第12話 枷を解く職人
翌朝、鉱山の鐘はいつもより早く鳴った。
まだ眠りの中にいた囚人たちが、看守の怒声に急かされながら身を起こしていく。冷たい石床に腰を下ろしていたユウキも、重い身体を支えながら立ち上がった。
肩の傷は昨日より少し落ち着いているものの、膝を曲げると鈍い痛みが走る。夜の間に多少は回復したようだが、まともに戦える状態ではない。
「今日は、ずいぶん早いですね」
ユウキが囁くと、バルドは鉄格子の外へ視線を向けた。
「第三坑道で何かあったんだろう。昨日の夜から兵士が走り回っとる」
通路の向こうでは、黒い鎧を着た兵士が看守たちに指示を出していた。
普段なら囚人の扱いなど看守任せにしている帝国兵が、今朝は直接人数を数えている。
ただの鉱山事故ではない。
ユウキは昨夜聞いた声を思い出した。
『扉が、開く』
あれが何を意味するのか、まだわからない。
しかし、帝国の兵士たちも何かを恐れているのは確かだった。
「バルドさん」
「なんだ?」
「第三坑道の封印って、何なんでしょうか」
老人はすぐには答えなかった。
「わしにも詳しいことはわからん。ただ、あの場所で何人も消えたのは事実だ」
「消えた?」
「ああ。第三坑道が封鎖される前、奥で働いとった者が帰ってこなくなった。落盤という説明だったが、遺体が見つかったという話は聞いとらん」
ユウキの胸が重くなる。
「その人たちは、どうなったんでしょう」
「わからん。だからこそ、迂闊に近づくな」
バルドは厳しい表情で続けた。
「わしらの目的は逃げることだ。第三坑道の秘密を暴くことじゃない」
ユウキは頷いた。
その通りだと思う。
リナを助け、トーマとバルドを連れて地上へ出る。
今はそれだけでも、途方もなく難しい。
それでも、あの少女の声が頭から離れなかった。
◇◆◇
午前の作業が始まると、ユウキは第二坑道の補修班に回された。
昨日と同じ資材置き場で、古い工具や金属部品を分類する仕事だった。
ユウキにとっては幸運だった。
ドランと再び顔を合わせられるかもしれない。
しかし、実際に作業場へ入ってみると、昨日より看守の数が増えていた。
検査台の近くには兵士も立っている。
これでは、気軽に話しかけることなどできそうにない。
「おい、黒髪!」
看守がユウキを呼び止めた。
「昨日の検査場へ、これを運べ」
渡されたのは、布で包まれた金属部品の箱だった。
「はい」
ユウキは両手で受け取る。
決して軽くはなかったが、昨日ほど身体が震えることはなかった。
レベルが上がった影響なのか、それとも少しずつ荷物を運ぶことに慣れてきただけなのか。
今は判断できなかった。
ただ、持ち上げる姿勢を工夫すれば、肩への負担を多少減らせるようになっていた。
検査場の扉をくぐると、昨日と同じ白髪交じりの男が作業台に向かっていた。
ドラン。
かつてバルドと同じ鉱山で働いていたという職人だ。
「またお前か」
男は顔を上げると、少しだけ眉を動かした。
「昨日の黒髪の小僧だな」
「はい。これを届けに来ました」
「そこへ置いとけ」
ユウキは指示された場所へ箱を下ろした。
そのとき、ドランの視線がユウキの左肩に止まった。
「怪我をしているのか」
「少しだけです」
「その顔で少しと言われてもな」
男は呆れたように息を吐いた。
「昨日の魔物騒ぎに巻き込まれた奴か?」
ユウキは頷いた。
「はい」
「生き残っただけ運が良かったな」
ドランはそう言うと、再び作業台へ向き直った。
ユウキは迷った。
バルドは、まだ信用するなと言っていた。
しかし、今ここで何も話さなければ、次に会える保証はない。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「バルドさんという人を知っていますか?」
その瞬間、金属を磨いていたドランの手が止まった。
ゆっくりと、こちらを振り返る。
