第13話 帝国からの呼び出し
足音が近づいてくる。
規則正しく、重い足音だった。
鉱山の看守たちが履いている革靴とは違う。硬い金属が石床を叩く、冷たい音。
ユウキは鉄格子の向こうを見つめていた。
先ほどまで続いていた地鳴りは収まっている。しかし、天井の隙間から落ちた砂が床に薄く積もり、今も時折、細かな石片が音を立てて落ちていた。
囚人たちは不安げに顔を見合わせている。
「バルドさん、今の揺れは……」
ユウキが尋ねると、老人は険しい表情で首を振った。
「普通の落盤じゃない。あんな揺れ方は初めてだ」
少し離れた場所では、トーマが膝を抱えていた。
「第三坑道で何かあったのかな」
「おそらくな」
バルドは短く答えた。
そのとき、通路の奥から怒声が響いた。
「道を空けろ!」
囚人たちの視線が、一斉に鉄格子へ向けられる。
黒い鎧をまとった兵士が三人、看守を連れて現れた。
先頭の兵士は手に書類を持ち、牢の前で足を止める。
「ユウキ・コバヤシはいるか」
自分の名前だった。
ユウキの心臓が、大きく跳ねた。
「俺です」
声が少し震えた。
兵士は書類から目を上げ、ユウキを見つめる。
「出ろ。上官がお呼びだ」
「俺を、ですか?」
「二度言わせるな」
看守が鍵を取り出した。
鉄格子が開く音が、静まり返った牢に響く。
ユウキは立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。
昨夜確認したHPは、10。
傷は回復しつつあるものの、まともに走れる状態ではない。
しかも、手首と足首には魔封石の枷が残っている。
「待ってください」
バルドが声を上げた。
兵士たちの視線が老人へ向く。
「その坊主は怪我をしとる。昨日までまともに働けんかったんだ。何の用か知らんが、歩かせるならせめて――」
「黙れ」
兵士の一人が、腰の剣へ手をかけた。
ユウキは咄嗟にバルドの前へ出た。
「大丈夫です。歩けます」
「坊主!」
「本当に、大丈夫です」
ユウキは老人へ向き直った。
怖くないわけではなかった。
むしろ、今すぐ逃げ出したかった。
だが、ここで抵抗すればバルドやトーマまで罰を受けるかもしれない。
それだけは避けたかった。
「すぐに戻ってきます」
そう言って、できるだけ自然に笑った。
けれど、バルドは笑わなかった。
「戻れる保証など、どこにもないぞ」
その言葉に、ユウキは答えられなかった。
代わりに、トーマが立ち上がった。
「ユウキ!」
少年の声が牢に響く。
「絶対に戻ってこいよ!」
ユウキは振り返った。
トーマは泣きそうな顔をしていた。
いつもなら、心配しなくていいと言ったかもしれない。
しかし今は、簡単な約束ができなかった。
それでも。
「うん。戻ってくる」
ユウキは頷いた。
「まだ、一緒にここを出る約束が残ってるから」
トーマは唇を噛み、強く頷き返した。
兵士に背中を押され、ユウキは牢の外へ歩き出した。
背後で鉄格子が閉まる。
その音は、いつもよりも重く感じられた。
◇◆◇
連れてこられたのは、鉱山の奥へ続く通路だった。
普段働いている第一坑道や第二坑道とは、明らかに空気が違う。
壁には青白い魔石灯が一定の間隔で設置され、床には新しい補強材が敷かれていた。
しかし、進むにつれて周囲の温度が下がっていく。
湿った空気の中に、鉄の錆と薬品を混ぜたような匂いが漂っていた。
ユウキは無意識に鼻を動かした。
灰牙狼から奪った嗅覚強化。
その技能の影響なのか、普通なら気づかないほど薄い匂いまで感じ取れる。
焦げた布。
乾いた血。
そして、何かが腐りかけたような甘い匂い。
嫌な予感がした。
「ここは、どこなんですか?」
ユウキが尋ねても、兵士は答えなかった。
代わりに、先頭の男が短く命じる。
「前を向いて歩け」
ユウキは口を閉じた。
