希望 5
数日後 女王の執務室
ジュリアンとマディラが、女王と一緒に打ち合わせをする必要があった。
女王は侍女長を通じて、マディラに昼過ぎに執務室に来るように彼女に伝えていた。
だが時間になっても来ない。
「もうすぐいらっしゃるでしょう」
ソフィアはさして気にせず、ジュリアンと雑談をしていた。
「そういえば——」
ふと思い出したように、女王が話題を変える。
「試練の間でのレポートを改めて確認したのですが」
チラリとジュリアンの顔を見る
「ジュリアン様より、マディラ様の方が総合的に優れた結果が出ているのですね。特に能力面。そもそもデスマーチのシナリオで、歴代最長の所要時間でしたし」
「そうなんですね」
彼はポーカーフェイスで一言呟くのみ。
ジュリアンは、女王が何が言いたいのか理解していた。
だがそれを口にされてしまうと一通りの説明が必要になる。
可能な限りこの話題を膨らませたくなかった。
「お二人とも、とても優れた結果を出されていますので、私は安心して引退できそうです」
彼の表情から、何かを察した彼女はそう言葉を続け、この話題を終わらせる。
にしても、遅い。
「以前も時間通りにいらっしゃらず、30分ほど待ちましたっけ」
そう呟く女王。
今は、予定時刻を10分ほど過ぎている。
「ちゃんと情報が伝えられてなかった」
あの時もマディラは言っていた。
彼女は、日本でも普段の学校生活はもちろんの事、遠足や体育祭など行事でも、遅刻や段取りの悪いイメージはなかった。
むしろ、幼少の時から式典での振る舞いなどは厳しく躾けられていた。
それは王室に復帰してからも、面談や祭事での振る舞いは特に目立った欠点はなかった。
この遅刻は、彼女の普段の行動からは違和感がある。
「ちょっと、様子を見てまいります」
ジュリアンが椅子から立ち上がる。
部屋を出ようとすると、控えていた侍女がそれはいけません、と言って静止する。
「どうして?」
「男性の突然の後宮の訪問は、皆が驚きますので」
一瞬怯みながら侍女はいう。
「先日、何かの用事で訪ねた時はそんなお話はありませんでしたよ」
返事をし、彼は気にせずに部屋を出た。
――――――――――
アルバス城 後宮内
ここには、通称「一の間」と言われる、正妃が居住する区画がある。
まだ正式な国王ではないジュリアンが、この女の園である建物に立ち入るには許可がいる。
試練の間から出たあと、マディラにはこの部屋が用意されていた。
「なんだこれは、一体……」
ジュリアンは言葉を失った。
一の間の扉を入ったところ。
視界には、部屋の隅のゴミ箱からゴミが山盛りになっているのが入る。
袖を通した後の服もソファーに山積み。
食堂には使用済みの食器がそのまま放置。
一体何が……
声をかけようとしたところ、マディラの叫び声が、奥から聞こえてきた。
ジュリアンが慌てて駆けつけたところ、侍女数名に対し、彼女は怒りを露わにしていた。
「そんなに仕事をしたくないなら、出ていきなさいよ!」
怒ったマディラが力を発揮しようとしたとき、黒い荊の冠が出現する。
あ……頭が痛い!
だが、例の不気味な声は聞こえなかった。
「こ……、こんな呪縛に、いつまでも力を押さえつけられる必要はない!」
マディラが叫ぶと同時に、体全体が発光する。
頭を締め付けていた荊にヒビが入り、幾つかに割れて破片が床に散乱した。
と、同時に、髪の色が金色に変化し、瞳も濃紺色から碧眼になっている。
「やはり……そうだったか」
彼女には何かの呪縛がかかっていた。
ニーベルでは力が出せず、ユリウスとのトラブルも回避できなかったのだ——
頭から血を流し、肩で大きく息をしながらマディラは立っていた。
血相を変えたジュリアンが、慌ててマディラのそばに駆け寄り、持っていたハンカチで血を拭く。
「この呪縛は、いつ、どこで?」
「記憶が曖昧だけど……、多分、復籍の儀式の際、一緒に荊をはめられた。
ニーベルで生きていく以上、制御をかけられることも受け入れなければ生きていけないと思ったので、はめたままに。
だけどもう、あそこに戻らないのであればこんなのいらないし……地理的に術者と離れたせいか、力が弱まったみたい。今なら壊せると思った」
そう話したと思ったら、マディラの顔が突然歪み、床にうずくまる。
「お……お腹が痛い——」
「医者をすぐに呼んでください」
彼女の異変に、ジュリアンは近くにいた侍女にお願いする。
しかし侍女たちは、突然現れたジュリアンの依頼に戸惑い、そのまま立っている。
まだ即位していない状況は、二人は客人の扱い。
使用人たちはたとえ彼が命令をしても、極端な話、従う必要がない。
「流産するかもしれないんだ、早く呼んでください!」
うずくまるマディラを気遣いながら語気を強めて再度お願いをした。
流産?