「今、なんと言った?」
ユウキの背筋に冷たいものが走った。
「バルドさんです」
ドランはしばらく黙っていた。
その目には驚きだけでなく、警戒の色も浮かんでいる。
「どこで、その名前を聞いた」
「同じ牢で、一緒に働いています」
ドランの表情が変わった。
「あの爺さん、まだ生きていたのか」
声は低かった。
しかし、そこには確かに懐かしさが滲んでいた。
「はい。元気、というわけではないですけど」
「そうか」
ドランは小さく息を吐いた。
そして、周囲へ視線を向ける。
検査場の入り口では、兵士が別の看守と話していた。
「小僧」
ドランは低い声で言った。
「その名前を、ここで簡単に出すな」
「え?」
「昔の知り合いだと知られれば、余計な仕事を押しつけられることもある。ここでは、人の繋がりさえ利用される」
ユウキは慌てて頷いた。
「すみません」
「謝る必要はない。ただ、覚えておけ」
ドランは再び工具を握った。
だが、その手はしばらく動かなかった。
◇◆◇
昼近くになると、検査場に運び込まれた拘束具の数が増え始めた。
いつもなら一日かけて確認する量を、短い時間で仕上げろという命令らしい。
ドランは不機嫌そうに舌打ちしながら作業を続けていた。
「こいつら、いったい何人を縛るつもりなんだ」
思わず漏れた言葉に、ユウキは顔を上げた。
「どういうことですか?」
ドランは答えなかった。
代わりに、一つの拘束具を手に取る。
それはユウキが身につけているものよりも大きく、黒い魔封石が二つ埋め込まれていた。
「これ、普通の枷じゃないですよね」
ユウキが尋ねると、ドランは少しだけ目を細めた。
「よく気づいたな」
男は声を落とした。
「強い魔力を持つ相手を拘束するためのものだ。普通の囚人には使わん」
「魔術師とか、ですか?」
「そうだな。それだけじゃないが」
ドランはそれ以上説明しなかった。
ユウキは黒い魔封石を見つめた。
もし第三坑道の奥で何かが起きているのなら、この拘束具も関係しているのだろうか。
しかし、考えても答えは出なかった。
そのとき、作業台の上で金属が弾けるような音がした。
――パチン!
ドランが素早く手を引いた。
検査中の拘束具から、赤い火花が散っている。
魔封石が不規則に明滅し、鉄輪が小刻みに震えていた。
「離れろ!」
男の鋭い声に、ユウキは反射的に後退した。
次の瞬間、拘束具が大きく跳ね上がり、作業台の端から落ちそうになった。
ドランは近くの厚い布を掴み、鉄輪を押さえつけた。
しかし、赤い光は消えない。
「くそっ、術式が暴走してやがる!」
ドランの表情が険しくなる。
ユウキはどうすればいいかわからず、立ち尽くした。
そのとき、足元から小さな振動が伝わってきた。
――トン、トン。
振動感知。
岩穿ち鼠から奪った技能が、周囲の揺れを捉えている。
ユウキは思わず作業台へ視線を向けた。
暴れている拘束具だけではない。
作業台の下に取り付けられた金属板も、同じ間隔で震えている。
「あの! 下の板も揺れています!」
ユウキは声を上げた。
「何?」
ドランが一瞬だけ目を動かす。
そして、作業台の下へ手を伸ばした。
「こいつか!」
男は金属板の横にある小さな留め具を外し、作業台の接続を切り離した。
途端に、拘束具の赤い光が弱まった。
数秒後。
――カチン。
鉄輪が静かに閉じ、完全に動きを止めた。
検査場に沈黙が戻る。
「ふう、危ないところだった」
ドランは深く息を吐いた。
ユウキも緊張が解け、その場で膝をつきそうになった。
「よかった」
男はユウキを見つめた。
「お前、どうして下の板に気づいた?」
ユウキは答えに詰まった。
振動感知の技能。
それを正直に話していいのだろうか。
しかし、ドランがどこまで信用できるかは、まだわからない。
「足元に、少し振動が伝わってきたので」
ユウキは嘘にならない範囲で答えた。
