第59話 守るべきもの
茂みの奥で、乾いた枝が折れる音がした。
ユウキは剣の柄に手を添えたまま、視線を動かさなかった。
リーヴェルから東部補給拠点へ続く迂回路。左右には膝丈ほどの草が広がり、その向こうには背の低い木々が不規則に生えている。
道幅は荷馬車がどうにかすれ違える程度しかなく、片側の車輪が外れれば、柔らかな土へ沈み込んでしまうだろう。
背後には2台の荷馬車。
その近くでは、補給隊の責任者であるマルクと御者たちが、不安そうに周囲を見回していた。
逃げ道はある。
しかし、荷馬車をすぐに方向転換させることは難しい。
仮に魔物が現れても、無闇に後退すれば馬が暴れ、荷台が横転する危険さえあった。
ユウキは足元を確かめ、ゆっくりと腰を落とした。
そのとき、茂みが大きく揺れた。
「……ギィ」
最初に姿を現したのは、人間の子供ほどの背丈をした小柄な人影だった。
くすんだ緑色の皮膚は泥で汚れ、痩せた腕の先には不釣り合いなほど大きな手がついている。長く尖った耳が横へ突き出し、裂けた口元からは黄ばんだ歯が覗いていた。
右手には、刃の半分ほどが錆びた短剣。
魔物はそれを握ったまま首を傾け、ユウキの顔をじっと見つめてきた。
続いて、左右の茂みが動く。
1体は節くれだった木製の棍棒を肩へ担ぎ、もう1体は石の穂先を括りつけた短い槍を構えていた。
体格は似ていても、動き方には違いがある。
短剣持ちは落ち着きなく左右へ視線を走らせ、槍持ちは距離を測るように穂先を小さく揺らしている。
対して棍棒を持つ個体は、一歩前へ出ると、獲物を威嚇するように地面を強く踏み鳴らした。
「……小鬼」
ユウキは呟いた。
小鬼。
ゴブリンとも呼ばれる、小型の人型魔物だ。
ギルドでは何度か名前を耳にしたことがあったものの、実物と対峙するのは初めてだった。
小柄な身体に、粗末な武器。
それだけなら、決して強そうには見えない。
しかし、小鬼たちはユウキ達と荷馬車を交互に見つめ、わずかずつ立ち位置を変えていた。
まるで、どこから近づけば邪魔されずに済むのかを探っているようだった。
「ユウキ」
隣でバルドが声を落とした。
「正面はわしが受ける。だが、左右へ回られると厄介だぞ」
「……はい」
ユウキは頷き、意識を集中した。
まずは相手を知る。
判断を誤らないために、今ある力を使う。
短剣を持つ小鬼へ視線を向け、鑑定を発動した。
淡い文字が視界の奥へ浮かび上がる。
【鑑定結果】
名称:小鬼
種族:小鬼族
ランク:1
レベル:Lv.4
HP:29 / 29
MP:4 / 4
STR(筋力):8
VIT(耐久力):6
AGI(敏捷性):10
MAG(魔力):2
MND(精神力):4
DEX(器用さ):7
【習得技能】
短剣術 Lv.1
繁殖 Lv.2
ユウキは素早く情報を読み取った。
敏捷性が10。
自分の敏捷性は11だから、ほとんど差がない。
この体格で素早く動かれれば、荷馬車の隙間を抜けられてしまう可能性がある。
さらに技能欄へ目を向けると、見慣れない名前があった。
繁殖 Lv.2。
技能には戦闘に関係するものだけでなく、生活や生存に関わるものも存在する。
名前からある程度の役割は想像できるが、具体的な効果はわからなかった。
ユウキは疑問を胸へしまい、次の個体を鑑定した。
【鑑定結果】
名称:小鬼
種族:小鬼族
ランク:1
レベル:Lv.5
HP:37 / 37
MP:3 / 3
STR(筋力):12
VIT(耐久力):9
