第20話 崩壊する封印
階段の上から、金属の擦れる音が聞こえていた。
帝国兵たちが近づいている。
ユウキは暗闇の中で呼吸を整えながら、目の前にいる仲間たちへ顔を向けた。
「正面から戦うのは無理です。だから、兵士たちが通り過ぎるのを待ちましょう」
バルドが眉をひそめる。
「隠れる場所があるのか?」
「一つ、確かめたいことがあります」
ユウキは壁へ手を伸ばした。
古い石壁の表面には細かな亀裂が走り、ところどころに鉄製の金具が埋め込まれている。
意識を集中させると、視界に淡い文字が浮かんだ。
《鑑定》
【対象:旧換気通路・補助壁】
状態:老朽化
備考:
壁面の一部に点検用の空間あり。
外側の固定具が損傷している。
ユウキは息を呑んだ。
「この壁の向こうに、点検用の空間があります」
ドランがすぐに近づいた。
「どこだ?」
「この辺りです。鉄の金具があるところ」
ドランは指先で壁をなぞり、錆びた金具を確認した。
「なるほど。昔の換気設備か」
道具箱から細い工具を取り出し、金具の隙間へ差し込む。
――ギッ。
小さな金属音が響いた。
ユウキは反射的に階段を見上げた。
兵士たちの足音が止まる。
「今、何か聞こえなかったか?」
全員が息を殺した。
ドランも手を止める。
しばらく沈黙が続き、やがて別の兵士が答えた。
「古い坑道だ。どこかの鉄管が軋んだんだろう」
「念のため確認するぞ」
足音が再び近づき始めた。
ユウキの心臓が強く脈打つ。
時間がない。
「ドランさん、あと少しですか?」
「ああ。ただ、力任せに開けば音が出る」
ユウキは壁の金具を見つめた。
自分が無理に手伝っても、今の体力では足手まといになるだけだろう。
「バルドさん、エルヴィンさんを支えてください。トーマは階段の音を聞いていて」
二人が頷いた。
以前のユウキなら、何も考えず自分で壁をこじ開けようとしていたかもしれない。
しかし今は、誰が何を得意としているのかを考えている。
ドランには工具の扱い。
バルドには力仕事。
トーマには見張り。
そして自分には、鑑定と振動感知。
それぞれにできることがある。
「ドランさん、金具の右側が壊れかけています。そこからなら、少ない力で外せるかもしれません」
ユウキが伝えると、ドランは工具の位置を変えた。
金属が小さく軋み、固定具が外れる。
――カチリ。
ドランは手を添え、壁の一部をゆっくりと押した。
石板が内側へ開く。
そこには、人一人がようやく通れるほどの狭い空間があった。
「入れ!」
ドランが小声で促す。
まずトーマが入り、次にバルドがエルヴィンの身体を慎重に押し込む。
ドランが続き、最後にユウキが石板の向こうへ身体を滑り込ませた。
全員が入り終えると、ドランは内側から石板を元の位置へ戻した。
ほんの数秒後。
階段を下りてきた帝国兵たちが、すぐ近くを通り過ぎた。
◇◆◇
「この辺りに足跡があるぞ」
石板の向こうで、兵士の声が響いた。
ユウキは息を止めた。
足音が近づく。
――コツ、コツ。
振動感知が、石板のすぐ向こうに立つ人間の存在を捉えた。
距離は、ほんの数歩。
兵士が壁を叩く。
――コン、コン。
石板が微かに震えた。
トーマの肩が強張る。
バルドが少年の背中へそっと手を当てた。
「古い補修跡か?」
兵士が呟く。
「こんなところまで調べる必要があるのか」
「上からの命令だ。少年は生かして捕らえろとな」
別の兵士が答えた。
「見つからなければ、俺たちが叱責される」
足音が動く。
ユウキは目を閉じた。
どうか、見つからないでほしい。
その願いが届いたのか、兵士たちは奥へ進んでいった。
しかし、安心するには早かった。
今度は遠くから、別の音が響いてきた。
――ゴゴゴゴッ。
地鳴りだった。
最初は小さかった揺れが、次第に大きくなっていく。
「何だ?」
石板の向こうで兵士が叫ぶ。
「第三坑道の方か!」
次の瞬間、凄まじい振動が地下全体を揺らした。
◇◆◇
第三坑道最深部。
巨大な石の扉を覆っていた赤黒い魔法陣が、次々と砕け始めていた。
魔術師たちは必死に魔力を送り込み、崩れかけた術式を維持しようとしている。
「第一封緘層、出力低下!」
「第三封緘層の亀裂が拡大しています!」
「補助術式を起動しろ!」
怒号が飛び交う。
灰色の外套をまとった男は、扉の前に立ったまま動かなかった。
その目には、焦りが浮かんでいる。
「どういうことだ。昨夜まで封印は安定していたはずだろう」
魔術師の一人が震える声で答えた。
「異界人との接触によって一時的に安定しましたが、封印そのものの損傷は回復していません。内部からの圧力が増大しています」
男は舌打ちした。
「少年を連れ戻せ」
「現在、捜索中です!」
「急がせろ。あれほど明確に共鳴した魂波は初めてだ」
男は扉を見つめた。
その中心には、細い亀裂が走っている。
亀裂の奥から、青白い光が漏れていた。
やがて、低い声が聞こえてきた。
『もう、やめて』
幼い少女の声だった。
男は息を呑んだ。
「聞こえたか?」
隣の魔術師が首を振る。
「何がですか?」
男の表情が変わった。
今の声は、確かに聞こえた。
封印の奥から。
『これ以上、壊さないで』
再び声が響く。
男は扉へ近づいた。
「お前は、何者だ?」
返事はない。
代わりに、石の扉全体が大きく震えた。
――ドォォン!