しばらく進むと、巨大な鉄扉が現れた。
扉の上には、古びた文字が刻まれている。
『第三坑道・関係者以外立入禁止』
ユウキの足が止まった。
第三坑道。
ずっと声が聞こえていた場所。
何人もの鉱夫が消えたと噂される、封鎖された坑道だった。
「入れ」
兵士が背中を押した。
鉄扉が開く。
その瞬間、冷たい空気がユウキの頬を撫でた。
――ドクン。
胸の奥で、何かが反応する。
視界の端に青白い文字が浮かんだ。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源:第三坑道深部》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
ユウキは息を呑んだ。
まただ。
しかも、今までよりも反応が強い。
頭の奥で、聞き慣れた少女の声が響いた。
『来てくれたんだね』
ユウキは周囲を見回した。
兵士たちは誰も反応していない。
声が聞こえているのは、自分だけらしい。
『こっちだよ』
その声は、不思議なほど近く感じられた。
ユウキは唇を噛み、再び歩き始めた。
◇◆◇
第三坑道の内部には、大勢の帝国兵と魔術師が集まっていた。
壁に刻まれた魔法陣が青白く輝き、天井からは何本もの鎖が垂れ下がっている。
奥の方では、厚い防護服を着た作業員たちが石壁を補強していた。
その姿を見て、ユウキは思わず足を止めた。
作業員たちの手首にも、拘束具がつけられている。
しかも、普通の奴隷が身につけているものより大きい。
ドランの検査場で見た、魔封石が二つ埋め込まれた拘束具とよく似ていた。
あれは、強い魔力を持つ相手を縛るためのものだと聞いた。
では、ここで働かされている人たちは、いったい何者なのだろう。
「何を見ている」
兵士の声で、ユウキは我に返った。
「すみません」
慌てて頭を下げる。
そのとき、一人の作業員がこちらを見た。
痩せた女性だった。
頬はこけ、瞳には疲労が滲んでいる。
彼女は一瞬だけユウキを見つめたあと、すぐに顔を伏せた。
その仕草が、どこかリナと重なった。
ユウキは胸の奥が痛むのを感じた。
リナは、今どこにいるのだろう。
食事を与えられているだろうか。
怪我は悪化していないだろうか。
助けると決めたのに、まだ居場所すらわからない。
そんな自分が情けなかった。
しかし、今は立ち止まれない。
兵士に促され、ユウキはさらに奥へ進んだ。
やがて、広い地下空間へ辿り着く。
そこには、巨大な石の扉が立っていた。
◇◆◇
扉は、想像していた以上に大きかった。
高さは十メートル以上あるだろうか。
黒い岩を削り出したような表面には、赤黒い魔法陣が幾重にも刻まれている。
中心からは巨大な亀裂が走り、その隙間から淡い光が漏れ出していた。
扉の周囲には複数の魔術師が立ち、魔力を送り込んでいる。
しかし、光は安定していない。
時折、魔法陣が激しく明滅し、床全体が微かに揺れていた。
「連れてきました」
兵士が声を上げる。
その声に、灰色の外套をまとった男が振り返った。
ユウキは息を呑んだ。
森で捕らえられたときから、何度も姿を見ている男。
第三坑道の封印を調べている、帝国側の人物だった。
「ご苦労。下がっていい」
男がそう言うと、兵士たちは一歩後退した。
ユウキはその場に取り残される。
「ユウキ・コバヤシ」
男はゆっくりと近づいてきた。
「ここまで来てもらって悪かったな」
穏やかな声だった。
しかし、その目は少しも笑っていなかった。
「俺に、何の用ですか?」
ユウキが尋ねると、男は石の扉へ視線を向けた。
「お前に確かめたいことがある」
「確かめたいこと?」
「ああ。お前は、この扉から何か感じないか?」
心臓が跳ねた。
男は、なぜそんなことを聞くのだろう。
ユウキは咄嗟に答えを探した。