AGI(敏捷性):7
MAG(魔力):1
MND(精神力):5
DEX(器用さ):6
【習得技能】
棍棒術 Lv.1
繁殖 Lv.3
棍棒持ちの筋力は12。
ユウキの筋力は11だから、力では相手が上回っている。
しかも、棍棒は腕の長さを補う武器だ。
まともに受ければ、たとえ剣で防いだとしても強い衝撃が手首へ伝わるだろう。
一方、敏捷性は7。
横へ回り込めば、攻撃を避けやすくなるかもしれない。
そして、この個体にも繁殖の技能があった。
ただし、レベルは3。
短剣持ちよりも高い。
ユウキは最後の槍持ちへ鑑定を向けた。
【鑑定結果】
名称:小鬼
種族:小鬼族
ランク:1
レベル:Lv.4
HP:31 / 31
MP:5 / 5
STR(筋力):7
VIT(耐久力):7
AGI(敏捷性):9
MAG(魔力):2
MND(精神力):4
DEX(器用さ):9
【習得技能】
槍術 Lv.1
繁殖 Lv.1
3体とも鑑定に成功した。
相手とのステータス差が大きい場合、今の鑑定では情報を読み取れないことがある。
今回は全員がランク1で、能力も自分とかけ離れていなかった。
だが、情報が得られたからといって、危険が消えるわけではない。
ユウキは素早く状況を整理した。
前方には棍棒持ち。
右側には槍持ち。
左側には短剣持ち。
そして、背後には荷馬車がある。
「バルドさん、中央の棍棒持ちはLv.5で、筋力12です。僕より力が強いので、まともに受け続けない方がいいと思います」
「承知した」
「トーマ、右の槍持ちは器用さ9で槍術を持ってる。間合いに気をつけて」
「わかった!」
「ドランさん、左の短剣持ちは敏捷性10です。荷馬車へ回り込むかもしれません」
「任せろ」
ユウキは頷き、後方へ顔を向けた。
「マルクさん! 御者の皆さんを荷馬車の陰へ! 馬が暴れないよう、落ち着かせてください!」
「わ、わかった!」
マルクが声を上げ、御者たちを移動させ始める。
ユウキは剣を抜いた。
短い鉄の剣が鞘から滑り出し、鈍い光を放つ。
ガルドに整備してもらった、9級の中古ショートソード。
何度も握り、何度も振ってきた剣だ。
ユウキは右足を半歩引き、切っ先を正面へ向けた。
「みんな、荷馬車から離れすぎないでください。倒すことより、守ることを優先しましょう」
全員が頷く。
その直後、棍棒を持った小鬼が甲高い叫び声を上げた。
「ギャアッ!」
草を蹴散らす音とともに、3体が動き出した。
◇◆◇
棍棒持ちの小鬼は、真っ先にバルドへ向かって突進してきた。
地面を蹴るたびに小柄な身体が上下し、右肩へ担いだ棍棒が大きく揺れる。
バルドは盾を正面へ向け、左足を少し前に出した。
逃げずに受ける。
しかし、力任せに止めるつもりもなかった。
「……来い」
小鬼が間合いへ踏み込む。
次の瞬間、棍棒が頭上から振り下ろされた。
風を裂く重い音。
バルドは盾の上端をわずかに前へ傾けた。
ガンッ!
激しい衝撃が響いた。
盾が一瞬押し下げられ、バルドの膝がわずかに沈む。
だが、姿勢は崩れない。
衝撃を腕だけで受けず、足と腰を使って支えていた。
バルドは棍棒が盾に触れた瞬間、左腕を外側へひねった。
振り下ろされた棍棒は盾の表面を滑り、その勢いのままバルドの左側へ流れていく。
「ギッ!?」
小鬼の身体が前へ傾いた。
棍棒を振り抜いた右腕が大きく下がり、脇腹が無防備になる。
バルドは一歩踏み込んだ。
盾の中央を、小鬼の胸元へ押し当てる。
「盾打ち!」
ドンッ!
