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第2話 生き残るための選択

 ――グオオオォォン!


 森の奥から、獣の遠吠えが響き渡った。


「はっ……はっ……!」


 ユウキは走っていた。


 木々の間を縫うように、ただひたすら足を動かす。


 背後から聞こえる複数の足音。


 茂みを踏み荒らす音。


 そして、時折響く低いうなり声。


 間違いなく、何かが追いかけてきている。


「なんで……こんな……!」


 呼吸が苦しい。


 肺が焼けるように熱い。


 父親に蹴られた腹部が、走るたびに鈍く痛んだ。


 それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。


 捕まれば、死ぬ。


 その予感だけは、嫌というほど鮮明だった。


「……っ!」


 木の根に足を取られ、身体が大きく傾く。


 咄嗟に近くの幹へ手を伸ばした。


 指先が荒れた樹皮を掴む。


 なんとか転倒を免れたものの、掌に鋭い痛みが走った。


「痛っ……!」


 見ると、掌の皮が薄く剥けていた。


 しかし、傷を気にする余裕はない。


 ――ガサガサッ!


 すぐ後ろで茂みが揺れた。


 ユウキは再び走り出した。


 どれくらい逃げただろう。


 一分かもしれない。


 十分かもしれない。


 時間の感覚は、とっくに失われていた。


 ただ、ひとつだけ確かなことがある。


 このまま走り続けても、いずれ追いつかれる。


 相手は四本の脚を持つ野生の獣だ。


 体力も、この森に対する知識も、圧倒的に向こうが上だろう。


「……考えろ」


 ユウキは荒い息の合間に呟いた。


「考えないと……!」


 怖い。


 今すぐ泣き出したい。


 けれど、泣いたところで助けてくれる人はいない。


 家にいた頃と同じだ。


 いや、違う。


 あの家では、何をしても殴られた。


 逃げても、謝っても、黙っていても。


 だが、ここでは。


 自分の行動次第で、生き残れるかもしれない。


 そう思った瞬間、ユウキは自分の中に生まれた小さな変化に気づいた。


 恐怖は消えていない。


 それでも、ただ怯えているだけではなかった。


 生きるために、何ができるのか。


 初めて、自分の意志で考えようとしていた。


 ◇◆◇


「……そうだ」


 ユウキは走りながら、自分が獲得した能力を思い出した。


 嗅覚強化 Lv.2。


 灰牙狼から奪った技能。


 先ほどは突然の変化に驚くばかりだったが、今なら役に立つかもしれない。


「……嗅覚強化」


 小さく呟く。


 すると、意識の奥で何かが切り替わるような感覚があった。


 途端に、周囲の匂いが鮮明になる。


 湿った土。


 苔むした木。


 腐りかけた落ち葉。


 獣の体臭。


 そして、血。


「……うっ」


 思わず顔をしかめた。


 先ほど倒した灰牙狼の血が、制服に付着していた。


 その匂いが、強烈に鼻を刺激する。


「もしかして……」


 ユウキは背後を振り返った。


 見えない。


 けれど、獣たちは確実にこちらへ近づいている。


 彼らもまた、匂いを追っているのではないだろうか。


 少なくとも、その可能性はある。


「……この血の匂いが原因かもしれない」


 そう考えた瞬間、ユウキは周囲の匂いを探り始めた。


 自分の汗。


 獣の血。


 湿った草木。


 その中に、ひとつだけ異なる匂いがあった。


「……水?」


 土と石が混じった、冷たい水の匂い。


 右前方。


 それほど遠くない場所から漂ってくる。


「……川があるのか?」


 ユウキは進路を変えた。


 確証はない。


 水に入れば必ず逃げられるという保証もない。


 それでも、このまま走るよりは可能性がある。


 木々をかき分け、低い茂みを飛び越える。


 すると、前方から水の流れる音が聞こえ始めた。


「……あった!」


 森の中を、幅数メートルほどの川が流れていた。


 水は澄んでいる。


 川底の小石が見えるほどだった。


 しかし、流れは思った以上に速い。


「……どうしよう」


 ユウキは一瞬だけ迷った。


 川を渡るか。


 それとも、流れに沿って逃げるか。


 背後で獣の唸り声が響く。


 考えている時間はない。


「……よし!」


 ユウキは川へ足を踏み入れた。


「つめたっ!」


 足首に冷たい水がまとわりつく。


 次の一歩で膝まで沈んだ。


 制服のズボンが一気に重くなる。


 流れに足を取られそうになりながら、なんとか川の中央へ進んだ。