ドランはしばらくその顔を見つめていたが、やがて頷いた。
「なるほどな」
男は作業台を見下ろした。
「普通なら気づかんほどの揺れだ。よくわかったな」
そして、小さく笑った。
「助かった。礼を言う」
ユウキは驚いて顔を上げた。
「いえ、俺は何も」
「いや。お前が気づかなければ、検査台ごと壊れていたかもしれん」
ドランはそう言いながら、壊れた拘束具を別の箱へ移した。
「今日は変なことばかり起きる。第三坑道の影響かもしれんな」
その言葉に、ユウキは息を呑んだ。
「第三坑道?」
ドランはしまったという表情を浮かべた。
しかし、すぐに首を振った。
「忘れろ。余計なことを知ると、長生きできんぞ」
◇◆◇
午後の作業が終わる頃。
ドランはユウキを呼び止めた。
「小僧」
「はい?」
「バルドに伝えろ」
男は作業台から目を離さずに続けた。
「昔の約束は、まだ忘れとらんとな」
ユウキは首を傾げた。
「昔の約束?」
「それだけでいい。余計なことは言うな」
ドランは静かに答えた。
その声には、どこか決意のようなものが滲んでいた。
「わかりました」
ユウキは小さく頷いた。
検査場を出る直前、ドランがもう一度声をかけてきた。
「小僧」
ユウキが振り返る。
「枷ってものはな、鉄だけでできているわけじゃない」
「どういうことですか?」
「人間を縛るものには、目に見えるものと、見えないものがある」
男は自分の手を見つめた。
「わしは、どちらも嫌いだ」
その言葉の意味を、ユウキはすぐには理解できなかった。
しかし、ドランの表情には深い後悔のようなものが浮かんでいた。
ユウキは小さく頭を下げた。
「ありがとうございました」
そして、検査場を後にした。
◇◆◇
夕方。
牢へ戻ったユウキは、バルドの隣へ腰を下ろした。
トーマは少し離れた場所で、配られたパンを小さくちぎっている。
「バルドさん」
「どうした?」
「今日、またドランさんに会いました」
老人の目がわずかに動いた。
「そうか」
「バルドさんのことを話したら、驚いていました」
「ふむ」
ユウキは少しだけ身を寄せ、声を落とした。
「それから、伝言を頼まれました」
「何だ?」
「昔の約束は、まだ忘れていないって」
その瞬間、バルドの表情が変わった。
老人はしばらく動かなかった。
まるで、遠い昔の記憶を辿っているようだった。
「あの馬鹿者が」
小さな声が漏れる。
ユウキは驚いて顔を上げた。
「知っている約束なんですか?」
バルドは頷いた。
「ああ。ずいぶん昔の話だ」
老人は冷たい石壁へ背を預けた。
「まだ第五坑道が使われとった頃、わしとドランは一度だけ、あそこへ入ったことがある」
ユウキの心臓が跳ねた。
「第五坑道に?」
「ああ。補修の仕事でな。古い運搬設備を直すために、何日か奥へ通った」
バルドは静かに続けた。
「そのとき、崩れた通路の先に別の道があるのを見つけた。古い地図には載っとらん、小さな坑道だ」
ユウキは息を呑んだ。
「地上へ続いていたんですか?」
「そこまでは確かめられんかった。ただ、外から風が吹き込んどった」
昨日トーマが気づいた冷たい風。
その話と、どこか重なっている。
「じゃあ、本当に」
「待て、坊主。まだ話は終わっとらん」
老人は静かに首を振った。
「わしらは、その道のことを管理者へ報告せんかった」
「どうしてですか?」
「当時、あの先へ入った作業員が何人か消えとったからだ。落盤なのか、魔物なのか、それとも別の何かなのか、理由がわからんかった」
ユウキの胸が重くなる。
第三坑道だけではない。
第五坑道にも、何か秘密があったのだろうか。
「それでも、道を覚えていたんですか?」
「ああ。危険だからこそ、誰かが迷い込まんようにと思ってな」
バルドは遠くを見るような目をした。
「そして、もしこの鉱山から逃げなければならん日が来たら、その道をもう一度確かめようと約束した」
