第45話 地の下に潜む脅威
足元の土が、不自然に盛り上がった。
石喰いモグラが地中へ潜った場所から、わずかに離れた地点だった。表面を覆っていた砂利が左右へ押し分けられ、その下を何かが進んでいる。
「トーマ! 岩の上へ!」
ユウキの声に、トーマはすぐさま反応した。
曲がり角から少し離れた場所には、地面から腰の高さほど突き出した大きな岩盤がある。表面は比較的平らで、四人が立つには十分な広さがあった。
トーマは短剣を鞘へ戻すと、岩の縁へ足をかけ、一息に身体を持ち上げた。
「ドランさんも!」
「ああ!」
ドランは採掘道具の入った革袋を背負い直し、岩盤へ向かって駆ける。
その背後で、地面が弾けた。
バシュッ!
砂と小石を撒き散らしながら、石喰いモグラが飛び出してくる。
短く太い前脚の先には、岩を削るために発達した爪が並んでいた。
その爪が、ドランの背中へ向かって振り上げられる。
「させん!」
バルドが盾を突き出した。
ガリィッ!
鋭い爪が木鉄盾の鉄枠を引っかき、耳障りな音が響いた。
盾を握る左腕に衝撃が伝わり、バルドの靴底が地面の砂利を削る。
魔物は身体を低くしたまま前進しようとしたが、バルドが踏みとどまったことで勢いを失った。
「ドラン、今のうちだ!」
「すまん!」
ドランは岩盤の縁へ手をかけ、先に登っていたトーマの助けを借りて身体を引き上げた。
残るはユウキとバルド。
ユウキは剣を構え、石喰いモグラの動きを警戒していた。
そのとき、曲がり角の向こうから別の音が聞こえてきた。
――カリ、カリッ。
先ほどの掘削音とは少し違う。
複数の爪が岩を擦る音。
小石を踏みつける足音。
そして、低く短い鳴き声。
ユウキは聴覚強化Lv.1へ意識を集中した。
「……バルドさん!」
音の重なりを確かめ、声を上げる。
「奥の三匹も、こっちに来ています!」
バルドの表情が引き締まった。
「全員、岩の上へ退くぞ!」
しかし、目の前の石喰いモグラが再び地面を掘り始めた。
その前脚が土を掻き分けるたびに、身体が少しずつ沈んでいく。
ユウキは剣を構え直した。
足元から奇襲されれば、バルドが岩へ登る前に攻撃を受けるかもしれない。
だが、闇雲に剣を振り下ろしたところで、地中の敵に届く保証はない。
そこで、ユウキは一歩だけ後退した。
それを見たバルドが、盾を構えたまま問いかける。
「何かわかったか?」
「……地面の中を移動するなら、岩盤の上には直接出てこられないはずです」
「確かに、土と岩では掘る速さが違うだろうな」
バルドは一瞬だけ背後を確認した。
岩盤の縁までは、あと数歩。
「ユウキ、先に登れ。わしが最後に行く」
「でも……!」
「大丈夫だ。盾を持っているのはわしだろう?」
その言葉に、ユウキは唇を噛んだ。
一人で残していいのか。
けれど、ここで言い争っている時間はない。
「……わかりました!」
ユウキは岩盤へ向かって走った。
足元の小石を避け、縁へ片足をかける。
その瞬間、背後で土が弾けた。
「……っ!」
振り返ると、石喰いモグラがバルドのすぐ前へ飛び出していた。
爪を振り上げ、盾の下側を狙っている。
「堅守!」
バルドの声とともに、盾を支える腕と姿勢に魔力が巡った。
盾術Lv.1の武技。
消費MPは二。
バルドは左足を後ろへ引き、盾を斜め下へ構える。
ガンッ!