「よく、わかりません」
「そうか」
男はあっさり頷いた。
だが、次の言葉は鋭かった。
「では、なぜ扉を見た瞬間に顔色が変わった?」
ユウキは言葉を失った。
隠したつもりだった。
しかし、相手は最初から自分の反応を見ていたらしい。
「怖いからです」
ユウキは答えた。
「こんな大きな扉、見たことがありません。それに、ここは危険な場所だって聞いています」
男はしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「なるほど。確かに間違ってはいない」
そのまま、扉の前に置かれた装置へ視線を向ける。
そこには水晶のような透明な石が固定されていた。
「これは魂波測定器と呼ばれる装置だ」
男が説明を始めた。
「生き物の魔力や魂の反応を読み取るためのものだが、今は少し変わった用途に使っている」
ユウキは黙って聞いていた。
「この扉の封印は、特定の魂波に反応するらしい。だが、我々が用意した魔術師では反応が得られなかった」
男はユウキを見つめた。
「そこで、お前だ」
「俺が?」
「ああ。お前は他の奴隷とは違う。出自も、魔力の性質もな」
ユウキの喉が乾く。
この男は、どこまで知っているのだろう。
「手を置くだけでいい」
男は測定器を指さした。
「何も起こらなければ、それで終わりだ」
ユウキは水晶を見つめた。
本当に何も起こらないのだろうか。
むしろ、自分が触れた瞬間に何かが起きる気がしてならなかった。
「嫌だと言ったら?」
小さく尋ねると、男の表情が消えた。
「ここでは、お前に拒否する権利はない」
その言葉に、ユウキは身体を強張らせた。
逆らえばどうなるか。
考えるまでもなかった。
そして、ここで自分が騒ぎを起こせば、バルドやトーマまで疑われるかもしれない。
ユウキはゆっくりと装置へ近づいた。
◇◆◇
水晶は、触れる前から微かに震えていた。
透明な表面の奥で、青白い光が揺らめいている。
ユウキは一度だけ息を整え、手を伸ばした。
指先が水晶へ触れる。
次の瞬間。
――ドクン!
胸の奥を、強烈な衝撃が貫いた。
「ぐっ!」
ユウキは思わず膝をついた。
水晶の光が一瞬で赤黒く変わり、装置全体が激しく振動する。
「測定値が急上昇しています!」
魔術師の一人が叫んだ。
「魂波が封印内部の反応と一致! 通常の魔力波形ではありません!」
灰色の外套の男が目を細めた。
「やはりな」
ユウキは水晶から手を離そうとした。
しかし、指先が吸いつけられたように動かない。
「離れない……!」
胸の奥で、略奪の権能が激しく反応した。
《未登録の魂魄反応と接触しました》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
《警告:対象の状態が不明です》
《技能略奪の発動条件を確認できません》
《強制干渉を推奨しません》
ユウキは目を見開いた。
これは、いつもの略奪ではない。
相手が死んでいるのか、行動不能なのかさえわからない。
そもそも、扉の向こうにいるものが何なのかも不明だった。
ここで無理に力を使えば、以前のように危険な状態になるかもしれない。
「離して!」
ユウキは左手で右腕を掴み、必死に引いた。
しかし、水晶は手を離さない。
そのとき。
『大丈夫』
頭の奥で声が響いた。
幼い少女の声。
『怖がらないで』
ユウキは息を呑んだ。
「君なの?」
思わず声が漏れた。
灰色の外套の男が反応した。
「誰と話している?」
ユウキは答えられなかった。
それよりも、少女の声がはっきり聞こえていた。
『やっと、会えたね』
その声と同時に、視界が白く染まった。
◇◆◇
気がつくと、ユウキは見知らぬ場所に立っていた。
周囲には何もない。
ただ、真っ白な空間がどこまでも広がっている。