 そこで、岸辺の茂みが大きく揺れた。


「グルルルル……!」


 現れたのは、三匹の灰色の獣だった。


 先ほど倒したものと同じ種類。


 灰牙狼。


 そのうち一匹は、ほかの二匹よりも明らかに大きい。


 身体には古い傷跡があり、右耳の先が欠けていた。


「……三匹」


 ユウキは息を呑んだ。


 一匹を相手にするだけでも、命がけだった。


 三匹など、到底勝てる相手ではない。


 灰牙狼たちは岸辺で足を止めた。


 水に濡れることを嫌っているのか、あるいは様子をうかがっているのか。


 赤い瞳が、じっとユウキを見つめている。


「……お願いだから、そのままでいて」


 小声で呟きながら、ユウキは川の流れに沿って移動し始めた。


 だが、その願いはすぐに裏切られた。


「ガアァッ!」


 一匹が川へ飛び込んだ。


「うそっ!?」


 水しぶきが上がる。


 獣は流れに逆らいながら、こちらへ向かってきた。


 残る二匹も、岸に沿って走り始める。


 どうやら、川に入った程度では諦めてくれないらしい。


「……くそっ!」


 ユウキは必死に足を動かした。


 しかし、水の抵抗が邪魔をする。


 濡れた靴は重く、川底の石は滑りやすい。


 そして、次の瞬間。


「うわっ!」


 足が滑った。


 身体が横倒しになる。


 冷たい水が顔を覆った。


「ごぼっ……!」


 息ができない。


 咄嗟に手を伸ばしたが、指先は水中を空しく掻いた。


 流れに身体が押される。


 上下がわからなくなる。


 肺が苦しい。


 頭の中が真っ白になった。


 ――また、死ぬのか。


 そんな考えが一瞬だけ浮かんだ。


 だが。


 ――嫌だ。


 ユウキは歯を食いしばった。


 さっき、決めたばかりじゃないか。


 今度こそ、生きるって。


 だったら。


 こんなところで諦めてたまるか。


 必死に腕を伸ばす。


 指先が、川底から突き出した岩に触れた。


「……っ!」


 岩の縁を掴む。


 滑りかけた手を、もう一度強く握り直す。


 全身の力を振り絞り、顔を水面へ押し上げた。


「ぷはっ……!」


 空気が肺へ流れ込んでくる。


「はぁっ……はぁっ……!」


 ユウキは岩にしがみつきながら、何度も呼吸を繰り返した。


 そのとき。


「キャンッ!」


 短い悲鳴が聞こえた。


 顔を上げると、川に飛び込んだ灰牙狼が流れに足を取られていた。


 前脚をばたつかせながら、必死に岸へ戻ろうとしている。


 だが、流れは容赦なく獣を押し流していった。


 やがて、その姿は下流の岩陰へと消えた。


 ユウキは呆然とした。


「……あいつも、流されたのか」


 助かった。


 そう思った直後、胸の奥が痛んだ。


 先ほど殺した灰牙狼の姿が、頭に浮かんだからだ。


 自分を襲った獣。


 それでも、あの生き物にも生きようとする意志があった。


「……ごめん」


 小さく呟いた。


 けれど、すぐに首を振る。


 今は、他人のことを考えている場合ではない。


 自分だって、まだ安全ではないのだ。


 ユウキは岩を支えにしながら、なんとか対岸へたどり着いた。


 ◇◆◇


 どれほど歩いただろう。


 気づけば、獣の遠吠えは聞こえなくなっていた。


 周囲には、風に揺れる木々の音だけが響いている。


「……はぁ」


 ユウキは大きな木の根元に腰を下ろした。


 全身が重い。


 制服は水を吸って冷たく、靴の中まで濡れていた。


 腹の痛みも、先ほどより強くなっている気がする。


「……疲れた」


 空を見上げる。


 木々の隙間から見える太陽は、少し傾き始めていた。


 日が暮れるまで、それほど時間はないのかもしれない。


「……どうしよう」


 思わず呟く。


 食べ物がない。


 飲み水も確保していない。


 雨や寒さをしのげる場所もない。


 何より、ここがどこなのかさえわからない。


 ユウキは膝を抱えた。


 急に、心細くなった。


 今までの人生で、一人になることを何度も願ってきた。


 誰にも怒鳴られない場所。


 誰にも殴られない場所。


 誰にも気を遣わなくていい場所。


 けれど、実際に誰もいない場所へ来てみると、思っていた以上に怖かった。


「……誰か、いないかな」


 返事はない。


 ただ、葉が擦れる音だけが聞こえた。


 ユウキは深く息を吐いた。


「……とりあえず、ステータス」


 そう呟くと、目の前に青白い板が現れた。


==============

【STATUS】


名前:ユウキ・コバヤシ

種族:人間(異界者)

