第44話 岩陰に潜むもの
――カリ、カリッ。
岩を引っかくような乾いた音が、風に混じって聞こえてきた。
旧採石道の奥へ続く曲がり角を前に、ユウキは足を止めた。少し前までなら、岩壁を抜ける風や草木の擦れる音に紛れて、気にも留めなかったかもしれない。
しかし、今は違う。
森狼から奪った聴覚強化Lv.1によって、周囲の音が以前よりも鮮明に届くようになっていた。
風が岩の隙間を抜ける音。
バルドの防具が歩くたびに軋む音。
トーマの短剣が鞘の内側に触れる、小さな金属音。
それらに混じって、一定の間隔で何かを削る音が続いている。
「……みんな、この先に何かいる」
ユウキが声を潜めると、先頭を歩いていたトーマが振り返った。
「えっ? 俺には何も聞こえないけど……」
そう言いながら耳を澄ませるが、彼の表情には戸惑いが浮かんでいた。
ドランも足を止め、周囲の岩壁へ視線を向ける。
「何かを削るような音か?」
「はい。石を引っかいているみたいな……そんな音です」
ユウキは音のする方向を指さした。
前方には大きな岩がいくつも転がっており、その先で道が左へ曲がっている。岩壁には昔の採石跡が残され、ところどころに人の腕ほどの深さの窪みができていた。
バルドはその光景を見つめると、左腕の木鉄盾を少し持ち上げた。
「……まずは確認しよう。ただし、全員で近づく必要はない」
彼はトーマへ視線を向ける。
「先ほどと同じように様子を見てもらいたいが、今回はユウキも一緒に行ってくれ。音のする方向がわかるなら、危険を避けやすいだろう」
「わかりました」
ユウキが答えると、トーマは嬉しそうに短く笑った。
「じゃあ、二人で偵察だね」
「うん。でも、無理はしないでね」
「それはこっちの台詞だよ」
軽口を交わしながらも、二人の表情には緊張があった。
前回の森狼との戦闘で、敵を見つけることと、安全に対処することは別だと学んだからだ。
トーマは腰を落とし、岩陰を利用して前進した。
ユウキもその後ろに続き、足元へ視線を落とす。
砕けた石を踏めば音が出る。岩陰には砂が溜まり、場所によっては滑りやすくなっている。
二人は足を置く位置を確かめながら、少しずつ曲がり角へ近づいていった。
◇◆◇
岩の向こう側を覗き込んだ瞬間、ユウキは息を呑んだ。
そこには、広い窪地があった。
かつて石材を切り出していた場所なのだろう。岩壁の一部が階段状に削られ、地面には大小さまざまな石材が放置されている。
その中央付近で、小さな影が動いていた。
一匹ではない。
二匹、三匹……。
ユウキは慎重に数を確認する。
「……四匹」
隣でトーマが小声で呟いた。
灰色の身体。
短く太い四肢。
地面へ向かって突き出した鼻先。
その前脚には、岩を削るために発達したような鋭い爪が生えていた。
魔物たちは岩壁の根元へ集まり、何かを掘り出そうとしている。
前脚を交互に動かすたび、硬い岩の表面が削られ、小さな石片が地面へ落ちていた。
――カリ、カリッ。
先ほどから聞こえていた音だ。
ユウキは岩陰に身を隠したまま、最も近くにいる個体へ鑑定Lv.2を発動した。
【鑑定結果】
名称:石喰いモグラ
種族:魔獣族・土竜型
魔物ランク:1
レベル:4
HP:34 / 34
MP:5 / 5
【能力値】
STR(筋力):12
VIT(耐久):13
AGI(敏捷):6
MAG(魔力):3
MND(精神):5
DEX(器用):12
【習得技能】
掘削 Lv.2
振動感知 Lv.1
硬皮 Lv.1
【生態情報】
岩盤や土中に含まれる特殊な鉱物を好む。
地中に浅い巣穴を形成し、周辺を掘り進めながら採食する。
地面の振動に敏感。
ユウキは表示された情報を確認した。
石喰いモグラ。
ランク1、レベル4。
森狼より敏捷は低いが、耐久は高い。
そして、気になる技能があった。
硬皮Lv.1。
名前から考えると、身体の表面を硬くする技能なのだろう。
さらに、振動感知を持っている。
「……地面の振動に敏感みたい」
