第58話 新たな階級、新たな試練
冒険者ランクが上がったからといって、朝の景色が変わるわけではなかった。
宿屋の窓から差し込む日差しも、階下から聞こえる食器の音も、いつもと変わらない。廊下ではトーマが何かに足をぶつけたらしく、短い悲鳴のあとにドランの呆れた声が響いていた。
ユウキは寝台の上で身体を起こし、思わず笑みを浮かべた。
昨夜は、四人でささやかな昇格祝いをした。
普段より少しだけ豪華な夕食を頼み、トーマが何度も冒険者カードを取り出しては、バルドに「もうわかった」と笑われていた。
そんな時間が、ユウキには何よりも嬉しかった。
異世界へ来てから、眠ることすら怖い夜があった。
目を閉じれば、あの家で聞いた怒鳴り声が蘇ることもある。灰の鉱山で過ごした日々も、決して忘れられるものではない。
それでも、今は朝が来ることを恐れずにいられる。
目覚めた先に、仲間がいると知っているからだ。
ユウキは枕元に置いていた冒険者カードを手に取った。
そこには昨日までと違う、一つの文字が刻まれている。
E。
たった一文字。
けれど、その文字を見るたび、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「……本当に、なれたんだ」
呟いてから、ユウキは小さく首を振った。
浮かれてばかりはいられない。
Eランクになれば、受けられる依頼が増える。
それは、これまで以上に危険な場所へ行く機会も増えるということだ。
自分は剣士Lv.4。
トーマもLv.4。
ドランはLv.6。
バルドはLv.8。
人物レベルだけを見れば、まだ大きな差がある。
そして、冒険者ランクは全員同じEになった。
ランクと強さは、必ずしも一致しない。
ユウキはカードをしまい、寝台から降りた。
今日から、自分たちはEランクの冒険者として扱われる。
その意味を、きちんと考えなければならない。
◇◆◇
朝食の席では、トーマが早くも依頼の話を始めていた。
「ねえ、今日はEランクの依頼を見に行くんでしょ?」
「見るだけならな」
ドランが答える。
「昨日の今日だ。受けるかどうかは内容次第だぞ」
「わかってるよ!」
トーマはパンを頬張りながら頷いた。
その様子を見て、バルドが苦笑する。
「口に入っているものを飲み込んでから話せ」
「……んぐっ」
慌てて水を飲むトーマを見て、ユウキは笑った。
バルドの腰には、昨日購入した片手斧がある。
九級の軽量片手斧。
ただし、まだ使い慣れていないため、実戦では盾を中心に立ち回るつもりらしい。
ドランも、食事の途中で工具袋を確認していた。
昨日の北方水路の調査では、設備の損傷を観察する知識が役立った。
彼自身も、研究や修理以外に技工士としてできることがあると感じ始めているようだった。
「ユウキはどう思う?」
バルドに尋ねられ、ユウキは顔を上げた。
「……依頼のことですか?」
「ああ。今日からEランクの依頼を受けられる。何を優先したい?」
ユウキは少し考えた。
強くなりたい。
もっと難しい依頼にも挑戦してみたい。
そういう気持ちは確かにある。
しかし、昨日起きたことも忘れてはいなかった。
北方水路で発見した石殻蟲。
レベルだけを見れば、自分たちでも十分に対応できる相手だった。
けれど、崩れかけた水路で無理に追いかけていれば、魔物とは別の危険に遭遇していたかもしれない。
「……まずは、Eランクの仕事がどんなものなのか知りたいです」
ユウキは答えた。
「いきなり難しい依頼を受けるんじゃなくて、自分たちにできることを確認したいです」
バルドは静かに頷いた。
「いい考えだ」
ドランも同意した。
「依頼内容を見てから判断するのが一番だな」
「じゃあ、ギルドへ行こう!」
トーマが勢いよく立ち上がった。
しかし、まだ皿にはパンが半分残っている。
ドランが無言でそれを指さすと、トーマは気まずそうに座り直した。
「……食べてから」
その言葉に、四人は笑った。
◇◆◇
冒険者ギルドは、今日も多くの人で賑わっていた。
