第53話 出会い
灰脈の迷宮を出たとき、バルドは思わず左腕を見下ろした。
そこには、使い込まれた木鉄盾が固定されている。
岩甲獣との戦闘で受けた衝撃が、まだ腕の奥に残っていた。
痛みというほどではない。
ただ、重い荷物を長時間支え続けたときのような、鈍い疲労があった。
盾の表面には新しい擦り傷がいくつも刻まれ、鉄枠の一部には岩甲獣の硬い身体とぶつかった痕跡が残っている。
「……よく耐えてくれたな」
バルドは盾を軽く撫でた。
その様子を見ていたユウキが、隣へ歩み寄ってくる。
「バルドさん、腕は本当に大丈夫ですか?」
「ああ。少し疲れただけだ」
「でも、あの突進を何度も受けたんですよね」
ユウキの表情には、まだ心配が残っていた。
バルドは穏やかに笑う。
「以前なら、もっとひどく腕を痛めていたかもしれんな。だが、今回は攻撃を真正面から受け止めずに済んだ」
左腕をゆっくりと動かす。
肩から肘へ。
そして、手首へ。
動かすたびに軽い張りは感じるが、関節に異常はなさそうだった。
「……練習した甲斐があった」
バルドが呟くと、ユウキは嬉しそうに頷いた。
「はい。それに、盾術もLv.2になりましたし」
「そうだな」
バルドは静かに笑った。
人物レベルは8。
盾術もLv.2へ成長し、新たな武技である流盾を習得した。
長年の採掘仕事で身につけた身体の使い方。
仲間たちと繰り返してきた訓練。
そして、岩甲獣との実戦。
それらが重なり合い、ようやく形になったのだろう。
だが、成長したからこそ、新たな課題も見えていた。
バルドは先ほどの戦闘を思い返す。
岩甲獣の突進を盾で受け流し、仲間たちへ反撃の機会を作った。
しかし、攻撃を逸らしたあと、自分にはできることがほとんどなかった。
盾を構え直す。
次の攻撃に備える。
それだけだった。
もちろん、防御は大切だ。
仲間を守るために、盾は欠かせない。
けれど、もし自分にも攻撃する手段があれば、岩甲獣の動きをもっと早く止められたのではないか。
そんな考えが、胸の奥に残っていた。
「……バルドさん?」
ユウキが顔を覗き込んでくる。
「何か考え事ですか?」
「いや……少しな」
バルドは首を横に振った。
「わしも、まだまだ学ぶことが多いと思っていただけだ」
そう答えると、ユウキは少しだけ笑った。
「俺もです。新しい武技を覚えても、うまく使えないことばかりですから」
「はは。そうかもしれんな」
二人は並んで歩き始めた。
前方では、トーマがドランへ何かを話しかけている。
灰脈の迷宮で遭遇した岩甲獣の大きさを、両腕を広げて説明しているようだった。
その様子を見て、バルドは穏やかに微笑む。
守りたいものがある。
だからこそ、もっと強くなりたい。
その気持ちは、若い三人にも負けていなかった。
◇◆◇
リーヴェルの冒険者ギルドへ戻った頃には、空が夕暮れの色へ変わっていた。
ギルドの中は依頼を終えた冒険者たちで賑わい、受付には短い列ができている。
ユウキ達は順番を待ち、セシリアのいる受付へ向かった。
「お帰りなさい、ネクシアの皆さん」
セシリアは四人の姿を見ると、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「灰脈の迷宮の再調査ですね。お怪我はありませんか?」
「はい。全員無事です」
ユウキが答える。
バルドは盾の傷を見下ろしながら、付け加えた。
「ただ、魔物との戦闘がありました」
セシリアの表情が引き締まる。
「詳しく教えてください」
ドランが地図を広げた。
調査した東側通路。
亀裂が入った岩壁。
劣化した木製支柱。
そして、岩甲獣と遭遇した場所。
それぞれを順番に説明していく。
「……岩甲獣ですか」
セシリアは羽根ペンを止めた。
「はい。レベル6の個体でした」
ユウキが答える。
「硬い甲殻を持っていて、突進する技能がありました」
「討伐されたのですか?」
「はい。ただ、戦闘後はそれ以上奥へ進まず撤退しました」
バルドが答えた。
