キザシ 4
アルバス城内 騎士団の訓練場
騎士団のリーダーが、ジュリアンの剣の型を矯正するべきだと進言した。
しかし、遠くからその様子を見ていたマディラが口を挟む。
そこで騎士がマディラに剣を持たせようとしたところ、国王が即座に遮った。
彼女の能力は未知数だが、実戦でどこまで動けるのか誰も知らない。
だが知るのが怖い気持ちもあった。
訓練場の空気は重かった。
王妃は剣を握ったことがないとされているのに、剣筋を見抜く。
国王の流派を即座に理解する。
騎士団リーダーの指導に真正面から口を挟み、しかも筋が通っている。
ジュリアンは訓練用の剣を見下ろした。
マディラの力は、おそらくこの場の誰も想像していないところにある。
ジュリアンはそれを誇らしいと思うべきなのか、それとも恐れるべきなのか、自分でも分からなかった。
マディラは騎士団リーダーへ視線を戻した。
「王妃殿下は、訓練を今後もご覧になるおつもりですか」
「邪魔?」
騎士団リーダーはすぐには答えなかった。
先ほどなら、女がいると気が散る、とでも言ったかもしれない。
だが今は言えなかった。
マディラは微笑む。
穏やかに。
けれど、どこか勝負に勝った人間の顔で。
ジュリアンは額に手を当てた。
侍従長にどう説明するか。
夜の配備を減らす話より先に、王妃が騎士団訓練に口を出した件で、また面倒な報告が上がるだろう。
だが同時に、彼はほんの少しだけ期待していた。
守られるだけの王妃ではない。
国王を守れる王妃。
いや、おそらくは国王よりも強い王妃。
その片鱗が、今まさに訓練場に現れていた。
本来なら訓練場の端で見学しているだけの立場のはずだった。
けれど先ほどの指摘は、ただの素人の感想ではなかった。
剣を振る者の癖を見抜き、流派の違いを理解し、ジュリアンの踏み込みの浅さまで言い当てた。
それを偶然と言うには、あまりに的確すぎる。
「王妃殿下」
騎士団リーダーが口を開いた。
「先ほどのご指摘、興味深く拝聴いたしました」
「そう」
マディラは特に嬉しそうでもない。
「再度、お尋ねしても?」
「何かしら」
「王妃殿下は、剣を握られた経験がおありですか」
訓練場の空気が張り詰める。
ジュリアンがわずかに眉を動かした。
マディラは少し考える素振りを見せた後、あっさり答えた。
「ないわ」
騎士たちの間に、かすかなざわめきが走る。
「一度も?」
「ええ」
「訓練用の木剣も?」
「ないわ」
「短剣も?」
「料理用の刃物ならあるけど、あなたたちが言っている剣とは違うでしょう」
何人かが小さく笑った。
失笑に近い音だった。
マディラはその音を聞いても表情を変えない。
ジュリアンだけが、少し嫌な予感を覚えていた。
「では」
騎士団リーダーが近くの若手に目配せした。
訓練用の木剣が一本、マディラへ差し出される。
「握ってみられますか」
マディラはそれを受け取った。
手にした瞬間、少しだけ眉を寄せる。
「重いわね」
騎士たちの間に、また笑いが起こった。
「振れそうにありませんか」
「ええ」
マディラは淡々と頷いた。
「重くて振れないわ」
今度は隠しきれない笑いが漏れた。
王妃が剣術に口を出した末に、木剣が重いと言う。
彼らにとっては、それで十分だった。
やはり見るのと扱うのは違う。
戦場を知らない女の口出しだ。
そう言いたげな空気が広がる。
マディラは一度、周囲を見回した。
笑っていた騎士たちが、その視線に触れて少しだけ黙る。
「じゃあ、軽くするわ」
そう言った次の瞬間だった。
マディラは木剣を縦に立てた。
そして何の予備動作もなく、反対の手を斧のように振り下ろす。