小鬼の身体が後ろへ押し戻された。
小さな足が地面を擦り、砂が跳ねる。
ユウキはその動きを見逃さなかった。
小鬼の敏捷性は7。
盾を受けて姿勢を崩した今なら、横への反応はさらに遅れるはずだ。
「……今だ!」
ユウキは右側へ回り込んだ。
小鬼から見れば、バルドの盾が正面の視界を塞いでいる。
その陰を利用し、身体を低くして踏み込む。
右足が土を蹴った。
剣を肩の高さから斜めに振り下ろす。
ザシュッ!
刃が小鬼の右腕へ入った。
「ギャアッ!」
小鬼が甲高い悲鳴を上げる。
棍棒を握る指が緩み、武器が地面へ落ちた。
しかし、相手はまだ動けた。
小鬼は左腕を振り上げ、爪をユウキの顔へ向けてきた。
ユウキは反射的に首を引いた。
爪の先が鼻先を掠め、冷たい風が頬を撫でる。
あと少し遅ければ、顔を切り裂かれていたかもしれない。
胸の奥が冷たくなった。
だが、ここで後退しすぎれば、相手へ立て直す時間を与えてしまう。
ユウキは剣を引き戻しながら、左足へ体重を移した。
その瞬間、バルドが前へ出る。
木鉄盾が小鬼の左腕を受け止めた。
乾いた衝突音。
バルドは盾を押し込み、相手の身体を横へ向けさせる。
「ユウキ、右だ!」
「はい!」
小鬼の胴が、再び無防備になった。
ユウキは剣を握り直す。
大きく振る必要はない。
距離は十分に近い。
狙いを定め、身体ごと前へ踏み込んだ。
ザクッ!
刃が小鬼の胸元へ入る。
小鬼の身体が硬直した。
口から短い息が漏れ、膝が折れる。
そのまま前のめりに地面へ倒れ込んだ。
ユウキはすぐに剣を引き抜き、後方へ跳んだ。
小鬼は一度だけ腕を動かしたものの、やがて静かになった。
「……1体目!」
ユウキは呼吸を整えながら声を上げた。
しかし、安堵する暇はない。
右側から、甲高い金属音が響いた。
「ユウキ!」
トーマの声だ。
ユウキは顔を上げた。
◇◆◇
トーマは槍持ちの小鬼と向かい合っていた。
互いの距離は、およそ槍1本分。
小鬼は両手で槍を握り、穂先をトーマの胸元へ向けている。
トーマの手には、2本の短剣。
しかし、短剣の間合いへ入るには、槍の先端を越えなければならない。
「……くそっ!」
小鬼が槍を突き出した。
トーマは右足を外へ運び、身体を捻って避ける。
槍の穂先が革の胴着を掠めた。
布が擦れる音が耳元へ届く。
トーマは反撃しようとしたが、小鬼はすぐに槍を引き戻していた。
穂先が再び胸へ向く。
近づけない。
槍を扱う技術は決して高度ではない。
しかし、正面の間合いを保つだけなら、それでも十分に厄介だった。
トーマは一度、大きく息を吐いた。
ガレスとの訓練を思い出す。
相手の注意を操れ。
自分が有利になる位置へ動け。
何より、無理に攻め込むな。
トーマは短剣を構え直し、ゆっくりと左へ移動した。
小鬼も向きを変える。
槍の穂先が追ってくる。
そのまま、トーマはさらに一歩後退した。
小鬼が踏み込む。
槍が突き出される。
トーマは足の運びを意識しながら、最小限の動きで攻撃を避けた。
狙いは、倒すことではない。
荷馬車から距離を取らせることだった。
ユウキはその様子を見て、すぐに気づいた。
トーマは槍持ちの注意を自分へ向け続けながら、戦う位置を少しずつずらしている。
小鬼も目の前の相手を追うことに集中し、荷馬車から離れていた。
「トーマ、そのまま引きつけて!」
「了解!」
トーマが返事をする。
ユウキは剣を構え直した。
だが、その直後、ある違和感に気づいた。
残る小鬼の姿が見えない。
左側にいたはずの短剣持ち。
敏捷性10の個体だ。
ユウキはすぐに周囲を見回した。
茂み。
道の端。
荷馬車の車輪の陰。
