↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/77

第22話 灰の鉱山からの脱出

 森の空気は、驚くほど冷たかった。


 枝葉の隙間から夜明けの光が差し込み、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。鳥の声さえ聞こえるその景色が、ユウキには現実のものとは思えなかった。


 つい先ほどまで、頭上には岩の天井があった。


 息苦しい地下坑道を抜け、ようやく辿り着いた地上。


 それなのに、自由になれたという実感はまだ湧いてこない。


 手首と足首には、魔封石の枷が残っていたからだ。


「ユウキ、もう少し歩けるか?」


 バルドが肩を貸しながら尋ねた。


「はい。少しなら」


 そう答えたものの、脚は鉛のように重い。


 岩牙獣との戦闘で負った傷は深く、脇腹から流れた血が服を固くしている。足を踏み出すたびに視界の端が暗くなり、今にも意識が途切れそうだった。


 HPは二。


 生きていること自体が、不思議なほどだった。


「無理するなよ」


 トーマが心配そうに顔を覗き込む。


「俺、荷物なら全部持てるから」


「ありがとう。でも、トーマも病み上がりだろ?」


「もう熱はないって!」


 そう言って胸を張ったトーマは、直後に小さく咳き込んだ。


 ユウキは思わず笑いそうになったが、脇腹に痛みが走って顔をしかめる。


「ほら、お前ら二人とも無理しとる」


 バルドが呆れたように言うと、先頭を歩いていたドランが振り返った。


「話している暇があるなら足を動かせ。ここはまだ鉱山の管理区域だ」


 その言葉に、全員の表情が引き締まる。


 ドランは周囲の木々を見渡しながら、低い声で続けた。


「第五坑道の換気口は、昔から使われていない。それでも、帝国が地図を調べれば場所はわかる。追手が来る前に谷を越えたい」


「谷?」


 ユウキが尋ねる。


「ああ。この先に細い沢がある。そこを下れば、鉱山から続く古い作業道へ出られるはずだ」


 バルドが頷いた。


「昔、資材を運んだ道か」


「覚えていたか」


「忘れるものか。あそこで何度も荷車を引かされた」


 二人の会話を聞きながら、ユウキは遠くの森へ目を向けた。


 まだ追手の姿は見えない。


 しかし、いつまでも隠れ続けられるとは思えなかった。


 そのときだった。


 ――ドン。


 地面の奥から、微かな振動が伝わってきた。


 ユウキは足を止める。


「待ってください」


 バルドが振り返った。


「どうした?」


 ユウキは近くの木へ手をつき、意識を集中させた。


 振動感知。


 まだ使い慣れた技能ではないが、足元の揺れから何かが近づいていることはわかった。


 重い足音が複数。


 そして、金属がぶつかる小さな振動。


「後ろから、誰か来ています」


 ドランの顔が険しくなる。


「兵士か?」


「たぶん。人数までは正確にわかりませんけど、何人もいます」


 トーマが青ざめた。


「もう追いつかれたのかよ……」


 バルドは森の奥を見つめた。


「走るぞ」


 しかし、ユウキは首を振った。


「俺が、この状態で走ったら、たぶん途中で倒れます」


 その言葉に、三人が驚いたように顔を向ける。


 以前なら、きっと無理をしてでも大丈夫だと言っていただろう。


 だが、それでは駄目なのだと、ユウキはようやく理解し始めていた。


 自分の限界を隠すことは、仲間を危険に晒すことにもなる。


「ごめんなさい。でも、だからこそ別の方法を考えたいです」


 ドランが静かに尋ねた。


「何か考えがあるのか?」


 ユウキは周囲を見回した。


 左右には背の高い木々。


 少し先には、斜面を下る獣道。


 そして足元には、柔らかい土が広がっている。


 追手は、おそらく足跡を辿ってくる。


 ならば、足跡を残しにくい場所へ移動できれば、少しは時間を稼げるかもしれない。


「沢まで、どれくらいですか?」


「歩いて十分ほどだ。お前を支えながらなら、もっとかかる」


「じゃあ、先に沢へ向かいましょう。水の中を歩けば、追跡を遅らせられるかもしれません」


 ドランは少し考え、頷いた。


「悪くない。ただ、沢に下りるまでの足跡は残る」