衝撃とともに、扉の周囲に刻まれた魔法陣が一斉に消える。
魔術師たちが悲鳴を上げた。
「第四封緘層が消失!」
「魔力の逆流が始まっています!」
男は後退しながら叫んだ。
「全員、退避しろ!」
しかし、間に合わなかった。
扉の亀裂から赤黒い光が噴き出し、近くにいた魔術師たちを吹き飛ばした。
床に血が広がる。
天井が激しく揺れ、巨大な石片が落ち始めた。
そして、封印の奥から何かが動く音がした。
◇◆◇
ユウキは膝をついていた。
地鳴りが収まらない。
狭い点検空間の天井からは砂が降り、壁の隙間を冷たい風が吹き抜けている。
それだけではなかった。
胸の奥で、略奪の権能が激しく反応している。
《未登録の魂魄反応を検出》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
《警告:高密度の魂魄反応が接近中》
ユウキは胸を押さえた。
「ぐっ……!」
頭の奥に、無数の声が響き始める。
泣き声。
叫び声。
助けを求める声。
そのすべてが重なり、頭の中を掻き回す。
「ユウキ!」
トーマが駆け寄った。
「どうしたんだ!」
ユウキは歯を食いしばった。
「第三坑道で、何かが起きています」
バルドが険しい表情になる。
「封印か?」
「たぶん……」
そのとき、少女の声が聞こえた。
『ごめんなさい』
ユウキは顔を上げた。
『もう、抑えきれない』
声は、今までよりも弱々しかった。
「何を?」
ユウキが小さく尋ねる。
少女は答えなかった。
代わりに、震える声で告げた。
『逃げて』
ユウキの背筋が冷たくなった。
『みんなを連れて、遠くへ』
その言葉を最後に、声は途切れた。
ユウキは目を見開いた。
少女は、何かを必死に抑えている。
しかも、それは自分たちの命に関わるほど危険なものらしい。
今すぐ逃げなければならない。
しかし、どこへ?
ユウキは周囲を見回した。
狭い点検空間の奥には、暗い通路が続いている。
鑑定を使うと、淡い文字が浮かんだ。
【鑑定結果】
名称:第五坑道・旧換気設備
状態:一部損傷
備考:
地上方向へ続く通路あり。
構造の一部が不安定。
ユウキは息を呑んだ。
「奥に道があります!」
ドランが顔を上げた。
「何?」
「この先です。地上方向へ続いています!」
バルドが頷いた。
「なら、行くしかない」
しかし、ドランはすぐに首を振った。
「待て。あの通路は古い換気設備だ。地震で崩れている可能性がある」
ユウキは頷いた。
「わかっています。でも、ここに留まる方が危険です」
その言葉に、ドランは黙り込んだ。
ユウキは続けた。
「俺が先に道を確かめます。振動感知で大きな揺れが伝わる場所を避ければ、少しは安全に進めるかもしれません」
バルドがすぐに首を振った。
「お前は重傷だ。先頭を歩ける状態じゃない」
「でも――」
「焦るな」
バルドはユウキの肩へ手を置いた。
「考えるのはお前の役目でいい。身体を使うのは、わしらに任せろ」
ユウキは息を呑んだ。
そして、小さく頷いた。
「わかりました」
ドランが魔石灯を点ける。
「わしが先頭を行く。ユウキ、お前は後ろから危険な場所を教えろ」
「はい」
トーマも頷いた。
「俺、荷物を持つよ!」
バルドはエルヴィンの身体を支え直した。
「行くぞ」
五人は、暗い通路の奥へ進み始めた。
◇◆◇
通路は想像以上に狭かった。
壁には古い鉄管が走り、床の一部には水が溜まっている。
頭上では岩が軋み、時折小石が落ちてきた。
ドランが慎重に足を進める。
ユウキはその後ろから、床の振動へ意識を集中させていた。
右側の壁からは、規則的な揺れが伝わってくる。
左側は、比較的静かだった。
「ドランさん、右の壁が危ないです。左側を通ってください」
ドランは頷き、進路を変えた。
数歩進んだところで、背後から小さな音がした。
――パラパラ。
ユウキが振り返る。
先ほどまで通っていた場所の天井から、砂が落ち始めている。
「急いでください!」
ドランが足を速める。
しかし、バルドはエルヴィンを支えているため、思うように進めない。
トーマがすぐに駆け寄った。
「俺も持つ!」
「無理するな。お前はまだ体調が――」
「もう大丈夫! 今は手伝わせて!」
バルドは一瞬だけ迷ったが、頷いた。
二人でエルヴィンの身体を支え、狭い通路を進んでいく。
その背後で、天井の亀裂がさらに広がった。
――ミシッ。
ユウキは息を呑んだ。
「崩れます!」
直後、頭上から大きな岩が落ちた。
――ドガァン!