どこにもいない。
胸の奥に嫌な予感が走った。
ユウキは耳を澄ませた。
風に揺れる草の音。
馬が鼻を鳴らす音。
車輪の軋み。
そして、荷馬車の左側から聞こえる、不規則な足音。
ザッ、ザッ。
ユウキは振り返った。
短剣持ちの小鬼が、荷馬車の側面へ回り込んでいた。
「ドランさん!」
ユウキが叫ぶ。
「左側です!」
その声と同時に、ドランが動いた。
◇◆◇
ドランは、2台目の荷馬車の車輪付近に立っていた。
目の前には荷台の縁。
右側には木箱が積まれ、左側は背の低い草へ続いている。
そこへ、小鬼が飛び出してきた。
短剣を握った右手を高く上げ、御者へ向かって一直線に駆けてくる。
「下がれ!」
ドランは叫んだ。
御者は慌てて荷台の陰へ身を引く。
小鬼はその動きに反応し、短剣を振り下ろそうとした。
だが、その前へドランが踏み込んだ。
右手に握った9級の片手鎚。
柄を短く持ち、振り回すのではなく、相手の武器へ狙いを定める。
長年、修理の仕事で培ってきた観察力。
ドランは小鬼の肩と肘の動きを見た。
短剣を振り下ろすなら、腕はこの軌道を通る。
そう判断し、身体の正面から少し外れた位置へ鎚を差し込んだ。
ガンッ!
短剣と鎚がぶつかる。
小鬼の腕が大きく外側へ弾かれ、刃は御者へ届かなかった。
「ギッ!」
小鬼が驚いたように身を引く。
ドランは追撃しようとしたが、すぐに思いとどまった。
ここで大きく踏み込めば、荷馬車から離れる。
小鬼の狙いが自分ではなく積荷なら、追いかけること自体が隙になるかもしれない。
ドランは右足を動かし、御者と小鬼の間に立った。
「ここから先へは行かせん」
小鬼は一度しゃがみ込むように身を低くした。
その直後、地面を蹴る。
狙いはドランの右側。
小柄な身体が低い位置を滑るように動いた。
ドランは鎚を振り下ろそうとしたが、そのままでは間に合わない。
咄嗟に身体を捻り、鎚の柄を横へ差し出す。
小鬼がそれを避けようとした瞬間、体勢が崩れた。
ドランは足を踏み込み、右肩へ鎚を叩き込んだ。
ゴンッ!
重い音が響いた。
「ギャッ!」
小鬼が悲鳴を上げる。
右手から短剣が落ち、乾いた土の上へ転がった。
しかし、相手はまだ諦めなかった。
左手を地面へつき、身体を支えながら、荷馬車へ向けて再び動こうとする。
ドランは鎚を握り直した。
追えば止められるかもしれない。
だが、荷馬車の陰には御者がいる。
万が一、もう1体現れれば対応できない。
ドランはその場を守ることを選んだ。
「ユウキ!」
声を張り上げる。
「こいつは、わしが押さえる!」
遠くから返事が届いた。
「お願いします!」
ドランは小鬼の動きを見据え、片手鎚を低く構えた。
◇◆◇
ユウキはトーマのもとへ駆け寄った。
槍持ちの小鬼は相変わらずトーマを追っている。
だが、その動きにはわずかな乱れがあった。
何度も槍を突き出しているうちに、呼吸が荒くなっている。
足元の土も荒れ、踏み込むたびに小さな砂埃が上がっていた。
トーマも疲れている。
動きはまだ軽いが、呼吸が速くなり、額には汗が浮かんでいる。
このまま続ければ、いずれどちらかが隙を見せるだろう。
ユウキは剣を握り直した。
槍持ちの敏捷性は9。
器用さも9。
自分より数値は低い。
しかし、武器の間合いでは相手が有利だ。
ならば、その利点を崩す。
「トーマ!」
ユウキが声を上げる。
「次の突きを避けたら、相手の左側へ回って!」
「わかった!」
トーマは小さく頷いた。
ユウキは小鬼の正面へ出た。
相手の視線がこちらへ移る。
槍の穂先が胸元へ向いた。
ユウキは切っ先を低く構え、少しずつ間合いを詰めた。
小鬼の目が細くなる。