ジュリアンの切羽詰まった表情に一同戸惑う。
その尋常ではない様子に何かを察し、使用人が医者を呼びに行った。
「妊娠していることを伝えてなかったの?」
侍女たちの反応に、ジュリアンはマディラに質問をする。
「こんな雰囲気だから、そんなことまで話せていない」
「僕は医学の知識があっても、トラブルがあった際の処置まではできない。お医者さんが来るまでベッドで安静にしているんだ」
ジュリアンは彼女を支えて移動させようとするが、マディラは動こうとしない。
「そうだけど、私、なんでこんな状況になってるのか、説明して欲しいのよ、この人たちに。」
彼女は、侍女たちに鋭い視線を投げかけた。
マディラによると、侍女たちはゴミの処分を拒否。
皿洗いもしない、洗濯もやらない、掃除もしなかったらしい。
「別にいいのよ……、人間界で家事を一通りやってたから自分でできるし。だから、あなた達はもう必要ないのでは?って言っちゃった」
ジュリアンにむかって、不機嫌そうに語る。
彼女は、日中は王妃としての業務の引き継ぎの対応をしていた。
侍女達が下がってから魔力を使って夜中に皿洗いをしていたらしい。
そして洗濯は、ある程度溜まってからしようとソファーに溜め、ゴミはどこに捨てればいいかわからず、夜中に庭で燃やそうと考えていたとのこと。
「……庭園で何かを燃やすのは流石にまずいと思うけど……、それは酷いね。確かに解雇か配置転換してもいいくらいだ。わかった、じゃあそこのソファで横になってて。」
ジュリアンに支えられ、別室のベッドではなく、すぐそばのソファーまで移動して横になるマディラ。
侍女達は解雇と言われ、一瞬ざわめく。流石にそれは困るらしい。
そこに、なかなか二人が戻ってこないのを不思議に思った女王が、部屋に入ってくる。
「——これはどういうことでしょうか?」
ジュリアンと同様に、この部屋の状況に絶句をした女王が、使用人たちに質問をしている。
「僕も色々と確認をしたいと思っていました。この部屋の状況と、君の遅刻について」
「遅刻??」
何の予定があったのか、皆目見当もつかないマディラが、すっとんきょうな声で彼に聞き返す。
「ああ、僕が前触れもなくここに来た理由は、女王陛下と僕は王宮で君を待っていたのだけど、なかなかこないから呼びに来たんだよ。
今日は昼から打ち合わせがあるから、女王陛下の執務室に集まるように言われていたのだけど」
「何の事?聞いていないわ」
マディラは、その話を聞いても心当たりがないという表情で答える。
ジュリアンは、後宮までついてきた自分の世話係に、確認を取る。
「数日前、儀式用の衣装の仮縫いが出来たので、彼女に今日の時間を伝えるように依頼した件を覚えていますか」
「はい、私はそのあと、すぐにマディラ様の衣装係に伝えました」
世話係はそう言いながら、マディラの部屋にいた侍女の顔を見る。
「一の間付きの侍女長、エレナ様に相談をしましたので、てっきりマディラ様はご存知かと……。」
話を振られた、衣装係の視線の先。
20代後半の、波打つ赤みがかった髪をポニーテールにまとめ、はっきりとした顔立ちの女性。
「この前、今後の日程についての確認のため、女王陛下と君と僕で話し合うための待ち合わせに遅れて来た件は、ジョナサンがエレナに日程を確認したと言っていたね、確か」
そう思い出しながら、ジュリアンは呟いた。




