第40話 繋がり始める回路
リーヴェルの町に、朝の光が差し込んでいた。
石畳の道には商人の荷車が行き交い、露店からは焼きたてのパンの香りが漂ってくる。
そんな穏やかな景色の中を、ユウキたち四人は歩いていた。
目的地は、オルフェン・ヴァイスの研究所。
昨日、灰脈の迷宮で採取した導魔晶石を届けるためだ。
「……あの魔物、今思い出しても怖いな」
トーマが呟いた。
岩牙獣。
岩壁を突き破って現れた、ランク2の魔物。
バルドの判断が少しでも遅れていたら、誰かが命を落としていたかもしれない。
「俺も怖かったよ」
ユウキが答えると、トーマは苦笑した。
「でも、ちゃんと逃げられた」
「ああ。あの判断は正しかった」
後ろを歩くバルドが口を開いた。
「冒険者だからといって、目の前の魔物すべてと戦う必要はない。生きて帰ることが何より大切だ」
ドランも頷いた。
「それに、目的の導魔晶石は手に入った。十分な成果だろう」
ユウキはドランの鞄へ視線を向けた。
そこには、淡い青色の結晶が収められている。
あの古びた剣。
自分にだけ不思議な声を届けてきた剣。
その謎へ、少しでも近づけるかもしれない。
「……何がわかるんだろう」
ユウキは小さく呟いた。
◇◆◇
「遅い!」
研究所の扉を開けた瞬間、怒鳴り声が飛んできた。
「えっ?」
ユウキが立ち止まる。
部屋の奥には、書類と魔導具に囲まれたオルフェンの姿があった。
「昨日、導魔晶石を採りに行くと言っておっただろう!」
「昨日のうちに持ってくるつもりだったんですけど……」
「何かあったのか?」
バルドが前へ出た。
「岩牙獣と遭遇した。無理をせず撤退し、ギルドへの報告も済ませている」
「……岩牙獣?」
オルフェンの表情が変わった。
「第一層の採取区域でか?」
「ああ」
「ふむ……妙じゃな」
老人は顎に手を当てた。
「古い坑道を通って移動してきた可能性はあるが、あの区域で目撃されるとは……」
「何かわかるんですか?」
ユウキが尋ねる。
「いや。今のところは何とも言えん」
オルフェンは首を振った。
「それより、導魔晶石は?」
ドランが鞄から布包みを取り出す。
中には、淡い青色の結晶が収められていた。
「おお……!」
オルフェンは目を輝かせた。
結晶を光へかざし、何度も角度を変えて確認する。
「素晴らしい。目立った亀裂もない」
「バルドが岩盤を見極め、わしが取り出した。ユウキも掘削を補助してくれた」
「なるほど。丁寧な仕事じゃ」
オルフェンは満足そうに頷いた。
「これなら、あの回路の一部を復旧できるかもしれん」
ユウキの胸が高鳴った。
「本当ですか?」
「あくまで可能性じゃ。だが、試す価値はある」
そう言うと、オルフェンは外套を手に取った。
「行くぞ!」
「えっ、どこへ?」
「ガルドの店に決まっておろう!」
老人は足早に研究所を出ていった。
四人は顔を見合わせ、慌てて後を追った。
◇◆◇
武具店『鉄火の槌』。
「……またあんたか」
店へ入ってきたオルフェンを見て、ガルドがため息をついた。
「またとは何じゃ!」
「昨日も散々騒いで帰っただろうが」
「今日は材料が揃った!」
オルフェンは導魔晶石を差し出した。
ガルドはそれを受け取り、慎重に確認する。
「……ほう。こいつはなかなかだ」
そして、ユウキたちへ視線を向けた。
「無事に帰ってきたんだな」
「はい」
「なら、約束どおり協力してやる」
ガルドは店の奥から木箱を持ってきた。
その中には、一本の古びた片手剣が収められていた。
細かな傷の残る鞘。
長い年月を感じさせる柄。
そして、複雑な文字が刻まれた鍔。
ユウキは思わず息を呑んだ。
初めて触れたとき、不思議な声が聞こえた剣。
何かを伝えようとしているような、遠い声。
その正体は、まだわかっていない。
「……また、聞こえるかな」
誰にも聞こえないように呟いた。
しかし、剣は沈黙したままだった。
◇◆◇
作業場には、魔力計測器や細い導線、加工用の工具が並べられた。
オルフェンは剣の鍔へ視線を向ける。
「問題はここじゃ」
古い文字の周囲には、細い溝のような術式回路が刻まれていた。
その一部が断線している。
「導魔晶石を加工し、魔力の通り道を補う」
「ただ繋げばいいというものではないな」
ドランが言った。
「ああ。流れを間違えれば、残った回路まで壊しかねん」
ガルドは剣を固定した。
「慎重に頼むぜ。古い剣だが、こんなものは滅多に見つからねえ」