「それなら、途中で道を変えましょう。俺たちがまっすぐ逃げたと思わせられれば……」


 そこまで言いかけたところで、バルドが小さく笑った。


「続けろ、坊主」


 ユウキは顔を上げる。


「はい。追手を倒すんじゃなくて、見失わせたいんです」


 バルドの表情が少し和らいだ。


「そうか。なら、その考えで行こう」


 初めてだった。


 自分の提案で、全員の進む道が決まったのは。


 その重みを感じながら、ユウキは静かに頷いた。


 ◇◆◇


 森を進む四人の背後で、枝を踏み折る音が響いた。


 帝国兵たちだった。


 先頭を歩く隊長は、地面に残された足跡を見つめている。


「四人だな」


 隣の兵士が頷く。


「一人は負傷しているようです。足跡が不規則で、途中から別の者に支えられています」


「なら、遠くへは行けまい」


 隊長は剣の柄へ手を置いた。


「上からの命令だ。黒髪の少年は必ず生かして捕らえろ。ほかの奴隷については、抵抗するなら武力を使って構わん」


 兵士たちが頷く。


 その一人が、遠くの木々を指さした。


「隊長、あちらに動く影が!」


 隊長が顔を上げる。


 森の奥で、枝が大きく揺れていた。


「追え!」


 兵士たちが一斉に走り出す。


 しかし、そこには誰もいなかった。


 木の枝に引っかけられた古い布が、風に揺れているだけだった。


 隊長は足元を見た。


 布の下には、踏み荒らされた土。


 そして、奥へ続く足跡がある。


「なるほど。こちらへ逃げたか」


 兵士たちは、足跡を追って森の奥へ進んだ。


 だが、その足跡は数十歩先で途切れていた。


「何だ?」


 隊長が周囲を見回す。


 そこは、倒木が積み重なった行き止まりだった。


 兵士の一人が顔をしかめる。


「戻ったのでしょうか?」


 隊長は舌打ちした。


「小細工をしおって……!」


 その頃、ユウキたちは斜面を下り、細い沢へ辿り着いていた。


 ◇◆◇


 冷たい水が、足首まで流れていた。


 ユウキはバルドに支えられながら、浅い沢へ足を踏み入れる。


 水に触れた瞬間、傷口が激しく疼いた。


「っ……!」


「無理するな、坊主」


 バルドが支える腕に力を込める。


「少し休むか?」


「大丈夫です。ここまで来たら、もう少しだけ進みたいです」


 そう答えたユウキの顔色は悪かった。


 ドランは前方を確認しながら言った。


「沢の下流に、岩陰がある。そこなら一度身を隠せる」


 トーマが振り返る。


「追手は?」


「まだ見えない。だが、油断するな」


 四人は水の流れに沿って歩き始めた。


 足元の石は滑りやすく、何度も転びそうになる。そのたびにバルドが身体を支え、トーマも横から手を貸した。


 ユウキは申し訳なさを感じながらも、二人の助けを拒まなかった。


 今は、自分一人で歩くことよりも、全員で先へ進むことが大切だった。


 しばらくすると、沢の先に大きな岩が見えてきた。


 ドランが足を止める。


「ここだ」


 岩の裏側には、木々に囲まれた小さな空間があった。


 外からは見えにくく、風も防げる。


 四人はそこへ身を寄せた。


 ユウキはようやく腰を下ろしたが、身体を動かした途端、視界が大きく揺れた。


「ユウキ!」


 トーマの声が遠く聞こえる。


 倒れそうになった身体を、バルドが支えた。


「しっかりしろ!」


 ユウキは返事をしようとした。


 しかし、声が出ない。


 呼吸が浅くなり、指先が冷たくなっていく。


 そして、視界の端に青白い文字が浮かんだ。


《警告》


《HPが危険域にあります》


《継続的な活動による生命維持への負荷を検出》


《休息を推奨します》


 ユウキは目を閉じた。


 身体が、もう限界だった。


 ◇◆◇


「まずいな」


 ドランがユウキの顔を覗き込んだ。


「これ以上歩かせたら、本当に死ぬぞ」


 バルドは唇を噛んだ。


 額には深い皺が刻まれ、その顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。


「わかっとる。だが、追手が来る」


 トーマはユウキの手を握りしめた。


「ユウキ、目を開けてくれよ……」