「通路の支柱が傷んでいたのでな。あの場所で再び戦闘になれば、崩落の危険もあると判断しました」
セシリアは地図へ視線を落とし、静かに頷いた。
「……適切な判断だったと思います」
そして、報告書へ書き込みを続けた。
東側通路の安全確認。
岩甲獣一匹の生息確認。
支柱の劣化。
岩壁の亀裂。
それらは、いずれもギルドが必要としていた情報だった。
すべての通路を調べ終えたわけではない。
しかし、危険箇所を発見した時点で引き返したことにも、十分な意味がある。
「今回の報告は、調査担当へ優先して共有します」
セシリアはそう言って書類を整えた。
「ただし、依頼の達成判定については、担当者による確認が必要です」
「わかりました」
ユウキが頷く。
「確認が終わり次第、報酬についてもご案内しますね」
ドランは帳面を取り出し、未精算の依頼として記録した。
基本報酬の銀貨五枚は、まだ受け取っていない。
追加査定についても、もちろん未確定だ。
四人は受付を離れ、素材買取窓口へ向かった。
◇◆◇
「おう、またお前らか」
グレンは岩甲獣の甲殻片を見ると、少しだけ眉を上げた。
「……こいつは、岩甲獣の甲殻だな」
「わかるのか?」
ドランが尋ねる。
「そりゃあ、何年も素材を見てるからな」
グレンは甲殻片を手に取り、表面を指先で確かめた。
「岩牙獣とは違う種類だ。こっちは背中の甲殻が重なっていて、加工すれば防具の補強材に使える」
バルドが興味深そうに顔を上げた。
「盾の補強にも使えるのか?」
「ああ。ただ、加工は少し難しいぞ」
グレンは甲殻片の断面を見せた。
「見てみろ。硬い部分と、少し柔らかい部分が層になっているだろう?」
ユウキ達は顔を近づけた。
確かに、甲殻の内部には薄い層がいくつも重なっている。
「そのまま貼りつければいいってもんじゃない。削り方を間違えれば、簡単に割れる」
ドランが頷いた。
「……なるほど」
「まあ、加工のことならガルドの方が詳しいだろうな」
グレンは甲殻片を布の上へ戻した。
「ただし、今回の量じゃ大した金額にはならん。買取価格を出す前に、状態をもう少し確認させてくれ」
そう言って、彼は奥の作業台へ向かった。
ユウキ達はその間、窓口の近くで待つことにした。
そのときだった。
「……おい」
背後から、低い声が聞こえた。
バルドが振り返る。
そこには、一人の男が立っていた。
年齢は四十代半ばほどだろうか。
短く整えられた暗い茶髪。
左眉の上には古い傷跡があり、厚い胸当てと使い込まれた革の外套を身につけている。
身長はバルドより少し高い程度。
しかし、肩幅が広く、立っているだけで身体の安定感が伝わってきた。
その左腕には、金属製の大きな盾が固定されていた。
盾の表面には無数の傷が刻まれている。
けれど、縁や留め具は丁寧に手入れされており、長い年月をともに戦ってきた道具なのだとわかった。
さらに、男の右腰には一本の片手剣が吊られていた。
「……何か?」
バルドが尋ねると、男は彼の盾へ視線を向けた。
「さっきの話、少し聞こえた」
男はそう言って、顎を動かした。
「岩甲獣の突進を盾で逸らしたんだってな」
バルドは少し驚いた。
「ああ。どうにかな」
「ふうん……」
男はバルドの木鉄盾を見つめる。
「その盾でか?」
「そうだ」
「随分と無茶をしたもんだ」
男は少しだけ笑った。
しかし、その表情に嘲りはなかった。
むしろ、興味深そうに盾の傷を確認している。
「正面から受け止めていたら、腕を持っていかれていてもおかしくないな」
バルドは頷いた。
「だから、斜めへ受け流すようにした」
「誰に教わった?」
「……特別な師匠がいたわけじゃない。仲間と練習しているうちに、少しずつ覚えたんだ」
男は目を細めた。
「なるほどな」
そして、右手を差し出した。
「俺はガレス・ヴァルハルト。冒険者ランクはBだ」
「……Bランク?」
トーマが思わず声を上げた。
周囲にいた何人かの冒険者も、ちらりとこちらへ視線を向けた。
Bランク。
ユウキ達のFランクとは、比べものにならないほど上の階級だ。