そして、右足がわずかに後ろへ引かれた。
ユウキは耳を澄ませた。
土を擦る足音。
槍の柄が握り直される微かな音。
続けて、足元へ意識を向ける。
地面を通じて、小鬼が体重を移す感覚が伝わってきた。
ただし、すべてを鮮明に捉えられるわけではない。
音も振動も、地形や距離によって曖昧になる。
ユウキは感知だけに頼らず、相手の肩と腰の動きを見つめた。
右肩が引かれる。
腰が前を向く。
次に来るのは、正面への突き。
「……今!」
ユウキが叫んだ。
小鬼が槍を突き出す。
トーマは右足を外へ運び、身体を低くした。
石の穂先が肩の上を通り過ぎる。
ユウキはその隙に前へ出た。
剣を斜めに振り下ろす。
カンッ!
しかし、小鬼は槍の柄を横にして刃を受けた。
木製の柄に浅い傷が入る。
ユウキの腕へ反動が伝わった。
相手はそのまま槍を横へ振ろうとする。
ユウキは剣を引き、半歩後退した。
穂先が胸の前を通り過ぎる。
危ういところだった。
だが、その動きで小鬼の身体が大きく開いた。
右側へ振り抜いた槍。
正面のユウキ。
そして、相手の意識から外れた左側。
そこへ、トーマが動いた。
地面を強く蹴るのではなく、歩幅を小さくして素早く位置を変える。
さらに、相手がユウキへ注意を向けている隙を利用し、足音と身体の揺れを抑えながら接近した。
姿が消えるわけではない。
だが、目の前の相手へ集中している小鬼には、その動きへ反応する余裕がなかった。
トーマは短剣を握り直した。
大きく腕を振り上げず、腰の高さから刃を突き出す。
ザクッ!
刃が小鬼の左脚へ入った。
「ギャアッ!」
小鬼が悲鳴を上げ、膝を折る。
槍の穂先が地面へ下がった。
ユウキはその瞬間を逃さなかった。
身体の動きを強化しながら、一気に距離を詰める。
「二段斬り!」
魔力が身体の奥でわずかに消費され、剣を握る腕へ力が伝わる。
最初の斬撃。
カンッ!
槍の柄を弾き、相手の防御を外す。
小鬼が慌てて武器を引き戻そうとする。
しかし、すでに遅かった。
ユウキは踏み込んだ足を軸に身体を回し、剣を逆方向へ振り抜いた。
ザシュッ!
刃が小鬼の胴へ命中した。
小鬼の身体が後ろへ傾く。
足を踏ん張ろうとしたものの、傷ついた左脚が支えきれない。
そのまま背中から地面へ倒れ込んだ。
槍が手から離れ、乾いた音を立てる。
ユウキはすぐに距離を取った。
小鬼は一度だけ身体を動かしたが、立ち上がることはなかった。
「……2体目!」
トーマが大きく息を吐いた。
「やった……!」
その声には、疲労と安堵が混ざっていた。
しかし、ユウキはまだ剣を下ろさなかった。
「トーマ、周囲の警戒をお願い!」
「……了解!」
トーマは短剣を握り直し、茂みの方へ視線を向けた。
ユウキは最後の小鬼へ向かって走り出した。
◇◆◇
荷馬車の近くでは、ドランが短剣を失った小鬼と向かい合っていた。
小鬼は右肩を押さえながら低い声で唸り、落とした短剣を拾う機会をうかがっている。
しかし、ドランは武器と小鬼の間に立ち、簡単には近づかせなかった。
その背後には荷馬車。
さらに向こうには、マルクと御者たちがいる。
ユウキが駆けつけた瞬間、小鬼が突然動いた。
短剣ではなく、荷馬車へ向かって。
低い姿勢でドランの右側へ回り込む。
「……させん!」
ドランが身体を捻った。
だが、小鬼の敏捷性は10。
ドランの敏捷性は6。
正面から素早さだけで追いかければ、間に合わない。
小鬼の身体が、ドランの横をすり抜けた。
その先には、荷馬車の車輪。
さらに奥には、御者たちが身を隠している。
ユウキの背筋が冷たくなる。
間に合わない。
そう思った瞬間だった。
ドンッ!