乾いた音がし、木剣が縦に割れた。
刃物で切ったように。
いや、刃物よりも滑らかに。
真っ直ぐ、綺麗に、半分に裂けた。
騎士たちが息を呑む。
マディラは割れた片方を手に残し、もう片方を地面へ落とした。
「これならちょうどいいわね」
誰も笑わなかった。
ジュリアンは額に手を当てた。
「マディラ」
「何?」
マディラは不思議そうに首を傾げながら、半分になった木剣を軽く握った。
細く、頼りない。
訓練用の剣というより、ただの木片に近い。
それを構える。
その瞬間、場の空気が変わった。
騎士団リーダーが目を細める。
ジュリアンも思わず息を止めた。
見たことのない構えだった。
グリーンフレードム式ではない。
ニーベル式でもない。
足の置き方も、肩の抜き方も、剣の角度も、既存のどの型にも当てはまらない。
自然体に見える。
だが隙がない。
いや、隙があるように見せているのかもしれない。
剣を握ったことがないと言った人間の構えではなかった。
「では」
騎士団リーダーは、近くにいた騎士の一人へ視線を向けた。
「軽くお相手を」
指名された騎士は、一歩前へ出た。
若手ではない。
実戦経験もある中堅だった。
彼は礼をしたが、その目には侮りと苛立ちが残っていた。
王妃に馬鹿にされた。
そう思ったのだろう。
半分に割った木剣を持ち、見たこともない構えを取る。
それは騎士にとって、剣術そのものへの侮辱に見えたのかもしれない。
「王妃殿下、危険を感じたらすぐに」
「ええ」
マディラは静かに頷いた。
「始め!」
合図と同時に、騎士が踏み込んだ。
速い。
そして、遠慮がなかった。
訓練用とはいえ、王妃相手に向けるには明らかに強すぎる一撃だった。
ジュリアンが一瞬、前へ出かける。
だが、その必要はなかった。
マディラはひらりと横へずれた。
まるで最初からそこに攻撃が来ると知っていたように。
騎士の剣が空を切る。
マディラは半歩下がる。
次の斬撃。
さらに次。
騎士は続けざまに攻めた。
力任せではない。
訓練を積んだ者の連撃だった。
だが当たらない。
マディラは大きく動かない。
ほんの少し足をずらし、肩を引き、身体を傾ける。
それだけで、剣先は彼女の髪一本にも触れなかった。
「……何だ、あれ」
誰かが呟いた。
ジュリアンも同じことを思っていた。
マディラは剣を知らないはずだった。
少なくとも、剣を握った経験はないと言った。
それなのに、動きの読みが異様だった。
相手の重心。
視線。
足運び。
筋肉の動き。
すべてを見ている。
いや、見てから避けているのではない。
動く前に、次を知っている。
焦った騎士が、さらに強く踏み込んだ。
「っ!」
木剣が鋭く振り下ろされる。
その瞬間、マディラの手にある半割りの木片が光った。
淡い金色の光。
光は木片の輪郭を包み、刃の形を作る。
木剣ではない。
光の剣。
マディラは初めて受けた。
甲高い音が訓練場に響く。
木と木が打ち合う音ではなかった。
術と剣が噛み合うような、澄んだ音だった。
騎士の剣が弾かれる。
次の瞬間、マディラは前へ出た。
一歩だけ。
それで終わった。
光の刃が騎士の喉元すれすれで止まる。
同時に、彼女の膝が相手の体勢を崩し、騎士は背中から地面へ倒れ込んだ。
砂が舞う。
静寂。
誰も声を出さなかった。
マディラは光の剣を消した。
半分の木片に戻ったそれを見下ろし、少しだけ首を傾げる。
「こういうのでいいのかしら」
倒れた騎士は、しばらく動けなかった。
負傷はしていない。
だが完全に仕留められていた。
一撃。
本当に一撃だった。