ガレスはそんな反応に慣れているのか、気にした様子もなく続けた。
「普段は護衛や討伐を引き受けている。盾を使う仕事が長くてな」
バルドは差し出された手を握った。
「バルドだ。ネクシアというパーティーに所属している」
「守護者か?」
「ああ」
ガレスは頷いた。
「やっぱりな。立ち方を見れば、なんとなくわかる」
バルドは少し驚いた。
「そんなことまでわかるのか?」
「大体はな。もっとも、外れることもあるが」
ガレスは笑った。
そして、バルドの盾を指さす。
「少し、見せてもらっていいか?」
「ああ。構わん」
バルドが盾を外して渡すと、ガレスはその重さを確かめた。
表面。
鉄枠。
握りの位置。
腕へ固定する革帯。
それらを順番に確認していく。
「……悪くない盾だ」
ガレスは頷いた。
「ただ、少し気になることがある」
「何だ?」
「お前、この盾をどう使っている?」
バルドは少し考えた。
「……仲間を守るために、敵の攻撃を受け止める。それから、必要なら受け流すようにしている」
「なるほど」
ガレスは頷いた。
しかし、すぐに続けた。
「それだけか?」
バルドは目を瞬かせた。
「……それだけ、とは?」
ガレスは盾を持ち上げた。
「敵の攻撃を防ぐ。それは当然だ。だが、敵が攻撃してきたあと、お前はどうする?」
「……仲間が反撃できるように、盾で敵を押さえることもある」
「自分から攻撃はしないのか?」
バルドは言葉に詰まった。
その沈黙を見て、ガレスは小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
彼は盾を返しながら言った。
「お前、盾を守るためだけの道具だと思っているだろう?」
バルドは否定できなかった。
確かに、そう考えていた。
盾は敵の攻撃を防ぐもの。
仲間を守るもの。
それ以外の使い方など、ほとんど考えたことがなかった。
ガレスはそんなバルドを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「だったら、一つ教えてやる」
そして、自分の金属盾を軽く叩いた。
「盾はな、守るためだけの道具じゃない」
低い声が、はっきりと響いた。
「攻撃するためにも使えるんだ」
◇◆◇
その日の午後。
ユウキ達は、リーヴェルの冒険者向け練習場を訪れていた。
ガレスが、盾の扱い方を見せてくれることになったのだ。
最初はバルドだけが教わるつもりだったが、ガレスはほかの三人にも見学を許してくれた。
「守護者だけが覚えればいい技術じゃないからな。盾を持たない奴でも、盾使いがどう動くのか知っておいて損はない」
その言葉に、ユウキ達は頷いた。
練習場の中央には、木製の標的が置かれている。
人の胴体ほどの高さがあり、支柱の根元には重りが取りつけられていた。
ガレスはその前へ立ち、金属盾を構えた。
「まず、普通の防御からだ」
彼は左足を少し前へ出し、盾を身体の正面へ向ける。
その姿勢は、バルドの構えによく似ていた。
「相手が正面から攻撃してきたら、盾で受ける。これは基本だ」
ガレスは標的へ盾を向けたまま、ゆっくりと一歩踏み込む。
「だが、ここで止まる必要はない」
次の瞬間。
ガンッ!
盾の表面が標的へぶつかった。
重りのついた木製の標的が、大きく揺れる。
トーマが驚いたように目を見開いた。
「……盾で殴った!」
ガレスは振り返り、笑った。
「そういうことだ」
彼は盾を構え直した。
「これは盾打ちと呼ばれる基本的な技術だ。盾の面を使って押し込むこともあれば、縁を使って相手の腕や武器を弾くこともある」
バルドは真剣な表情で、その動きを見つめていた。
ガレスは続ける。
「例えば、敵が剣を振り下ろしてきたとする」
彼は右手で木剣を持ち、簡単な動作を見せた。
「盾で受ける。ここまではいい」
ガレスは盾を斜めへ傾けた。
「次に、相手の武器を外側へ流す」
そして、足を半歩進める。
「そのまま盾を前へ押し出す」
ドンッ!