年齢:17


ジョブ:無職

レベル:1


HP:21 / 32

MP:8 / 8


【能力値】

STR(筋力):7

VIT(耐久):6

AGI(敏捷):9

MAG(魔力):3

MND(精神):12

DEX(器用):11


【固有権能】

略奪 Lv.1


【技能】

嗅覚強化 Lv.2

==============


「……HP、減ってる」


 最初に見たときは三十二だったはずだ。


 今は二十一。


 あの川で転んだときか。


 それとも、森を走り回ったせいだろうか。


 正確な理由はわからない。


「……これ、ゼロになったら死ぬのかな」


 口にした瞬間、ぞっとした。


 試してみる気には到底なれない。


 ユウキは画面をじっと見つめた。


「……レベルは、まだ一か」


 灰牙狼を倒したのだから、少しは成長していてもよさそうなものだ。


 だが、数値に変化はない。


 この世界の仕組みは、まだわからないことだらけだった。


「……まぁ、ゲームじゃないんだし」


 自嘲気味に笑った。


 そうだ。


 これはゲームではない。


 痛みも、恐怖も、疲労も本物だ。


 命を失えば、やり直せる保証などどこにもない。


 その事実を忘れてはいけない。


 ユウキは表示を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。


 ここで夜を迎えるのは危険だ。


 せめて雨風をしのげる場所を探そう。


 そう考え、歩き出そうとしたときだった。


 ――ガサッ。


「……っ!」


 ユウキは反射的に身体をすくめた。


 また魔物か。


 そう思い、近くに落ちていた枝を掴む。


 しかし。


「……たす、けて……」


 聞こえてきたのは、人の声だった。


 ユウキは息を呑んだ。


「……え?」


 もう一度、耳を澄ませる。


「……誰か……」


 間違いない。


 人間の声だ。


 しかも、ひどく弱々しい。


 ユウキは周囲を見回した。


 声は、少し離れた茂みの向こうから聞こえてくる。


 胸が高鳴った。


 ようやく、人に会えるかもしれない。


 だが、同時に警戒心も湧き上がる。


 この世界の人間が、必ずしも親切とは限らない。


 そもそも、相手が人間かどうかすらわからないのだ。


 ユウキは迷った。


 近づくべきか。


 それとも、関わらずに立ち去るべきか。


「……助けて……」


 再び声がした。


 今度は、先ほどよりも小さい。


 その声を聞いた瞬間。


 ユウキの脳裏に、昔の記憶が蘇った。


 幼い頃。


 父親に殴られ、部屋の隅で泣いていた自分。


 誰でもいいから、助けてほしかった。


 たった一人でいい。


 自分の声を聞いてくれる人がいてほしかった。


 けれど、誰も来なかった。


「……っ」


 ユウキは唇を噛んだ。


 怖い。


 正直に言えば、関わりたくない。


 自分だって、いつ死ぬかわからない状況なのだ。


 それでも。


 助けを求める声を、聞かなかったことにはできなかった。


「……行こう」


 ユウキは小さく呟いた。


「……見てから、考えればいい」


 自分に言い聞かせるようにそう言うと、慎重に茂みへ近づいていった。


 ◇◆◇


 茂みの向こうには、小さな窪地があった。


 その底に、一人の少女が倒れていた。


「……えっ」


 ユウキは思わず足を止めた。


 少女は、ユウキよりも少し年下に見えた。


 茶色がかった髪は乱れ、着ている粗末な服は泥で汚れている。


 細い腕には、いくつもの擦り傷があった。


 そして何より。


 少女の首には、金属製の輪がはめられていた。


「……首輪?」


 思わず呟く。


 犬や猫につけるようなものではない。


 分厚い金属で作られた輪。