足元には薄い水面のようなものがあり、歩くたびに小さな波紋が広がった。
「ここは……?」
ユウキは周囲を見回した。
兵士も、魔術師も、巨大な石の扉も見当たらない。
ただ一つ、遠くに黒い影があった。
人の形をしている。
小さな少女のようだった。
「誰?」
ユウキが声をかけると、影がゆっくりと顔を上げた。
長い髪。
細い手足。
そして、全身に巻きついた黒い鎖。
少女は少しだけ微笑んだ。
『ようやく、来てくれた』
ユウキは足を止めた。
「君が、ずっと俺を呼んでいたの?」
『うん』
少女は静かに頷いた。
『あなたなら、私を見つけられると思っていたから』
「どうして、俺なの?」
問いかけると、少女はしばらく黙っていた。
やがて、胸元へ手を当てる。
『あなたも、奪われた人だから』
ユウキの心臓が大きく跳ねた。
家族から奪われた安心できる場所。
突然奪われた元の世界での生活。
そして今、自由さえ奪われている。
少女の言葉は、胸の奥に深く刺さった。
「君も、何かを奪われたの?」
ユウキは静かに尋ねた。
少女は答えなかった。
代わりに、腕に巻きついた黒い鎖を見つめる。
『私は、ここから出られない』
その声には、諦めに似た響きがあった。
『ずっと、誰かが来るのを待っていた』
ユウキは少女へ一歩近づいた。
「じゃあ、どうすれば助けられる?」
少女が顔を上げる。
その瞳には、驚きが浮かんでいた。
『助けてくれるの?』
「できるかどうかは、まだわからないけど」
ユウキは自分の手を見つめた。
「俺には、あまり力がない。今だって、仲間に助けられてばかりだし」
少女は黙って聞いている。
「それでも、困っている人を見たら、何もしないままでいたくないんだ」
言葉にしてから、ユウキは少しだけ恥ずかしくなった。
自分にそんなことを言う資格があるのだろうか。
これまで、守れなかった人もいる。
リナだって、まだ助けられていない。
それでも、目の前の少女を見捨てる理由にはならなかった。
「君の名前を教えてくれる?」
ユウキが尋ねると、少女の表情が曇った。
『名前……』
その言葉を繰り返した瞬間、黒い鎖が微かに震えた。
少女は苦しそうに胸を押さえる。
『思い出せない』
「え?」
『私の名前も、ここに来る前のことも、ほとんど覚えていないの』
ユウキは息を呑んだ。
少女は小さく首を振った。
『でも、一つだけ覚えている』
「何を?」
少女がゆっくりと顔を上げる。
『私は、誰かに裏切られた』
その瞬間、白い空間が大きく揺れた。
足元の水面に赤黒い波紋が広がり、遠くから無数の声が聞こえ始める。
泣き声。
怒号。
誰かが助けを求める叫び。
そして、どこかで聞いたことのある言葉。
『万魂降臨の儀』
ユウキの呼吸が止まった。
あの言葉。
自分が異世界へ召喚されたときに聞こえた、恐ろしい儀式の名前だった。
「どうして、その言葉を……」
少女は答えなかった。
代わりに、必死な表情でユウキへ手を伸ばした。
『気をつけて』
「何に?」
『あの人たちは、あなたを――』
その言葉が終わる前に、黒い鎖が激しく震えた。
少女の身体が後方へ引きずられる。
「待って!」
ユウキは咄嗟に手を伸ばした。
しかし、距離が縮まらない。
『まだ、私を解放しないで!』
少女の声が響いた。
『今、扉を開けたら、みんなが――』
そこで、声が途切れた。
白い空間に大きな亀裂が走る。
そして、すべてが暗闇に飲み込まれた。
◇◆◇
「おい! 聞こえるか!」
誰かの声がした。
ユウキは目を開けた。
目の前には、灰色の外套をまとった男がいた。
周囲には魔術師たちが集まり、慌ただしく装置を操作している。
ユウキは石床に倒れていた。
水晶から手は離れている。
「大丈夫か?」
男が尋ねる。
ユウキは荒い呼吸を繰り返した。
「俺、何を……」
