第56話 昇格への一歩
冒険者ギルドの扉を開けると、朝の喧騒がユウキを迎えた。
依頼掲示板の前では冒険者たちが言葉を交わし、受付にはすでに数組のパーティーが並んでいる。奥の酒場から漂ってくる焼きたてのパンの香りが、まだ朝食を終えたばかりのユウキの食欲をわずかに刺激した。
「今日は何の依頼を受けようか!」
隣を歩くトーマが、いつものように弾んだ声を上げる。
「昨日はずいぶん練習したからね。無理のない依頼がいいと思うけど」
「大丈夫だよ! ちゃんと身体は休めたし!」
トーマはそう言って腕を回した。
ユウキは苦笑しながら、その後ろを歩く二人へ視線を向けた。
バルドの腰には、昨日購入したばかりの片手斧が収まっている。軽量とはいえ九級の武器だ。慣れない重さに気を取られないよう、朝から何度も位置を調整していた。
一方、ドランはいつもの片手鎚を腰に提げ、革袋へ入れた工具の数を確かめている。
「バルドさん、斧はどうですか?」
ユウキが尋ねると、バルドは腰元へ手を添えた。
「まだ違和感はあるが、悪くない。盾の邪魔にならない位置も少しずつわかってきた」
「今日は使えそう?」
「必要ならな。ただ、初めての実戦で無理に振り回すつもりはない」
その答えに、ユウキは安心した。
新しい武器を手に入れたからといって、いきなり使いこなせるわけではない。
昨日、ガレスから教わったことも同じだった。
技能の使い方を広げることはできる。
だが、その可能性を実際の力へ変えるには、繰り返しの練習と経験が必要になる。
ユウキは自分の剣へ視線を落とした。
九級のショートソード。
この剣にも、ずいぶん助けられてきた。
灰の鉱山から逃げ出した頃は、まともに武器を扱うことすらできなかった。それが今では、仲間とともに魔物と戦い、依頼を達成できるようになっている。
少しずつではあるが、確かに前へ進んでいた。
「ユウキ?」
トーマの声に顔を上げると、三人はすでに受付へ向かっていた。
「今行く!」
ユウキは小走りで追いかけた。
◇◆◇
「おはようございます、ネクシアの皆さん」
受付にいたセシリア・アルノーは、四人の姿を見つけると柔らかく微笑んだ。
「おはようございます」
ユウキが挨拶すると、セシリアは手元の書類へ視線を落とした。
「今日は新しい依頼をお探しですか?」
「はい。四人で受けられる依頼があればと思って」
「少々お待ちください」
セシリアは棚から数枚の依頼書を取り出し、内容を確認し始めた。
ユウキはその様子を見ながら、ふと以前の自分を思い出した。
初めてこのギルドを訪れた日。
冒険者登録の仕組みも、依頼の受け方も、何も知らなかった。
他の冒険者たちの装備を見るだけで、自分とは住む世界が違うように感じたものだ。
それが今では、受付に立つことにも慣れている。
セシリアも、四人の顔と名前を覚えてくれていた。
そんな小さな変化が、不思議と嬉しかった。
「……ユウキさん」
書類を確認していたセシリアが顔を上げた。
「はい?」
「実は、皆さんにお伝えしたいことがあります」
その言葉に、ユウキは少しだけ姿勢を正した。
セシリアは一枚の書類を取り出し、四人へ向けて置いた。
「これまでの依頼実績について、ギルド内で確認が行われました」
「……実績、ですか?」
「はい。採取依頼や討伐依頼だけでなく、霧石の洞窟や灰脈の迷宮での活動も評価されています」
トーマが身を乗り出した。
「それって、もしかして……!」
セシリアは微笑んだ。
「ネクシアの皆さんは、Eランクへの昇格に必要な実績が、あと一件で揃う見込みです」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
