キザシ 9
緑の世界 グリーンフレードム国
ジュリアンの即位から2年。
ドワーフの二人組、グリンとボリンは、森の片隅で熱心に地面を掘り進め、古びた陶器の壺を手に入れた。
壺の蓋を開けると、中から奇妙な煙がゆっくりと立ち上がる。
空気をかき混ぜるように渦巻き始めた。
煙はどんどん濃くなる。
やがてグリンとボリンの周りに漂い、ふわりと浮き上がると、一瞬で形を変え始めた。
煙の渦の中心から、年老いた顔が浮かび上がった。
細長い鼻、しわくちゃの顔、そして目の周りには長い白髪が垂れ下がっていた。
煙の身体は次第に具現化し、1.5メートルほどの小柄な老人が現れた。
彼はまるで魔法使いのような風貌で、ボロボロのマントを羽織っていた。
「わぁ……これはいったい……」
グリンが呆然としながら呟いた。
老人は目を開け、両手を広げて深呼吸をすると、柔らかな声で語り始めた。
「何百年もこの壺の中で眠っていたが、ようやく解放された。お前たちが私を見つけてくれたのか?」
「ああ、そうだ。俺たちが見つけたんだ。」
ボリンとグリンは驚きながらも、興奮を隠せなかった。
「ふむ、ならば……お礼をしなければなるまいな。」
老人は微笑みながら、周囲に目をやった。その眼差しには不思議な力が宿っているようだった。
老人は、自分が入っていた壺の中を覗きこんだ。
奥に黒く光るものがゆらめいている。
「今、器を探してやるから、もう少しここで大人しくしていろ」
老人が話しかける。
そして落ちていた蓋を拾い、しっかりと閉め、自分の足元にそれを置く。
老人はマントの奥をゴソゴソと探り、古びた望遠鏡を出し、どこか遠くを眺めている。
「あっちに、強い気が感じられる。行ってみる価値はあるな」
その方向には、王都があった。
――――――――――
後宮 二の間
ある日、息子の部屋でマディラが彼の相手をしていた。
お気に入りのおもちゃを二人で並べている。
フレデリックは成長が異常に早かった。
3ヶ月でハイハイ、6ヶ月で立ち歩きをしてパパママと言い始め、1歳には二語文を話す。
通常、1歳で歩くようになるかどうか、二語発話は2歳以降で見られると言われた。
以上な成長スピードだと認識しつつ、これも個性だと捉え、国王夫妻はあまり深刻に考えなかった。
マディラは、フレデリックと早くコミュニケーションができるようになって嬉しかった。
そして成長するにつれ、ジュリアンの人間界にいた時の姿にそっくりになってきて、ホッとしていた。
黒髪に黒い瞳の特徴。
ジュリアンは自分の子だといっていた。
だが妊娠した時の状況をマディラが覚えていない。
万が一、彼に全く似ない子供だったらどうしようと、ずっと怯えていたのだ。
「ママ、バイバイ。エンエン、ダメ」
フレデリックは急に、呟く。
「え?」
突然のことに、初めは意味がわからなかった。
「……エンエン、ダメ」
何度も同じ言葉を繰り返す。
バイバイしても泣かないでといっているのかしら。
マディラはようやく理解する。
「えー、でもバイバイされたらママ泣いちゃうよ」
フレデリックは少し考える。
「おっきぃフレディ。ギューすりゅ」
全く文脈が掴めない。
ただ、いろんな文章を考えて話してくれるのはすごいと、我が子に感心をする。
「フレディがおっきくなってもギュッと抱きしめてくれるの、ママ嬉しいわ」
マディラは返事をする。
「さ、そろそろお昼寝の時間ね。ベッドに戻りましょう」
彼女は床で遊んでいた息子を抱き上げた。
ぎゅーっと抱きしめた後、彼をベッドに寝かしつける。
子守役の侍女と世話を交代して、マディラは部屋を出たのだった。
それから数日後 アルバス城
それは夕方近くのことだった。
女性の悲鳴が響き渡る。
同時に、後宮内のどこかで、突然何かが壊れる音が微かにした。
「マディラ様、フレデリック様が拐われました……!」
慌てふためいた侍女がやってくる。
ちょうど自室のリビングでお茶を飲んでいたところだった。
え?