「測定中に意識を失った。数十秒ほどだ」
男は落ち着いた声で答えた。
しかし、その目には強い興味が浮かんでいる。
「何を見た?」
ユウキの胸が強く脈打った。
少女。
黒い鎖。
そして、万魂降臨の儀。
正直に話していいのだろうか。
いや。
少女は、今は扉を開けるなと言っていた。
もし帝国の人間にすべてを話せば、何が起こるかわからない。
「白い光が見えました」
ユウキはゆっくりと答えた。
「それから、頭が痛くなって……気がついたら、ここにいました」
男は黙ってユウキを見つめた。
「それだけか?」
「はい」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、男は立ち上がった。
「そうか」
短い返事だった。
だが、信じたようには見えなかった。
そのとき、魔術師の一人が声を上げた。
「封印の反応が変化しています!」
全員の視線が石の扉へ向く。
赤黒い魔法陣の一部が、青白い光へ変わり始めていた。
先ほどまで激しく震えていた扉が、静かになっている。
「封印維持率が上昇……?」
魔術師が驚いたように呟いた。
「崩壊しかけていた術式が、一時的に安定しています!」
灰色の外套の男が目を細めた。
「やはり、お前には何かあるらしいな」
ユウキは何も答えなかった。
自分が触れたことで封印が安定した。
それは事実のようだった。
だが、少女は言っていた。
今は扉を開けるな、と。
では、自分に求められている役割は何なのだろう。
封印を解くことなのか。
それとも、封印を守ることなのか。
答えはまだ見えなかった。
◇◆◇
しばらくして、ユウキは第三坑道の外へ連れ出された。
灰色の外套の男は、最後まで名前を明かさなかった。
ただ、別れ際に一言だけ告げた。
「お前には、また協力してもらうことになる」
ユウキは不安を覚えながらも、黙って頷いた。
兵士に連れられ、長い通路を戻っていく。
来るときより、足取りは重かった。
身体の疲労だけではない。
知らなかったことを、あまりにも多く知ってしまった。
第三坑道の奥には、少女が囚われている。
彼女は何者かに裏切られ、名前すら思い出せない。
そして、彼女の記憶には、自分を召喚した儀式と同じ言葉が残されていた。
何もかもが、偶然とは思えなかった。
◇◆◇
牢へ戻ったとき、トーマが真っ先に駆け寄ってきた。
「ユウキ!」
少年は鉄格子が開くのも待ちきれない様子だった。
「本当に戻ってきた!」
ユウキは小さく笑った。
「うん。ただいま」
「何をされたんだ? どこへ連れていかれた?」
質問を浴びせるトーマの肩へ、バルドがそっと手を置いた。
「落ち着け。まずは座らせてやれ」
トーマは慌てて道を空けた。
ユウキは壁際へ腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
バルドが正面に座る。
「第三坑道か?」
ユウキは驚いた。
「どうしてわかったんですか?」
「お前を連れていった兵士の装備だ。第三坑道を警備しとる連中と同じだった」
老人は険しい表情で続けた。
「何を見た?」
ユウキは迷った。
すべてを話すべきだろうか。
しかし、少女との会話をそのまま伝えても、信じてもらえるかわからない。
それに、話したことで二人まで危険に巻き込みたくなかった。
「大きな石の扉がありました」
ユウキは答えた。
「その前で、変な水晶に触らされて……気を失いました」
バルドの表情が変わった。
「何だと?」
「でも、今は大丈夫です」
「大丈夫なものか」
老人の声が少し強くなる。
「帝国の連中は、お前を何かに利用しようとしとる。もう一度呼ばれたら、今度こそ戻れんかもしれんぞ」
ユウキは黙り込んだ。
わかっている。
だからこそ、怖かった。