爪が盾へ衝突した。
木材と鉄枠が軋む。
それでも、バルドの姿勢は崩れなかった。
石喰いモグラは反動で頭を下げ、前脚を踏ん張る。
その隙を逃さず、バルドは盾の縁を前へ押し出した。
魔物の鼻先が逸れ、攻撃の勢いが途切れる。
「今だ!」
ドランが岩の上から叫んだ。
「バルド、右へ回れ!」
バルドは盾を引き戻し、岩盤の右側へ走った。
石喰いモグラは追おうとしたが、傷ついた盾の鉄枠が目の前へ向けられると、一瞬だけ足を止めた。
その短い間に、バルドは岩へ手をかけた。
トーマとドランが腕を伸ばす。
「よいしょっ!」
二人に引き上げられ、バルドの身体が岩盤の上へ移動する。
ユウキはその姿を確認してから、ようやく息を吐いた。
四人全員が、岩の上へ退避できた。
◇◆◇
石喰いモグラは岩盤の下をうろついていた。
短い鼻先を地面へ押しつけ、前脚で土を掻き分ける。
岩の縁を何度か引っかいたものの、硬い岩盤を一気に掘り進むことはできないようだった。
「……ひとまず、足元からは襲われないかな」
トーマが呟いた。
「安心するのは早いぞ」
ドランは周囲を見渡し、岩盤の端へ近づかないよう声をかけた。
「高さは腰ほどしかない。あいつらが身体を持ち上げれば、爪が届く可能性もある」
ユウキも頷いた。
安全地帯というわけではない。
ただ、地中からの奇襲を受けにくくなっただけだ。
そのとき、曲がり角の向こうから三つの影が現れた。
石喰いモグラ。
しかし、姿を現した三匹は、先ほどの一匹とまったく同じではなかった。
最初に見えたのは、ひと回り小さな個体だった。
身体の灰色はやや薄く、前脚の爪も短い。周囲を落ち着きなく見回し、ときおり鼻先を地面へ近づけている。
その後ろから現れたのは、背中に白い傷跡のある大型の個体。
他の三匹より肩幅が広く、硬そうな皮膚にはいくつもの古い傷が刻まれていた。ゆっくりとした動きながら、地面を踏むたびに重い音がする。
最後の一匹は、中くらいの体格だった。
しかし、その個体はすぐには近づいてこなかった。
岩陰で一度立ち止まり、頭を左右へ動かしながら、周囲の状況を確かめている。
「……同じ魔物でも、ずいぶん違うんだね」
トーマが小声で言った。
「ああ。人間だって体格も経験も違う。魔物も同じだろう」
バルドが答えた。
ユウキは大型の個体を見つめる。
先ほどの石喰いモグラよりも、明らかに身体が大きい。
もしあれが岩盤へ突進してきたら、どうなるだろう。
そう考えながら、鑑定Lv.2を発動した。
【鑑定結果】
名称:石喰いモグラ
種族:魔獣族・土竜型
魔物ランク:1
レベル:6
HP:49 / 49
MP:7 / 7
【能力値】
STR(筋力):17
VIT(耐久):19
AGI(敏捷):5
MAG(魔力):3
MND(精神):7
DEX(器用):11
【習得技能】
掘削 Lv.3
振動感知 Lv.1
硬皮 Lv.2
【状態】
正常
ユウキは表示された情報を見て、眉を寄せた。
レベル6。
先ほどの個体より二つ高い。
さらに、耐久と筋力が大きく上回っている。
硬皮もLv.2だ。
攻撃しても、簡単には傷つけられないだろう。
「……あの大きい個体、レベル6です」
ユウキが小声で伝えると、三人の表情が変わった。
「レベル6……」
トーマは大型個体を見つめた。
「じゃあ、さっきのより強いの?」