 そこには、見たこともない文字が刻まれていた。


 少女は薄く目を開けた。


「……だれ……?」


 声がかすれている。


 ユウキは慌てて両手を見せた。


「だ、大丈夫! 何もしないから!」


 少女の身体がびくりと震えた。


 その反応を見て、ユウキは胸を痛めた。


 怖がらせてしまった。


 そう思い、すぐに一歩下がる。


「……ごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだ」


 少女は不思議そうにユウキを見つめた。


「……あなた、だれ?」


「俺は……ユウキ。ユウキ・コバヤシ」


「……ユウ、キ?」


「うん」


 少女は何かを考えるように瞬きをした。


 そして、小さく呟いた。


「……変な、名前」


「……そう、かな」


 ユウキは困ったように笑った。


 異世界なのだから、日本の名前が珍しくても不思議ではない。


「君は?」


 少女は答えなかった。


 代わりに、怯えたように周囲を見回す。


「……にげて」


「え?」


「……ここにいたら……だめ……」


 その言葉に、ユウキは眉をひそめた。


「どうして?」


 少女の唇が震えた。


「……あいつらが……来る……」


「あいつら?」


 問い返した瞬間。


 遠くから、男たちの声が聞こえてきた。


「おい! こっちに足跡があるぞ!」


「逃げた奴隷はこの辺りだ!」


「見つけたら足を折ってでも連れ戻せ!」


 ユウキの身体が固まった。


 奴隷。


 今、確かにそう聞こえた。


 少女の首にある金属製の輪。


 傷だらけの身体。


 怯えた表情。


 すべてが、ひとつの答えを示していた。


「……君、もしかして……」


 少女は何も言わなかった。


 ただ、小さく頷いた。


「……おねがい」


 かすれた声。


「……置いて、いって……」


 ユウキは息を呑んだ。


「……わたしを助けたら……あなたも、つかまる……」


 少女の瞳から、一筋の涙がこぼれた。


「……だから……にげて……」


 その言葉を聞いた瞬間。


 ユウキは、胸の奥に奇妙な痛みを覚えた。


 自分が傷ついているのに、他人の心配をしている。


 自分が助かるかどうかもわからないのに、初めて会った人間に逃げろと言っている。


 その姿が。


 どこか、昔の自分と重なった。


 ユウキはゆっくりと膝をついた。


「……大丈夫」


 少女が目を見開く。


「……え?」


「……俺も、怖いよ」


 ユウキは正直に言った。


「正直、今すぐ逃げたい」


 遠くから、男たちの足音が近づいてくる。


 時間はない。


 それでも、ユウキは少女から目を逸らさなかった。


「……でも」


 震える手を、そっと差し出した。


「……君を一人には、したくない」


 少女の瞳が揺れた。


 そして、その小さな手が。


 恐る恐る、ユウキの手に触れた。


 ◇◆◇


「いたぞ!」


 男の怒鳴り声が響いた。


 ユウキは振り返った。


 茂みの向こうから、三人の男が姿を現した。


 革鎧を身につけ、腰には剣を下げている。


 そのうち一人は、太い棍棒を肩に担いでいた。


 男たちの視線が、ユウキと少女を捉える。


「……なんだ、お前?」


 先頭の男が眉をひそめた。


 ユウキは少女を庇うように、一歩前へ出た。


「……この子、怪我してます」


「あ?」


「……だから、少しだけでも休ませてあげてください」


 男たちは顔を見合わせた。


 そして。


「……ははっ!」


 一人が笑い出した。


「なんだこいつ! 俺たちに説教するつもりか?」


「おい、坊主。そのガキは俺たちの商品なんだよ」


 商品。


 その言葉に、ユウキの胸が冷たくなった。


「……商品?」