ユウキは目を見開いた。
「……Eランク?」
「はい」
セシリアは頷き、依頼書へ視線を落とした。
「今回ご紹介するクエストを無事に終えることができたら、ランクアップですね」
その言葉を聞いた瞬間。
「やったぁっ!」
トーマが両手を上げた。
周囲の冒険者たちが何事かと振り返る。
トーマは慌てて口を押さえたものの、嬉しそうな表情までは隠せていなかった。
「ついにEランク! ねえ、ユウキ! 聞いた!?」
「う、うん……!」
ユウキも思わず笑みを浮かべた。
Eランク。
まだ冒険者としては低い位置にある。
けれど、Fランクから一つ上へ進むということは、今までの努力が認められるということでもあった。
灰の鉱山から逃げ出したあの日、自分たちは生き延びることで精一杯だった。
明日の食事をどうするか。
どこで眠るか。
追手に見つからないか。
そんなことばかり考えていた。
その自分たちが、冒険者として評価されるところまで来たのだ。
ユウキは胸の奥が温かくなるのを感じた。
だが、セシリアは続けた。
「ただし、今回の依頼を達成した時点で、すぐに昇格が確定するわけではありません」
トーマが首を傾げる。
「えっ、そうなの?」
「はい。帰還後の報告内容と、ギルドの最終確認が必要になります。ですが、現在の皆さんの実績であれば、問題なく達成できた場合、昇格が認められる可能性は高いと思います」
ユウキは頷いた。
つまり、今回の依頼は単なる仕事ではない。
これまで積み重ねてきた経験を、もう一度確かめる機会でもあるのだろう。
「……わかりました」
ユウキはセシリアをまっすぐ見つめた。
「その依頼について、詳しく教えてください」
セシリアは頷き、一枚の依頼書を差し出した。
【依頼名】
北方水路の安全確認
【依頼ランク】
Fランク
【依頼内容】
リーヴェル北側の旧水路周辺における異常の調査。
通行路の安全確認および危険生物の発見時の報告。
【追加条件】
確認できる範囲で水路設備の損傷状況を記録すること。
危険が大きい場合は無理に討伐せず、撤退を優先すること。
【基本報酬】
銀貨四枚
「北方水路……」
ユウキは依頼書を読みながら呟いた。
セシリアは説明を続けた。
「ここ数日、北側の旧水路付近で、荷運びの人たちが奇妙な音を聞いたという報告が続いています」
「奇妙な音?」
ドランが尋ねる。
「はい。石を引きずるような音や、金属を叩くような音が夜間に聞こえるそうです」
ユウキは眉を寄せた。
石を引きずる音。
金属を叩く音。
それだけでは、何が原因なのかわからない。
「魔物の可能性はありますか?」
「否定できません。ただ、現時点では目撃情報がありません」
セシリアは地図を広げた。
リーヴェル北側の外壁から少し離れた位置に、古い水路が伸びている。
かつて農地へ水を送るために造られたものだが、現在は一部しか使われていないらしい。
「水路の一部は老朽化しているため、足場にも注意してください。必要なのは安全確認と報告です。危険があれば、その場で解決しようとせず戻ってきてください」
バルドが頷いた。
「……わかった」
ドランは地図を見つめながら、低い声で呟いた。
「水路設備か。なら、わしの知識も少しは役に立ちそうだな」
「そうですね」
セシリアは頷いた。
「技工士の方が同行しているのも、今回の依頼をご紹介した理由の一つです」
ユウキは仲間たちへ視線を向けた。
トーマはすでにやる気に満ちた表情をしている。
バルドは落ち着いて依頼内容を確認していた。
ドランも地図を見ながら、必要な工具を考えているようだった。
ユウキは静かに息を吸った。
昇格の機会。
それは、確かに魅力的だった。
けれど、だからこそ慎重に判断しなければならない。