「うん。筋力も耐久も高い。硬皮もLv.2だった」
バルドは盾を確かめながら、静かに頷いた。
「……真正面からぶつかるのは避けたいな」
ユウキは続けて、小さな個体へ鑑定を向けた。
【鑑定結果】
名称:石喰いモグラ
種族:魔獣族・土竜型
魔物ランク:1
レベル:2
HP:22 / 22
MP:3 / 3
【能力値】
STR(筋力):7
VIT(耐久):8
AGI(敏捷):7
MAG(魔力):2
MND(精神):4
DEX(器用):9
【習得技能】
掘削 Lv.1
振動感知 Lv.1
【状態】
正常
小型の個体はレベル2。
大型の個体とは、かなりの差があった。
体格だけでなく、技能にも違いがある。
ユウキは最後に、岩陰で警戒している個体へ鑑定を発動した。
【鑑定結果】
名称:石喰いモグラ
種族:魔獣族・土竜型
魔物ランク:1
レベル:3
HP:29 / 29
MP:6 / 6
【能力値】
STR(筋力):10
VIT(耐久):11
AGI(敏捷):8
MAG(魔力):3
MND(精神):7
DEX(器用):13
【習得技能】
掘削 Lv.2
振動感知 Lv.2
【状態】
警戒
振動感知Lv.2。
その個体だけ、感知能力が一段高かった。
ユウキは四匹の姿を見比べた。
最初に現れたレベル4の個体。
小柄なレベル2の個体。
大型のレベル6の個体。
そして、警戒心の強いレベル3の個体。
同じ石喰いモグラであっても、能力と行動には明確な違いがある。
「……四匹とも、同じ強さじゃありません」
ユウキは確認できた情報を仲間へ伝えた。
バルドは大型個体へ視線を向ける。
「なるほど。あいつが一番厄介そうだが……」
言葉の途中で、警戒心の強い個体が地面を叩いた。
ドンッ。
低い振動が足元へ伝わる。
すると、小さな個体が突然動きを止めた。
大型個体も鼻先を持ち上げ、岩盤の上にいる四人を見つめる。
まるで、地面を通じて何かを伝え合っているようだった。
「……今の、合図かな?」
トーマが呟いた。
「可能性はあるな」
ドランは慎重に答えた。
「振動感知を持っているなら、地面の揺れを情報として利用していても不思議じゃない。ただ、あれが仲間への合図なのか、警戒行動なのかまではわからん」
ユウキはその言葉に頷いた。
能力を持っていることと、その使い方を理解していることは別だ。
魔物の行動にも、理由がある。
それを知ることが、今回の依頼の目的なのだろう。
◇◆◇
最初に動いたのは、レベル4の個体だった。
岩盤の下で前脚を大きく振り上げ、硬い地面を叩きつける。
ガンッ!
爪が岩にぶつかり、小さな欠片が飛び散った。
しかし、岩盤そのものは崩れない。
石喰いモグラは何度か同じ動作を繰り返したが、やがて諦めたように後退した。
その様子を見ていた大型個体が、ゆっくりと前へ出る。
他の個体より重い身体を揺らしながら、岩盤へ近づいてきた。
「……あいつも登ろうとしてる?」
トーマが短剣を抜いた。
バルドは盾を構え直す。
「全員、岩の中央へ寄れ。縁へ近づくな」
四人は互いの位置を確かめながら、岩盤の中央へ移動した。
しかし、大型個体はすぐには攻撃してこなかった。
鼻先を岩へ押しつけ、前脚で表面を何度か引っかいている。
その動きは、何かを探しているようにも見えた。
次の瞬間。
大型個体が身体を横へ向け、岩盤の端に突進した。
ドンッ!
