第39話 生き残るための選択
カンッ。
乾いた音が、薄暗い迷宮に響いた。
灰脈の迷宮、第一層。
青白い鉱石が露出した岩壁の前で、バルドは採掘槌を握っていた。
その隣にはユウキ。
少し離れた場所でドランが細かな工具を準備し、トーマは通路の先を警戒している。
つい先ほどまで、ここには二匹の魔物がいた。
岩穿ち鼠。
ネクシアにとって、初めての実戦相手となった魔物だ。
二匹との戦いを乗り越え、ユウキとトーマはレベル3になった。
しかし、勝利の代償がなかったわけではない。
トーマは腕を負傷した。
ユウキが治癒魔法で傷を塞いだものの、実際に魔物の牙が迫ってきた恐怖は、まだ全員の胸に残っていた。
そして、ユウキの残りMPはわずか1。
武技「二段斬り」は2MP。
治癒魔法Lv.3は3MP。
今はどちらも通常発動できない。
ただし、MPを消費したことによる精神的疲労はなかった。
MPが0の状態で、無理に技能を使っていないからだ。
それとは別に、略奪で流れ込んできた魔物の記憶が、ユウキの胸に重く残っていた。
「……ユウキ」
バルドが声をかけた。
「はい?」
「さっき見つけた割れ目は、どこだった?」
ユウキは岩壁へ目を向ける。
「……ここです」
指さしたのは、青白い鉱石の少し左側だった。
バルドは頷く。
「よし。まずは岩盤の状態を確かめよう」
そして、採掘槌で岩壁を軽く叩いた。
コン。
コン、コン。
微妙に違う音が返ってくる。
ユウキは首を傾げた。
「……音で、何かわかるんですか?」
「ある程度はな」
バルドは答えた。
「中が詰まっている場所と、亀裂の多い場所では音が違う。それに、岩の表面だけ見ていてもわからないことがある」
「……なるほど」
「ただし、音だけで決めつけるのも危険だ。亀裂の向きや、上に乗っている岩の重さまで考えなければならん」
ユウキは頷いた。
採掘Lv.3。
バルドが長年の鉱山生活で磨いてきた技能。
単に岩を砕く技術ではない。
安全に鉱石を取り出すための判断力と経験も含まれている。
「……すごいですね」
ユウキが呟いた。
バルドは少し笑った。
「何十年も岩と向き合ってきたからな」
その言葉には、わずかな苦みがあった。
灰の鉱山。
自由を奪われ、働かされ続けた日々。
そこで身につけた技能を、今は自分たちの意思で使っている。
「……今度は、自分たちのために使えるんですね」
ユウキが言った。
バルドの手が止まった。
そして、静かに微笑んだ。
「……ああ。そうだな」
◇◆◇
「ユウキ、お前も岩を見てみろ」
バルドが言った。
「はい」
ユウキは岩壁へ手を当てた。
掘削Lv.2。
先ほど、死亡したロックラットから略奪した技能だ。
この技能を得てから、岩の捉え方が少し変わっていた。
岩の硬さ。
内部へ続く亀裂。
力を加えれば崩れそうな場所。
それらを、以前より自然に推測できるようになっている。
「……ここ」
ユウキは岩壁の一部を指さした。
「この辺り、少し脆い気がします」
バルドは指さされた場所を確認した。
「……ほう」
「違いますか?」
「いや、よく見つけたな」
バルドは頷いた。
「確かに、そこは周囲より脆い」
ユウキの顔が明るくなる。
「……本当ですか?」
「ああ。だが、そこから掘るのは危険だ」
「……え?」
バルドは岩壁の上部を指さした。
「この亀裂は上へ続いている。下から岩を抜けば、上の石まで動くかもしれん」
ユウキは顔を上げた。
確かに、細い割れ目が天井近くまで伸びている。
「……本当だ」
「掘りやすい場所と、安全に掘れる場所は違う」
バルドは静かに言った。
「それを忘れるな」
「……はい!」
ユウキは強く頷いた。
掘削Lv.2は、確かに便利な技能だった。
しかし、採掘Lv.3を持つバルドの判断には、まだ及ばない部分がある。