ユウキが小声で伝えると、トーマは足元へ視線を落とした。
「じゃあ、近づいたら気づかれるかもしれないね」
「うん。それに、身体が硬いみたいだから、短剣で攻撃しても簡単には傷つかないかも」
トーマは少し考えたあと、魔物たちが掘っている岩壁へ視線を向けた。
「……あいつら、何を掘ってるんだろう?」
ユウキも同じ方向を見る。
魔物たちの足元には、灰色の岩に混じって、淡く黄色がかった石がいくつも転がっていた。
しかし、ここからでは正体がわからない。
「……戻って相談しよう」
ユウキが提案すると、トーマは静かに頷いた。
二人は来た道を慎重に引き返した。
◇◆◇
「石喰いモグラ、四匹か」
報告を聞いたバルドは、岩壁へ視線を向けながら考え込んだ。
「掘削を得意とする魔物なら、あの音にも納得がいく」
ドランは地図を広げ、ユウキが説明した窪地の位置を確認した。
「……そこは、昔の採石場の一部だな」
指先で地図の端をなぞる。
「依頼で指定された鉱石試料の採取地点も、その近くだ」
その言葉に、ユウキは眉を寄せた。
「……じゃあ、あの魔物たちの近くへ行かないと採取できないんですか?」
「必ずしもそうとは限らん」
バルドが答えた。
「鉱脈が続いているなら、少し離れた場所から採れる可能性もある」
彼は周囲の岩壁を見渡し、表面に浮かぶ色の違いや、細かな割れ目を確かめ始めた。
ユウキにはどれも似た岩に見える。
しかし、バルドの目は違っていた。
長年の採掘経験によって、岩の色や硬さ、周囲の地形から、内部の状態をある程度推測できるのだろう。
「……こっちを見てみろ」
バルドは岩壁の一部を指さした。
そこには、灰色の岩の間に細い黄褐色の筋が走っていた。
「向こうの窪地と同じ地層が続いているなら、この辺りにも目的の鉱石があるかもしれん」
ドランが近づき、表面を観察する。
「……なるほど。確かに、色が違うな」
「ただし、掘ってみなければ確かなことはわからん」
バルドは足元の岩を軽く叩き、響く音を確認した。
「それに、この周囲は昔の採掘跡が多い。下手な場所を掘れば、崩れる危険もある」
ユウキはその説明を聞きながら、静かに頷いた。
採掘Lv.3。
バルドがジョブを選択する以前から持っていた技能。
それは、守護者というジョブによって与えられたものではない。
長年の経験によって身につけた技術だった。
「……バルドさん、すごいですね」
ユウキが呟くと、バルドは少し照れくさそうに笑った。
「わしにできることなんて、これくらいだ」
「そんなことないですよ」
ユウキは首を振った。
「前の迷宮でも、バルドさんがいなかったら導魔晶石を採れなかったと思います」
その言葉に、バルドは一瞬だけ目を丸くした。
しかし、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「……そう言ってもらえるなら、長年働いた甲斐があったというものだな」
ドランも静かに頷いた。
「採掘は経験がものを言う。わしの修理技術とはまた違う、立派な専門技術だ」
バルドは二人の言葉を聞き、少しだけ肩をすくめた。
「褒めても何も出んぞ」
そう言いながらも、その表情はどこか嬉しそうだった。
◇◆◇
採取を始める前に、四人は周囲の安全を確認することにした。
トーマは窪地へ続く道を警戒し、ユウキは聴覚強化を使って魔物たちの動きを探る。
バルドは岩盤の状態を確認し、ドランは採掘道具を準備した。
「……今のところ、こっちへ近づいてくる音はありません」
ユウキが報告すると、バルドは頷いた。
「よし。まずは少しだけ試してみよう」
バルドは岩壁の表面を小型の採掘道具で慎重に削り始めた。
大きく振りかぶるのではなく、岩の割れ目を確かめながら、少しずつ力を加えていく。
カンッ。
乾いた音が響く。
岩の表面に細い亀裂が走り、黄色がかった小さな石片が落ちた。
ドランはそれを拾い上げ、光へかざす。
「……これか?」
