旅立 8
マディラの私室
体調が安定してきたのか、ここ数日気分が落ち着いてきたマディラ。
ジュリアンと話したことで、気持ちが前向きになったせいかもしれない。
つわりの方も、対処法がわかってきたのか、だんだんと気にならなくなってきた。
不思議な気持ちだな……
ソファーにゆったりと腰をかけ、おなかにそっと手を当てている。
そこに侍女がやってきて、事務的に話し始める。
「国王秘書官、ジュリアン・ソレイユ様が面会をご希望ですが、いかがなさいますか?」
「今ですか?わかりました。謁見室にお通ししてください」
ここ数回の面談は、マディラが倒れた時にたまたま助けてくれた貴族という、どちらかといえば私的な用件で面会をしていた。
しかし、本来はあまりないことである。
それが今回は秘書官という肩書きで、正式な公務としての彼の面会依頼。
何の用事か予想もつかない。
かえってただならぬものを感じたが、
侍女に返事をし次第、彼女は素早く謁見の準備を始めた。
謁見室に行くと、刺繍が施された濃紺のジャケットにベストを合わせた、公務用の服装をしたジュリアンが、部下を一人伴って入室していた。
マディラが着席すると彼は挨拶をし、要件を話し出す。
「王女マディラ・イザベラ様。先ほど国王よりご命令がでまして、陛下の代理として秘書官の私からお伝えいたします」
彼のその口調は、マディラは初めて聞いたかもしれない。
大声ではないが、落ち着いた、力強い喋り方だった。
「マディラ様には、緑の世界のグリーンフレードム国王家へ養子に入っていただきたく、つきましては近日中にニーベルをご出国願います」
グリーンフレードムって赤の世界の地名じゃなかったんだ!
調べておくのすっかり忘れていた……
そんな話、本来なら国王から謁見の間に呼び出されて聞く類のような気がする。
寝耳に水で、全く見当がつかない。
「すみません、もう少し詳しいお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
ジュリアンの公式な使者という態度に合わせて、マディラも公務の態度を崩さない。
「はい、長きにわたり、赤の世界のニーベル国と緑の世界のグリーンフレードム国は条約を結んでおります。
その中に、グリーンフレードムから要請があるときには、ニーベルから青年の王家の方を養子に出していたのです。」
そんな話が他国とされていたのは初耳だった。
「今回もその要請を受けていたのですが、陛下が熟考を重ねた結果、マディラ姫にその命が下されました。」
今の説明でもやっぱり、彼女は状況を飲み込めていない。
しかし話に続きがあるようだ。
ジュリアンは一呼吸おいて、再び話し始める。
「また、女性を養子に出すにあたり、サポート役を同行させよとのことでしたので——」
そこで区切り、声のトーンを少し和らげ、ゆっくりと話す。
「僭越ながら、私がその役を仰せつかりました」
そう言って、真っすぐ彼女を見つめるジュリアン。
そこまで聞いて、やっと理解が追いついた。
父王の命令と言う体裁で、公にマディラとジュリアンが一緒に国外に行けることと理解をした。
どうやら、ジュリアンが当事者なのだから、父親の代理人として王女の部屋で謁見をして、そのまま打ち合わせをしにきた、と言う事らしい。
「陛下には、"仰せのままに"とお伝えください。勅命遂行にあたり各種手配を進めてください。」
周りに自分の使用人や彼の部下がいるため、あくまで公務の対応としてジュリアンに了承した旨を伝える。
「承知いたしました。入国先と連絡を取り、すぐに手続きを進めるので、数日のうちに出国ができるよう、身の回りの物をご準備ください。基本的には向こうで調達できるはずです」
ジュリアンが返事をする。
そこに、遠慮がちに侍女の一人が声をかける。
「皇太子様が、マディラ様にご面会にいらっしゃいましたが、いかがいたしましょうか」
「さっき父上に呼ばれて、青筋立てて怒鳴ってたけど訳がわからぬので、マディラに話を聞こうと思って来たのだが。お前もこちらに入ってると聞いてな、英知翁。お邪魔するよ。」
マディラの返事を待たずに、突然入室をした青年。
「お兄様」
驚きの声をあげるマディラ。
入り口に、鋭い視線を投げかけるジュリアン。
自分の謁見時間なのに、皇太子というだけでパトリックが突然乱入をしてきたからだ。
それまで、厳かな雰囲気で国王の命令を伝えていたのに、急に場の空気が凍りつく。
「殿下、王女殿下とのお話が終わりましたので、私はこれにて退室いたします。」
「待て。」
その場を去ろうとする秘書官を制止する皇太子。
「お前の話を聞かないわけにはいかないんだ。妹よりお前の方が、父上の通達について詳しいのだろう?」
秘書官は視線を逸らし、軽く息をつく。
「それは、ご命令ですか?」
「そう言わないと、この場を立ち去ってしまうのであれば、そうだ。」
秘書官は一瞬黙り込み、息を整えた。
ジュリアンが部下に、長くなりそうだから先に戻るように命じた。
マディラも使用人たちを退室させた。
謁見室には3人が残った。
ジュリアンとパトリックが見つめ合う。
そして、ジュリアンが一瞬しゃがみ、彼は再び立ち上がる。
床に右手をついて何かの波動が部屋全体に広がった
どうやら人よけの結界を張った様だ。
二人とも急にふっと柔らかい表情になり、外で話すような険悪な雰囲気がなくなる。
周りに使用人や部下がいた先ほどとは違っている。
マディラも、少し前の緊張感から多少解き放たれる。
「なかなか強引ですね。まったく。」
ジュリアンは、呆れたように口をひらく。
「こうでもしないと、お前ら二人をいっぺんに捕まえるなんて難しいんでな。」
得意げに返事をするパトリック。
マディラに用事があったと言っていたが、実質、パトリックとジュリアンの二人の会話になる。
自分は必要ないのでは?
一瞬そう思いつつも、自分の部屋なので、彼女も肩の力を抜いて二人の会話に耳を傾ける。
「お前のことは、目をかけていたのに、こんな形で手放すことになるとは、と陛下は嘆いていたよ」
「何とでも言っていただいて結構ですよ。」
パトリックの話に、ジュリアンは苦笑しながら答える。
「親王派の筆頭格だったらしいですからね、僕は。大体、僕は選択肢を提示しただけで、選ばれたのは陛下ですよ」
ジュリアンのしれっとした顔に、パトリックはやれやれという表情をした。