しかし、依頼掲示板の前へ立ったユウキは、すぐにある違いへ気づいた。
今までは、Fランクの依頼だけを確認していた。
採取。
運搬。
街道の見回り。
比較的危険の少ない討伐。
その中で、自分たちにできそうな仕事を探していた。
だが、今日は違う。
Eランクの依頼が並ぶ掲示板へ、堂々と近づける。
ユウキは少し緊張しながら、一枚目の依頼書を読んだ。
森の深部における薬草採取。
二枚目は、街道を通る荷馬車の護衛。
三枚目は、小規模な魔物の巣の調査。
四枚目には、廃村周辺の安全確認と記されていた。
どれも、Fランクの依頼より条件が厳しい。
移動距離が長いもの。
危険な魔物の出現が想定されるもの。
依頼人の安全を直接守らなければならないもの。
ユウキは依頼書を一枚ずつ確認していった。
「……やっぱり、少し難しそうだね」
隣でトーマが呟いた。
「うん。でも、何もできないわけじゃないと思う」
ユウキはそう答えた。
すると、後ろから声が聞こえた。
「ネクシアの皆さんですね」
振り返ると、セシリアが立っていた。
「おはようございます」
ユウキが挨拶すると、セシリアは微笑んだ。
「おはようございます。改めまして、Eランクへの昇格、おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
トーマが元気よく答える。
セシリアは掲示板へ視線を向けた。
「早速、依頼をお探しですか?」
「はい。ただ、どれが自分たちに合っているのか、まだよくわからなくて」
ユウキが答えると、セシリアは頷いた。
「そうですね。Eランクになると、依頼の種類が大きく増えますから」
彼女は数枚の依頼書を確認したあと、一枚を取り外した。
「それでしたら、こちらはいかがでしょうか」
ユウキは差し出された紙へ視線を落とした。
【依頼名】
東部街道・補給隊の護衛
【依頼ランク】
Eランク
【依頼内容】
リーヴェルから東部補給拠点まで、補給物資を運ぶ荷馬車二台の護衛。
【護衛期間】
往路一日、復路一日。
拠点での宿泊を含め、合計二泊三日の予定。
【基本報酬】
銀貨八枚
【追加条件】
荷馬車および護衛対象者の安全を優先すること。
危険発生時は依頼人の指示と現場状況を踏まえて行動すること。
「……護衛依頼」
ユウキは小さく呟いた。
これまでにも荷物の運搬や安全確認は経験してきた。
しかし、人と荷馬車を守りながら移動する仕事は初めてだった。
セシリアは説明を続ける。
「今回の補給隊は、東部にある小規模な拠点へ食料や生活用品を運ぶ予定です」
「魔物が出るんですか?」
トーマが尋ねる。
「街道上では、時折小型の魔物が確認されています。ただし、最近は大きな被害の報告はありません」
ユウキは頷いた。
それなら、比較的落ち着いた依頼なのかもしれない。
しかし、セシリアは続けた。
「とはいえ、護衛依頼では討伐数よりも、依頼人を安全に目的地まで届けることが重要です」
ユウキは顔を上げた。
「……依頼人の安全が最優先、ですか」
「はい。魔物を追いかけて荷馬車を放置するようなことは、避けなければなりません」
昨日の北方水路での判断が、頭をよぎる。
魔物を倒すことだけが、依頼達成ではない。
そのことを、改めて考えさせられた。
ユウキは三人へ視線を向けた。
「……どう思う?」
バルドは少し考えて答えた。
「護衛なら、わしの盾を活かせる場面もあるだろう。ただ、荷馬車が二台ある以上、守る位置は考える必要がある」
ドランも頷いた。
「補給物資の運搬なら、荷車の構造も確認しておきたい。車輪や軸の不具合が出れば、わしにもできることがある」
トーマは嬉しそうに拳を握った。
「俺は周囲の警戒を頑張る!」
三人の答えを聞いたユウキは、静かに頷いた。
それぞれに役割がある。
だからこそ、四人でできる仕事なのだろう。
「……この依頼、受けたいです」
ユウキが言うと、セシリアは微笑んだ。
「承知しました。では、正式な受注手続きを進めますね」
こうしてネクシアは、Eランクとして初めての依頼を受けることになった。
