キザシ 6
剣を握ったことがなかったマディラ。
半分にして軽くなった木剣で、実戦経験もある中堅騎士を一撃で仕留めた。
本当に一撃だった。
しかしそれを認められない騎士団達。
「実戦で、一人ずつ順番に襲ってくることは稀です。王妃殿下の能力の、正式な検証を求めます」
ジュリアンは三名との対戦案出したが、騎士団は十名を主張する。
そこで条件をマディラに確認すると言ったところ、騎士団リーダーはこの場での即決を主張した。
逃げ道を塞ぎに来ていることを察したジュリアンは、内心で舌打ちした。
今ここで決めなければ、騎士団側は「国王が王妃に都合よく条件を整え直した」と言うだろう。
決めれば危険。
決めなければ不信。
厄介だが、悪い手ではなかった。
だからこそ腹立たしい。
「分かった」
ジュリアンは言った。
場が静まる。
「騎士団精鋭十名。複数名による同時攻撃を認める」
騎士団リーダーの目が鋭くなった。
「ありがとうございます」
「ただし」
ジュリアンは一歩も引かない声で続けた。
「マディラの最低限の魔術使用を認める」
騎士団側に緊張が走る。
「最低限、とは」
ジュリアンは即座に並べた。
「呪文魔法の大規模行使は不可。訓練場外に影響を及ぼす術も不可。だが十名で囲む以上、魔力の完全禁止は認めない。それを封じて十名で囲むなら、それは検証ではなく袋叩きだ」
騎士団リーダーは黙る。
ジュリアンは続ける。
「騎士団側は、対魔術装備を着用して構わない」
「よろしいのですか」
「当然だろう。実戦想定なのだろう?」
皮肉だった。
騎士団リーダーは表情を崩さなかったが、周囲の騎士たちはわずかに気まずそうな顔をした。
「勝敗条件は」
リーダーが問う。
ジュリアンはすぐ答えた。
「マディラが十秒以上地面に倒れる、あるいは明確に戦闘不能になれば騎士団の勝ち」
「騎士団側は」
「十名全員が同時に十秒以上戦闘不能になればマディラの勝ち」
「戦闘不能の判断は」
「騎士団長に任せる」
ジュリアンは、訓練場の端に控える騎士団長へ視線を向けた。
「中立で見るように」
騎士団長は深く一礼した。
「承知いたしました」
ジュリアンは再びリーダーを見た。
「これ以上の条件は認めない」
「……承知しました」
騎士団リーダーは頭を下げた。
だがその声には、どこか勝ち取ったような響きがある。
十名。
対魔術装備。
同時攻撃可。
王妃一人を相手にするには、十分すぎる条件だった。
ジュリアンもそれを分かっていた。
だからこそ、最後に一つ差し込む。
「こちらからも条件がある」
「何でしょう」
「マディラが勝った場合、今後、騎士団に対する彼女の助言を尊重しろ」
騎士団リーダーは目を細めた。
「助言を、ですか」
「そうだ」
周囲の空気が重くなる。
ジュリアンの声は静かだった。
「技術的に議論があるのは構わない。だが一才耳を傾けないことは許さない」
騎士団リーダーはしばらく黙った。
だがここで拒めば、自分たちが何を理由にマディラを否定していたのかを認めることになる。
「承知しました」
ジュリアンは頷いた。
「決まりだ」
これで交渉は終わった。
いや、終わらせた。
「日程は調整する」
騎士団リーダーは無言で頭を下げた。
ジュリアンは訓練場を見渡す。
騎士たちの顔には、屈辱と興奮と、少しの不安が混じっていた。
騎士団側は無理難題を押し通した。
ジュリアンはその代わりに、マディラが勝った時の発言権を確保した。
どちらが得をしたかは、数日後に決まる。
――――――――――
その日の夕方。
ジュリアンは後宮へ戻り、マディラに訓練場でのやり取りを伝えた。
マディラはフレデリックを膝に抱いていた。
生後半年の王子は、母の指を掴んで機嫌よく揺らしている。
ジュリアンが一通り説明しても、マディラの表情はほとんど変わらなかった。