盾の面が標的へ当たり、木製の身体が大きく揺れた。
「相手が体勢を崩したら、どうなる?」
ガレスが尋ねる。
ユウキは少し考えた。
「……攻撃しにくくなります」
「そうだ」
ガレスは頷いた。
「敵の攻撃を止めるだけじゃない。次の攻撃を出させないようにする。それも防御なんだ」
その言葉に、バルドは小さく息を呑んだ。
守るために、攻撃する。
考えたことがなかったわけではない。
しかし、実際に盾を使って攻撃するという発想は、これまでの自分にはなかった。
ガレスはさらに説明を続けた。
「ただし、盾打ちにも弱点はある」
彼は盾を大きく前へ押し出した姿勢で止まる。
「ここまで踏み込めば、当然、横が空く。相手が一人ならまだしも、複数の敵がいる状況で無理に攻撃すれば、別の敵に狙われる」
バルドは頷いた。
「……なるほど」
「だから、盾で攻撃するときは、必ず次の動きまで考えるんだ」
ガレスは盾を引き戻し、身体の正面へ構え直した。
「受ける。流す。押す。そして、戻す」
その一連の動きは、驚くほど滑らかだった。
盾が身体の一部であるかのように動く。
重い金属盾を扱っているとは思えないほど、余計な動作が少ない。
ユウキは思わず呟いた。
「……すごい」
ガレスは少しだけ笑った。
「何年もやってりゃ、これくらいはできるようになる」
しかし、すぐに真剣な表情へ戻った。
「大事なのは力任せに押すことじゃない。相手の動きを見て、必要な瞬間だけ盾を前に出すことだ」
バルドは自分の木鉄盾へ視線を落とした。
これまで、盾を守るために使ってきた。
しかし、同じ盾にも、まだ知らない使い方がある。
その事実が、胸の奥に静かな熱を生んでいた。
◇◆◇
「……では、次はお前がやってみろ」
ガレスが言うと、バルドは盾を構えた。
目の前には、木製の標的。
ガレスは少し離れた場所から、その姿勢を確認している。
「まずは普通に構えろ」
「ああ」
バルドは左足を前へ出し、盾を胸の高さへ持ち上げた。
「いい構えだ。重心も安定している」
ガレスは頷いた。
「じゃあ、そのまま一歩踏み込んで、盾の面を標的へ当ててみろ」
バルドは深く息を吸った。
そして、盾を前へ押し出す。
ゴンッ!
鈍い音が響いた。
しかし、標的はわずかに揺れただけだった。
バルドは眉を寄せた。
「……思ったほど動かんな」
ガレスは笑った。
「盾を腕だけで押しているからだ」
「腕だけ?」
「ああ。足と腰を使え。盾は腕で持つが、力は足元から伝えるんだ」
ガレスは自分の姿勢を見せた。
後ろ足で地面を押し、腰を少し前へ運ぶ。
その動きに合わせて、盾を押し出す。
「こうだ」
ドンッ!
先ほどよりも強い音が響き、標的が大きく揺れた。
バルドはその動きを見つめた。
足。
腰。
肩。
そして、盾。
力が一つの流れになっている。
それは、採掘のときに重い工具を扱う感覚に、どこか似ていた。
バルドはもう一度構えた。
足を踏ん張る。
腰を少し前へ運ぶ。
そして、盾を押し出した。
ドンッ!
今度は、標的が大きく揺れた。
「……おお」
バルドは思わず声を漏らした。
ガレスが頷く。
「そうだ。その感覚を覚えろ」
ユウキも嬉しそうに笑った。
「さっきより、ずっと強かったです!」
トーマも頷く。
「すごい! 盾だけであんなに動かせるんだ!」
バルドは少し照れくさそうに笑った。
「……まだまだ、教わったばかりだがな」
ガレスは腕を組んだ。
「いや、悪くない。長年身体を使う仕事をしてきたのか?」
「ああ。鉱山で働いていた」
「なるほど。それなら納得だ」
ガレスは頷いた。
「足場の取り方が安定している。あとは盾を攻撃へ使うときの距離と、戻す動作を覚えればいい」
バルドは深く頷いた。
「……頼む」
その返事に、ガレスは満足そうに笑った。
◇◆◇
しばらく盾打ちの練習を続けたあと、ガレスはバルドへ休憩を促した。
四人は練習場の端にある長椅子へ腰を下ろし、水袋を取り出す。
バルドは左腕の固定具を緩め、ゆっくりと肩を回した。
先ほどから繰り返し盾を押し出していたため、普段とは違う場所に疲労を感じている。
防御するときは、相手の力を受け止める。
しかし、盾打ちでは自分から力を伝える。
似た動作のようで、身体の使い方は大きく違っていた。
