キザシ 12
溺愛していた王子が行方不明となり、生気を失っていたマディラ。
しかし、2年ぶりに彼女が復活した。
1日の公務を終えたジュリアン。
「私がいなくなれば、あなたはもっと自由になれる」
マディラのその言葉に、ジュリアンは息を吐いた。
「僕は、君といることを選んでる」
「……それに、フレデリックが死んだとは思っていない。だから彼に再会する時は、二人一緒に」
マディラが顔を上げる。
「……どうして?」
ジュリアンはすぐには答えなかった。
慰めのためだけに口にした言葉ではない。
ずっと考えていた。
フレデリックが消えてから、何度も何度も。
自分の知るすべてを並べ、ひとつずつ検討してきた。
「昔、一度だけ……フレデリックに会ったことがある」
「……え?」
「君の妊娠が発覚するより前だ」
マディラの瞳に、わずかな困惑が浮かぶ。
ジュリアンは静かに続けた。
「夢だと思っていた。実際、夢だったのかもしれない。人間界で君と暮らしている、ありもしなかった未来」
あまりに鮮明な夢だった。
高校へ通う真唯佳。
穏やかな日常。
争いも、王位も、予言もない生活。
そして最後に現れた、小さな男の子。
「その夢の最後に、三-四歳くらいの子供が現れた。僕によく似ていた」
マディラが息を止める。
「その子は僕に言ったんだ。『ボクはすでに存在する者。ボクの存在を消さないで』って」
「……それ……」
「今なら分かる。あれはフレデリックだった」
ジュリアンはそう言い切った。
「生まれてもいないのに、僕の夢に現れた。僕がマルゴーとの未来を選ぼうとしている時だ。そして、自分の存在を僕に伝えた。」
マディラは何も言わない。
ただ、ジュリアンを見ている。
「もしもその未来を選んだら、君は彼を産まない選択をしていたかもしれない」
ジュリアンは続けた。
「それだけじゃない。フレデリックは、いなくなる前に君になんて言った?」
マディラの唇が震える。
「……ママ、バイバイって、泣いちゃだめ、って……」
そして。
マディラの顔がくしゃりと歪んだ。
「『おっきいフレディ、ぎゅする』って……」
「そうだ」
ジュリアンは頷いた。
「変だと思わない?」
マディラが瞬きをする。
「幼い子供の言葉だから意味が通らない。それで片づけることもできる。でも——僕には、そうは思えない」
ジュリアンの目から迷いが消えていく。
かつて幾つもの局面で、散らばった情報から敵の意図を読み取ってきた男の目だった。
「『おっきいフレディ』」
ゆっくりと、その言葉を繰り返す。
「まるで、自分が大きくなることを知っているみたいじゃないか」
マディラの目が見開かれる。
「それに、『ぎゅする』だ」
ジュリアンは彼女の手を取った。
「誰を抱き締めるのかは分からない。君かもしれない。別の誰かかもしれない。でも少なくとも、あの子の言葉をそのまま受け取るなら——」
その手を、両手で包む。
「フレデリックには、“大きくなった自分”がある」
「……ジュリアン」
「僕はそう考えている」
もちろん、証明などできない。
それでもジュリアンには、無視できない材料が揃いすぎているように思えた。
「それに、そもそも僕たちの子だ」
ほんの少しだけ、声が柔らかくなる。
「君の生命力の強さは、僕は嫌というほど知っている」
マディラが涙を浮かべたまま、わずかに眉を寄せた。
「……嫌って何よ」
「じゃあ言い直すよ。君は、普通なら死んでいてもおかしくない状況で生き延びた。僕だって、そう簡単に死ぬつもりはない」
ジュリアンはわずかに笑った。
「そんな二人から生まれた子が、あっさりいなくなって終わりだなんて、僕にはどうしても思えない」
マディラの瞳から、また涙がこぼれた。
けれど先ほどとは少し違っていた。
「……じゃあ、どこにいるの?」
「あの日以来ずっと捜索しているが、未だ分からない」
ジュリアンは即答した。