ユウキは黙って聞いていた。
「わしは、そんな日が来るとは思っとらんかった」
老人の声が、わずかに震えた。
「だが、ドランは覚えとったんだな」
ユウキは静かに頷いた。
「はい」
バルドは深く息を吐いた。
「なら、あいつもまだ諦めとらんのかもしれん」
その言葉には、わずかな希望が宿っていた。
◇◆◇
その夜。
ユウキは牢の片隅で、静かに魂盤を呼び出した。
魂盤【STATUS】
名前:ユウキ・コバヤシ
年齢:17
種族:人間(異界者)
職業:無職
レベル:2
HP:10 / 36
MP:8 / 8
STR(筋力):8
VIT(耐久力):7
AGI(敏捷性):9
MAG(魔力):3
MND(精神力):12
DEX(器用さ):11
【固有権能】
略奪 Lv.1
【習得技能】
嗅覚強化 Lv.2
身体強化 Lv.2
採掘 Lv.1
振動感知 Lv.1
【状態】
負傷・疲労
魂蝕値:上昇中
ユウキは表示された数値を確認した。
HPは少しずつ回復している。
しかし、最大値にはまだ遠い。
レベルも技能も変わっていない。
それでも、今日得られたものは大きかった。
ドランとの繋がり。
第五坑道の古い道。
そして、誰も知らない小さな坑道の存在。
「少しずつ、進んでる」
ユウキは小さく呟いた。
そのとき。
足元から、微かな振動が伝わってきた。
――ドクン。
ユウキは顔を上げた。
第三坑道の方向。
昨日よりも、はっきりとした感覚だった。
視界の端に、青白い文字が浮かぶ。
《未登録の魂魄反応を検出》
《反応源:第三坑道最深部》
《固有権能「略奪」が共鳴しています》
そして、頭の奥で幼い声が響いた。
『ユウキ』
「また、君?」
『もう、時間がない』
ユウキは息を呑んだ。
「どういうこと?」
『あの人たちが、扉を開ける』
心臓が大きく跳ねた。
「あの人たち?」
答えはなかった。
代わりに、遠くの地面から強い振動が伝わってきた。
――ゴゴゴ……。
石壁が、微かに揺れる。
今度はユウキだけではなかった。
「何だ?」
バルドが目を開けた。
トーマも驚いて顔を上げる。
「地震?」
牢の天井から、細かな砂が落ちてくる。
ユウキは思わず立ち上がった。
直後、遠くの通路から兵士たちの怒声が響いた。
「第三坑道の封印が不安定になっている!」
「補修班を急がせろ!」
「管理者へ報告しろ!」
囚人たちがざわめき始めた。
看守たちは慌てて通路を走り回っている。
ユウキは冷たい鉄格子を握りしめた。
何かが起きようとしている。
しかも、それは自分たちの逃亡計画よりも早く進んでいるのかもしれない。
「バルドさん」
ユウキは震える声で言った。
「急がないと、いけないかもしれません」
老人は険しい表情で頷いた。
「そうだな」
その目には、これまでになかった緊張が浮かんでいた。
◇◆◇
同じ頃。
第三坑道の最深部では、灰色の外套をまとった男が石の扉を見つめていた。
赤黒い魔法陣が、不規則に明滅している。
亀裂はさらに広がり、封印の内側から冷たい魔力が漏れ出していた。
「封印維持率、限界です!」
魔術師の一人が叫ぶ。
「このままでは、今夜中に一部が破損する可能性があります!」
灰色の外套の男は、静かに目を細めた。
「ユウキ・コバヤシを連れてこい」
兵士が驚いて顔を上げる。
「あの少年を、ですか?」
「ああ」
男は石の扉から視線を離さなかった。
「これ以上、観察している時間はない」
そして、低い声で続けた。
「あの少年が封印に何をもたらすのか、確かめる」
兵士は敬礼し、通路の奥へ駆け出していった。
男は再び扉を見つめた。
その向こうから、幼い少女の声が響いた。
『来る』
男の眉がわずかに動く。
『やっと、来るんだね』
赤黒い光が、静かに広がっていく。
そして、石の扉の中心に、新たな亀裂が走った。
――第12話 完。