「……思っていたより難しいな」
バルドが呟く。
ガレスは隣へ腰を下ろし、笑った。
「最初はそんなもんだ」
彼は水を一口飲むと、バルドの盾へ視線を向けた。
「ところで、お前は普段、盾以外に武器を使わないのか?」
「ああ」
バルドは頷いた。
「今は盾だけだ」
「なぜだ?」
その質問に、バルドは少し考え込んだ。
「……守護者だから、だろうか」
ガレスは眉を上げた。
「守護者だから?」
「わしは仲間を守る役目だ。だから、攻撃より防御に専念するべきだと思っていた」
ガレスはしばらく黙っていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……それは、少し違うな」
バルドが顔を上げる。
「違う?」
「ああ。守護者は防御に関する技能を成長させやすいジョブだ。盾術や耐久に関わる技術と相性がいい」
ガレスは自分の右腰に吊った片手剣を指さした。
「だが、守護者だからといって、剣や斧を持ってはいけないという決まりはない」
バルドは驚いたように目を見開いた。
「……そうなのか?」
「当たり前だろう」
ガレスは笑った。
「ジョブは得意分野を示すものであって、使える武器を縛るものじゃない」
ユウキもその言葉に頷いた。
職業選定の魔導書でジョブを選んだとき、オルフェンから似た説明を聞いていた。
ジョブによって技能の習得や成長に違いはある。
しかし、特定のジョブでなければ技能を覚えられないわけではない。
武器についても同じなのだろう。
「……じゃあ、バルドさんが剣を使ってもいいんですね」
ユウキが尋ねると、ガレスは頷いた。
「もちろんだ。槍でも鎚でも斧でも、本人が扱えるなら問題ない」
ドランが腕を組む。
「ただし、ジョブとの相性によって、習得や成長のしやすさには違いがあるわけだな」
「そういうことだ」
ガレスは頷いた。
「守護者が剣術を覚えることだってできる。ただし、剣士よりも習得に時間がかかる場合はあるし、本人の適性にも左右される」
バルドは自分の右手を見つめた。
盾を持つ左腕。
そして、何も握っていない右手。
これまで、右手は盾を支えるために使うことが多かった。
しかし、そこに武器を持つこともできる。
その発想は、バルドにとって新鮮だった。
「……なるほど」
ガレスは続ける。
「もちろん、盾だけで戦うやり方もある。それが間違いというわけじゃない」
そして、少しだけ真剣な表情になった。
「だが、お前は仲間を守りたいんだろう?」
「ああ」
バルドは迷わず答えた。
「なら、守るための手段は多い方がいい」
ガレスは自分の盾へ視線を落とした。
「盾で受ける。押し返す。相手の攻撃を止める。そして、必要なら武器で反撃する」
その声は、静かだった。
「敵が攻撃できなくなれば、それだけ仲間が傷つく可能性も減る」
バルドは言葉を失った。
守るために、攻撃する。
先ほど盾打ちを教わったときにも感じたことだった。
しかし、そこへ武器を組み合わせるという発想は、さらに大きな可能性を感じさせた。
「……わしにも、できるだろうか」
バルドが呟く。
ガレスは少しだけ笑った。
「できるかどうかは、練習してみなきゃわからん」
そして、バルドの肩を軽く叩いた。
「だが、お前には長年積み重ねてきた経験がある。盾を支える足腰も、相手の力を読む感覚も悪くない」
バルドは静かに頷いた。
「……ありがとう」
その声には、深い感謝が込められていた。
◇◆◇
休憩を終えると、ガレスは練習場の武器置き場へ向かった。
そこには訓練用の木剣や木槍、木製の鎚などが並べられている。
さらに、片手で扱うことを想定した木製の斧もあった。
ガレスはその一本を手に取ると、バルドへ差し出した。
「……これを持ってみろ」
バルドは少し驚いた。
「斧か?」
「ああ。片手斧だ」
ガレスは頷いた。
「お前は採掘の経験が長いんだろう? なら、こういう形の武器も扱いやすいかもしれん」
バルドは木製の斧を受け取った。
短い柄。
片側へ張り出した刃を模した部分。
片手で持つには十分な重さだったが、盾と併用することを考えれば、長すぎない方がよいのだろう。
バルドは右手で柄を握り、左腕に盾を構えた。
すると、思っていた以上に感覚が変わった。