重い衝撃が岩へ伝わる。
「うわっ!」
トーマが思わず身体を揺らした。
岩盤そのものが大きく動いたわけではない。
しかし、表面に乗っていた小石が跳ね、縁に溜まっていた砂が崩れ落ちた。
「……力が強いな」
ドランが低く呟く。
大型個体は数歩後退し、再び頭を下げる。
もう一度突進するつもりなのだろう。
ユウキは足元を確認した。
岩盤の中央は安定している。
しかし、右側の端には古い亀裂が走っていた。
そこへ何度も衝撃が加われば、表面の一部が崩れる可能性がある。
「……バルドさん、右側に亀裂があります!」
ユウキが告げると、バルドはすぐに足元へ目を向けた。
「……確かに。あまり長くここにいるべきじゃないな」
ドランが地図を取り出そうとしたが、すぐに手を止めた。
「今は地図を見る余裕がない。まずは退路を確保しよう」
しかし、退路となる旧採石道の入口側には、最初のレベル4の個体がうろついている。
大型個体は岩盤の正面。
小型個体は少し離れた岩陰。
警戒心の強い個体は曲がり角付近に留まっていた。
四匹すべてが攻撃しているわけではないものの、簡単に逃げられる位置関係でもなかった。
「……どうする?」
トーマが尋ねた。
バルドは一度だけ大きく息を吸った。
「……魔物の位置を変えさせるしかないな」
その視線が、岩盤の反対側へ向けられる。
そこには、地面へ続く緩やかな斜面があった。
ただし、その先は採石場の奥へ通じている。
町へ戻るには、今いる魔物たちの近くを通る必要があった。
ユウキは周囲を見渡した。
魔物は何を求めているのか。
なぜ、四人を追ってきたのか。
ただ縄張りを守るためなのか。
それとも、別の理由があるのだろうか。
◇◆◇
そのとき、ユウキは一つのことを思い出した。
最初に石喰いモグラたちを見つけたとき、彼らは岩壁を掘っていた。
淡く黄色がかった鉱石。
黄鉄鉱。
依頼で指定された試料と同じ鉱石だ。
石喰いモグラは、特殊な鉱物を好んで食べる。
そして、彼らが掘っていた場所には、その鉱石が露出していた。
「……もしかして」
ユウキは小さく呟いた。
ドランが顔を向ける。
「どうした?」
「……あいつら、俺たちを追い払おうとしているんじゃないでしょうか」
バルドが眉を寄せる。
「どういうことだ?」
「最初、俺たちが採掘を始めたときに、向こうの魔物たちが動き出しましたよね」
「ああ」
「もしかしたら、あの鉱石を自分たちの餌として守ろうとしているのかもしれません」
ドランは岩壁へ視線を向けた。
彼らが採掘していた場所。
黄鉄鉱を含む地層。
そして、石喰いモグラたちが食事をしていた窪地。
「……あり得るな」
ドランが答えた。
「人間が採掘する音を、餌場を荒らす別の生き物だと判断したのかもしれん」
バルドも考え込んだ。
「つまり、わしらがあそこから離れれば、追ってこなくなる可能性があるということか」
「はい。ただの推測ですけど……」
ユウキは大型個体へ視線を向けた。
その個体は、岩盤へ突進する準備をしていた。
しかし、小型個体は遠くで周囲を警戒しており、残りの二匹も積極的に襲いかかってはいない。
群れとして一斉に獲物を狩ろうとしている様子とは、少し違う。
「……試してみる価値はある」
バルドが呟いた。
そして、ドランへ視線を向ける。
「さっき採った鉱石を、少し使えるか?」
ドランは革袋から小さな黄鉄鉱の欠片を取り出した。
「これか?」
「ああ。遠くへ投げてみよう。注意を引けるかもしれん」
ドランは頷いた。
しかし、すぐには投げなかった。
「……ただし、あいつらが本当に鉱石を餌にしているなら、投げた場所へ集まる可能性がある。逃げる方向とは逆へ投げるべきだ」
バルドは頷いた。
「そうだな」
四人は岩盤の上から、魔物たちの位置を確認した。
町へ戻る道は左側。
採石場の奥へ続く窪地は右側。
ドランは黄鉄鉱の欠片を握り、右側の岩場へ向けて大きく腕を振った。
ヒュッ。
小さな石が宙を飛ぶ。
カンッ!