無理をして誰かが怪我をすれば、意味がない。
「……みんな、どう思う?」
ユウキが尋ねると、バルドはすぐに答えた。
「危険が大きければ撤退してよい依頼だ。無理をしなければ、今のわしらでも対応できると思う」
ドランも頷いた。
「設備の確認なら任せてくれ。ただ、崩れかけた場所へ無闇に入るのは避けたい」
「俺は賛成!」
トーマが元気よく答えた。
「ちゃんと周囲を調べて、危なそうならすぐ戻る!」
ユウキは三人の顔を見た。
そして、セシリアへ向き直る。
「……この依頼、受けます」
セシリアは微笑んだ。
「ありがとうございます。では、正式に受注処理を行いますね」
彼女は書類へ記入し、最後に四人へ依頼票を渡した。
「皆さんの帰還を、お待ちしています」
ユウキは依頼票を受け取った。
その紙には、いつもと変わらないギルドの印が押されていた。
けれど、今日は少しだけ重く感じられた。
◇◆◇
北方水路までは、徒歩で二時間ほどの距離だった。
街を出た四人は、北へ伸びる街道を進んでいく。
道の両側には背の低い草が広がり、遠くにはなだらかな丘陵が見えた。
秋の気配を感じさせる風が、草の表面を揺らしている。
「Eランクかぁ……」
トーマがしみじみと呟いた。
「まだ依頼は終わってないよ」
ユウキが言うと、トーマは笑った。
「わかってるって。でも、ちょっと嬉しいじゃん」
「……そうだね」
ユウキも笑った。
嬉しくないわけではない。
むしろ、胸が高鳴っていた。
ただ、同時に少しだけ怖かった。
これまでの依頼でも、何度も危険な場面があった。
霧石の洞窟で魔物と戦ったとき。
灰脈の迷宮で岩甲獣の突進を受け止めたバルドを見たとき。
仲間が傷つくかもしれないという恐怖は、今でも消えていない。
レベルが上がっても、技能を覚えても、すべての危険を避けられるわけではないのだ。
それでも。
ユウキは前を見た。
今の自分には、仲間がいる。
一人ではできないことも、四人ならできるかもしれない。
「……今日は、慎重にいこう」
ユウキが言うと、トーマは頷いた。
「うん!」
バルドも静かに口を開いた。
「昇格がかかっているからといって、無理をする必要はない。依頼を終えて、全員で帰ることが一番大事だ」
「そのとおりだな」
ドランが頷く。
「調査が目的なら、調査を優先する。余計なことはしない」
ユウキは少しだけ笑った。
「……ありがとう」
四人は歩き続けた。
◇◆◇
旧水路へ到着した頃には、太陽が高く昇っていた。
目の前には、古びた石造りの水路が伸びている。
かつては大量の水が流れていたのだろう。
今では水量が減り、底の一部には苔が生えていた。
水路の脇には細い点検路があり、ところどころで石材が欠けている。
ユウキは周囲を見渡した。
人の気配はない。
鳥の鳴き声も、ほとんど聞こえなかった。
「……静かだね」
トーマが呟いた。
「ああ」
バルドは盾を構え直した。
ドランは水路の縁へ近づき、石材を確認する。
「……かなり古いな」
彼は指先で石の表面を触れた。
「水の流れで削れた部分もあるが、それだけじゃない。何かが強く擦れた跡がある」
ユウキは近づいた。
石材の表面には、細長い傷が残っている。
まるで、硬いものを引きずったような跡だった。
「……これが、奇妙な音の原因かな」
「可能性はある」
ドランは頷いた。
「ただ、何が擦れたのかまではわからんな」
トーマが水路の先を指さした。
「……あそこ、見て」
視線を向けると、少し離れた場所で点検路の一部が崩れていた。
石材が水路の底へ落ち、その周囲には新しい土が露出している。
ユウキは眉を寄せた。
「……あそこを確認しよう。ただし、近づきすぎないように」
三人が頷いた。