右手に重さがある。
これまで空いていた側に、武器の存在を意識しなければならない。
盾を構えるだけなら安定していた姿勢が、少しだけ窮屈に感じられた。
「……なるほど。これは慣れが必要だな」
バルドが呟く。
ガレスは頷いた。
「最初はそうだ。盾を動かすたびに、右手の武器も位置が変わるからな」
そして、少し離れた場所からバルドの姿勢を確認した。
「まずは振らなくていい。ただ構えてみろ」
バルドは頷き、片手斧を腰の横へ構えた。
左腕の盾は身体の正面。
右手の斧は、盾の陰に隠れる位置。
その姿を見て、ガレスは頷いた。
「……悪くない」
バルドは少し驚いた。
「そうか?」
「ああ。斧を前へ出しすぎていない。守護者としては大事なことだ」
ガレスは自分の片手剣を抜き、盾と組み合わせた構えを見せる。
「武器を持ったからといって、いつも攻撃する必要はない。盾で守る姿勢を崩さず、反撃できる状態を作るんだ」
バルドはその動きを真剣に見つめた。
ガレスは続ける。
「例えば、相手の攻撃を盾で受け流したとする」
彼は盾を少しだけ横へ動かした。
「その瞬間、相手の身体が開く」
そして、片手剣を短く前へ突き出した。
大きく振りかぶることはしない。
無駄な動作を省き、最小限の動きで攻撃する。
「こうして反撃する。あるいは、盾打ちで相手の体勢を崩してから武器を使ってもいい」
バルドは小さく頷いた。
「……なるほど」
ガレスは片手剣を鞘へ収めた。
「ただし、片手斧は剣とは違う」
彼はバルドの持つ木製の斧を指さす。
「刃の重さが先端へ寄っている。振り下ろす力は強いが、外したときに戻すのが難しい」
バルドは斧を軽く動かしてみた。
確かに、木剣とは感覚が違う。
先端の重さによって、腕が引っ張られるように感じる。
「……採掘道具にも似ているな」
バルドが呟くと、ガレスは頷いた。
「そうだろう。ただし、相手は岩じゃない。動く敵だ」
そして、少しだけ声を低くした。
「斧を大きく振りすぎれば、隙ができる。盾で守る役目を果たすには、必要以上に攻撃へ意識を向けないことだ」
バルドはその言葉を、しっかりと受け止めた。
新しい武器を手にしたからといって、守護者としての役割が変わるわけではない。
むしろ、守るための選択肢が増える。
そのことが、少しずつ理解できてきた。
◇◆◇
「……では、最後に一つだけ試してみるか」
ガレスが言った。
バルドは顔を上げる。
「何をするんだ?」
「簡単な模擬戦だ」
ガレスは訓練用の木剣を手に取り、金属盾を外して別の木盾へ持ち替えた。
「俺が攻撃する。お前は盾で防ぎ、隙があれば盾打ちを試してみろ」
バルドは少し緊張した表情になった。
「……わかった」
「心配するな。最初はゆっくり動く」
ガレスはそう言って笑った。
二人は練習場の中央へ移動した。
ユウキ、トーマ、ドランは少し離れた場所から見守っている。
ガレスが木剣を構える。
バルドは盾を前へ出し、右手の木斧を腰の横へ構えた。
「……行くぞ」
ガレスが一歩踏み込んだ。
木剣が斜めに振り下ろされる。
バルドは盾を傾け、攻撃を受け流した。
カンッ!
木剣が盾の表面を滑る。
その瞬間、バルドは足を半歩前へ出した。
盾を押し出す。
しかし。
「……遅い」
ガレスの声が響いた。
次の瞬間、ガレスは身体を横へ動かし、盾打ちを避けていた。
そして、木剣の先端がバルドの肩へ向けられる。
寸前で動きを止める。
「……ここまでだ」
バルドは息を吐いた。
「……見事だ」
ガレスは木剣を下ろした。
「お前の受け流しは悪くない。ただ、盾で攻撃するまでに時間がかかっている」
バルドは頷いた。
「……確かに」
「受け流してから考えるんじゃ遅い。相手がどこへ動くかを、最初から想定しておくんだ」
バルドは自分の足元を確かめた。
攻撃を受ける。
盾を流す。
そのあとで、どう攻撃するか考えていた。
だから、動きが遅くなったのだろう。
「……もう一度、頼めるか?」
バルドが尋ねると、ガレスは少しだけ笑った。
「もちろんだ」
二人は再び構えた。
ガレスが踏み込む。
木剣が振り下ろされる。
バルドは盾を傾け、攻撃を流す。
そして、今度はすぐに足を踏み込んだ。
盾を押し出す。
ドンッ!