略奪によって技能を得ても、それだけで万能になれるわけではない。
ユウキは、そのことを改めて理解した。
「……ユウキ」
バルドが声をかける。
「はい?」
「お前、岩の見方が変わったな」
ユウキは一瞬、息を止めた。
「……そうですか?」
「ああ。さっきまでとは、見ているところが違う」
ユウキは曖昧に笑った。
「……少し、コツがわかったんです」
「そうか」
バルドはそれ以上追及しなかった。
ユウキは胸の奥で、静かに息を吐いた。
略奪。
自分だけが持つ固有権能。
その力によって技能を得たことは、まだ仲間たちに話していない。
いつか、すべてを打ち明けられる日が来るのだろうか。
今は、まだわからなかった。
◇◆◇
「では、採掘を始めるぞ」
バルドが言った。
ドランが工具を持って近づいてきた。
「準備はできている」
「よし。わしが周囲の岩を削る。ドランは結晶が見えてきたら、細かい部分を頼む」
「ああ」
「ユウキは岩の割れ目を確認してくれ。危ない場所があれば、すぐに言うんだぞ」
「はい!」
バルドは採掘槌を握り直した。
採掘Lv.3。
長年の経験と技能を活かし、岩壁へ慎重に一撃を加える。
カンッ。
小さな石片が落ちた。
続けて、角度を変える。
カンッ。
カンッ。
無駄の少ない動き。
力任せではなく、岩の状態に合わせて打ち込んでいく。
ユウキはその様子を見つめた。
灰の鉱山では、採掘は苦痛でしかなかった。
決められた量の鉱石を掘るまで、休むことも許されない。
少しでも手を止めれば、監督官の怒声が飛んできた。
けれど今は違う。
バルドが自分の判断で作業を進めている。
ユウキも、仲間のために技能を使っている。
誰かに命令されているわけではない。
その違いが、ユウキには何より大切だった。
「……ユウキ?」
バルドが顔を向ける。
「すみません。少し考え事をしていました」
「無理はするなよ」
「はい」
ユウキは微笑んだ。
そして、再び岩壁へ意識を向けた。
やがて、バルドの一撃で細い亀裂が走る。
パキッ。
灰色の岩が剥がれ落ちた。
その奥から、淡い青色の結晶が姿を現す。
「……あった!」
ユウキの声が弾んだ。
バルドは頷いた。
「ここから先は慎重にいくぞ」
ドランが前へ出る。
「任せろ」
精密作業Lv.3。
ドランは細い工具を使い、結晶の周囲に残る岩を少しずつ取り除いていく。
カリッ。
カリッ。
小さな石片が落ちる。
ユウキは掘削Lv.2を使い、結晶の周囲にある弱い部分を確認した。
「……ドランさん、そこは少し脆いです」
「わかった」
ドランは工具の角度を変える。
バルドも岩盤を確認した。
「その方向なら問題ない。続けてくれ」
「ああ」
三人の作業は、少しずつ噛み合っていった。
バルドの採掘Lv.3。
ユウキの掘削Lv.2。
ドランの精密作業Lv.3。
それぞれの得意分野が、一つの目的へ向かって繋がっていく。
そして。
パキッ。
小さな音とともに、青い結晶が岩壁から外れた。
「……取れた」
ドランが呟いた。
手のひらに収まるほどの結晶。
内部には、淡い光の筋が走っていた。
ユウキは鑑定を発動する。
「……鑑定」
【鑑定結果】
名称:導魔晶石
分類:魔力伝導鉱石
等級:8級
状態:良好
特性:
魔力を通しやすい性質を持つ。
用途:
魔導具の製作・修復素材。
「……導魔晶石です!」
ユウキが嬉しそうに言った。
バルドは満足そうに頷いた。
「よし。無事に採れたな」
ドランは結晶を布で包み、慎重に袋へ収めた。
「傷もほとんどない。あとはオルフェンに確認してもらうだけだ」
ユウキは小さく息を吐いた。
古びた剣。
声を宿す、不思議な武器。
その術式回路を修復するための素材が、ようやく手に入った。