ドランは導魔晶石を薄く削り、回路の形に合わせて整えていく。
修理Lv.3。
精密作業Lv.3。
長年培ってきた技術によって、小さな結晶は少しずつ加工されていった。
ユウキはその様子を見守っていた。
バルドが迷宮で安全に掘り出し、ドランが加工する。
同じ素材でも、必要な技能は違う。
自分たちは、それぞれの得意なことで支え合っている。
「……できた」
ドランが小さく息を吐く。
薄く整えられた結晶が、作業台の上で青白く輝いていた。
「見事じゃ」
オルフェンは満足そうに頷いた。
「では、始めるぞ」
結晶が回路の断線部分へ仮固定された。
細い導線を接続する。
そして、オルフェンが少量の魔力を流した。
――チリッ。
鍔の一部が淡く光る。
一本。
また一本。
古い術式回路へ、青白い光が流れ始めた。
「……おお!」
トーマが声を上げる。
「繋がったの?」
「まだじゃ。魔力が通り始めただけにすぎん」
オルフェンは計測器を見つめた。
しかし、針の動きは安定しなかった。
「……妙じゃな」
「どうした?」
ガルドが尋ねる。
「一定量の魔力を流しているはずなのに、回路内部の反応が変化しておる」
そのとき。
――キィン。
ユウキの耳に、小さな音が響いた。
「……え?」
思わず顔を上げる。
剣の鍔が、一瞬だけ強く光った。
オルフェンも気づいたらしい。
「……ユウキ」
「はい?」
「少し近づいてみてくれ」
「俺が、ですか?」
「ああ。以前も、お前が近づいたときに反応が変わった」
ガルドが眉をひそめた。
「危険じゃねえのか?」
「魔力は最低限に抑えておる。異常があればすぐに止める」
オルフェンは真剣な表情で答えた。
ユウキは少し迷い、それから一歩前へ出た。
その瞬間だった。
――キィィン。
鍔に刻まれた回路が、青白く輝いた。
計測器の針が大きく動く。
「……反応が上がった!」
オルフェンが声を上げた。
「本当だ……」
トーマも目を丸くする。
ユウキは剣を見つめた。
胸の奥に、奇妙な感覚が広がっていく。
まるで、遠い昔から知っている何かに触れたような感覚だった。
懐かしい。
けれど、何が懐かしいのかわからない。
そのとき。
『……聞こえますか』
「……っ!」
ユウキは息を止めた。
声。
女性の声だった。
しかも、今までとは違う。
はっきりと聞こえる。
『もし、この声が聞こえているのなら……』
ユウキの心臓が強く鳴った。
その言葉には、聞き覚えがあった。
いや。
聞き覚えがあるどころではない。
それは、ずっと昔から知っている言葉だった。
日本語。
自分が生まれ育った世界の言葉。
「……日本語?」
思わず呟いた。
トーマが首を傾げる。
「ニホンゴ?」
「……あっ」
ユウキは慌てて口を閉じた。
しかし、剣から流れる声は止まらなかった。
『私は、ヒカリ』
柔らかな女性の声。
『これを聞いているあなたへ、私が知っていることを残します』
ユウキは動けなくなった。
ヒカリ。
それが、声の主の名前なのだろう。
『まず、あなたに伝えたいことがあります』
短い沈黙。
そして。
『私は、この世界の人間ではありません』
ユウキの目が見開かれた。
『私は、地球という世界から来ました』
「……え?」
声が漏れた。
地球。
確かに、そう言った。
『どうして私がエルディアへ来たのか……今でも、すべてはわかりません』
女性の声は静かだった。
『あの日、突然、知らない場所に立っていました。空の色も、風の匂いも、見えるものすべてが違っていた』
ユウキの喉が震えた。
同じだ。
状況は違うかもしれない。
けれど、知らない世界へ来てしまったという点では、自分と同じだった。
『最初は、夢だと思いました』
『でも、痛みも、空腹も、恐怖も、本物でした』
ユウキは無意識に拳を握っていた。
その言葉の意味が、痛いほどわかった。
『私は生きるために、この世界のことを調べました』
声が少し遠くなる。
『そして、知ったのです。この世界では、生まれ持った種族の違いが、人生を大きく左右することを』
ユウキは息を呑んだ。
『エルディアには、多くの種族が存在します』
『生まれながら強靭な身体を持つ者。高い魔力を持つ者。長い寿命を持つ者。特殊な感覚や能力を受け継ぐ者』
『それらと比べて、人族の基礎能力は決して高くありません』
女性の声が、わずかに沈んだ。
『だから、かつて人族は劣等種と呼ばれていました』
ユウキは顔を上げた。
劣等種。
その言葉が、胸に刺さる。