木盾同士がぶつかった。
しかし、ガレスは一歩下がっただけで、体勢を崩さなかった。
「……今のはいい」
ガレスが言った。
バルドは少し驚いた。
「……本当か?」
「ああ。最初より動きが繋がっている」
そして、ガレスは静かに続けた。
「ただし、今度は右手の斧が下がっていた」
バルドは自分の右手へ視線を落とした。
確かに、盾を押し出すことに集中しすぎて、木斧の位置が低くなっている。
「……なるほど」
「盾と武器を同時に扱うのは難しい。最初は一つずつ動きを覚えればいい」
ガレスは木剣を下ろした。
「焦る必要はない。今まで盾だけで戦ってきたんだろう? なら、まずは新しい感覚に慣れることだ」
バルドは深く頷いた。
「……ありがとう」
その声には、確かな感謝が込められていた。
◇◆◇
夕方。
練習場には、柔らかな橙色の光が差し込んでいた。
ガレスとの模擬戦を終えたバルドは、木盾と木斧を返し、長椅子へ腰を下ろしていた。
左腕には疲労が残っている。
しかし、不思議と気分は軽かった。
知らなかったことを学ぶ。
できなかったことへ挑戦する。
それは、若い頃の自分が鉱山で初めて道具を握ったときの感覚に、どこか似ていた。
「……どうだった?」
ユウキが隣へ座り、尋ねてきた。
バルドは少し考えたあと、笑った。
「……面白かった」
その答えに、ユウキも笑みを浮かべた。
「バルドさんがそう言うの、なんだか珍しいですね」
「そうか?」
「はい。いつもは慎重に考えてから答えることが多いので」
バルドは小さく笑った。
「……そうかもしれんな」
そして、自分の右手を見つめた。
そこには、まだ木斧を握っていた感覚が残っている。
盾だけではない。
右手に武器を持つ。
その選択肢があることを、今日初めて実感した。
ガレスが近づいてくる。
「……どうだ、バルド」
バルドが顔を上げる。
「何だ?」
「明日も少し時間がある。もう一度練習してみるか?」
その言葉に、バルドは驚いた。
「……いいのか?」
「ああ。俺もちょうど、しばらくリーヴェルに滞在する予定だからな」
ガレスは笑った。
「それに、お前みたいな奴は嫌いじゃない」
「……どういう意味だ?」
「年齢を重ねても、まだ新しいことを覚えようとしている。そういう姿勢は大事だ」
バルドは少し照れくさそうに笑った。
「……ありがたい言葉だ」
ガレスは頷いた。
「じゃあ、明日も来い。今度は盾と斧を組み合わせた動きを、もう少し詳しく教えてやる」
バルドは静かに頷いた。
「ああ。よろしく頼む」
ガレスは片手を上げ、その場を離れていった。
ユウキはその背中を見送りながら、呟いた。
「……Bランクの冒険者って、やっぱりすごいですね」
「そうだな」
バルドは頷いた。
「力が強いだけじゃない。経験の積み重ねが、動きの一つひとつに表れている」
そして、静かに続けた。
「……わしも、まだまだ学べるようだ」
ユウキは嬉しそうに頷いた。
バルドは自分の木鉄盾へ視線を向けた。
これまで、盾は仲間を守るためのものだと思っていた。
それは間違いではない。
しかし、守る方法は一つではなかった。
攻撃を受け止める。
受け流す。
押し返す。
そして、必要なら武器で反撃する。
守るために、攻める。
その新しい可能性が、今のバルドの胸に広がっていた。
明日、もう一度練習しよう。
盾と片手斧を組み合わせた戦い方を、少しずつ身につけていこう。
急ぐ必要はない。
長年の経験を活かしながら、一歩ずつ進めばいい。
バルドはゆっくりと立ち上がり、盾を左腕へ固定した。
その姿を見て、ユウキが笑った。
「……帰りましょうか」
「ああ」
バルドは穏やかに頷いた。
夕暮れの街道へ向かって、二人は歩き始めた。
少し前を歩くトーマとドランが、何やら楽しそうに話している。
その背中を見つめながら、バルドは静かに笑った。
守りたい仲間がいる。
だからこそ、もっと強くなりたい。
その思いは、以前よりもずっと鮮明になっていた。
そして、明日。
バルドは新たな戦い方への一歩を踏み出すことになる。
――第53話 完。