トーマが先行し、ユウキがその後ろを進む。
バルドは少し離れて全体を見渡し、ドランは水路の状態を記録しながら歩いた。
しばらく進んだところで、ユウキは足を止めた。
微かな音が聞こえたのだ。
カリッ。
石を擦るような音。
ユウキは耳を澄ませた。
聴覚強化Lv.1。
周囲の音が、少しだけ明確になる。
カリッ。
ガリッ。
何かが、水路の奥で動いている。
「……みんな、止まって」
ユウキが小声で告げると、三人はすぐに足を止めた。
「何か聞こえた?」
トーマが囁く。
「うん。水路の奥から、石を擦るような音がする」
バルドは盾を構えた。
ドランも工具袋を閉じ、片手鎚へ手を伸ばす。
ユウキは地面へ意識を向けた。
振動感知Lv.1。
足元から、微かな振動が伝わってくる。
しかし、その方向は音の聞こえる位置と少し違っていた。
ユウキは眉を寄せた。
昨日、ガレスが言っていたことを思い出す。
音は反響する。
振動も、地面の状態によって伝わり方が変わる。
どちらか一つだけを信じてはいけない。
ユウキは水路の構造を見渡した。
石造りの壁。
狭い通路。
奥へ続く暗い空間。
この場所なら、音が反響しても不思議ではない。
「……音は奥から聞こえるけど、振動は少し手前から伝わってる」
ユウキが言うと、ドランが顔を上げた。
「……なるほど」
彼は崩れかけた点検路へ視線を向けた。
「なら、あの石材の下かもしれんな」
ユウキは頷いた。
そこには、大きな石がいくつも重なっている。
その隙間から、何かが動く気配があった。
「……トーマ、少しだけ確認できる?」
ユウキが尋ねると、トーマは頷いた。
「うん。無理そうならすぐ戻る」
トーマは水路脇の遮蔽物へ移動した。
足捌きLv.1。
気配遮断Lv.1。
昨日から練習している動きを意識し、静かに足を運ぶ。
しかし、決して急がない。
周囲の状況を確認しながら、少しずつ前へ進んでいく。
やがて、トーマは崩れた石材の陰から奥を覗き込んだ。
そして。
「……っ」
表情が変わった。
トーマはゆっくりと後退し、ユウキ達のもとへ戻ってきた。
「……いた」
小さな声で告げる。
「何が?」
ユウキが尋ねる。
「魔物。たぶん、二体」
トーマは水路の奥を指さした。
「石の下に潜ってる。全身は見えなかったけど、硬そうな甲羅みたいなのがあった」
ユウキは眉を寄せた。
甲羅。
石材を擦る音。
地面の振動。
それらを考えると、岩甲獣のような魔物を連想してしまう。
しかし、まだ断定はできない。
「……大きさは?」
「俺の膝くらいかな。岩甲獣よりは、ずっと小さいと思う」
ユウキは頷いた。
それなら、別の魔物かもしれない。
バルドが静かに口を開いた。
「……どうする?」
ユウキは少し考えた。
依頼の目的は、安全確認と異常の調査。
魔物を発見した場合は報告すること。
無理な討伐は求められていない。
ならば、ここで戦う理由はない。
「……まずは、位置と数を記録しよう。それから戻る」
トーマは少し驚いたように目を開いた。
「……戦わないの?」
「うん。今回は調査依頼だから」
ユウキは水路の奥を見つめた。
「相手の強さもわからないし、足場も悪い。無理に戦えば、こっちが危ないかもしれない」
バルドが頷いた。
「……いい判断だ」
ドランも同意した。
「ここは石材も崩れかけている。戦闘の衝撃でさらに崩れる可能性もあるからな」
ユウキは静かに息を吐いた。
討伐しない。
それは、逃げることではない。
依頼を達成するために、最善の選択をすることだ。
ガレスの言葉が、頭をよぎった。
――最後に判断するのは、お前自身だ。
ユウキは頷いた。
「……戻ろう」
◇◆◇
しかし、四人が撤退を始めた直後だった。
ガリッ!
