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第3話 奪う覚悟

 ――死にてえらしいな。


 男の言葉が、耳の奥にこびりついていた。


 夕陽を反射する剣。


 その切っ先が、ユウキの胸元へと迫る。


「……っ!」


 考えるよりも先に、身体が動いた。


 ユウキは横へ跳んだ。


 直後、鋭い刃が制服の袖を掠める。


 布が裂け、腕に熱い痛みが走った。


「ぐっ……!」


 着地に失敗し、地面を転がる。


 咄嗟に身体を起こしたときには、すでに男がこちらを向いていた。


「ほう。避けたか」


 男は意外そうに眉を上げた。


「だが、次はどうかな?」


 再び剣が振り上げられる。


 ユウキの心臓が激しく跳ねた。


 速い。


 怖い。


 逃げたい。


 だが、ここで逃げれば。


 視線の先には、もう一人の男に腕を掴まれた少女がいた。


 少女は泣いていた。


 助けを求めることさえ諦めたような顔で。


「……っ!」


 ユウキは歯を食いしばった。


 あんな顔を、知っている。


 何度も鏡で見てきた顔だ。


 だからこそ。


 見捨てることなど、できなかった。


「おらあっ!」


 男が剣を振り下ろす。


 ユウキは近くの木の幹へ飛びつくように身を寄せた。


 ――ガキンッ!


 刃が木の幹に食い込む。


「ちっ!」


 男が舌打ちした。


 その一瞬。


 ユウキは足元に落ちていた石を掴み、夢中で投げつけた。


「うわああっ!」


 石は男の額に当たった。


「ぐっ!」


 男がよろめく。


 しかし、それだけだった。


「……てめえ!」


 額から血を流しながら、男が怒鳴った。


 ユウキは息を呑んだ。


 倒せない。


 こんな程度では、相手を止めることすらできない。


「……どうしよう」


 思わず呟いた。


 すると、男の口元が歪んだ。


「どうした? さっきまでの威勢はよ」


 男が剣を引き抜く。


 刃には木の欠片が付着していた。


「奴隷一匹助けるために、自分の命を捨てるとはな」


 その言葉を聞いた瞬間。


 ユウキの胸の奥に、小さな怒りが生まれた。


「……違う」


「あ?」


「……命を、捨てたいわけじゃない」


 声は震えていた。


 それでも、ユウキは言葉を続けた。


「……俺だって、生きたい」


 男は鼻で笑った。


「だったら、そこをどけ」


「……でも」


 ユウキは少女を見た。


 涙で濡れた頬。


 痩せた身体。


 首に巻かれた、無骨な金属の輪。


「……あの子だって、生きたいはずだ」


 男の表情が消えた。


「……くだらねえ」


 次の瞬間。


 男が勢いよく踏み込んだ。


 ◇◆◇


 ――ドガッ!