そこだけは誤魔化さなかった。
「いつ戻ってくるの?」
「それも分からない」
「……会える?」
そこで初めて、ジュリアンは少し黙った。
そして、マディラの手を強く握る。
「会える」
「……どうして言い切れるの」
「そうとしか思えないから」
「何それ……」
「最後はそんなものだよ」
マディラが泣きながら、ほんの少し笑った。
ジュリアンも小さく笑う。
「確実な未来なんてない。あるのは、今持っている情報から、どの可能性を選ぶかだけだ」
もう一度、彼女の手を握り直す。
「僕は、フレデリックがどこかで生きている方を選ぶ」
「……」
「あの子が大きくなって、いつか僕たちのところへ戻ってくる方に賭ける」
マディラの肩が震える。
「だから、それまでは——」
続きを言いかけて、ジュリアンはやめた。
泣くな、とは言わない。
元気になれとも言わない。
フレデリック自身が「泣いちゃだめ」と言い残したとしても、母親にそれを強いる気にはなれなかった。
代わりに、そっと腕を広げる。
今度はマディラの方から、その胸に額を押しつけた。
ジュリアンは彼女を抱き締める。
「一緒に待とう」
小さく言った。
「何年かかってもいい。僕たちは、"青の世界"の人間よりずっと長い時間を持っている」
マディラの手が、ジュリアンの服をぎゅっと掴んだ。
「……本当にフレデリック、……帰ってくる?」
「帰ってくるよ」
今度は、迷わなかった。
「だって、あの子自身が言ったんだろ」
ジュリアンはマディラの金髪に頬を寄せる。
「『おっきいフレディ』って」
窓の外で、もう一度風が大きく吹く。
マディラに敢えて言わなかった言葉。
"夜の帳よりもいと黒き光"
それは一体何を意味するかわからない。
イタズラに彼女を不安がらせないために、ジュリアンはその言葉を口にすることは避けた。
――――――――――
アルバス城 大広間
楽団の演奏がひときわ華やかに響き渡り、舞踏会の中心で国王夫妻が最後のターンを終える。
流れるような動きで締めくくられたその一曲に、会場から自然と拍手が湧き上がった。
ジュリアンは軽く一礼し、マディラもそれに続く。
久しく公の場に姿を見せていなかった王妃の舞いは、想像以上にしなやかで、気負いも揺らぎも感じさせなかった。
——戻ってきたのだ、と誰もが思う。
二人はそのまま中央から退き、控えめに用意された席へと戻る。
すぐに、年長の貴族夫妻が近づいてきた。
「お久しぶりでございます、陛下、王妃殿下」
落ち着いた声音で挨拶したのは、セルヴェイン侯爵——年の頃は四十代半ば、社交界でも名の通った人物だ。隣には穏やかな表情の夫人が寄り添っている。
しばし形式的な挨拶と近況のやり取りが交わされる。
その中で、侯爵がふとマディラへ視線を向けた。
「王妃殿下。もし差し支えなければ、次の一曲をお相手いただけますか」
ほんの一瞬、空気が揺れる。
だがマディラは、静かに頷いた。
「ええ、喜んで」
ジュリアンは何も言わない。
ただ、そのやり取りを静かに見届けていた。
再び音楽が流れ出す。
侯爵の手を取り、マディラは自然な足取りでフロアへ出る。
その動きにはためらいがなかった。
幼い頃からの練習で身につけたものではない。
だが彼女の身体は、状況に応じて正確に動くことを知っている。
ステップを踏み始めると、その感覚はすぐに整った。
侯爵のリードも安定している。
無理に主導権を奪うことも、過度に遠慮することもない。
「お上手ですね」
低く落ち着いた声が、耳元で囁かれる。
「そうでもありません」
マディラは淡々と返すが、動きは崩れない。
「ご謙遜を。これほど堂々と踊れる方はそう多くありませんよ」
ゆるやかに回転する中で、距離がわずかに近づく。
香りが混じる。
侯爵の纏う重厚な香水と、マディラのほのかな甘い香り。
その混ざり合いが、一瞬だけ意識を引いた。