◇◆◇
翌朝。
東門の前には、二台の荷馬車が停まっていた。
一台には食料の入った木箱。
もう一台には毛布や工具、油の入った小樽などが積まれている。
荷馬車の横では、四十代ほどの男が積荷の確認を行っていた。
ユウキ達が近づくと、男は顔を上げた。
「おう。ギルドから来た冒険者か?」
「はい。ネクシアです」
ユウキが答える。
男は頷いた。
「俺はマルク。今回の補給隊の責任者だ」
マルクは四人を順番に見た。
ユウキ。
トーマ。
バルド。
ドラン。
そして、少しだけ眉を上げた。
「……若いのもいるんだな」
ユウキは少し緊張した。
しかし、マルクはすぐに笑った。
「まあ、ギルドが認めたEランクなら問題ないだろう。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ユウキは頭を下げた。
マルクは荷馬車を指さした。
「出発前に、積荷と車両の確認をしてくれ」
「わかりました」
ドランがすぐに荷車へ近づいた。
車輪。
車軸。
固定具。
荷台の留め金。
それらを一つずつ確認していく。
「……こっちの車輪、少し軸が緩んでいるな」
ドランが呟く。
マルクが振り返った。
「本当か?」
「ああ。今すぐ壊れるほどじゃないが、長距離を走るなら締め直しておいた方がいい」
ドランは工具袋を開いた。
精密作業Lv.3。
修理Lv.3。
技能の補助を意識しながら、部品の状態を確かめる。
そして、必要な部分だけを慎重に調整した。
しばらくして、車輪を回してみる。
先ほどよりも動きが滑らかになっていた。
「……これなら大丈夫だろう」
マルクは感心したように頷いた。
「助かる。護衛だけじゃなく、修理までできるのか」
ドランは少し笑った。
「技工士だからな。こういう仕事の方が、本職に近い」
ユウキはその様子を見ながら、改めて思った。
ドランの技能は、戦闘以外でも大きな力になる。
そして、それはトーマもバルドも同じだ。
自分たちは、それぞれ違うものを持っている。
だからこそ、互いの力を活かす必要があるのだろう。
◇◆◇
荷馬車が出発したのは、朝日が城壁を越えた頃だった。
石畳の街道を、二台の荷馬車がゆっくりと進んでいく。
ユウキ達は事前に決めた配置へ移動した。
トーマは先行して周囲を確認。
バルドは一台目の荷馬車の近く。
ドランは二台目の荷馬車に付き、設備の状態も確認する。
ユウキは二台の間を中心に、全体の状況を把握する役割だった。
四人で話し合って決めた配置だ。
ユウキは周囲を見渡した。
街道の両側には低い草が広がっている。
遠くには小さな森が見え、その向こうには丘陵が続いていた。
風が吹くたび、草が波のように揺れていく。
「……いい天気だね」
トーマが笑った。
「うん」
ユウキも頷いた。
しかし、視線は周囲から外さなかった。
護衛依頼。
自分たちが守るべきものは、魔物の討伐数ではない。
荷馬車。
積荷。
そして、同行する人たちの安全。
それを忘れないようにしなければならない。
ユウキは耳を澄ませた。
聴覚強化Lv.1。
遠くの鳥の声。
風に揺れる草。
馬の蹄が地面を叩く音。
荷馬車の車輪が回る音。
それらが、少しだけ明確に聞こえる。
続けて、足元の振動へ意識を向けた。
振動感知Lv.1。
しかし、ここでは荷馬車の振動が大きすぎた。
二台の車輪が地面を通るたび、細かな振動が絶え間なく伝わってくる。
ユウキは眉を寄せた。
「……これは、難しいな」
小さく呟く。
普段の練習場とは違う。
周囲には、常に音と振動が存在している。
その中から敵の動きを見分けるのは、思っていた以上に難しかった。
ユウキは一度、感知技能への意識を緩めた。
ずっと集中し続ければ、疲れてしまう。
必要なときに使い、普段は視覚と周囲の様子を確認する。
その方が、今の自分には向いているのかもしれない。
ガレスの言葉が、頭をよぎった。
――スキルを持っているだけで満足するな。
――使い方を考えろ。
ユウキは小さく頷いた。
どんな技能でも、状況に合わせて使わなければ意味がない。