『能力値が低いというだけで、働く場所を制限され、学ぶ機会を奪われ、時には道具のように扱われたのです』
ユウキの脳裏に、灰の鉱山の光景が浮かんだ。
鉄の枷。
鞭を振るう監督官。
倒れても働かされる奴隷たち。
自分が経験してきたこと。
それは、遥か昔にも存在していたのだろうか。
『けれど、私は知りました』
ヒカリの声が少しだけ力を帯びた。
『人族が弱いというのは、決してすべてではないのです』
『この世界には、ジョブという仕組みがあります』
ユウキは思わず剣へ視線を向けた。
ジョブ。
つい最近、自分たちが選択したばかりの力。
『ジョブは、誰もが同じものを得られるわけではありません』
『技能、適性、経験、そして、その人が何を選んで生きてきたか……それらによって、辿り着ける道が変わります』
『とても貴重な力です。特に、高位のジョブへ辿り着ける者は、決して多くありません』
声は続いた。
『人族は生まれ持った力で劣っていても、学び、鍛え、技を組み合わせることで、新しい可能性を切り開くことができます』
ユウキの胸が熱くなった。
剣士。
守護者。
斥候。
技工士。
仲間たちが選んだ道。
それぞれ異なる技能を持ち、それぞれの力で助け合ってきた。
『だから、もしあなたが人族であることを理由に、価値がないと言われたとしても……』
少しだけ、声が優しくなった。
『どうか、信じないでください』
『あなたの価値は、生まれ持った数字だけでは決まりません』
ユウキの瞳が揺れた。
その言葉は、かつてエルナが自分へ伝えてくれた言葉と、どこか似ていた。
人の価値は、誰かが勝手に決めていいものではない。
ユウキは唇を噛んだ。
「……ありがとう」
誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
そのとき、ヒカリの声が変わった。
『そして、もう一つ』
『これは、私がこの世界で調べた中でも、最も重要なことです』
ユウキの背筋が伸びた。
『エルディアには……鍵があります』
「……鍵?」
『そして、この世界を支える五体の柱』
五体の柱。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に奇妙なざわめきが生まれた。
けれど、その正体はわからない。
『五体の柱は、ただ世界を支えているわけではありません』
ヒカリの声に、微かな雑音が混ざる。
『鍵が……揃うとき……』
――ザザッ。
音が乱れた。
「……っ?」
ユウキは剣を見つめた。
『四……の……』
言葉が途切れる。
『そして、一……の……』
――ザザザッ!
「……待って!」
ユウキは思わず声を上げた。
オルフェンが顔を向ける。
「どうした!?」
しかし、ユウキには答える余裕がなかった。
『四つの……と、一つの……によって……』
声が歪む。
『世界は……』
――バチッ!
突然、術式回路から火花が散った。
「魔力が逆流しておる!」
オルフェンが叫ぶ。
ドランが即座に導線を確認した。
「止めろ! このままでは回路が焼ける!」
ガルドが剣を固定し直す。
「早くしろ!」
オルフェンは魔力供給を停止した。
鍔の光が激しく揺れたあと、少しずつ弱まっていく。
『……あなたが……』
ヒカリの声が、遠ざかる。
『……いつか……』
「……ヒカリさん!」
ユウキは思わず名前を呼んだ。
『……どうか……』
その言葉を最後に、声は途絶えた。
――チリッ。
鍔に刻まれた最後の光が消える。
作業場に、静寂が戻った。
◇◆◇
「……ユウキ!」
バルドが肩へ手を置いた。
「大丈夫か!?」
ユウキはゆっくりと顔を上げた。
「……はい」
身体に痛みはなかった。
魔力を消費した感覚もない。
しかし、胸の奥には、まだヒカリの声が残っていた。
地球。
転移。
人族への差別。
ジョブ。
鍵。
そして、五体の柱。
聞いたことのない言葉と、知っているはずの言葉が、頭の中で渦を巻いていた。
「……何が聞こえた?」
オルフェンが尋ねた。
ユウキは少し迷った。
自分が地球から来たこと。
それは、まだ仲間にも話していない秘密だった。
もし、剣に残された声が同じ世界の人間のものだと伝えれば、自分の正体にも疑問を持たれるかもしれない。
「……女の人の声でした」
ユウキは慎重に答えた。
「名前は、ヒカリと言っていました」
「ヒカリ……」
オルフェンが小さく繰り返す。
「ほかには?」
「……この世界について、何かを伝えようとしていたみたいです。でも、途中で途切れてしまって」