岩は通路の中央へ落下し、石床を砕いた。
衝撃でトーマがよろめく。
バルドが咄嗟に腕を伸ばし、少年を支えた。
「大丈夫か!」
「うん!」
しかし、その隙にユウキの足元が大きく揺れた。
ユウキは壁へ手をつく。
痛む身体では、素早く動けない。
背後から、さらに大きな岩が落ちてくる。
逃げきれない。
そう思った瞬間、前方からドランの声が響いた。
「伏せろ!」
ユウキは反射的に身を低くした。
巨大な岩が頭上を掠め、通路の反対側へ激突する。
――ドォン!
衝撃で地面が大きく揺れ、ユウキは石床へ倒れ込んだ。
視界が霞む。
呼吸が苦しい。
「ユウキ!」
トーマの声が聞こえた。
ユウキは必死に顔を上げた。
「大丈夫……です」
だが、言葉とは裏腹に、身体はほとんど動かなかった。
バルドが駆け寄る。
「もう無理するな!」
バルドはユウキを抱き起こした。
「ここからは、わしが支える」
「でも、エルヴィンさんが……」
「トーマとドランが運ぶ。お前は自分が生き残ることを考えろ」
ユウキは唇を噛んだ。
悔しかった。
何もできない自分が、情けなかった。
しかし、今は言い返すべきではない。
誰かに頼ることも、仲間を信じることも、必要なのだ。
ユウキは小さく頷いた。
「お願いします」
バルドは静かに笑った。
「任せろ」
◇◆◇
通路の先に、淡い光が見えた。
ドランが足を止める。
「出口か?」
ユウキは顔を上げた。
光の向こうから、冷たい風が吹き込んでくる。
土の匂い。
草の匂い。
そして、夜明け前の湿った空気。
鉱山の中では感じたことのない匂いだった。
「外だ……」
ユウキが呟く。
トーマの顔が明るくなる。
「本当に?」
ドランは慎重に進み、光の差し込む隙間を確認した。
そこには、古い鉄格子がはめ込まれていた。
長い年月の間に錆びつき、周囲には蔦が絡まっている。
その向こうには、薄暗い森が広がっていた。
「地上へ出られるぞ」
ドランの声に、トーマが小さく歓声を上げた。
「やった!」
しかし、バルドはすぐに周囲を見回した。
「喜ぶのはまだ早い」
バルドは鉄格子を指さした。
「これを開けられるか?」
ドランは鍵穴を確認した。
「錆びついているが、時間をかければ何とかなるかもしれん」
ユウキは鉄格子へ意識を向けた。
《鑑定》
【鑑定結果】
名称:第五坑道・旧換気口
状態:腐食・施錠
備考:
外部へ接続。
固定部に損傷あり。
一部の金具が破損している。
ユウキは顔を上げた。
「下の金具が壊れかけています。そこを外せば、鉄格子を動かせるかもしれません」
ドランが頷いた。
「よし。バルド、手を貸せ」
二人は鉄格子の下部へ工具を差し込み、慎重に力を加えた。
――ギギギッ。
錆びた金具が軋む。
しかし、鉄格子はなかなか動かない。
そのとき、背後から足音が響いた。
――コツ、コツ。
ユウキは顔を上げた。
振動感知が、人間の足音を捉えている。
しかも、複数。
「誰か来ます!」
全員の表情が変わった。
ドランは工具を握り直す。
「あと少しだ!」
バルドも力を込めた。
鉄格子がわずかに動く。
しかし、背後から兵士の声が響いた。
「いたぞ!」
ユウキの背筋が冷たくなった。
帝国兵だ。
しかも、通路の奥には複数の灯りが見える。
「逃がすな!」
兵士たちが走り出す。
ユウキは息を呑んだ。
あと少しで、自由に手が届く。
しかし、その最後の一歩が遠かった。
◇◆◇
帝国兵たちが通路へなだれ込んできた。
先頭の兵士が剣を抜く。
「全員、動くな!」
バルドがユウキを庇うように前へ出た。
ドランは工具を握りしめる。
トーマはエルヴィンを支えながら、震える足で後退した。
ユウキは周囲を見回した。
狭い通路。
出口を塞ぐ鉄格子。
そして、迫る帝国兵。
ここで戦えば、誰かが傷つく。
もしかすると、命を落とすかもしれない。
しかし、もう引き返す道はない。
ユウキは震える手を握りしめた。
そのとき、胸の奥で少女の声が響いた。
『ユウキ』
ユウキは息を呑んだ。
『お願い』
声は、今にも消えそうなほど弱々しかった。
『逃げて』
その直後。
――ドォォォン!