黄鉄鉱は遠くの岩へぶつかり、乾いた音を立てて転がった。
その瞬間。
警戒心の強いレベル3の個体が、ぴくりと動いた。
鼻先を持ち上げ、音のした方向へ顔を向ける。
小型個体も反応し、地面を嗅ぐようにして歩き始めた。
大型個体は一瞬だけ動きを止めたものの、すぐには岩盤から離れなかった。
「……二匹は反応した」
トーマが呟く。
「でも、大きいのは動かないね」
ユウキは耳を澄ませた。
転がった黄鉄鉱の周囲で、小型個体が石を引っかく音がする。
やがて、警戒心の強い個体もそちらへ移動した。
残るは大型個体と、最初に現れたレベル4の個体。
しかし、二匹の位置はまだ退路を塞いでいる。
「……もう少し待とう」
バルドが言った。
四人は岩盤の中央で姿勢を低くし、魔物たちの動きを見守った。
やがて、大型個体が鼻先を持ち上げた。
小型個体たちが集まっている方向を確認し、ゆっくりと身体を向ける。
そして、岩盤の縁から離れた。
「……行った?」
トーマが囁いた。
「まだだ」
バルドは低い声で答えた。
大型個体は数歩進んだところで立ち止まり、再び四人を振り返った。
その黄色い瞳には、まだ警戒が残っている。
しかし、先ほどのように岩盤へ突進してくる様子はなかった。
やがて、ゆっくりと黄鉄鉱の方へ歩き始めた。
「……今なら」
ユウキが呟いた。
バルドは頷いた。
「全員、準備しろ。静かに退くぞ」
◇◆◇
四人は岩盤の左側へ移動した。
そこには緩やかな傾斜があり、下りれば旧採石道へ戻ることができる。
先頭はトーマ。
次にユウキ。
ドランが続き、最後尾をバルドが守る。
トーマは岩の縁へ手をかけ、慎重に身体を下ろした。
地面へ着地すると、周囲の小石を避けながら数歩進む。
ユウキはその後ろに続いた。
聴覚強化Lv.1へ意識を集中する。
遠くで、石喰いモグラたちが鉱石を削る音が聞こえている。
今のところ、こちらへ向かってくる足音はない。
「……大丈夫そうです」
ユウキが小声で告げると、ドランも岩盤から下りた。
そのときだった。
――ドンッ。
地面に低い振動が走った。
ユウキは反射的に振り返った。
最初に現れたレベル4の個体が、こちらへ顔を向けていた。
黄鉄鉱へ集まった三匹とは違い、その個体だけは岩盤の近くに残っていたのだ。
魔物は前脚を地面へ叩きつけ、身体を低くする。
「……気づかれた!」
トーマが叫ぶ。
石喰いモグラが地面を蹴った。
狙いは、最後尾で岩盤から下りようとしていたバルド。
その位置では、盾を構えるのが遅れる。
ユウキは剣を抜いた。
しかし、魔物との距離はまだ数歩ある。
走り込んで斬りつけても、間に合うかどうかわからない。
そのとき、トーマが動いた。
「……こっちだ!」
トーマは右手の短剣を構え、魔物の進路へ飛び出した。
石喰いモグラの顔が、トーマへ向く。
だが、トーマは攻撃を仕掛けなかった。
魔物の視線を引きつけたまま、すぐに横へ退く。
爪が地面を削り、砂利が飛び散った。
そのわずかな隙に、バルドが岩盤から下りる。
「……助かった!」
バルドは盾を構え直し、魔物の正面へ立った。
しかし、石喰いモグラは再び地面へ潜ろうとしている。
ユウキは耳を澄ませた。
掘削音が、足元へ移動する。
――ザリ、ザリッ。
そして、振動感知によって、わずかな地面の揺れが伝わってきた。
ユウキは魔物の移動方向を確かめる。
右。
そして、前方へ。
このまま進めば、トーマの足元へ出てくる。
「トーマ! 左へ!」
ユウキが叫んだ。
トーマはすぐに反応し、身体を左へ跳ばした。
その直後。
バシュッ!