小鬼の進路へ、大きな影が割り込んだ。
バルドだ。
木鉄盾が、小鬼の身体を真正面から受け止める。
小鬼は突然現れた障害物へぶつかり、足をもつれさせた。
「……ここは通さん」
バルドの声が低く響く。
その姿は、揺るがなかった。
左手には盾。
右手には、新しく手に入れた9級の軽量片手斧。
これまで使い慣れてきた盾とは違い、斧の扱いにはまだ迷いがある。
しかし、バルドは慌てなかった。
攻撃を急がず、まず相手の進路を塞ぐ。
それが自分の役割だと理解しているからだ。
小鬼は甲高い声を上げ、爪を振り上げた。
狙いはバルドの顔。
バルドは盾を少しだけ傾ける。
ガリッ!
爪が盾の表面を引っかいた。
その瞬間、バルドは左腕を前へ押し出した。
「盾打ち!」
ドンッ!
盾の中央が小鬼の胸へぶつかる。
小鬼の身体が後方へ押され、両足が地面を滑った。
バルドは追いかけず、相手の姿勢を見極めた。
小鬼の左腕が大きく開いている。
その隙へ、右手の斧を短く振った。
刃が空気を裂く。
ザクッ!
小鬼の左腕へ命中した。
「ギャッ!」
小鬼が悲鳴を上げる。
しかし、バルドは斧を振り抜いたままにはしなかった。
すぐに腕を引き戻し、盾を正面へ戻す。
次の攻撃へ備える動きだった。
その一連の動きは、以前よりも滑らかになっていた。
ガレスとの訓練で教わった、守りと攻撃のつながり。
バルドはそれを少しずつ自分のものにし始めていた。
「……ユウキ!」
バルドが声を上げた。
「今だ!」
ユウキはすでに踏み込んでいた。
小鬼の身体がバルドの盾へ押され、わずかに横を向いている。
右腕はドランの鎚によって負傷し、左腕も斧で傷ついていた。
ユウキはその状態を確認し、剣を構え直した。
大きく振りかぶれば、相手に気づかれる。
だから、短く。
確実に届く距離まで近づく。
右足を踏み込み、腰の回転に合わせて剣を振った。
ザシュッ!