「かはっ……!」


 腹に衝撃が走った。


 剣ではない。


 男の蹴りだった。


 ユウキの身体が後方へ吹き飛ぶ。


 背中が木の幹にぶつかった。


「ぐっ……!」


 肺から空気が押し出される。


 視界が白く滲んだ。


 痛い。


 苦しい。


 息ができない。


 男はゆっくりと近づいてきた。


「お前みたいなガキは、たまにいるんだよ」


 剣を肩に担ぎながら、男が言った。


「正義感だか何だか知らねえが、自分が何もできねえことを理解してねえ」


 ユウキは地面に手をついた。


 立ち上がろうとする。


 しかし、足に力が入らなかった。


「……っ」


「世の中にはな、どうにもならねえことがあるんだよ」


 男が目の前に立つ。


「弱いやつは奪われる。強いやつが奪う。それだけだ」


 ユウキの背筋が凍った。


 その言葉は、どこかで聞いたものと似ていた。


 父親がいつも口にしていた言葉。


 誰のおかげで生きられると思っている。


 逆らうな。


 お前には何もできない。


 強い者が正しい。


 弱い者は黙って従え。


 あの家と、何も変わらない。


 世界が変わっても。


 言葉が変わっても。


 結局、同じなのだろうか。


「……いやだ」


 ユウキは小さく呟いた。


「あ?」


「……そんなの、嫌だ」


 男は眉をひそめた。


「まだ口が利けるのか?」


 ユウキは震える手を握りしめた。


「……弱いからって、何をされてもいいわけじゃないだろ」


 その声は、決して大きくなかった。


 だが、男の表情を変えるには十分だった。


「……もういい」


 男が剣を持ち直した。


「死ね」


 刃が振り上げられる。


 ユウキは動けなかった。


 身体が恐怖で固まっていた。


 まただ。


 また、同じだ。


 父親が包丁を振り上げた、あの夜と。


 けれど。


 ――今度は、違う。


 ユウキの視線が、男の足元へ向いた。


 湿った地面。


 先ほど川から上がったばかりの自分の靴。


 近くに転がる、細い木の枝。


 そして、男の足のすぐ横にある石。


 頭の中で、何かが繋がった。


「……っ!」


 男が剣を振り下ろした瞬間。


 ユウキは身体を横へ倒した。


 同時に、足元の石を男の膝へ向けて蹴り上げる。


「ぐあっ!」


 男の体勢が崩れた。


 振り下ろされた剣は地面に突き刺さる。


 その隙に、ユウキは木の枝を掴んだ。


 そして。


「うあああああっ!」


 夢中で男の手首を叩いた。


 ――バシッ!


「ぐっ!」


 男の握力が緩む。


 剣が地面へ落ちた。


 ユウキはそれを見逃さなかった。


 男の身体へ飛びつき、全体重をかけて押し倒す。


「なっ……!」


 二人はもつれ合うように地面へ転がった。


 ユウキは必死だった。


 相手を殺したいわけではない。


 ただ、剣を拾わせてはいけない。


 そう思った。


 しかし。


「調子に乗るな!」


 男の拳が飛んできた。


 頬を殴られる。


 視界が揺れた。


「ぐっ……!」


 続けて、腹を殴られる。


 息が詰まる。


 それでも、ユウキは離れなかった。


 男の腕を、必死に押さえ込む。


「……もう、やめてくれ……!」


「離せ、このガキ!」


「……お願いだから……!」


 男は怒鳴りながら身体を捻った。


 ユウキの腕が振り払われる。


 次の瞬間。


 男の頭が、地面から突き出していた岩に強くぶつかった。


 ――ゴッ!