「……これで、少しは前に進めますね」
ユウキが呟いた。
バルドは穏やかに頷いた。
「ああ」
◇◆◇
「……そっちはどう?」
少し離れた場所から、トーマの声が聞こえた。
トーマは通路の先を警戒していた。
腰には二本の短剣。
斥候のジョブによって高まった敏捷性を活かし、足音を抑えながら周囲を見張っている。
「一つ採れたよ!」
ユウキが答えた。
「本当!? やったじゃん!」
トーマは嬉しそうに笑った。
しかし、すぐに通路の奥へ視線を戻した。
先ほどの戦闘で、トーマはロックラットに腕を傷つけられた。
ユウキの治癒魔法によって傷は塞がった。
けれど、魔物の鋭い歯が迫ってきた瞬間の恐怖は、まだ覚えている。
斥候。
仲間より先に危険を見つける役割。
その重要性を、トーマは初めて実感していた。
「……今度は、もっと早く気づかないと」
トーマは小さく呟いた。
その視線は、暗い通路の奥へ向けられていた。
◇◆◇
「……もう少し採れそうですね」
ユウキが岩壁を見つめた。
導魔晶石の鉱脈は、まだ奥へ続いている。
しかし、バルドは首を振った。
「いや。ここまでにしよう」
「……どうしてですか?」
「必要以上に掘るのは危険だからだ」
バルドは天井を見上げた。
「地下では、少しの亀裂が崩落に繋がる。採れるからといって、無闇に削っていいわけじゃない」
ユウキは頷いた。
灰の鉱山でも、崩落事故は何度か起きていた。
岩が崩れる音。
逃げ遅れた者の叫び声。
その記憶が、脳裏をかすめる。
「……そうですね」
バルドは採掘槌を下ろした。
「一つ採れたんだ。まずはこれを持ち帰ろう」
ドランも頷いた。
「ああ。オルフェンに確認してもらうのが先だ」
ユウキは頷いた。
「わかりました」
そして、道具を片づけようとした。
そのときだった。
――トン。
小さな振動が、足元から伝わってきた。
「……ん?」
ユウキは動きを止めた。
もう一度、地面へ意識を向ける。
振動感知Lv.1。
採掘の振動とは違う。
一定の間隔を置いて、地面の奥から何かが伝わってくる。
――トン。
――トン。
ユウキの表情が変わった。
「……バルドさん」
「どうした?」
「……何か、変です」
バルドが顔を上げた。
「変?」
「地面の奥から、振動が……」
ユウキは膝をつき、片手を岩床へ置いた。
意識を集中する。
すると、先ほどよりはっきりとした振動が伝わってきた。
――ゴリッ。
――ゴリ、ゴリッ。
何かが、岩を削っている。
しかも。
「……近づいてる?」
ユウキは小さく呟いた。
その声に、バルドが振り返った。
「ユウキ?」
「……何かが、こっちへ向かってきています」
四人の表情が引き締まる。
トーマが短剣へ手を伸ばした。
「……魔物?」
「わからない。でも、さっきのロックラットより……」
ユウキは言葉を止めた。
振動が、さらに大きくなっていた。
そのとき、バルドも岩壁へ視線を向けた。
「……待て」
バルドの表情が変わる。
岩盤に、細かな亀裂が走っていた。
先ほどまでなかったはずの亀裂。
しかも、内側から押し広げられるように変化している。
「……まずい」
バルドが低く呟いた。
「全員、道具を片づけろ!」
ドランが即座に反応する。
「……撤退だ!」
その声に、全員が動いた。
◇◆◇
「トーマ、先頭を頼む!」
バルドが叫んだ。
「わかった!」
トーマは通路の先へ走った。
斥候のジョブによって高まった敏捷性。
狭い通路でも、足元を確認しながら素早く進める。
ユウキとドランが続く。
最後尾はバルドだった。
しかし。
――ゴゴゴッ!
背後の岩壁から、大きな音が響いた。
「……何だ!?」
バルドが振り返る。
岩壁に、細い亀裂が走っていた。
パキッ。
パキパキッ。
亀裂が広がる。
そして。
ドゴォンッ!