刃が小鬼の胴へ入った。
小鬼の身体が大きく揺れる。
足が地面を掻き、後ろへ倒れ込んだ。
土埃が舞う。
ユウキは剣を構えたまま、相手の動きを見守った。
小鬼は数度身体を動かしたものの、やがて完全に静かになった。
ユウキは大きく息を吐いた。
「……3体目」
周囲を確認する。
茂みの奥。
道の先。
荷馬車の後方。
新たな気配はない。
ようやく、戦闘が終わったのだと実感できた。
ユウキはゆっくりと剣を下ろした。
◇◆◇
戦闘が終わったあと、最初に感じたのは勝利の喜びではなかった。
疲労だった。
肩が重い。
剣を握る指先には、まだわずかな震えが残っている。
ユウキは大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
冷たい空気が肺へ入り、少しずつ緊張が解けていく。
「……皆さん、大丈夫ですか?」
ユウキは仲間へ声をかけた。
トーマは短剣を鞘へ戻しながら頷いた。
「うん! ちょっと疲れたけど、怪我はないよ!」
ドランは片手鎚を確認し、肩を回した。
「わしも問題ない」
バルドは盾の表面を見つめていた。
棍棒を受け止めた場所には、小さな傷が残っている。
「……こちらも大丈夫だ」
その言葉を聞いて、ユウキはようやく安心した。
しかし、確認すべき相手はまだいる。
荷馬車へ振り返ると、マルクと御者たちが緊張した表情でこちらを見ていた。
「……皆さん、怪我はありませんか?」
ユウキが尋ねる。
マルクは大きく頷いた。
「あ、ああ……大丈夫だ」
そして、倒れている小鬼たちへ視線を向けた。
「……助かった。ありがとう」
その声には、先ほどまでの緊張がまだ残っていた。
ユウキは小さく頭を下げた。
「……無事でよかったです」
その言葉は本心だった。
今回、自分たちが守るべきものは、魔物の討伐数ではない。
荷馬車。
積荷。
そして、人々の命。
それらを守るために戦ったのだ。
もし、最初から討伐だけを考えていたら。
もし、仲間がそれぞれ勝手に動いていたら。
荷馬車へ回り込んだ小鬼を止められなかったかもしれない。
ユウキは倒れた3体へ視線を向けた。
ランク1の下級魔物。
それでも、決して油断できる相手ではなかった。
武器を使い、相手の隙を探し、荷馬車へ回り込もうとする。
敵の強さは、単純な数値だけでは測れない。
ユウキは改めてそう感じていた。
◇◆◇
戦闘後、補給隊は周囲の安全を確認し、短い休憩を取ることにした。
ドランは荷馬車の車輪や荷台を点検し、損傷がないことを確かめている。
バルドは盾と片手斧を確認していた。
特に、新しく購入した斧の刃へ視線を向け、欠けや歪みがないか慎重に見ている。
トーマは水袋を手に取り、何度も喉を潤していた。
ユウキは道の端に腰を下ろし、静かに息を吐いた。
右手を開く。
指先が、まだわずかに震えている。
戦闘中は意識していなかったが、ずっと強く剣を握っていたらしい。
ユウキはその手を見つめた。
今回の戦闘では、仲間それぞれの技能が役立った。
トーマは相手の間合いを見極め、注意を引きつけながら動いた。
バルドは盾で進路を塞ぎ、必要な瞬間だけ斧を振った。
ドランは相手の武器の軌道を読み、荷馬車を守る位置から離れなかった。
そして、自分は鑑定で得た情報を仲間へ伝え、戦う相手と役割を決めた。
どれも、1人だけでは成し遂げられなかったことだ。
ふと、先ほどの鑑定結果が頭に浮かんだ。
3体すべてが持っていた、繁殖という技能。
短剣持ちはLv.2。
棍棒持ちはLv.3。
槍持ちはLv.1。
技能には戦闘以外の用途もある。
修理や採掘のように、日常や仕事に役立つ技能も存在するのだ。
繁殖という技能も、そうした生存に関わる能力の一種なのかもしれない。
しかし、同じ種族の魔物が全員保有していたことは気になった。
「……繁殖、か」
ユウキは小さく呟いた。
その声を聞いたトーマが、隣へ腰を下ろした。
「何それ?」
「さっきの小鬼たち、全員が同じ技能を持ってたんだ」
「同じ技能?」
「うん。繁殖っていう名前だった」
トーマは少し考え込んだ。
「……聞いたことないな」
「俺も、詳しい効果はわからない。でも、技能レベルはそれぞれ違ってた」
「へえ。同じ魔物でも違うんだ」