大きな音が響いた。
ユウキが振り返る。
崩れた石材の隙間から、黒褐色の甲羅を持つ魔物が姿を現した。
大きさはトーマの言ったとおり、膝ほどの高さ。
四本の短い脚。
硬そうな甲羅。
そして、石を削るために発達した前脚の爪。
ユウキはすぐに鑑定へ意識を向けた。
【鑑定結果】
名称:石殻蟲
種族:蟲型魔物
ランク:1
レベル:Lv.4
HP:36 / 36
MP:6 / 6
STR(筋力):9
VIT(耐久力):14
AGI(敏捷性):5
MAG(魔力):2
MND(精神力):3
DEX(器用さ):5
【習得技能】
硬質外殻 Lv.2
掘削 Lv.2
振動感知 Lv.1
突進 Lv.1
特徴:硬質の外殻を持つ小型魔物。
石材や鉱物を削り、巣穴を形成する。
「……石殻蟲、Lv.4」
ユウキは小声で告げた。
トーマが顔を上げる。
「……Lv.4なら、倒せるんじゃない?」
「たぶん。でも……」
ユウキは水路の壁へ視線を向けた。
石殻蟲が這い出してきた場所には、無数の細かな穴が開いている。
石材の内部が削られていた。
もし、あのまま放置すれば、水路の崩落が進むかもしれない。
しかし、魔物を倒せば問題が解決するとも限らない。
内部の損傷がどこまで広がっているのかわからないからだ。
「……まず、距離を取ろう」
ユウキは剣を抜いた。
石殻蟲がこちらへ向かって動き始める。
ガリガリと爪を擦る音。
前脚が地面を削り、小さな石が跳ねた。
バルドが一歩前へ出た。
「……わしが前に出る」
盾を構え、魔物との間へ身体を入れる。
ユウキは頷いた。
「お願いします。トーマは横から様子を見て。ドランさんは足場を確認してください」
「了解!」
「ああ」
三人がそれぞれ動き始めた。
石殻蟲は短い脚を動かし、突然速度を上げた。
ユウキは足元の振動を感じ取った。
小さな振動。
次の瞬間、前脚が地面を蹴る。
「……来ます!」
バルドが盾を構えた。
ガンッ!
石殻蟲が木鉄盾へぶつかった。
その衝撃を受け止め、バルドは左足を踏ん張る。
防御姿勢Lv.2。
身体の重心を安定させ、衝撃を受け流す。
魔物の身体がわずかに横へ流れた。
そこへ、ユウキが踏み込んだ。
剣術Lv.2。
剣を斜めに振り下ろす。
しかし、刃は硬い甲羅に弾かれた。
キンッ!
「……硬い!」
ユウキはすぐに剣を引いた。
甲羅を無理に斬ろうとしても、効果は薄そうだ。
石殻蟲は身体を回転させ、再び前脚を振り上げた。
その動きを見たドランが声を上げる。
「……ユウキ! 脚の付け根だ!」
ユウキは振り返った。
「……付け根?」
「ああ! 甲羅は硬いが、脚を動かす部分は構造上、隙間があるはずだ!」
ドランの声には、確信と慎重さが混ざっていた。
相手は魔物だ。
道具の構造とは違う。
しかし、硬い甲羅の下に脚が収まっている以上、動かすための隙間がある可能性は高い。
ユウキは石殻蟲を見つめた。
鑑定結果にも、硬質の外殻と書かれていた。
ならば、甲羅を正面から斬る必要はない。
動きの隙を狙えばいい。
「……わかりました!」
ユウキは剣を構え直した。
石殻蟲が再び突進する。
バルドは盾を傾け、攻撃を受け流した。
ガンッ!
魔物の身体が横へ流れる。
その瞬間、ユウキは足を動かした。
身体強化を無理に使うことはしない。
今の動作で、十分に間に合う。
ユウキは短く踏み込み、魔物の脚の付け根へ剣を突き出した。
ザクッ!
確かな手応え。
石殻蟲が甲高い音を上げ、身体を大きく揺らした。
トーマが反対側へ回り込む。
「……ユウキ、こっち!」
短剣を構え、魔物の注意を引く。
石殻蟲が身体を向けた。
その隙に、ユウキは一歩後退した。
トーマが短剣で前脚を牽制する。
そして、バルドが盾を押し出した。
ドンッ!
石殻蟲の身体が横へ傾く。
その瞬間。
ユウキは再び踏み込んだ。
剣を横へ滑らせ、露出した腹部へ刃を入れる。
ザシュッ!