「ああ。金を払って買った奴隷だ。逃げたら捕まえる。当たり前だろ?」


 先頭の男が面倒くさそうに手を振った。


「わかったら、どけ」


 ユウキは動かなかった。


 いや。


 動けなかった。


 怖い。


 相手は三人。


 しかも武器を持っている。


 自分が勝てる可能性など、限りなく低い。


 頭では理解していた。


 それでも。


 目の前で震えている少女を、差し出すことはできなかった。


「……お願い、します」


 ユウキは頭を下げた。


「……この子を、もう少しだけ……」


「うるせえ!」


 男の一人が歩み寄ってきた。


 次の瞬間。


 ――ドガッ!


「ぐっ……!」


 腹を蹴られた。


 ユウキの身体が後ろへ倒れる。


 先ほどから痛めていた場所に、さらに激痛が走った。


「……っ、かはっ……!」


 息ができない。


 視界が歪む。


 その感覚は、嫌というほど知っていた。


 父親に殴られたときと、同じだった。


「おいおい、弱すぎだろ」


「まったく、面倒くせえガキだ」


 男たちが笑っている。


 ユウキは床に伏せるような姿勢のまま、震える手を握りしめた。


 まただ。


 また、何もできない。


 誰かを助けたいと思っても。


 結局、自分には何の力もない。


「……ユウキ……」


 少女の声が聞こえた。


 顔を上げる。


 少女は泣いていた。


「……ごめん、なさい……」


 どうして、この子が謝るのだろう。


 悪いのは、この子じゃない。


 それなのに。


「……謝らなくて、いいよ」


 ユウキは、痛む腹を押さえながら笑った。


 精一杯の笑顔だった。


 だが、その笑顔はすぐに消えた。


「……おい」


 男の一人が、少女の腕を乱暴に掴んだからだ。


「帰るぞ、商品」


「いやっ……!」


 少女が悲鳴を上げる。


 その瞬間。


 ユウキの頭の中で、何かが弾けた。


 幼い頃の自分。


 助けを求めても、誰にも届かなかった声。


 何度も殴られ、何度も謝った日々。


 そして。


 今、目の前で泣いている少女。


「……やめろ」


 小さな声だった。


「あ?」


「……その子を、離せ」


 男が振り返る。


「なんだと?」


 ユウキは立ち上がった。


 膝が震えている。


 腹は痛い。


 怖くて仕方がない。


 それでも。


「……その子は、物じゃない」


 ユウキは男を見つめた。


「……人間だろ」


 一瞬、沈黙が落ちた。


 そして、男の顔が歪んだ。


「……てめえ」


 男が腰の剣へ手を伸ばす。


「死にてえらしいな」


 ユウキは息を呑んだ。


 逃げなければ。


 頭では、そう理解していた。


 けれど。


 少女を置いて逃げるという選択だけは、どうしてもできなかった。


 男が剣を抜いた。


 鋭い刃が、夕陽を反射して鈍く光る。


 ユウキは無意識に拳を握りしめた。


 そのとき。


 ――ピコン。


 目の前に、青白い文字が浮かんだ。


《対象を確認しました》


《固有権能「略奪」の発動条件を満たしていません》


《対象の戦闘不能、または生命活動の停止が必要です》


 ユウキは目を見開いた。


 略奪。


 自分に与えられた、唯一の力。


 だが、その力を使うには、まず相手を倒さなければならない。


 今の自分に、それができるのか。


 男が剣を構えた。


 少女が悲鳴を上げる。


 ユウキは、一歩も退かなかった。


 そして。


「……だったら」


 震える声で呟いた。


「……俺が、なんとかするしかない」


 その言葉と同時に、男が地面を蹴った。


 鋭い刃が、ユウキへ迫る。


 ――第2話 完。

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