ユウキは石片へ意識を集中し、鑑定を発動した。
【鑑定結果】
名称:黄鉄鉱
分類:鉱物素材
品質:低
備考:
鉄分を含む鉱物。
加工や研究用の試料として利用される場合がある。
「……黄鉄鉱です。品質は低いみたいですけど」
ユウキが答えると、ドランは小さく頷いた。
「依頼で指定された試料と一致する。だが、品質条件も確認する必要があるな」
ドランは依頼書を取り出し、採取条件を読み返した。
指定された鉱石試料。
必要数は三つ。
品質については、一定以上の状態であることが求められている。
「……今のものでは、少し足りないかもしれんな」
バルドは岩壁を見つめた。
「もう少し奥の部分なら、状態のいいものが採れる可能性がある」
そう言って、岩盤の別の箇所へ目を向けた。
ユウキはその横で、岩の割れ目を確認する。
掘削Lv.2。
灰脈の迷宮で略奪によって得た技能だ。
岩を削る動作を理解する助けにはなるが、だからといって、どこを掘れば安全なのかまで自動的にわかるわけではない。
「……ここを少し削ってみてもいいですか?」
ユウキが尋ねると、バルドは指定された場所を確認した。
「その割れ目なら問題なさそうだ。ただし、上の岩へ衝撃を伝えすぎないようにな」
「はい」
ユウキは採掘道具を握り、岩の割れ目へ先端を当てた。
力を加える角度を意識しながら、慎重に削っていく。
最初は思うように刃先が入らなかった。
しかし、何度か繰り返すうちに、岩の表面が少しずつ崩れ始める。
カンッ。
小さな石片が落ちた。
ユウキはその感触を確かめながら、もう一度道具を振るった。
そのときだった。
――カリッ。
遠くから、あの音が聞こえた。
ユウキは動きを止める。
聴覚強化によって、岩の向こうから響く複数の足音が聞こえてきた。
先ほどまで一定の場所で続いていた掘削音が止まり、代わりに何かが地面を移動する音へ変わっている。
「……待ってください」
ユウキは声を潜めた。
バルドが手を止める。
「どうした?」
「……魔物たちが動いています」
トーマの表情が変わった。
「こっちに来るの?」
「……たぶん」
ユウキは耳を澄ませた。
カリッ。
ザザッ。
そして、小石を踏むような音。
距離が、少しずつ近づいている。
「……採掘の音に気づいたのかもしれん」
ドランが呟いた。
バルドは即座に判断した。
「作業を中止する。道具をまとめろ」
四人は素早く荷物を整理し、岩壁から離れた。
しかし、その直後。
曲がり角の向こうから、一匹の石喰いモグラが姿を現した。
◇◆◇
石喰いモグラは、短く太い前脚を地面につき、鼻先を左右へ動かしていた。
灰色の身体は想像していたよりも大きく、背中は硬そうな皮膚で覆われている。
前脚には鋭い爪が生えており、地面へ触れるたびに小石が削られていた。
魔物は四人の姿を見ると、低い唸り声を上げた。
「……一匹だけか?」
ドランが呟く。
ユウキは耳を澄ませた。
しかし、曲がり角の向こうからは、まだ複数の物音が聞こえている。
「……奥にもいます。たぶん、あと三匹」
その言葉に、バルドの表情が引き締まった。
「四匹まとめて相手にするのは危険だ」
トーマが短剣を構えようとしたが、バルドは手を上げて制した。
「まだ攻撃してくるとは限らん。まずは距離を取るぞ」
四人はゆっくりと後退した。
石喰いモグラはその動きを見つめていたが、突然、前脚で地面を強く叩いた。
ドンッ。
低い衝撃が、足元へ伝わる。
ユウキは思わず身体を強張らせた。
振動感知。
あの魔物は、地面の振動を使って周囲の状況を確認しているのかもしれない。
次の瞬間、石喰いモグラが地面を蹴った。
「来るぞ!」
バルドが叫ぶ。
魔物は短い脚からは想像できないほどの勢いで前進し、鋭い爪を突き出してきた。
バルドは盾を構え、その攻撃を受け止めようとする。
しかし、石喰いモグラは盾へ直接ぶつからず、身体を低くして足元へ潜り込もうとした。
「……下か!」
バルドは咄嗟に盾の角度を下げる。
ガリッ!