魔物の動きが止まった。
短い脚が数度動いたあと、その身体は地面へ崩れ落ちた。
ユウキは息を吐き、剣を構えたまま周囲を確認した。
まだ、もう一体いる。
トーマの報告では、石材の奥に二体いたはずだ。
ユウキは耳を澄ませた。
聴覚強化。
振動感知。
微かな音が、水路の奥から聞こえてくる。
しかし、先ほどよりも遠ざかっているようだった。
「……もう一体は?」
バルドが尋ねる。
ユウキは少し考えて答えた。
「……奥へ逃げたみたいです」
トーマが水路の先を見つめた。
「追う?」
ユウキは首を横に振った。
「……いや、追わない」
その判断に、三人は頷いた。
ユウキは剣を鞘へ戻した。
「依頼の目的は、危険の確認と報告だから。ここから先へ進む必要はないと思う」
ドランが頷いた。
「それに、水路の内部はかなり削られている。下手に追い込めば、崩落を招くかもしれん」
ユウキは周囲を見渡した。
崩れた石材。
爪によって削られた壁。
そして、まだ奥に残っている魔物。
すべてを解決したわけではない。
しかし、調査としては十分な情報が得られた。
「……これ以上は危険です。戻りましょう」
ユウキの言葉に、三人は頷いた。
◇◆◇
リーヴェルへ戻った頃には、陽が傾き始めていた。
四人は冒険者ギルドへ入り、受付へ向かった。
セシリアはユウキ達の姿を見つけると、ほっとしたように微笑んだ。
「お帰りなさい、皆さん」
「ただいま戻りました」
ユウキは依頼票を差し出した。
「北方水路の調査を終えました」
「ありがとうございます。では、報告をお願いします」
ユウキは頷き、調査内容を順番に説明した。
旧水路の一部が崩れていたこと。
石材の内部に無数の削られた跡があったこと。
石殻蟲を二体確認したこと。
そのうち一体は攻撃してきたため討伐し、もう一体は水路の奥へ逃げたこと。
そして、崩落の危険があると判断し、それ以上の追跡を行わなかったこと。
セシリアは真剣な表情で話を聞いていた。
「……なるほど」
彼女は書類へ内容を記録した。
「石殻蟲ですか。確かに、水路の老朽化を進める原因になりそうですね」
ドランが頷いた。
「実際に、内部の石材がかなり削られていた。放置すれば、さらに崩れる可能性がある」
セシリアは頷いた。
「ありがとうございます。設備の補修については、関係部署へ報告します」
ユウキは少し安心した。
今回の依頼は、魔物を倒して終わりではない。
危険を発見し、それを必要な人たちへ伝えることが大切だった。
自分たちが見つけた情報が、誰かの安全へ繋がる。
それは、討伐とは違う達成感だった。
「……では、依頼の達成確認を行います」
セシリアは書類をまとめ、奥の部屋へ向かった。
しばらくして戻ってくると、柔らかく微笑んだ。
「お待たせしました」
四人は姿勢を正した。
「北方水路の安全確認依頼について、正式に達成が認められました」
「……やった!」
トーマが小さく拳を握った。
セシリアは続けた。
「基本報酬の銀貨四枚をお渡しします。それと、もう一つ」
彼女は別の書類を取り出した。
そこには、冒険者ギルドの印が押されている。
「ネクシアの皆さんの昇格審査について、最終確認が完了しました」
ユウキの心臓が、大きく跳ねた。
セシリアは四人を見渡した。
そして、はっきりと告げた。
「ユウキ・コバヤシさん」
「……はい」
「トーマさん」
「はい!」
「バルドさん」
「……ああ」
「ドランさん」
「うむ」
セシリアは微笑んだ。
「皆さんのこれまでの依頼実績と、今回の調査結果を確認した結果――」
ユウキは息を止めた。
「冒険者ランクを、FからEへ昇格することが正式に認められました」
一瞬の沈黙。
そして。
「……やったぁぁっ!」
トーマの声が、ギルド内へ響き渡った。
周囲の冒険者たちが振り返り、何人かが笑いながら拍手を送る。
ユウキはしばらく言葉を失っていた。
Eランク。
ついに、自分たちは一つ上へ進んだのだ。
バルドは静かに頷き、ドランは満足そうに笑った。
トーマは嬉しそうに跳ね回っている。
