旅立 6
ヴィンランド家
「マルゴー様が応接室でお待ちです」
執事が、帰宅したジュリアンに声をかける。
マディラの部屋に立ち寄っていたため、彼の帰宅はかなり夜遅くなっていた。
以前、彼女は彼の部屋で待っていたが、それは流石に困ると伝えたからだろう。
そもそも戦略立案と同時にある特別対応をしていたため、彼女にも当分会えないと話していたはずだが——。
「どうしたのですか?お会いする予定をしていなかったため、遅くまで仕事をしておりました」
ジュリアンは応接室へ入って静かに腰を下ろし、彼女に質問をする。
少し疲れた表情が、どうしても隠しきれない。
「……先日もお願いしましたが、もう少し早く帰宅をしていただきたいのです。」
マルゴーがジュリアンの過労の心配をしてくれるのかと思った。
「ちょっとお仕事をしすぎではないでしょうか。」
しかし、それは淡い期待だった。
彼の連日の遅い帰宅についての、愚痴だった。
「以前ご説明差し上げたように、現在、国内は緊迫した状況でして……。あなたにもその情報は伝わっているでしょう?」
ジュリアンが語気を強めて口を開く。
「それは存じ上げております。でも、それでも私のお友達などは、あまり状況は変わっておりません。あなただけ、どうしてそんなに忙しいのでしょうか?」
マルゴーも自分の主張を繰り返す。
——それはそうだ。
彼は心の中で呟く。
自分が、西の抵抗勢力を駆逐する戦略を立て終わって陛下に承認されないと、実働部隊は動きようがないのだ。
緊迫した状況とはいえ、最低限の防衛対策は既に指示を出しており、軍や地元貴族で対応している。
多くの王宮の貴族達は、今現在やれることはない。
「……それをわざわざ言うために、こんな遅くまで我が家に滞在されていたのでしょうか」
「あ、いえ、そうではなくて……。ヴィクトリア様と婚姻の日取りのご相談をしているのですが……」
どうやら本当に用事があったことを思い出しらしい。
ジュリアンの嫌味とも取れる質問に対し、マルゴーが本題を切り出した。
——そういえば、そうだった。
ラングレー家から、婚姻のスケジュールを決めたいと言われていた。
父親が軍事演習で王宮を離れるため、はじめは自分とマルゴーと母親の3人で話し合っていた。
しかし、陛下の命令で自分も多忙となり、母親に一切を任せる形となっていた。
目の前の婚約者は、なんだか浮かない顔をしている。
「当初、2-3ヶ月で披露宴まで予定が立てられるとのお話でしたが、本日、半年から1年後になるかもしれないと言われまして……」
父は、今後王都を離れて遠く国境付近に行くかもしれない。
近い日取りだと、式に参列できないかもしれない。
それどころか、来賓のうちの何人かも同じ状況の可能性があるのが、どうやら母の懸念材料らしい。
「——そこでご提案なのですが、両家の関係者が集う披露宴などは後日行うとして、挙式だけでも、私たちだけで行えないでしょうか?」
「こんな時に?」
予想外の提案に青年は一瞬彼女を見つめ、戸惑いの表情を浮かべた。
「こんな時だからこそ、です。こんな時だから、ジュリアン様もお一人でいるより、家庭を持ち、万が一のときに支え合っていけたら。戦争が起きてしまい、離れることがあっても、むしろお互いを思う気持ちは強くなるのではないでしょうか」
彼女の言う事はもっともである。
自分と結婚したいという熱意に感銘は受ける。
だが彼の心には、両親の意見が重くのしかかっていた。
マルゴーとの結婚は、両家の結びつきで成り立つものだ。
二人の両親の意向を無視して強引に推し進める類のものではない。
ジュリアンは、一族としての母親の意向を淡々と代弁した。
「あなたが僕との結婚を待ち遠しく思っている気持ちはありがたく思う。しかし母が言うことにも一理ある。」
マディラとの話を進めたいという個人的な希望があるからこそ、冷静かつ理論的に割り切れた。
「こんな不安定な時期に急いで結婚することは、我が家だけではなく、あなたの家族にも余計な負担をかけるかもしれない。結婚式は、家族や友人、みんなと一緒に祝いたいものです。戦争のさなかで、それができなくなるのは避けたい」
「そんな……」
婚約者は彼の言葉を聞き、目を伏せた。
そして、しばらくの間沈黙が続いた。
「——ともかく、今のこの微妙な情勢では、我が家としては動きようがない。もう少ししたら、また状況が変わるかもしれませんので、その時に改めてお話ししましょう。」
これは、今回の縁談に彼が乗り気かどうかの問題ではなかった。
本当に、今すぐに何かを決断すべきでないと思うのは、彼の偽らざる気持ちだった。
「本日はもう遅いので、我が家の客室でお休みください。ご両親には連絡を入れますので」
今夜は流石にジュリアンは疲れていた。
彼女を自宅に送り届けたり、ましてや婚約者の家の者と話す気力もなかった。
婚約者には宿泊を勧め、彼は早々に自室に戻った。
――――――――――
それから2日後。
ジュリアンは先日と同じように図書館に籠っていた。
パソコンでシミュレーションを打ち込んでいる。
執務室で遅くまで作業をすると、部下が気を遣って一緒に王宮に留まってしまうので、ここで作業をしていた。
いくつか変数を入力し、どの状況でも想定通りの結果が得られることを確認していたら、すっかり夜も更けていた。
これ以上作業をしていると、バッテリーが切れてしまいデータが保存できなくなる。
人間界から発電機を持ち帰ってきているので、自室では充電ができた。
そろそろ帰ろう。
彼が荷物をまとめて立ち上がる。
「——っ」
立ちくらみだ。
机に手をついたまま、しばらくその場で立ったまま動けない。
ほとんど休息をとっていないからだ。
先日マディラの寝室を訪問後も、昼間は普段通り日常業務をこなしていた。
同時に、早急に各種手配を秘密裏に行っていた。
彼の処理能力は限界に近づいていた。
さすがに疲労が蓄積しているな……パソコンも使えないし。
明日の陛下との面談まで多少時間がある。
これを充電しつつ、仮眠をとろう。
そう考えながら彼は図書館の消灯をし、施錠を行う。
真夜中のため、車寄せまで誰にも会うことはないだろう。
回廊も最低限の明かりしか灯っていない。
なのに、どうしてなのか。
最近は、会う予定のない人の気配を感じる。
——おそらく二人。
先日の図書館での出来事といい、最近こういう星回りなのだろうか。
彼は人の気配に気づいていないふりをして、回廊の外へ足を踏み出した。
だが、いつもなら踏み外さない段差に一瞬捕まってしまい、わずかにふらつく。
その瞬間。
顔を覆いで隠している黒装束の二人が、前後から現れる。
ジュリアンに向かって同時に何かが振り下ろされた。