地面から石喰いモグラが飛び出した。
前脚の爪が空を切る。
トーマは着地すると、すぐに二本の短剣を構えた。
しかし、魔物は硬い背中を向け、再び地面へ潜ろうとしている。
「……逃がすな!」
ドランが叫んだ。
ユウキは一瞬だけ迷った。
戦うべきか。
それとも、今のうちに退くべきか。
その判断をしたのは、バルドだった。
「追うな! 退路が空いた!」
ユウキは顔を上げた。
確かに、石喰いモグラが地面へ潜ったことで、町へ続く道が開いている。
今なら全員で逃げられる。
「……わかりました!」
ユウキは剣を構えたまま後退した。
トーマも短剣を引き、バルドの盾の後ろへ移動する。
ドランは荷物を背負い直し、旧採石道へ向かって走り始めた。
四人は互いの位置を確かめながら、少しずつ距離を取った。
背後では、石喰いモグラが地中を移動する音が続いていた。
しかし、その音はやがて遠ざかっていく。
追ってきてはいない。
少なくとも、今は。
ユウキは何度も振り返りながら、仲間たちとともに安全な場所まで後退した。
◇◆◇
旧採石道の入口に近い、道幅の広い場所。
そこでようやく、四人は足を止めた。
トーマは地面へ腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「……疲れたぁ」
その声には、心底からの安堵が滲んでいた。
ドランも革袋を下ろし、額の汗を拭う。
「……まさか、四匹もいるとはな」
バルドは盾の表面を確認していた。
鉄枠には石喰いモグラの爪によってつけられた傷が残り、木材の一部も削れている。
しかし、大きな破損はない。
「……ガルドの盾でよかったな」
バルドが呟いた。
ユウキも剣を鞘へ収め、周囲を見渡した。
今いる場所は、さきほどの窪地から十分に離れている。
聴覚強化で耳を澄ませても、石喰いモグラたちの掘削音はほとんど聞こえなかった。
「……みんな、怪我はない?」
ユウキが尋ねると、トーマは両腕を広げて見せた。
「大丈夫! ちょっと転んだけど、怪我はしてないよ」
ドランも頷いた。
「わしも問題ない」
バルドは盾を下ろし、穏やかに笑った。
「わしもだ。少し腕に衝撃はあったが、大したことはない」
その言葉に、ユウキはようやく肩の力を抜いた。
全員、無事だった。
それだけで、十分な成果だと思えた。
しかし、依頼はまだ終わっていない。
ドランは地図を取り出し、採取地点へ視線を向けた。
「……黄鉄鉱は一つ採れたが、品質が足りない可能性がある。依頼の条件を満たすには、もう少し調べる必要があるな」
トーマが顔を上げる。
「……また、あそこへ戻るの?」
その声には、少しだけ不安が混じっていた。
バルドはすぐに答えなかった。
彼は岩壁の状態を思い出すように目を細め、しばらく考えてから口を開いた。
「……同じ場所へ戻る必要はないかもしれん」
「え?」
ユウキが尋ねる。
バルドは地図の別の箇所を指さした。
「さっき見た地層が続いているなら、別の場所から採れる可能性がある。旧採石道の入口付近にも、似たような岩盤があったはずだ」
ドランは地図を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……確かに。あそこなら魔物の縄張りからも離れている」
トーマの表情が少し明るくなった。
「じゃあ、そっちを調べてみようよ!」
ユウキも頷いた。
「はい。無理に魔物のいる場所へ戻る必要はないと思います」
バルドは三人の顔を見渡し、穏やかに笑った。
「よし。少し休んだら、入口付近の岩盤を調べてみよう」
四人はその場で短い休息を取ることにした。
ユウキは水袋を取り出し、喉を潤した。
冷たい水が身体へ染み渡る。
そのとき、ふと気づいたことがあった。
今日の探索では、聴覚強化と振動感知を何度も使っている。
どちらも、自分が略奪によって得た技能だった。
しかし、ただ能力を持っているだけでは、十分ではない。
