うんだろ?」
「ああ」
「なら、もう少し取り回しを考えた方がいい」
続いて取り出したのは、先ほどより一回り小さな盾だった。
縁は鉄で補強されているが、中央には硬質の木材が使用され、裏側の金具も必要な部分だけに配置されている。
「こっちは8級の軽量複合盾だ」
ガルドは盾をバルドへ渡した。
「金属と木材を組み合わせて、重さを抑えながら強度を確保してる。突進を真正面から受けるより、角度をつけて逸らす戦い方に向いてるな」
バルドは慎重に構えた。
先ほどの重盾よりも、腕が自然に動く。
盾の上端を少し傾けても、身体の重心が崩れにくい。
「……なるほど」
バルドは感心したように呟いた。
「こっちの方が、わしには扱いやすそうだ」
「だろうな」
ガルドは頷いた。
「ただし、8級だからといって、どんな攻撃でも防げるわけじゃねえ。相手を見て、受けるか避けるかを判断しろ」
バルドは静かに頷いた。
「……わかった」
ガルドは盾を受け取ると、棚へ戻した。
「今の肩が完全に良くなってから、もう一度構えてみろ。重さの感じ方も変わるはずだ」
バルドはその言葉を聞き、もう一度盾へ視線を向けた。
新しい装備。
それは単に、防御力を高めるためのものではない。
自分の戦い方を、より活かすための道具なのだ。
◇◆◇
「……次は、お前だ」
ガルドがユウキへ視線を向けた。
「剣を見せろ」
「はい」
ユウキは腰から鞘を外し、剣を抜いた。
ガルドは刃を灯りへかざし、細かな傷を確認していく。
「……こっちも随分と使ったな」
「何度か、硬い魔物へ斬りかかったので……」
「だろうな」
ガルドは刃の中央付近を指差した。
そこには細かな欠けがあり、金属の縁もわずかに潰れている。
「こいつも修理はできる。だが、今のお前なら買い替えを考えていい頃だ」
ユウキは少し驚いた。
「……まだ使えるんじゃないですか?」
「使えるさ。ただ、使えることと、今のお前に合っていることは別だ」
ガルドは剣を作業台へ置いた。
「この剣は、取り回しの良い鉄のショートソードだ。初心者が剣の扱いを覚えるには悪くねえ」
そして、ユウキの腕を見た。
「だが、お前は以前より剣を振り慣れてきてる。今なら、もう少し刃の長い剣でも扱えるだろう」
「……刃の長い剣」
「ああ。ただし、長けりゃいいってもんじゃねえぞ」
ガルドは棚から2本の剣を取り出した。
1本目は、今の剣より少しだけ刃が長い、細身の片手剣だった。
握りは比較的細く、鍔も必要以上に大きくない。
「こいつは8級の軽量片手剣だ」
ガルドは鞘に収めたまま、ユウキへ渡した。
「今のショートソードより間合いが広くなる。それでいて重すぎねえから、素早い斬撃や切り返しにも向いてる」
ユウキは鞘ごと持ち上げた。
確かに、少しだけ重い。
だが、扱いにくいほどではなかった。
ガルドの許可を得て、刃をゆっくり引き抜く。
金属の表面には均一な光沢があり、刃先まで真っすぐな線が伸びていた。
「……綺麗ですね」
「見た目だけじゃねえ。重心も考えてある」
ガルドは剣の根元を指差した。
「剣先へ重さが偏りすぎてねえから、振ったあとに戻しやすい」
ユウキは慎重に握り直した。
肩が完全に回復していないため、大きく振ることはしない。
ただ、握った状態で刃の向きを変える。
手首を少し傾けるだけで、剣先が滑らかに動いた。
「……使いやすそうです」
「だろうな。今のお前の剣術なら、こいつが一番無難だ」
続いて、ガルドはもう1本の剣を取り出した。
先ほどより幅広で、刃も厚い。
「こっちは8級の強化鉄剣だ。斬撃の威力を重視した作りになってる」
ユウキは持ち比べてみた。
確かに、こちらの方が重い。