そのことを、また一つ学んだ気がした。
◇◆◇
昼過ぎ。
補給隊は街道沿いの小さな休憩所へ到着した。
石造りの水場があり、馬へ水を飲ませることができる。
マルクは荷馬車を停めると、御者たちへ休憩を指示した。
「ここで少し休もう。午後は森の脇を通るからな」
ユウキは頷いた。
「わかりました」
トーマは周囲の地形を確認し始めた。
バルドは荷馬車の近くに立ち、周囲を見渡している。
ドランは車輪の状態を再確認していた。
ユウキは水場の近くへ向かった。
そこには、小さな石碑が立っていた。
古びた文字が刻まれている。
しかし、表面が削れており、内容はほとんど読み取れなかった。
「……何だろう」
ユウキは小さく呟いた。
石碑へ近づき、文字を確認する。
古い記録なのだろうか。
あるいは、街道を造った人々が残したものかもしれない。
ユウキは鑑定へ意識を向けた。
しかし、石碑について詳しい情報は得られなかった。
ただ、古い石材であることがわかる程度だった。
「……やっぱり、何でもわかるわけじゃないんだ」
ユウキは苦笑した。
鑑定Lv.2。
便利な技能ではある。
しかし、対象によっては得られる情報が限られる。
そのことは、これまでの冒険でも何度か経験してきた。
ユウキは石碑から手を離した。
そして、ふと考えた。
エルヴィン・クロード。
あの男から奪った鑑定。
彼は今、どうしているのだろう。
ユウキは静かに目を伏せた。
自分が奪ったもの。
それが、相手にどれほどの影響を与えたのか。
正確にはわからない。
ただ、あの力を使うたび、ほんの少しだけ胸が重くなることがあった。
略奪。
自分に与えられた、奇妙な力。
それを使わなければ、生き残れなかった場面もある。
だからといって、何も感じずにいられるわけではない。
ユウキは手を握った。
力を奪うこと。
誰かを守ること。
その二つは、決して同じ意味ではない。
自分は、その違いを忘れたくなかった。
「……ユウキ!」
遠くからトーマの声が聞こえた。
ユウキは顔を上げた。
「どうしたの?」
トーマは森の方向を指さした。
「……ちょっと、気になるものがある」
その声は、先ほどまでとは違っていた。
真剣な表情。
そして、周囲を警戒する視線。
ユウキはすぐに近づいた。
「……何があった?」
トーマは小声で答えた。
「森の入口に、足跡があるんだ」
「足跡?」
「うん。でも、普通の動物のものとは少し違う気がする」
ユウキは眉を寄せた。
そして、トーマとともに森の入口へ向かった。
◇◆◇
森の入口には、柔らかい土が広がっていた。
そこには、いくつもの足跡が残っている。
トーマはしゃがみ込み、地面を指さした。
「……これ」
ユウキは近づいた。
確かに、足跡があった。
大きさは人間の足よりも小さい。
しかし、形状が少し違う。
指のようなものが三本。
そして、先端には鋭い爪の跡が残っている。
「……魔物かな」
ユウキが呟く。
トーマは頷いた。
「たぶん。しかも、一体じゃないと思う」
ユウキは周囲を見渡した。
足跡は複数の方向へ伸びている。
中には、まだ新しそうなものもあった。
「……マルクさんに報告しよう」
ユウキが言うと、トーマは頷いた。
二人はすぐに荷馬車のもとへ戻った。
マルクへ状況を説明すると、彼は表情を硬くした。
「……森の入口に魔物の足跡か」
「はい。複数いる可能性があります」
ユウキが答える。
マルクは少し考えた。
「この先は森の脇を通る道だ。迂回路もあるが、かなり遠回りになる」
ユウキは地図を確認した。
確かに、迂回路を使えば到着が遅れる。
しかし、魔物の群れに遭遇する危険を考えれば、無視できない。
「……少し、相談させてください」
ユウキはそう言って、三人を集めた。
バルド。
トーマ。
ドラン。
四人は荷馬車の横で、地図を囲んだ。
「……このまま進むと、森の近くを通ることになります」
ユウキは地図を指さした。
「足跡の数から考えると、魔物が複数いる可能性があります」
バルドは静かに頷いた。