第三坑道の方向から、凄まじい爆発音が響いた。
地面が大きく揺れ、通路の天井に亀裂が走る。
帝国兵たちが足を止めた。
「何だ!?」
誰かが叫ぶ。
そして、遠くから不気味な咆哮が聞こえてきた。
人間でも、魔物でもない。
何か巨大なものが、地の底で目覚めたような声だった。
ユウキの視界に、青白い文字が浮かんだ。
《警告》
《第三坑道・封印領域の構造変化を検出》
《高密度の魂魄反応が拡散しています》
《固有権能「略奪」が異常共鳴しています》
ユウキは胸を押さえた。
その瞬間、頭の奥へ映像が流れ込む。
赤黒い魔法陣。
砕け散る鎖。
そして、暗闇の中で膝をつく少女。
彼女の周囲には、無数の黒い影が渦巻いていた。
『ごめんなさい』
少女が呟く。
『もう、守れない』
その言葉と同時に、すべてが暗闇へ沈んだ。
ユウキは膝をついた。
呼吸が乱れる。
バルドがすぐに支えた。
「坊主!」
ユウキは顔を上げた。
封印が壊れようとしている。
いや、すでに何かが外へ出始めているのかもしれない。
ここに留まれば、全員が危ない。
「バルドさん……!」
ユウキは必死に声を出した。
「もう、時間がありません!」
バルドは頷いた。
「ああ。わかっとる!」
ドランが工具へ力を込める。
――ギギギッ!
鉄格子の金具が大きく歪んだ。
あと少し。
しかし、その背後で帝国兵が剣を構え直した。
「逃がすな!」
ユウキは目を見開いた。
兵士が踏み込む。
鋭い刃が、バルドへ向かって振り下ろされた。
その瞬間。
ユウキは、震える身体を動かそうとした。
しかし、思うように足が動かない。
HPは、わずか二。
今の自分には、もう戦う力が残っていなかった。
それでも、守りたい。
その思いだけが、身体を動かそうとしていた。
そして――。
――ガキィン!
剣と金属がぶつかる音が響いた。
バルドの前に、誰かが立っていた。
灰色の髪。
傷だらけの身体。
そして、左手に握られた細い杖。
エルヴィンだった。
彼はいつの間にか意識を取り戻し、ドランの道具箱から拾った金属製の工具で兵士の剣を受け止めていた。
「まったく」
エルヴィンは苦しそうに笑った。
「今度は、私が助ける番らしいね」
ユウキは息を呑んだ。
「エルヴィンさん!」
魔術師は顔を上げた。
その瞳には、以前のような冷たさはなかった。
しかし、次の瞬間。
その表情が、わずかに歪んだ。
「妙だな」
エルヴィンは自分の手を見つめた。
そして、小さく呟いた。
「鑑定が、使えない……?」
ユウキの胸が締めつけられた。
奪ってしまった力。
その事実を、エルヴィン自身が知ろうとしている。
しかし、今は説明している時間がない。
背後には帝国兵。
前には自由へ続く鉄格子。
そして、鉱山の奥からは、封印崩壊の咆哮が響き続けていた。
ユウキは震える手を握りしめた。
次に何を選ぶかで、全員の運命が変わる。
そんな予感が、胸の奥に広がっていた。
――第20話 完。