柄を握るだけなら問題ないが、実際に振り続けるとなれば疲労が大きそうだった。
「……少し重いですね」
「ああ。お前にはまだこっちを勧めねえ」
ガルドは頷いた。
「重い剣を持っても、振り遅れたら意味がねえ。特にお前は、連続した斬撃や切り返しを使うんだろ?」
ユウキは目を見開いた。
「……どうしてわかるんですか?」
「以前の剣の傷と、お前の構え方を見りゃな。まあ、細かいことまでは知らんが」
ガルドは軽量片手剣を指差した。
「今の戦い方を伸ばしたいなら、こっちの方がいい」
ユウキは再びその剣を見つめた。
刃の長さ。
握りやすさ。
そして、扱いやすい重心。
確かに、今の自分へ合っているように感じられた。
「……ありがとうございます」
「礼は買ってから言え」
ガルドはそう言って笑った。
◇◆◇
「よし、次はそこの小僧だ」
ガルドがトーマへ視線を向けた。
「えっ、僕?」
「そうだ。短剣を見せろ」
トーマは腰から2本の短剣を抜き、作業台へ置いた。
ガルドは刃を確かめ、続いて柄の状態を確認した。
「……こっちは大きな損傷はねえな」
「じゃあ、修理だけでいい?」
「いや。お前も買い替えを考えていい」
トーマが目を丸くした。
「えー! まだ使えるのに?」
「使えることと、向いてることは別だって言っただろ」
ガルドは短剣を置いた。
「お前は両手に1本ずつ持って戦うんだな?」
「うん。素早く動いて、隙を見つけたら一気に攻撃する感じ」
「なら、長さと重量が揃ってる方がいい」
ガルドは棚から2本組の短剣を取り出した。
柄には滑りにくい革が巻かれ、刃は細身ながら十分な厚みを持っている。
「8級の双短剣だ。左右で重さと重心を合わせてある」
トーマは目を輝かせた。
「おおっ!」
2本を受け取り、慎重に握る。
左右の手を交互に動かすと、驚いたように声を上げた。
「……すごい。今までのより動かしやすい!」
「だろうな」
ガルドは頷いた。
「お前の戦い方なら、片方だけ重かったり長かったりすると、動きに癖が出る」
トーマは何度か握り直した。
2本の短剣は、左右の手へ自然に収まっている。
「……これ、いいなぁ」
「ただし、刃が良くなったからって敵へ突っ込みすぎるなよ」
ガルドは真剣な表情になった。
「お前みたいに身軽な奴は、攻撃したあとに戻れることが大事だ」
トーマは少しだけ表情を引き締めた。
あの森での戦い。
巨大な魔物へ不用意に近づけば、一撃で倒されていたかもしれない。
実際、何度も危険な場面があった。
「……うん。わかった」
トーマは頷いた。
ガルドは続けて、軽量の革製防具を取り出した。
「それと、お前にはこっちも勧めたい」
胸と肩を中心に補強された、動きやすそうな防具だった。
「9級の軽量革装だ。必要な部分だけ補強して、動きを邪魔しねえように作ってある」
トーマは防具を持ち上げた。
「……軽い!」
「だろうな。お前は素早さが武器だ。重い鎧を着込んで、その長所を潰す必要はねえ」
トーマは嬉しそうに笑った。
「……これ、欲しいかも!」
その言葉に、ユウキも思わず笑ってしまった。
◇◆◇
「さて、最後はお前だな」
ガルドがドランへ視線を向けた。
ドランは片手鎚を作業台へ置いた。
「わしの鎚は、まだ問題ないと思うが」
「ああ。こいつは大きく傷んでねえ」
ガルドは片手鎚を持ち上げ、柄を軽く振った。
「ただ、少し気になるところがある」
「……どこだ?」
「重心だ」
ガルドは鎚の頭を指差した。
「これは、打撃に使うには悪くねえ。だが、お前は戦闘だけじゃなく、修理もするんだろ?」
「ああ」
「だったら、使い分けを考えた方がいい」
ドランは興味深そうに身を乗り出した。