マディラは絶句をする。
一瞬言葉の意味が分からなかった。
「突然黒いマントの人のような物が、窓ガラスを突き破り室内に侵入をし、王子様を抱き上げて再びその窓から外へ飛んで行きました……衛兵などが追っていますが——」
そう聞くや否や、部屋を飛び出していた。
フレデリックのベッドに駆け寄るマディラ。
「フレデリック……そんな……」
床に崩れ落ちるマディラ。
ガラスが飛び散って荒れた王子の部屋と、空になった息子のベッドが視界に入った。
わたしは……わたしは、誰からも愛されない、実の親にも、育ての親にも、友達にも、そしてわが子でさえ……
騒動を聞きつけたジュリアンが息子の部屋に到着した。
そこで呆然としているマディラ。
だが様子がおかしい。
「皆の者、今すぐこの部屋を出るんだ!早くっ」
「どうされましたか?」
「マディラの様子がおかしい、いますぐこの部屋に結界を張る。巻き込まれないように、みんなすぐに外に出るんだ」
侍女に畳みかけるように理由を説明する。
それと同時に床に手をついて彼は結界を準備する。
その時だった。
ドゥッ!
爆音に似た音。
同時に、そこから火竜が出現して室内を飛び回る。
マディラの体が火柱に包まれていた。
それは、かつて彼女の義両親の命を奪った状況を彷彿とさせた。
あたり一体高温になり、吸う息が熱い。
だが、部屋の損害は今のところ見られない。
結界を張る事に成功したようだ。
幸いにして、ジュリアンとマディラ以外は部屋を出たらしい。
しかし。
火竜が、結界の外に出れない上にどんどん体が伸びている。
徐々に部屋の中が火竜の体で埋め尽くされていく。
——まさかあの時のように、自分の命を断とうと試みているのではないか。
まずい、このままでは自分の身にも危険が及ぶ。
ジュリアンはなんとかしなければと焦る。
マディラが火柱に包まれているが、意識がない。
この状況を打破する策がない。
マディラと自分の間にはまだ1メートルほど距離がある。
ジュリアンは少しずつ進もうとするが、炎の壁が邪魔をする。
高温でとうとう自分の衣服にまで着火し始めた。
火の回りが早すぎだ。
マディラのところまでたどり着けない。
意識が朦朧とする。
「マディラっ、僕はここにいる!ぼくの存在まで、消さないでくれーーー」
ジュリアンは、最後の力を振り絞り叫んだ。
ピクッ
マディラが少し動きを見せる。
火の勢いがホンの少し弱くなる。
彼の声が聞こえたようだ。
チャンスだ——
炎の竜をかき分けながら一歩ずつマディラに近づく。
腕を伸ばし、引き寄せる。
やっとジュリアンは彼女の体を抱きしめた。
ふっ
突然、部屋が元の景色を取り戻す。
部屋中の炎が消えている。
部屋は何事もなかったかのようだ。
熱さでジュリアンは意識が遠のく寸前だった。
まだ体の感覚が戻らない。
ホッとため息が漏れた。
なんとか危機を脱したと、ひとまず安心する。
どうやら全ては幻影だったらしい。
実際には衣服等は燃えておらず、ジュリアンも火傷を負っていない。
スーッ
腕の中の彼女は、涙を流している。
腕の力を抜くと、魂が抜けたかのようにその場に崩れ座り込む。
ジュリアンは再度、彼女をそっと抱きしめる。
「僕は、決して君を裏切らない、ずっとそばにいるから……」
そう彼女に言い聞かせたが、放心状態のマディラは、ピクリとも反応しなかった。