どの音が風なのか。
どの振動が魔物の動きなのか。
それを判断するには、経験が必要だ。
ユウキは静かに手を握り締めた。
奪った力を、使いこなすための努力。
それは、自分自身で積み重ねなければならない。
その事実を、今日の探索で改めて理解した気がした。
遠くでは、風が岩壁を撫でるように吹き抜けている。
旧採石道の奥には、まだ四匹の石喰いモグラがいる。
だが、その姿はもう見えなかった。
彼らもまた、この場所で生きている。
餌を探し、縄張りを守り、それぞれの方法で危険を避けながら暮らしているのだろう。
ユウキは静かに息を吐き、仲間たちへ視線を向けた。
自分たちも同じだ。
生き残るために、考える。
強くなるために、学ぶ。
そして、必要のない戦いは避ける。
それが、今日の探索で得た大切な経験だった。
◇◆◇
休息を終えた四人は、旧採石道の入口に近い岩壁へ向かった。
そこには、先ほどの採石場と似た色合いの地層が露出している場所があった。
バルドは岩壁の表面を慎重に確認し、採掘道具を取り出した。
「……ここなら、安全に掘れそうだ」
ドランが周囲を確認する。
「崩落の危険は?」
「今見える範囲では低そうだ。ただ、深く掘る必要はない。試料が採れれば十分だ」
ユウキはその説明を聞きながら、足元の石を拾い上げた。
先ほどの黄鉄鉱とは少し色が違う。
鑑定を発動する。
【鑑定結果】
名称:黄鉄鉱
分類:鉱物素材
品質:中
備考:
鉄分を含む鉱物。
加工や研究用の試料として利用される場合がある。
「……あっ!」
ユウキは声を上げた。
三人が顔を向ける。
「どうした?」
バルドが尋ねる。
「これ、黄鉄鉱です! しかも品質が中になっています!」
その言葉に、ドランが近づいてきた。
「……見せてくれ」
ユウキは石を手渡した。
ドランは表面を確認し、慎重に頷いた。
「確かに、先ほどのものより状態がいいな」
バルドも石を確認すると、岩壁へ視線を向けた。
「……この辺りに同じ鉱石があるかもしれん」
四人は周囲を確認しながら、慎重に採取を始めた。
バルドが岩の状態を見極め、ドランが道具の扱いを補助する。
ユウキも掘削Lv.2を活用しながら、小さな石片を丁寧に取り出した。
トーマは少し離れた場所で周囲を警戒し、ときおり地面に残る足跡や岩陰を確認している。
四人の役割は、それぞれ違う。
しかし、その違いがあるからこそ、一つの仕事を効率よく進めることができた。
やがて、指定された品質を満たす黄鉄鉱が三つ揃った。
ドランはそれらを布袋へ包み、依頼書と照らし合わせる。
「……これで、採取条件は満たせそうだ」
トーマが嬉しそうに笑った。
「やった! これで依頼達成だね!」
「まだギルドへ報告していないから、正式には終わっていないぞ」
バルドが笑いながら答える。
「でも、必要なものは揃った」
ユウキも頷いた。
森狼の討伐。
石喰いモグラの生息確認。
鉱石試料の採取。
今日の依頼で求められていた情報と素材は、ひととおり集めることができた。
あとは無事にリーヴェルへ戻るだけだ。
ユウキは岩壁から離れ、来た道へ視線を向けた。
夕方まではまだ時間がある。
しかし、無理に探索を続ける必要はない。
「……帰りましょう」
ユウキが言うと、三人も静かに頷いた。
四人は荷物をまとめ、リーヴェルへ続く街道へ向かって歩き始めた。
背後では、旧採石道の岩壁が午後の陽光を受け、淡い灰色に輝いている。
その奥には、まだ知らない魔物たちの暮らしが広がっているのだろう。
しかし、今日はそれ以上踏み込まなかった。
無理に戦わずとも、前へ進むことはできる。
力だけが、冒険者の価値を決めるわけではない。
今日の依頼は、そのことを四人へ教えてくれた。
ユウキは腰の剣へ手を添え、歩幅を少しだけ広げた。
町へ戻れば、ギルドへの報告が待っている。
そして、次の依頼も。
ユウキ達の冒険は、まだ始まったばかりだった。
――第45話 完。