「……詳しく聞かせてくれ」
ガルドは棚から、少し形の異なる片手鎚を取り出した。
頭部は比較的細く、金属部分の形状が左右で異なっている。
片側は平らな打撃面。
もう片側は、細かな作業にも使いやすい形になっていた。
「こいつは8級の技工鎚だ」
ガルドは作業台へ置いた。
「戦闘用としても使えるが、細かな作業をするときに握り直しやすいよう作ってある」
ドランは鎚を受け取った。
重さを確かめ、指の位置を少し変える。
「……なるほど」
その表情が、次第に明るくなっていく。
「確かに、握りやすいな」
「だろう。お前は力任せに叩くより、狙った場所へ正確に当てる方が向いてる」
ドランはゆっくりと頷いた。
技工士として培ってきた技術。
精密作業。
修理。
そして、魔導具に関する知識。
それらを活かすためには、ただ威力の高い武器を持てばいいわけではない。
自分の手に馴染み、細かな動きができる道具こそ重要だった。
「……いい鎚だな」
ドランが呟く。
ガルドは少しだけ笑った。
「そう言ってもらえるなら、作った甲斐がある」
そして、もう1つの棚から小さな革袋を取り出した。
中には、細い金属棒や交換用の部品、携帯用の工具が収められている。
「それと、これだ」
「……工具袋か?」
「ああ。冒険者向けの補修道具一式だ」
ガルドは袋を開き、中身を見せた。
「本格的な修理はできねえが、旅の途中で柄の緩みを直したり、防具の革帯を交換したりするには十分だ」
ドランの目が、わずかに輝いた。
「……これは便利そうだ」
「お前の技能なら、かなり役立つはずだ」
ドランは工具を1つずつ確かめていった。
その表情は、ユウキ達が武器を見ていたときよりも真剣だった。
トーマが小さく笑う。
「……ドランさん、すごく嬉しそう」
ユウキも笑った。
「うん。やっぱり、道具が好きなんだね」
ドランは顔を上げた。
「……聞こえているぞ」
そう言いながらも、その口元には笑みが浮かんでいた。
◇◆◇
4人の装備を一通り見終えると、ガルドは作業台へ手をついた。
「……さて」
その声に、全員が顔を上げた。
「ここまで色々見せたが、勘違いするなよ」
ガルドは4人を順番に見渡した。
「高い装備を買えば、必ず強くなれるわけじゃねえ」
ユウキは静かに頷いた。
「等級が上がれば、性能は良くなる。だが、それだけで勝てる相手が増えるとは限らん」
ガルドはバルドの盾を指差した。
「例えば、あの巨大な魔物だ。お前らが使っていた装備より、ずっと上等な武具を持っていたとしても、正面からぶつかれば負けていたかもしれねえ」
その言葉に、全員が黙り込んだ。
あの森での戦いを思い出したのだろう。
赤い光を纏って加速する魔物。
地面を揺らし、足場を崩す攻撃。
そして、こちらの動きを読んで狙いを変える高度な知能。
あれほどの相手を、装備だけでどうにかできたとは思えなかった。
「……ですが」
ユウキは静かに口を開いた。
「少しでも、生き残れる可能性を上げることはできますよね」
ガルドはユウキを見た。
そして、口元を緩めた。
「……そうだ」
ガルドは頷いた。
「武器を変えれば、届かなかった間合いへ攻撃が届くかもしれねえ。盾を変えれば、受け流せなかった攻撃を逸らせるかもしれねえ」
さらに続ける。
「だが、何より大切なのは、自分に合った装備を選ぶことだ」
ユウキは作業台に並ぶ武具へ視線を向けた。
軽量片手剣。
双短剣。
軽量複合盾。
技工鎚。
それぞれ、形も重さも異なる。
しかし、どれも使う者の特徴を考えて選ばれていた。
「……装備にも、相性があるんですね」
「ああ」
ガルドは頷いた。