岩の一部が崩れ落ちた。
灰色の粉塵が舞い上がる。
「……っ!」
ユウキは腕で顔を覆った。
視界が、一瞬だけ白く染まる。
何かが、崩れた岩の向こうで動いていた。
重い呼吸。
岩を擦る音。
そして、低い唸り声。
「……グルルル……」
ユウキの背筋が冷たくなった。
粉塵の向こうで、二つの目が光っている。
ロックラットとは比べものにならない、大きな影だった。
「……魔物だ」
ドランが低く呟いた。
ユウキは鑑定を発動した。
「……鑑定」
【鑑定結果】
名称:岩牙獣
種族:魔獣族・獣型
魔物ランク:2
レベル:7
HP:95 / 95
MP:12 / 12
STR:24
VIT:21
AGI:13
MAG:3
MND:5
DEX:10
【技能】
岩皮 Lv.2
突進 Lv.2
噛砕 Lv.1
「……っ!」
ユウキは息を呑んだ。
レベル七。
HP九十五。
筋力二十四。
先ほど戦ったロックラットとは、明らかに格が違う。
しかも、ランクは二。
今のネクシアが正面から戦うには、危険すぎる相手だった。
「……バルドさん!」
ユウキが叫んだ。
「ランク二です! 今の俺たちじゃ危険です!」
バルドの表情が引き締まった。
「わかった! 全員、走れ!」
四人は一斉に駆け出した。
背後で、岩牙獣が咆哮する。
「グォォォッ!」
迷宮全体が震えるような声だった。
◇◆◇
通路を走る。
足音が、岩壁へ反響する。
ユウキは必死に前を見つめた。
先頭のトーマ。
その後ろを走るドラン。
最後尾のバルド。
全員が無事に逃げなければならない。
しかし、岩牙獣は想像以上に速かった。
ドドドドッ!
重い足音が迫ってくる。
「……速い!」
トーマが叫んだ。
ユウキは振り返った。
暗闇の中から、巨大な影が迫っている。
岩のような皮膚。
鋭い牙。
太い前脚。
その姿は、四人が先ほど倒したロックラットとは比べものにならなかった。
「……っ!」
ユウキは剣へ手を伸ばしかけた。
しかし、すぐに思いとどまった。
今のMPは一。
身体強化も、二段斬りも使えるだけの魔力がない。
今はMPがゼロではない。
しかし、武技を通常発動するには足りなかった。
無理に力を引き出そうとしたところで、成功する保証はない。
たとえ使えたとしても、この魔物を倒せるとは限らなかった。
「……戦っちゃ駄目だ」
ユウキは小さく呟いた。
必要なのは、勝つことではない。
生きて逃げることだ。
そのとき。
「……待て!」
バルドが声を上げた。
前方の通路には、二つの分岐があった。
左は入口へ戻る道。
右は、赤い印が付けられた立入禁止区域。
「左だ!」
バルドが叫んだ。
四人は左へ曲がった。
しかし、岩牙獣も追ってくる。
巨体が通路の壁へぶつかり、岩が砕けた。
ゴゴッ!
粉塵が舞う。
「……このままじゃ追いつかれる!」
トーマが叫んだ。
バルドは周囲の岩壁を確認した。
採掘Lv.3。
長年の経験によって、岩盤の状態を読み取る力。
その目が、通路の脇に積まれた岩へ向けられた。
「……ドラン!」
「何だ!」
「あの積み石を見ろ!」
バルドが指さした。
古い支柱の近くに、小さな岩がいくつも積み重なっていた。
「……あれか!」
「ああ。支柱には触れず、足元の石だけを崩せば、通路を狭められる!」
ドランは岩の状態を確認した。
そして、ユウキへ声をかける。
「ユウキ、割れ目を見てくれ!」
「はい!」
ユウキは岩へ視線を向けた。
掘削Lv.2。
岩の割れやすい方向を見分ける感覚。
その力を使い、崩しやすい石を探す。
「……そこです!」
ユウキが指さした。
バルドも確認する。
「……よし。そこなら支柱へ影響しにくい!」
ドランが工具を差し込み、力を加えた。
ガラッ!
岩が崩れ落ちる。
通路の一部が石で塞がれた。
岩牙獣が迫る。
ドドドドッ!
そして。
ガァンッ!