「騎士団精鋭十名?」
「そう」
「一度に?」
「複数名による同時攻撃を認めた」
「ふうん」
「対魔術装備も使う」
「そう」
ジュリアンは少し眉を寄せた。
「驚かないのかい?」
「驚いた方がいい?」
「いや」
マディラはフレデリックの頬を指でつついて、彼がきゃっきゃと笑う。
その声だけがやけに平和だった。
「マディラ」
「何?」
「嫌なら断る」
「別に嫌ではないわ」
「危険がないわけではない」
「そうなの?」
ジュリアンは黙った。
本人にその感覚が薄すぎる。
「条件に不満は?」
「特に」
「本当に?」
「ええ」
マディラは少し考える。
そしてようやく一つだけ言った。
「フレデリックの育児の時間は避けてほしい」
ジュリアンは一瞬、返事に詰まった。
「……それだけ?」
「それだけ」
「十名と戦うんだよ」
「聞いたわ」
「対魔術装備もある」
「そうね」
「自信は?」
マディラは首を傾げた。
「分からない」
「分からない?」
「戦ったことがないもの」
あまりに正直だった。
ジュリアンは額に手を当てる。
「それなのに受けるの?」
「あなたが必要だと思ったから、その条件にしたのでしょう」
「押し切られた部分もある。交渉の結果、こうなった」
「そう」
マディラは少し笑った。
「大変ね、国王って」
その膝の上で、フレデリックがまた笑う。
ジュリアンは深く息を吐いた。
交渉を終えた後、"学院"で学んだ訓練や、父親である陸軍司令官直伝の"複数人相手の定石"を伝えた方がいいかと色々思案していた。
この様子ではそれらは必要なく、当日まで緊張するのは自分だけかもしれない。
マディラは最後に静かに言った。
「フレデリックのお昼寝が終わる前に済むなら、それでいいわ」
「済む前提なの?」
「長引くと困るもの」
ジュリアンはしばらく妻を見つめた。
自信があるのか、何も考えていないのか。
あるいは、自分でもまだ自分の力を正確に知らないだけなのか。
おそらく全部だった。
「分かった」
ジュリアンは諦めたように言った。
「時間は調整する」
「お願い」
マディラはそれだけ言って、フレデリックを抱いて王子の部屋に戻った。
騎士団精鋭十名との対戦。
王族警備の根拠を左右する検証。
騎士団の面子を懸けた勝負。
そのすべてが、マディラにとってはフレデリックの世話の合間に片づける用事の一つでしかないらしい。
ジュリアンは呆れながらも、どこかで思っていた。
もしかすると騎士団は、本当に相手を間違えたのかもしれない。
――――――――――
対戦当日。
王城の訓練場には、普段の稽古とはまるで違う緊張が漂っていた。
観覧席には騎士団の幹部、侍従長、王城警備の責任者たちが並んでいる。
単なる余興ではない。
王妃マディラの実力を正式に確認する場。
そして、今後の王族警護体制に関わる検証でもあった。
訓練場の中央には、騎士団から選ばれた十名が立っていた。
団内でも指折りの実力者。
前線で戦果を上げた者。
魔術戦を経験した者。
大型魔物の討伐歴を持つ者。
中には騎士団一の呼び声も高いトップ騎士の姿もある。
彼らは全員、通常の訓練装備ではなかった。
王妃が魔術を使う可能性を考慮し、術式緩衝の刻まれた胸当て、魔力を拡散する外套、衝撃を逃がす籠手を身につけている。
対魔術師用の特殊装備だった。
本来なら、実戦任務でしか使わないものだ。
それに対して、マディラはいつも通りだった。
淡い色のカジュアルなドレス。
動きやすいとはいえ、戦闘服ではない。
足元はフラットシューズ。
髪も簡単にまとめているだけ。
そして手にしているのは、先日自分で縦に半分へ割った木刀だった。
片側だけの、細い木片。
騎士たちの装備と並ぶと、あまりに場違いだった。