 鈍い音が響いた。


 男の身体から、突然力が抜けた。


「……え?」


 ユウキは息を呑んだ。


 男は動かない。


「……おじさん?」


 返事はなかった。


 男の目は閉じられている。


 額から血が流れ、地面を赤く染めていた。


「……え、ちょっと……」


 ユウキは慌てて身体を離した。


「……大丈夫?」


 恐る恐る声をかける。


 しかし、男は反応しない。


 胸は、かすかに上下していた。


 生きている。


 その事実に、ユウキは少しだけ安堵した。


 だが、次の瞬間。


 ――ピコン。


 目の前に、青白い文字が浮かんだ。


《対象の戦闘不能を確認》


《固有権能「略奪」の発動条件を満たしました》


《対象の技能を検出しています……》


 ユウキは目を見開いた。


「……え?」


 そこには、いくつもの技能が並んでいた。


《対象:人間》


《剣術 Lv.3》


《身体強化 Lv.2》


《威圧 Lv.2》


《格闘術 Lv.1》


《略奪可能数:1》


《技能を一つ選択してください》


 ユウキは息を呑んだ。


 使える。


 略奪が。


 目の前で倒れている人間から。


「……そんな」


 思わず後ずさった。


 魔物から能力を奪ったときとは、違う。


 相手は人間だ。


 自分と同じように、考え、話し、感情を持っている人間。


 その人から、能力を奪う。


 もし、それをしてしまったら。


 自分も、あの男と同じになってしまうのではないだろうか。


 強い者が弱い者から奪う。


 ただ、それだけの存在に。


「……いやだ」


 ユウキは首を振った。


 こんな力、欲しくない。


 そう思った。


 だが。


「おい、何してやがる!」


 背後から怒鳴り声が響いた。


 ユウキは振り返った。


 残る二人の男が、こちらを見ていた。


 一人は少女の腕を掴んだまま。


 もう一人は、棍棒を構えている。


「……てめえ、仲間をやりやがったな」


 男の声が低くなる。


「もう容赦しねえぞ」


 ユウキの身体が震えた。


 まだ二人いる。


 自分は、もう限界だった。


 腕は痛い。


 腹は焼けるように熱い。


 足に力が入らない。


 次に殴られれば、立ち上がれないかもしれない。


 そのとき。


「……逃げて!」


 少女が叫んだ。


「ユウキ! 逃げて!」


 男が少女の腕を強く引いた。


「黙れ!」


「いやっ!」


 少女の悲鳴。


 その声を聞いた瞬間。


 ユウキの胸の奥で、何かが決まった。


 ◇◆◇


 ――俺は、何を怖がっているんだろう。


 ユウキは自分の手を見つめた。


 震えている。


 泥と血で汚れている。


 何度も殴られ、痛みを覚えた手。


 その手で、今まで何ができただろう。


 父親に抵抗することもできなかった。


 母親に助けを求めることも、途中で諦めてしまった。


 誰かを守れるほど、強くもなかった。


 けれど。


 今は違う。


 少なくとも、選ぶことはできる。


 何もしないか。


 それとも、何かをするか。


 その選択だけは、自分のものだ。


「……ごめんなさい」


 ユウキは、倒れている男に向かって呟いた。


 男の胸は、まだかすかに上下している。


 ユウキは青白い画面へ手を伸ばした。


《技能を選択してください》


 剣術。


 身体強化。


 威圧。


 格闘術。


 その中で、ユウキの指が止まった。


《身体強化 Lv.2》


 強くなりたい。


 ただ、それだけだった。


 誰かを傷つけるためではない。


 誰かから大切なものを奪うためでもない。


 目の前で泣いている少女を、守るために。


「……俺は、奪うよ」


 声は震えていた。


「……でも」


 ユウキは少女を見た。


「……誰かを傷つけるためじゃない」


 そして、画面に触れた。


《技能「身体強化 Lv.2」を選択しました》


《固有権能「略奪」を発動します》


 ――ドクン。


 心臓が大きく跳ねた。


「……ぐっ!」


 頭の奥に、何かが流れ込んでくる。


 剣を握る感触。


 訓練場に響く怒号。


 泥にまみれながら身体を鍛えた記憶。


 そして。


 幼い子供を蹴り飛ばす感覚。


「……っ!」


 ユウキの顔が歪んだ。


 自分のものではない記憶。


 その中には、明らかに残酷なものが含まれていた。


 人を殴る。


 人を脅す。


 泣き叫ぶ誰かを、力で押さえつける。


 その感覚が、まるで自分自身の経験であるかのように流れ込んできた。


「……やめろ……!」


 ユウキは頭を押さえた。


「……そんなの、見たくない……!」


 だが、記憶は止まらなかった。


 やがて。


 ――フッ。


 すべてが消えた。


《略奪成功》


《身体強化 Lv.2を獲得しました》


《魂蝕値が上昇しました》


《警告:精神への負荷を確認》


 ユウキは荒い息をつきながら顔を上げた。


「……はぁっ……はぁっ……!」


 気持ちが悪い。


 頭が痛い。


 吐きそうだった。


 それでも。


 身体の奥に、確かな変化を感じていた。


 力が湧いてくる。


 いや、正確には違う。


 身体の動かし方が、少しだけわかるようになった。


 筋肉の使い方。


 重心の置き方。


 力を込める感覚。


 それらが、以前よりも鮮明に感じられる。


 ユウキはゆっくりと立ち上がった。


「……おい」


 棍棒を持った男が眉をひそめた。


「何してやがる?」


 ユウキは答えなかった。


 代わりに、足元へ視線を落とす。


 地面に転がる一本の剣。


 先ほど倒れた男が落としたものだった。


 ユウキはそれを拾った。


 重い。


 想像していたよりも、ずっと。


 しかも、剣など握ったことがない。


 それでも。


 何も持たないよりは、ましだった。


「……その子を、離してください」


 ユウキは剣を両手で握った。


 男たちは一瞬、呆気に取られた。


 そして。


「……はっ!」


 棍棒を持った男が笑った。


「剣もまともに構えられねえガキが、何を偉そうに」


 その言葉は、正しかった。


 ユウキは剣術を知らない。


 身体強化を手に入れたからといって、急に達人になれるわけではない。


 だが。


 今の自分には、ひとつだけ確かなものがあった。


 あの少女を助けたい。


 その気持ちだけは、誰にも奪わせたくなかった。


「……お願いします」


 ユウキはもう一度言った。


「……その子を、離してください」


 男の笑みが消えた。


「……殺す」


 棍棒を振り上げる。


 ユウキは息を吸った。


 そして。


「……身体強化」


 小さく呟いた。


 意識の奥にある技能へ、力を込める。


 ――ドクン。


 全身に、熱が走った。


《身体強化 Lv.2を発動》


《MPを消費します》


 ユウキの足が地面を蹴った。


 先ほどよりも、身体が軽い。


 視界がわずかに広がる。


 棍棒が振り下ろされる。


 ユウキはそれを正面から受け止めず、横へ避けた。


 ――ブォン!