「強さってのは、武器の等級だけで決まるもんじゃねえ。身体の動き、戦い方、技術。そういうもんが噛み合って、初めて本当の力になる」
ユウキはその言葉を胸へ刻んだ。
今回の戦いで、自分たちに何が足りなかったのか。
その答えは、1つではない。
技能。
判断力。
経験。
そして、装備。
すべてを少しずつ高めていく必要があるのだ。
「……ガルドさん」
ユウキは顔を上げた。
「新しい装備、前向きに考えたいです」
ガルドは頷いた。
「そうか。なら、まずは金を貯めることだな」
その言葉に、トーマが苦笑した。
「……やっぱり、そこだよね」
「当たり前だろ。鍛冶屋だって商売だ」
ガルドは腕を組んだ。
「ただし、焦って買う必要はねえ。今のお前らの装備にも、まだ使えるものはある」
そして、少しだけ真剣な表情になった。
「だが、あの盾だけは別だ。次の依頼で使うのはやめとけ」
バルドは頷いた。
「……わかった」
ガルドは続けた。
「新しい装備を揃えるなら、優先順位を決めろ。全部を一度に買おうとすりゃ、金が足りなくなる」
ドランが顎へ手を当てた。
「……確かにな」
ユウキも頷いた。
今回の護衛依頼の報酬は銀貨8枚。
そのうち銀貨2枚は、ネクシアの共同資金として確保している。
装備を一度に買い替えるには、決して十分な金額ではない。
それでも、目標ができた。
次に何を買うべきか。
何を優先すべきか。
それを考えながら、少しずつ準備していけばいい。
ユウキは、もう一度軽量片手剣へ視線を向けた。
今の自分に必要な武器。
いつか、あれを使いこなせるようになりたい。
そう思った。
◇◆◇
装備の相談を終えたあと、ユウキはふと店の奥へ目を向けた。
棚の上に、見覚えのある布包みが置かれていた。
あの古剣だ。
以前、ガルドに見せてもらった8級の古剣。
魔力回路が破損しているため、本来の性能を発揮できないと説明された武器だった。
しかし、ユウキが気にしている理由は、それだけではない。
あの剣へ触れたとき。
頭の奥へ、かすかな声が響いた。
日本語だった。
この世界へ来てから、ほとんど耳にすることのなかった言葉。
まだ。
五つ。
鍵。
それらが何を意味しているのか、ユウキにはわからない。
だが、あの声が何かを伝えようとしていることだけは、強く感じていた。
「……ガルドさん」
「ん?」
「あの古剣、まだありますか?」
ガルドはユウキの視線を追い、棚の上を見た。
「ああ。お前が前に気にしていたやつか」
「はい」
「まだあるぞ。銀貨3枚のままだ」
ユウキは少しだけ安堵した。
ただし、今は装備の買い替えを考えなければならない。
あの古剣に銀貨3枚を使うことが、正しい判断なのかはわからなかった。
「……もう少し、考えさせてください」
ユウキが言うと、ガルドは頷いた。
「構わねえ。ただし、欲しいなら自分で決めろよ」
「……はい」
ユウキは静かに頷いた。
古剣は、まだ棚の奥にある。
そのことだけを確認し、ユウキは仲間たちのもとへ戻った。
◇◆◇
鍛冶屋を出たあと、4人は街の広場へ向かった。
昼を過ぎた通りには人通りが増え、商人たちの声があちこちから聞こえている。
トーマは歩きながら、大きく伸びをした。
「……それにしても、欲しいものが増えちゃったね」
「そうだな」
ドランが答えた。
「だが、必要なものがわかったのは大きい」
バルドも頷いた。
「わしは、まず盾をどうにかせねばならんな」
「うん。あの盾、かなり傷んでたもんね」
ユウキが答える。
トーマは少しだけ考え込んだ。
「……僕は、あの双短剣が欲しいなぁ」
「ずいぶん気に入っていたな」
ドランが笑う。
「だって、すごく握りやすかったんだよ!」