 ユウキは薄く目を開いた。


「トーマ……」


「もう無理しなくていいから!」


 少年の声は震えていた。


「俺たち、ちゃんと逃げられたんだろ? だから、少し休もうよ!」


 その言葉に、ユウキは小さく頷いた。


 確かに、ここまで来られた。


 鉱山を抜け、森へ出て、追手の足跡を一度は振り切った。


 今は、休むべきなのかもしれない。


 しかし、まだ完全に安全ではない。


「ドランさん……」


 ユウキはかすれた声で呼びかけた。


「何だ?」


「この先に、人が住んでいる場所はありますか?」


 ドランは少し考えた。


「昔の作業道を西へ進めば、小さな集落があったはずだ。今も残っているかはわからんがな」


「どれくらいですか?」


「歩ける状態なら、半日ほどだ」


 ユウキはゆっくりと息を吐いた。


 半日。


 今の自分が歩き切れる距離ではない。


 それでも、助けを求められる場所があるかもしれない。


「じゃあ……まず、そこで休める場所を探しましょう」


 バルドが頷いた。


「ああ。そのためにも、今はお前が休め」


 ユウキは目を閉じた。


 仲間の声が、少しずつ遠くなっていく。


 ◇◆◇


 その頃、鉱山の地上入口では、帝国兵たちが慌ただしく動いていた。


 灰色の外套をまとった男は、森へ向かった追跡隊からの報告を受けている。


「対象の足跡を見失いました」


 兵士が頭を下げる。


「沢へ下りた形跡はありますが、その先で追跡が困難になっています」


 男は険しい表情で森を見つめた。


「負傷した少年を連れて、そこまで逃げたというのか」


「はい。同行者に鉱夫と思われる者が複数いるようです」


 男はしばらく黙っていた。


 そして、静かに命じた。


「周辺の街道と集落を監視しろ。少年は重傷のはずだ。食料と治療を求めて、必ず人のいる場所へ向かう」


「承知しました」


 兵士が走り去る。


 男は深く息を吐いた。


 第三坑道の封印は、完全に失われた。


 あの奥から現れた存在が何なのかも、まだわかっていない。


 そのうえ、異界人の少年まで逃げた。


 帝都への報告は、避けられないだろう。


「ユウキ・コバヤシ……」


 男は小さく呟いた。


「お前は、どこまでこの帝国を乱すつもりだ」


 その背後で、第三坑道の方向から低い地鳴りが響いた。


 男は振り返る。


 崩れた鉱山の奥。


 そこには、赤黒い光が微かに揺らめいていた。


 ◇◆◇


 森の岩陰で、ユウキは静かに眠っていた。


 バルドはその隣に座り、少年の呼吸を確かめている。


 トーマは少し離れた場所で見張りを続け、ドランは地図の記憶を頼りに、集落へ続く道を考えていた。


 誰も、もう鉱山へ戻りたいとは思わなかった。


 しかし、ユウキが目を覚まさなければ、先へ進むこともできない。


 バルドは少年の顔を見つめた。


 最初に出会った頃のユウキは、いつも怯えた表情をしていた。


 何かを言おうとしても、すぐに口を閉じる。


 自分の考えよりも、相手の機嫌を優先する。


 そんな少年だった。


 しかし、今は違う。


 まだ弱い。


 戦う力も、経験も足りない。


 それでも、仲間を守るために自分の意思を伝え、危険な状況でも考えることをやめなかった。


 バルドは小さく笑った。


「まったく、変わった坊主だ」


 トーマが振り返る。


「ユウキのこと?」


「ああ」


 バルドは頷いた。


「わしらを助けようとして、何度も無茶をした。だが、最後には自分たち全員が生き残る道を考えた」


 トーマはユウキを見つめた。


「俺、ユウキみたいになりたい」


 バルドは少し驚いたように顔を上げる。


「ほう?」


「怖くても、ちゃんと考えて、誰かを助けられるようになりたいんだ」


 その言葉に、バルドは静かに頷いた。


「なら、まずは自分が生き残ることを覚えろ」


「うん」


「それから、仲間を信じることだ」


 トーマはもう一度頷いた。


 バルドはユウキの肩へ布をかけ直した。


「この坊主も、ようやくそれを覚え始めたところだからな」


 ◇◆◇


 どれくらい眠っていたのだろう。


 ユウキは、頬を撫でる風の冷たさで目を覚ました。


 頭上には、木々の隙間から見える青い空が広がっている。