 重い風切り音が耳元を通り過ぎる。


「なっ!?」


 男が目を見開いた。


 ユウキは、その隙に一歩踏み込んだ。


 剣を握る手が震える。


 刃を向ければ、相手を深く傷つけるかもしれない。


 だから。


 ユウキは剣の腹を使った。


「うあああっ!」


 全力で、男の腕へ叩きつける。


 ――ガンッ!


「ぐあっ!」


 男が棍棒を落とした。


 しかし、反撃はすぐに来た。


「この野郎!」


 男の拳がユウキの顔へ迫る。


 避けきれない。


「ぐっ!」


 頬を殴られ、視界が揺れた。


 身体強化を使っていても、痛みは消えない。


 それでも、ユウキは踏みとどまった。


 剣を握り直す。


 男が再び拳を振り上げる。


 今度は、ユウキが先に動いた。


 男の懐へ飛び込み、肩からぶつかる。


「うおっ!?」


 男の身体が後方へ倒れた。


 地面に背中を打ちつけ、苦しそうに息を吐く。


 その頭上に、ユウキは剣を向けた。


「……もう、やめてください」


 声が震えていた。


 男は目を見開いた。


「……て、てめえ……!」


 ユウキは剣を下ろさなかった。


 だが、突き刺すこともしなかった。


「……俺は、あなたを殺したくない」


 その言葉に、男の表情が歪んだ。


 怒りなのか。


 恐怖なのか。


 ユウキにはわからなかった。


 しかし。


 次の瞬間。


「……ふざけるなああっ!」


 少女を掴んでいた最後の男が叫んだ。


 ユウキが振り返る。


 男は少女を乱暴に突き飛ばし、腰の短剣を抜いていた。


「……っ!」


 少女が地面に倒れる。


 男はその首元へ短剣を突きつけた。


「動くな!」


 ユウキの身体が固まった。


「……え?」


「武器を捨てろ! さもなきゃ、この奴隷を殺す!」


 少女の顔から血の気が引いた。


「……いや……」


 細い声が漏れる。


 ユウキは息を呑んだ。


 剣を握る手が震えた。


 まただ。


 また、自分より弱い誰かを人質に取る。


 また、力で相手を従わせようとする。


 その光景に、胸の奥が焼けるように熱くなった。


 だが。


 怒りだけでは、何も変わらない。


 ここで間違えれば、少女が死ぬ。


「……わかった」


 ユウキは小さく答えた。


「……剣を、置くから」


 ゆっくりと膝を曲げる。


 剣を地面へ下ろす。


 男は短剣を少女の首へ押しつけたまま、薄く笑った。


「……そうだ。それでいい」


 ユウキは顔を上げた。


 少女と目が合う。


 その瞳には、恐怖と絶望が浮かんでいた。


 まるで。


 もう、自分が助からないことを知っているような。


「……大丈夫」


 ユウキは小さく微笑んだ。


「……絶対に、助けるから」


 少女の瞳が揺れた。


 その瞬間。


 ――ピコン。


 視界の端に、新しい文字が浮かび上がった。


《固有権能「略奪」》


《未確認の反応を検出》


《対象の技能構造に干渉しています……》


 ユウキは目を見開いた。


「……え?」


 しかし、その意味を考える暇はなかった。


 男が少女の首へ短剣を押し込もうとしたからだ。


「……やめろ!」


 ユウキは叫んだ。


 その声と同時に。


 胸の奥で、何かが激しく脈打った。


 ――ドクン。


 視界が、一瞬だけ赤黒く染まった。


《警告》


《固有権能に異常な反応を確認》


《魂蝕値が上昇しています》


 ユウキは息を呑んだ。


 身体が熱い。


 頭の奥で、何かが囁いている。


 奪え。


 奪ってしまえ。


 そうすれば、守れる。


 その声が、自分のものなのか。


 それとも、別の誰かなのか。


 ユウキにはわからなかった。


 ただ。


 少女の涙だけが、はっきりと見えていた。


「……俺は」


 ユウキは震える拳を握りしめた。


「……誰も、奪わせない」


 その瞬間。


 彼の固有権能「略奪」が、初めて異常な反応を示した。


 ――第3話 完。

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