トーマは両手を動かしながら説明した。
「左右の重さが揃ってるだけで、あんなに違うんだね」
「道具の重心は重要だからな」
ドランは頷いた。
「わしも、あの技工鎚は気になった」
その言葉に、トーマが笑った。
「やっぱり!」
ユウキは3人の会話を聞きながら、静かに微笑んだ。
少し前まで、自分たちは生きて帰ることだけで精一杯だった。
それが今は、次に使う武器について話し合っている。
次の依頼。
次の戦い。
そして、その先の未来。
それらを考えられることが、嬉しかった。
そのときだった。
「……ネクシアの皆さん!」
背後から声が響いた。
ユウキは足を止め、振り返った。
冒険者ギルドの職員だった。
若い男性が、少し息を切らしながらこちらへ駆け寄ってくる。
「……よかった。まだ街にいらっしゃったんですね」
「どうしたんですか?」
ユウキが尋ねる。
職員は一度呼吸を整え、真剣な表情で口を開いた。
「ギルドから、皆さんへ確認したいことがあります」
バルドが眉を寄せた。
「……依頼の件か?」
「はい。先日、東部補給拠点からの帰路で遭遇した魔物についてです」
ユウキの表情が変わった。
あの巨大な獣。
鑑定が失敗した、正体不明の魔物。
その話だ。
「……何かわかったんですか?」
職員は少しだけ迷った。
そして、静かに答えた。
「詳しいことは、ギルドでお話しします。ただ……」
そこで言葉を切る。
「皆さんが遭遇した魔物について、ギルド内で少し問題になっているんです」
トーマが眉を寄せた。
「……問題?」
「はい。あの街道では、以前から森狼の目撃情報がありました」
ユウキは目を見開いた。
森狼。
フォレストウルフ。
かつて、ユウキが初めて略奪の力を使った相手。
あの魔物から、嗅覚強化の技能を獲得した。
忘れるはずがなかった。
しかし。
「……あれが、森狼?」
ユウキは思わず呟いた。
頭の中へ、あの巨大な獣の姿が浮かぶ。
通常の森狼とは、体格も力もあまりに違っていた。
しかも、地面へ衝撃を伝える能力や、異常なほど高度な戦術判断を見せていた。
同じ魔物だとは、とても思えない。
職員は首を横に振った。
「まだ、そう決まったわけではありません」
そして、続けた。
「ただ、通常の森狼では説明できない特徴がいくつもあるようです」
ユウキは息を呑んだ。
職員は真剣な表情のまま、4人を見渡した。
「ギルドでは、変異個体の可能性も考えています」
その言葉に、バルドが眉を寄せた。
「……変異個体か」
「はい。ですが、今のところ確証はありません」
職員は小さく息を吐いた。
「ですので、皆さんが実際に見たことを、もう一度詳しく教えていただきたいんです」
ユウキは仲間たちへ視線を向けた。
トーマも、バルドも、ドランも、真剣な表情をしている。
あの魔物は、まだ生きている。
そして、森の奥へ消えたままだ。
もし、再び街道へ現れれば。
次に襲われるのは、自分たちとは限らない。
ユウキは静かに頷いた。
「……わかりました」
職員が安堵したように息を吐いた。
「ありがとうございます。こちらへお願いします」
4人は再び冒険者ギルドへ向かって歩き始めた。
ユウキはその道中、何度も森での戦闘を思い返していた。
赤い光。
灰色の衝撃。
そして、こちらの行動を観察する冷静な目。
あれは、本当に森狼の変異個体なのだろうか。
もし、そうだとしたら。
なぜ、あそこまで強くなったのか。
その答えは、まだわからない。
ただ1つ確かなことがある。
あの森には、今も自分たちの知らない危険が潜んでいる。
そして、その危険は、まだ終わっていないのかもしれなかった。
――第66話 完。