だが、バルドの言うとおりなら、残された時間は少ない。
「バルドさん」
ユウキは静かに顔を上げた。
「俺たち、早く逃げないといけないと思います」
老人は頷いた。
「ああ。わしもそう思う」
トーマが二人を見比べる。
「じゃあ、どうするんだ?」
ユウキは一度だけ深呼吸した。
「まず、ドランさんにもう一度会いたいです」
「ドランに?」
「はい。枷を外す方法がわからなければ、どこへ逃げても捕まってしまうと思うので」
バルドはしばらく考え込んだ。
そして、静かに頷いた。
「わかった。わしの方でも、あいつと話せる機会を探してみる」
トーマが小さく拳を握った。
「俺も手伝う!」
ユウキは二人を見つめた。
まだ自由にはなれない。
逃げ道も、完全には見つかっていない。
それでも、三人なら何かできるかもしれない。
そう思えた。
◇◆◇
その夜。
ユウキは眠る前に、魂盤を呼び出した。
魂盤【STATUS】
名前:ユウキ・コバヤシ
年齢:17
種族:人間(異界者)
職業:無職
レベル:2
HP:7 / 36
MP:5 / 8
STR(筋力):8
VIT(耐久力):7
AGI(敏捷性):9
MAG(魔力):3
MND(精神力):12
DEX(器用さ):11
【固有権能】
略奪 Lv.1
【習得技能】
嗅覚強化 Lv.2
身体強化 Lv.2
採掘 Lv.1
振動感知 Lv.1
【状態】
負傷・精神疲労
魂蝕値:上昇中
ユウキは表示された数値を見つめた。
HPは再び減っていた。
水晶に触れたときの衝撃が、身体にも負担を与えたのかもしれない。
MPも減少している。
しかし、レベルは二のまま。
技能も増えていない。
ただ、第三坑道の奥にいる少女のことが頭から離れなかった。
「名前も、覚えていないんだね」
ユウキは小さく呟いた。
真っ白な空間。
黒い鎖に縛られた少女。
そして、最後に告げられた言葉。
『今、扉を開けたら、みんなが――』
あの先には、何が続いていたのだろう。
もし封印が完全に壊れたら、何が起こるのだろう。
考えるだけで、胸が苦しくなる。
それでも、ユウキは一つだけ決めていた。
助けると約束した人たちを、見捨てない。
リナも、バルドも、トーマも。
そして、あの名前のない少女も。
今の自分には、全員を救う力なんてない。
だからこそ、焦らず、できることから始めよう。
ユウキは静かに目を閉じた。
◇◆◇
同じ頃。
第三坑道の最深部では、灰色の外套の男が測定器の記録を確認していた。
水晶に残された赤黒い光の痕跡。
封印と一致した魂波。
そして、ユウキが触れた瞬間だけ一時的に安定した術式。
それらの記録を見つめながら、男は小さく呟いた。
「やはり、異界の魂か」
隣にいた魔術師が尋ねる。
「どうされますか?」
男はしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「帝都へ報告する」
「帝都へ?」
「ああ。この少年の存在は、もはや我々だけで判断できるものではない」
男は報告書に、ある言葉を書き込んだ。
『異界召喚体との魂波一致を確認』
そして、その下へもう一行。
『封印対象との接触に成功』
魔術師の顔色が変わる。
「それでは、帝国が動くのですか?」
「おそらくな」
男は冷たい目で答えた。
「少なくとも、あの少年をこのまま奴隷として扱い続けることはできんだろう」
しかし、その言葉には救いの響きがなかった。
奴隷から解放されるのではない。
もっと別の目的のために、利用される可能性がある。
男は最後に、報告書へ一つの指示を書き加えた。
『対象ユウキ・コバヤシの移送準備を開始せよ』
それは、ユウキの知らない場所で下された、新たな命令だった。
灰の鉱山での平穏な時間は、静かに終わりへ近づいていた。
――第13話 完。