ユウキはそんな仲間たちを見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が、温かかった。
灰の鉱山から逃げ出したあの日。
自分たちは、ただ生き残るために必死だった。
誰にも頼れず、明日のことすらわからなかった。
それでも、仲間とともに歩き続けた。
失敗もした。
怪我もした。
怖い思いも、何度もした。
けれど、その一つひとつが、今へ繋がっている。
「……ありがとうございます」
ユウキはセシリアへ深く頭を下げた。
セシリアは優しく微笑んだ。
「おめでとうございます、ユウキさん」
そして、四人へ新しい冒険者カードを差し出した。
そこには、これまでとは違う文字が刻まれている。
【冒険者カード】
氏名:ユウキ・コバヤシ
所属:ネクシア
冒険者ランク:E
ユウキはそのカードを受け取った。
掌に伝わる、わずかな重み。
カードそのものの重さは、以前とほとんど変わらない。
けれど、そこに刻まれたEの文字は、今まで積み重ねてきた時間の証だった。
ユウキは静かに笑った。
「……みんな」
三人が振り返る。
「……これからも、よろしくお願いします」
バルドは穏やかに頷いた。
「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」
ドランも笑った。
「まだまだ覚えることは多いからな」
トーマはユウキの肩を軽く叩いた。
「もちろん! これからも一緒だよ!」
ユウキは嬉しそうに頷いた。
◇◆◇
ギルドを出た頃には、街に夕暮れが訪れていた。
四人はいつもの宿屋へ向かって歩いていた。
トーマは新しい冒険者カードを何度も取り出し、そのたびに嬉しそうに笑っている。
「……Eランクかぁ」
バルドが静かに呟いた。
「思えば、遠くまで来たものだな」
ユウキは頷いた。
「……そうですね」
ドランが少し笑った。
「だが、これからの依頼は今まで以上に難しくなるだろうな」
「うん」
ユウキは真剣な表情で頷いた。
Eランクになったからといって、急に強くなったわけではない。
人物レベルが上がったわけでも、技能が増えたわけでもない。
ただ、ギルドから任される仕事の幅が広がる。
それは、責任が増えるということでもあった。
ユウキは自分の冒険者カードを見つめた。
Eランク。
まだまだ低い位置にある。
けれど、確かな一歩だった。
ふと、ガルドの店で聞いたあの声が頭をよぎった。
――……五つ……。
八級の古い剣。
ヒカリという女性。
そして、ゼルガ帝国の秘密。
自分には、まだ知らなければならないことがある。
この世界へ召喚された理由。
あの儀式で犠牲になった人々。
そして、略奪という力が自分に与えられた意味。
答えは、まだ遠い。
けれど、以前とは違う。
今の自分には、仲間がいる。
少しずつではあるが、戦う力も身につけている。
そして、冒険者としての実績も積み重なってきた。
ユウキはカードを握り締めた。
この力を、何のために使うのか。
誰かから奪った力を、自分はどう扱うべきなのか。
その問いには、まだ答えられない。
けれど、今は一つだけ確かなことがある。
大切な人たちを守りたい。
その気持ちだけは、これからも変わらない。
「……ユウキ!」
トーマの声が聞こえた。
振り返ると、三人が少し先で待っていた。
「早く帰ろう! 今日はお祝いしようよ!」
ユウキは小さく笑った。
「……うん!」
そして、仲間たちのもとへ駆け寄った。
夕暮れの街道に、四人の足音が重なっていく。
今日、ネクシアはEランクへ昇格した。
それは決して、物語の終着点ではない。
むしろ、これまで積み重ねてきた時間が、新しい扉を開いた瞬間だった。
ユウキは仲間たちと並んで歩きながら、静かに前を見つめた。
この先に何が待っているのかは、まだわからない。
それでも。
今度こそ、自分の意思で道を選んでいきたい。
そう願いながら、ユウキは夕暮れのリーヴェルを歩いていった。
――第56話 完。