嘘ではなかった。
ただ、すべてを話したわけでもない。
オルフェンは考え込むように剣を見つめた。
「……やはり、記録式なのか?」
ドランが尋ねる。
「まだ断定できん。言語情報を保存している可能性は高いが、使用者に反応する理由がわからん」
オルフェンは計測器へ視線を向けた。
「我々に聞こえたのは、細かな共鳴音だけじゃ。言葉としては認識できなかった」
「えっ?」
ユウキが顔を上げる。
「皆さんには、聞こえなかったんですか?」
「何かが鳴っているのはわかった」
ガルドが答えた。
「だが、女の声なんざ聞こえなかったぞ」
トーマも頷く。
「俺も。小さな音はしたけど、誰かが喋ってるようには聞こえなかった」
ユウキは息を呑んだ。
日本語。
自分だけが意味を理解できる言葉。
そして、同じ地球から来たヒカリ。
なぜ、剣が自分にだけ強く反応したのか。
まだ確かなことはわからない。
けれど、一つの考えが浮かんでいた。
同じ世界から来たから。
自分とヒカリには、何か共通するものがあるのではないか。
それが魂に刻まれたものなのだとしたら。
「……共鳴」
ユウキは小さく呟いた。
「何じゃ?」
オルフェンが顔を上げる。
「……いえ。何でもありません」
ユウキは首を振った。
まだ、話すには早い。
自分自身でさえ、理解できていないことが多すぎた。
「とにかく、今日の作業はここまでじゃ」
オルフェンが言った。
「回路の一部は繋がった。だが、まだ不安定すぎる」
ドランも頷いた。
「次は、残っている回路の構造をもっと調べる必要があるな」
「ああ。特に、最後に反応した部分が気になる」
オルフェンは鍔を指さした。
「通常の記録式には見られない構造じゃ。まだ見えていない回路があるのかもしれん」
ユウキは剣を見つめた。
ヒカリ。
遥か昔に地球から転移した女性。
彼女は、なぜこの剣にメッセージを残したのだろう。
そして、何を伝えようとしていたのだろう。
その答えは、まだ剣の中に眠っていた。
◇◆◇
夕方。
武具店を出たユウキたちは、宿へ続く道を歩いていた。
「……不思議な剣だったね」
トーマが言った。
「うん」
「ヒカリって人、どんな人だったんだろう?」
ユウキは少しだけ考えた。
実際に会ったわけではない。
顔も知らない。
どのくらい昔の人物なのかも、わからない。
けれど、あの声は優しかった。
まるで、いつか現れる誰かへ、大切なものを託そうとしているようだった。
「……きっと」
ユウキは静かに答えた。
「誰かに、伝えたいことがあったんだと思う」
バルドが頷く。
「そうだろうな。わざわざ記録を残したのなら、それだけ大切なことだったんだろう」
ドランは少し考え込んだあと、口を開いた。
「だが、わからないことも多い。焦って答えを出す必要はない」
「はい」
ユウキは頷いた。
答えは、まだ遠い。
けれど、昨日まで何もわからなかった剣に、名前が与えられた。
ヒカリ。
自分と同じ、地球から来た人間。
この世界で、自分よりずっと前に生きていた誰か。
その存在を知れただけでも、大きな一歩だった。
そして、ユウキの頭から離れない言葉があった。
五体の柱。
鍵。
四つの何かと、一つの何か。
それらが揃ったとき、世界に何が起きるのか。
ヒカリは最後まで語ることができなかった。
けれど、あの声が確かに伝えようとしていたことだけは、わかる気がした。
この世界には、まだ誰も知らない秘密がある。
そして、その秘密は、いつか自分たちの運命とも交わるのかもしれない。
ユウキは夕暮れの空を見上げた。
「……ヒカリさん」
小さく名前を呼ぶ。
「いつか、続きを聞かせてください」
その言葉に答える声はなかった。
◇◆◇
その夜。
武具店『鉄火の槌』の作業場では、一本の剣が静かに眠っていた。
古びた片手剣。
鍔には、導魔晶石の小片が取り付けられている。
誰もいない部屋。
消された灯り。
しかし。
――チリッ。
鍔に刻まれた回路の一部が、淡く光った。
その奥にある、まだ修復されていないはずの細い線。
複雑に重なった古代文字。
そして、中央に刻まれた小さな紋様。
それらが、一瞬だけ輝いた。
だが、その光はすぐに消えた。
残されたメッセージの続きも。
五体の柱が意味するものも。
鍵が何を開くのかも。
今はまだ、誰も知らない。
ただ一本の剣だけが、遥か昔に託された言葉を、静かに抱き続けていた。
――第40話 完。