「……確かに、危険はあるな」
ドランも腕を組んだ。
「迂回路を使えば、時間はかかる。しかし、荷馬車を守るなら、そちらの方が安全かもしれん」
トーマは少し考えた。
「でも、森の中に入らなければ大丈夫かもしれないよ?」
ユウキは頷いた。
「うん。その可能性もある」
しかし、すぐに続けた。
「でも、今の情報だけで安全だとは言い切れない」
三人は黙って聞いていた。
ユウキは地図を見つめた。
護衛依頼。
目的は、荷馬車を安全に届けること。
時間を短縮することも大切だろう。
しかし、最優先ではない。
「……俺は、迂回路を使った方がいいと思う」
ユウキは言った。
バルドが頷いた。
「……わしも賛成だ」
ドランも同意した。
「時間より安全だな」
トーマは少しだけ考え込んだあと、笑った。
「……うん。俺もそう思う!」
ユウキは小さく頷いた。
そして、マルクへ向き直った。
「……迂回路を使いたいです」
マルクはしばらく考えていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「わかった。護衛の判断を信じよう」
ユウキは少し安心した。
自分の判断が、荷馬車の進路を変えた。
その責任は、決して小さくない。
けれど、今はそれが最善だと思えた。
「……ありがとうございます」
ユウキは頭を下げた。
◇◆◇
補給隊は迂回路へ進んだ。
森から距離を取り、緩やかな丘陵を回り込む道だ。
街道よりも道幅は狭いが、周囲の見通しは比較的よかった。
荷馬車はゆっくりと進んでいく。
ユウキは周囲を警戒しながら、何度も後ろを振り返った。
森の方角。
その奥には、先ほど確認した足跡の主がいるのかもしれない。
しかし、今のところ追ってくる気配はなかった。
しばらく進んだところで、バルドが声をかけてきた。
「……ユウキ」
「はい?」
「いい判断だったと思うぞ」
ユウキは少し驚いた。
「……そうですか?」
「ああ。魔物がいるかもしれない場所を避ける。それは、臆病な判断ではない」
バルドは静かに続けた。
「守るべきものがあるなら、危険を避けることも大切だ」
ユウキは小さく頷いた。
ガレスの教え。
盾で守ること。
必要なら攻撃すること。
そして、無理な戦いを避けること。
それらは、すべて繋がっているのかもしれない。
「……ありがとうございます」
ユウキはそう答えた。
バルドは穏やかに笑った。
そのときだった。
トーマが突然、足を止めた。
「……待って」
ユウキはすぐに顔を上げた。
「どうしたの?」
トーマは前方の茂みを見つめていた。
その表情は、真剣だった。
「……何かいる」
ユウキは剣へ手を伸ばした。
バルドも盾を構える。
ドランは荷馬車へ近づき、マルクへ停止を伝えた。
ユウキは耳を澄ませた。
聴覚強化Lv.1。
草が擦れる音。
風の音。
そして。
ザッ。
何かが地面を踏む音。
ユウキは眉を寄せた。
振動感知Lv.1へ意識を向ける。
荷馬車が停止したことで、地面の振動は少しだけ静かになっていた。
その中に、別の小さな振動が混ざっている。
一つ。
二つ。
そして、もう一つ。
「……三体?」
ユウキは小さく呟いた。
トーマが頷いた。
「……たぶん」
茂みの奥。
そこから、低い唸り声が聞こえた。
ユウキは息を止めた。
迂回路を選んだ。
危険を避けたつもりだった。
それでも、すべての危険を避けられるわけではない。
ユウキはゆっくりと剣を抜いた。
その背後には、二台の荷馬車がある。
守るべき人たちがいる。
逃げることができるなら、それが一番いい。
しかし、今ここで逃げれば、荷馬車が取り残されるかもしれない。
ユウキは静かに息を吸った。
「……バルドさん、前をお願いします」
「ああ」
「トーマは右側を警戒して。ドランさんは荷馬車の近くで、御者さんたちを守ってください」
「了解!」
「任せろ」
三人が動き始める。
ユウキは剣を構え直した。
目の前の茂みが、ゆっくりと揺れた。
そして。
低い唸り声とともに、三つの影が姿を現した。
――第58話 完。