「うん」
ユウキは遠くの茂みへ視線を向けた。
魔物にも、個体ごとの違いがある。
同じ種族だからといって、能力や習得技能のレベルまで同じとは限らない。
そして、魔物にはレベルとは別にランクが存在する。
レベルは個体の成長度。
ランクは、種族としての強さや存在の格。
今回の小鬼たちは、すべてランク1だった。
しかし、ランクが1つ違うだけでも身体能力や魔力量には大きな差が生まれると聞いている。
もし、今日の相手がランク2だったなら。
同じように戦えただろうか。
ユウキは少し考えた。
答えはわからない。
だからこそ、今後も慎重に行動しなければならない。
「……ユウキ」
声が聞こえた。
顔を上げると、バルドが立っていた。
「大丈夫か?」
「はい。少し疲れただけです」
ユウキが答えると、バルドは隣へ腰を下ろした。
しばらくの間、2人は静かに周囲を眺めていた。
風が草を揺らし、荷馬車の近くではドランとマルクが何か話している。
やがて、バルドが口を開いた。
「……いい指示だった」
ユウキは少し驚いた。
「そうですか?」
「ああ。最初に荷馬車を守る位置を決めたのは、よかったと思う」
バルドは続けた。
「わしらは冒険者だが、今回は護衛だ。敵を倒すことだけが仕事ではない」
「……はい」
「それを最初から忘れなかった。だから、全員が無事だったのだろう」
ユウキは視線を落とした。
自分だけの力ではない。
仲間がいたからこそ、守り切れたのだ。
「……みんなが動いてくれたからです」
ユウキが答えると、バルドは頷いた。
「そうだな」
そして、穏やかに笑った。
「だが、仲間を信じて任せることも、大切な役割だ」
ユウキはその言葉を静かに受け止めた。
自分が仲間を信じること。
仲間が自分を信じてくれること。
その両方があって初めて、パーティーとして戦えるのだろう。
◇◆◇
休憩を終え、補給隊は再び出発した。
夕暮れが近づく頃には、遠くに小さな建物の集まりが見えてきた。
東部補給拠点。
街道の先に、木製の柵に囲まれた建物が並んでいる。
見張り台には兵士の姿もあり、門の近くでは荷物を運ぶ人々が働いていた。
「……見えた!」
トーマが嬉しそうに声を上げた。
ユウキも、その景色を見てほっとした。
ようやく、今日の目的地が見えてきたのだ。
マルクは荷馬車を進めながら、振り返った。
「もう少しだ。みんな、よく頑張ってくれた」
ユウキは頷いた。
まだ依頼は終わっていない。
復路も残っている。
それでも、往路の目的地へ無事に到着できそうだった。
その事実が、何より嬉しかった。
門へ近づくと、見張りの兵士が声をかけてきた。
「補給隊か?」
「ああ。リーヴェルからの定期便だ」
マルクが答える。
兵士は荷馬車を確認したあと、ユウキ達へ視線を向けた。
「……護衛の冒険者か」
「はい。ネクシアです」
ユウキが答えると、兵士は頷いた。
「ご苦労だった。中へ入ってくれ」
門が開く。
2台の荷馬車が、ゆっくりと拠点の中へ進んでいった。
ユウキはその光景を見ながら、静かに息を吐いた。
Eランクになって初めての護衛依頼。
最初の1日は、決して楽なものではなかった。
しかし、守るべきものを守ることができた。
それは、これまでの討伐依頼とは違う経験だった。
ユウキは仲間たちへ視線を向けた。
トーマは楽しそうに周囲を見渡している。
ドランは荷馬車の状態を確認しながら、御者と何か話していた。
バルドは盾を背へ戻し、静かに周囲を見守っている。
その姿を見て、ユウキは小さく笑った。
自分たちは、まだまだ未熟だ。
それでも、少しずつ成長している。
そして、その成長は人物レベルや技能レベルだけでは測れない。
何を守るべきなのか。
どこで戦い、どこで退くべきなのか。
仲間へ何を任せるべきなのか。
そうした判断の1つ1つが、冒険者としての力になっていく。
ユウキは空を見上げた。
夕暮れの光が、拠点の屋根を淡く染めている。
今日、自分たちは1つの危険を乗り越えた。
だが、依頼はまだ続いている。
明日も、明後日も。
守るべきものを見失わず、仲間とともに歩いていこう。
ユウキはそう決意し、補給隊とともに拠点の奥へ進んでいった。
――第59話 完。