巨体が崩れた岩へ衝突した。
「グォォッ!」
岩牙獣が吠える。
進路を塞がれ、わずかに動きが止まった。
「今だ! 走れ!」
バルドが叫んだ。
四人は再び駆け出した。
◇◆◇
どれほど走っただろう。
やがて、遠くに白い光が見えた。
「……出口!」
トーマが叫んだ。
四人は最後の力を振り絞って走った。
その背後では、岩牙獣の足音がまだ響いていた。
しかし、崩れた岩に進路を狭められたせいか、その距離は少しずつ広がっていた。
そして。
四人は、迷宮の外へ飛び出した。
「……はぁっ、はぁっ……!」
ユウキは膝へ手をつき、荒い息を吐いた。
外の空気。
明るい空。
草原を吹き抜ける風。
それらが、ひどく懐かしく感じられた。
管理員が駆け寄ってくる。
「おい! どうした!?」
バルドが振り返った。
「……ランク二の魔物が出た!」
「何だと!?」
「第一層の採取区域だ。岩牙獣が岩壁を破って現れた!」
管理員の表情が変わった。
「……岩牙獣!?」
すぐに、近くの見張りへ声をかける。
「入口を一時閉鎖しろ! ギルドへ連絡だ!」
周囲が慌ただしく動き始めた。
ユウキは、その光景をぼんやりと見つめていた。
先ほどまで、自分たちは命の危険に晒されていた。
ロックラット二匹との戦闘で、少しだけ強くなったと思っていた。
レベルも上がった。
新しい技能も手に入れた。
けれど。
ランク二の魔物一匹を前に、戦うことすらできなかった。
「……まだまだ、だな」
ユウキは小さく呟いた。
その言葉を、バルドが聞いていた。
「……そうだな」
バルドは隣へ立った。
「だが、わしらは生きて帰ってきた」
ユウキは顔を上げた。
「……はい」
「それで十分だ」
バルドは穏やかに笑った。
「強くなるのは、これからでいい」
ユウキはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……はい」
◇◆◇
帰路についた四人は、夕暮れの草原を歩いていた。
トーマは何度も後ろを振り返っている。
「……本当に怖かった」
小さく呟いた。
ユウキが頷いた。
「うん」
「さっきまで、俺たち強くなったって思ってたのに……」
トーマは苦笑した。
「全然だったね」
ドランが静かに答えた。
「それは違う」
「……え?」
「強くなったことと、まだ勝てない相手がいることは別だ」
トーマは顔を上げた。
ドランは続けた。
「ロックラット二匹を倒せた。導魔晶石も採れた。そして、岩牙獣から逃げ切った」
その言葉に、ユウキも耳を傾ける。
「どれか一つでも失敗していたら、今ここにはいなかったかもしれん」
バルドが頷いた。
「ああ。今日の経験は無駄じゃない」
ユウキは自分の手を見つめた。
剣を握った手。
魔物を倒した手。
新しい技能を奪った手。
そして、仲間とともに生き延びた手。
「……そうですね」
ユウキは静かに笑った。
「俺たち、少しずつ強くなってるんですよね」
トーマも笑った。
「うん!」
バルドが頷いた。
「ああ」
ドランも静かに答えた。
「そのためには、まず生き残ることだ」
ユウキは、夕日に染まる空を見上げた。
エルナの言葉が、胸の奥に浮かぶ。
『あなたにも、幸せになる権利がある』
まだ、幸せとは何なのかよくわからない。
けれど。
仲間と一緒に歩くこの道は、少なくとも嫌いではなかった。
◇◆◇
その夜。
リーヴェルの東区。
オルフェン・ヴァイスの研究所では、古い魔導書が開かれていた。
机の上には、ドランが描いた剣の術式図が置かれている。
オルフェンは片眼鏡を直し、古い資料と図を見比べていた。
「……やはり、妙だ」
老人は小さく呟いた。
古代の魔力記録式。
そう判断したこと自体は、間違っていないと思う。
しかし、図の一部にどうしても説明できない構造があった。
通常の記録式なら、魔力は保存された情報を再生するために使われる。
だが、この術式には、それとは別の回路が存在していた。
「……これは、何だ?」
オルフェンは指先で図をなぞった。
細い線。
中央へ向かう複数の経路。
そして、途中で途切れた部分。
「……記録を伝えるためだけの術式ではないのか?」
その疑問に、答える者はいなかった。
オルフェンは椅子へ深く腰掛けた。
「……現物を見なければ、何とも言えんな」
そして、机の上の資料を閉じる。
窓の外では、夜風が静かに吹いていた。
◇◆◇
同じ頃。
武具店『鉄火の槌』。
店の奥に置かれた古びた木箱の中で、一本の剣が静かに眠っていた。
使い込まれた柄。
細かな傷のある鞘。
古い術式が刻まれた鍔。
誰も触れていない。
魔力も流していない。
しかし。
――カチリ。
小さな音が響いた。
鍔に刻まれた線の一部が、淡く光る。
そして。
『……まだ』
かすかな声が、暗闇へ漏れた。
『……届かない』
光はすぐに消えた。
誰もいない作業場に、静寂が戻る。
剣は、再び沈黙した。
その声が何を伝えようとしているのか。
そして、誰に向けられたものなのか。
まだ、誰にもわからなかった。
――第39話 完。