鋭い爪が木鉄盾の下端を引っかいた。
乾いた音とともに、小さな木片が飛び散る。
バルドは一歩後退し、盾を構え直した。
しかし、石喰いモグラはそのまま地面へ前脚を突き立て、勢いよく土を掘り始めた。
「……潜るのか!?」
トーマが声を上げる。
魔物の身体が、みるみる地面へ沈んでいく。
数秒後には、背中の一部だけが見える状態になっていた。
「……まずい」
ドランが呟いた。
「地中へ潜られたら、どこから出てくるかわからんぞ」
ユウキは足元へ視線を向けた。
地面の下から、微かな振動が伝わってくる。
振動感知Lv.1。
以前から持っていた技能が、わずかな地面の揺れを捉えていた。
しかし、その感覚だけでは、魔物の正確な位置を判断するのは難しい。
そのとき、ユウキの耳へ音が届いた。
――ザリ、ザリッ。
地面の下で、何かが石を削りながら進んでいる。
ユウキは息を止め、耳を澄ませた。
音は、右側へ移動している。
そして。
「……トーマ!」
ユウキは叫んだ。
「右へ避けて!」
「えっ!?」
トーマが反射的に身体を動かした瞬間。
地面が盛り上がった。
バッ!
土と小石が弾け飛び、石喰いモグラが地中から飛び出した。
鋭い爪が、ほんの少し前までトーマの脚があった場所を切り裂く。
「うわっ!」
トーマは地面へ転がり、慌てて起き上がった。
革製胴着には土が付着していたが、怪我はなさそうだった。
「……危なかった!」
ユウキは胸の奥で安堵した。
聴覚強化がなければ、魔物の接近に気づくのが遅れていたかもしれない。
しかし、安心する時間はなかった。
石喰いモグラは再び前脚を構え、トーマへ向かって突進しようとしている。
「……ユウキ、下がれ!」
バルドが叫ぶ。
ユウキは剣を構え直した。
この魔物は、森狼とは違う。
速さだけではなく、地中へ潜る能力と硬い身体を持っている。
そして、奥にはまだ三匹いる。
今の自分たちが、正面から戦い続けていい相手なのか。
判断しなければならない。
「……バルドさん!」
ユウキは声を上げた。
「この魔物、地面の振動で位置を探してるみたいです!」
「……なるほど!」
バルドは一瞬だけ周囲を見渡し、岩盤が露出している場所へ視線を向けた。
「だったら、あの大きな岩の上へ移動しろ!」
トーマとドランが顔を向ける。
そこには、地面から少し高く突き出した平らな岩があった。
「……岩の上なら、掘ってこられない?」
トーマが尋ねる。
「少なくとも、土の中から直接襲われる危険は減るはずだ!」
バルドは盾を構え、石喰いモグラの前へ立ちはだかった。
「先に行け!」
ユウキはトーマと顔を見合わせた。
まだ戦いは終わっていない。
しかし、今は勝つことよりも、敵の得意な場所から離れることが重要だった。
四人は連携しながら、岩盤が露出した場所へ向かって移動を始めた。
その背後で。
――カリ、カリッ。
曲がり角の向こうから、新たな掘削音が響き始めた。
一つ。
二つ。
そして、三つ。
ユウキの背筋に、冷たいものが走った。
残りの石喰いモグラたちも、動き始めている。
新たな技能を得たことで、以前より多くの危険を察知できるようになった。
けれど、危険がわかることと、それを乗り越えられることは同じではない。
ユウキは剣を握り直し、仲間たちの背中を追った。
旧採石道の岩陰で、ネクシアは新たな試練に直面していた。
――第44話 完。