 鳥の声が聞こえた。


 それは、鉱山の中では決して聞けなかった音だった。


「起きたか」


 バルドの声がした。


 ユウキはゆっくりと顔を向ける。


「バルドさん……」


「ああ。よく眠っていたぞ」


「どれくらいですか?」


「まだ一時間ほどだ」


 ユウキは小さく頷いた。


 身体は相変わらず痛む。


 しかし、呼吸は少し落ち着いていた。


 無理に立ち上がろうとすると、バルドが肩へ手を置いた。


「まだ動くな」


「でも、追手が……」


「わかっとる。だから、ドランが周囲を調べている」


 ユウキは顔を上げた。


 少し離れた場所では、トーマが見張りを続けている。


 仲間たちは、自分が眠っている間も動いてくれていた。


 ユウキは胸の奥が温かくなるのを感じた。


「ありがとうございます」


 バルドは小さく笑った。


「礼を言うのは、わしらの方だ」


 ユウキは驚いた。


「え?」


「お前がいなければ、わしらはまだ鉱山の中にいただろう」


 バルドは遠くの森へ視線を向けた。


「ドランも、トーマも、わしも。もう二度と外の空を見られんと思っとった」


 ユウキは黙って聞いていた。


「もちろん、お前一人の力で脱出できたわけじゃない。みんなで力を合わせたからこそ、ここまで来られた」


 バルドはユウキへ視線を戻した。


「だが、最初に逃げようと言い出したのは、お前だ」


 ユウキは目を見開いた。


 バルドは静かに続けた。


「怖がりながらでも、自分の意思で決めた。それが、わしらをここまで連れてきたんだ」


 ユウキの胸が熱くなった。


 これまで、自分の意思を誰かに認めてもらったことは、ほとんどなかった。


 何かを言えば怒鳴られる。


 失敗すれば責められる。


 だから、いつも黙っていた。


 けれど今は、違う。


 自分の考えを聞いてくれる人がいる。


 間違えたときには、叱ってくれる人もいる。


 そして、同じ未来を目指してくれる仲間がいる。


 ユウキは目を伏せた。


「俺、まだ何もできませんよ」


「そんなことはない」


 バルドは即座に答えた。


「お前は、少しずつできることを増やしとる」


 ユウキは静かに息を吐いた。


 そして、小さく笑った。


「もっと、強くなりたいです」


 バルドは頷く。


「ああ。強くなれ」


 その声は、温かかった。


「だが、力だけが強さじゃない。自分の弱さを知り、仲間を頼れることも強さだ」


 ユウキは深く頷いた。


 その言葉を、忘れないようにしようと思った。


 ◇◆◇


 夕方。


 森の奥で、ドランが戻ってきた。


「道を見つけたぞ」


 ユウキたちが顔を上げる。


「ここから西へ進めば、古い作業道へ出られる。その先に小さな集落があるはずだ」


 バルドが頷いた。


「よし。日が落ちる前に、少しでも進もう」


 トーマも立ち上がった。


「俺、ユウキを支える!」


 ユウキは小さく笑った。


「ありがとう。でも、無理はしないでね」


「それ、ユウキが言う?」


 トーマの言葉に、全員が思わず笑った。


 鉱山を出てから初めて、心から笑えた気がした。


 ユウキはゆっくりと立ち上がる。


 身体は痛む。


 傷も治っていない。


 手首には、まだ魔封石の枷が残っている。


 それでも、もう一人ではなかった。


 バルドが肩を貸し、トーマが荷物を持つ。


 ドランは先頭を歩き、周囲を警戒している。


 四人は、夕暮れの森を進み始めた。


 やがて、木々の隙間から赤く染まった空が見えた。


 ユウキは足を止め、その景色を見つめた。


 自由。


 まだ完全に手にしたわけではない。


 帝国の追跡も続いている。


 リナの居場所もわからない。


 そして、第三坑道の奥では、何か恐ろしい存在が目覚めている。


 それでも。


 ここから先は、自分たちの意思で歩いていける。


 ユウキは小さく息を吸った。


「行きましょう」


 その声に、三人が頷いた。


 灰の鉱山から始まった少年の物語は、今、新たな世界へ踏み出そうとしていた。


――第22話 完。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。