旅立 5
マディラの寝室
今日も気分が悪くて、マディラは部屋着で過ごしていた。
居間に行ってもすぐに寝室に戻り、時折水分補給をする程度でベッドに臥せる。
本当はお医師の方に、処置をお願いしようと思っていたのだけど……
どうも気持ちが悪くて、着替えて部屋の外に行く気になれない。
明日、こちらに来ていただこうかな……
——だって、しょうがないよね。
身に覚えはないし。
思い出せる範囲で、唯一の可能性と言えば、揺れるカーテンの側でキスをした青年。
でも彼が誰だったか、記憶にモヤがかかり、どう頑張ってもそれ以上思い出せそうにない。
人間界の青年に連絡を取るなんて、不可能に近い。
子供を産み育てるなんて、想像できない。
このままだと、ジュリアンとも会えない。
つわりで明らかに様子がおかしいの、バレないわけがない。
どうやら彼は国境問題で忙しいらしい。
その合間を縫って面会を申し込まれても、言い訳をつけてお断りをして時間を稼ぐ。
数週間すれば、きっとこの問題も解決する。
そう考えながら、布団をかぶってウトウトしていたところ。
マディラがふと気づくと、寝室に人の気配がする。
しかも、結界を張っている波動を感じた。
ジュリアンだ。
いつの間に??
マディラはとっさに上布団をより深くかけ、寝たフリをする。
“誰も入れないで、特に彼はダメ”って言っておいたのにぃ
マディラは息を殺して様子を伺う。
ジュリアンは、ベッドの枕側のそばにあった椅子に腰をかけ、話し始めた。
「——体調悪いって……大丈夫?」
「……」
寝たふりをしてマディラは、返事をしない。
だが彼は、特に返事を期待している風でもなく、話を続ける。
「今は大事なときだから、——もう、一人だけの体ではないし」
ひょっとしてばれてる!?
どうしよう……誰から伝わったの??
だがその後に続いたのは、彼女が予想だにしない台詞だった。
「おめでとう……僕たちの子だ」
「え?」
マディラは思わずガバッと布団から飛び出して彼を見る。
「やっぱり起きていたね」
にっこりとするジュリアンと目が合う。
しまった!
布団に潜り込むも、さっきの返答の続きが気になって、マディラは恐る恐る掛け布団から顔を出す。
「僕たちの……?」
彼はゆっくりとうなずき、しっかりと答える。
「お腹の子の父親は、僕だよ」
「ま、そういうコトに至ってしまったんだけど、その前後に色々事件があって、正直ちょっと辛いこともあったから、君は自らその前後の記憶を一時的に封じ込めている。それは時間が経てば戻ると思うから、無理に思い出さなくて良いんだけど——」
「そういうことって……?」
「その詳細を聞きたいの?理科でも保健体育でも習ったろ?」
「いや、その仕組みの話じゃなくて、具体的に何をして……その……」
マディラは、無理に思い出さなくていいと言われても、断片的でも良いから、何がどうなってこういう結果になったのかがやっぱり知りたい。
しかしどう質問をすれば良いのか分からず、だんだん言葉に詰まる。
質問の意味をわかっているのか不明な様子。
それを見て、思わず吹き出しそうになるのを堪えて、からかう様にジュリアンが答える。
「本当に、僕が”具体的に何をしたか”を知りたいの?そんなの言葉で表現しなくたって、今から再現してあげようか」
なぜ笑われてしまったのかイマイチ理解できず、ポカンとした顔でジュリアンを見つめながら彼女は体を起こした。
「じゃ、あの学校でキスした男の子は……彼は関係ないの?」
と言いながら、しまった、という顔をするマディラ。
誰もいない教室で、男子生徒と二人きりで会っていたなんて知られたら……
よりによってこんな時に言わなくてもいいのに。
自分のタイミングの悪さに我ながら呆れる。
ジュリアンの顔からふっと笑みが消える。
ほんの一瞬。
少し考えて、あぁ、と言う表情で彼は答える。
「相手の顔を覚えていないの?」
声色は変わらず、穏やかで淡々としている。
「まぁどちらでもいいけど。多分彼は、この件では関与していないと思う」
彼女の記憶が曖昧な時期に親しげにしていた男子——
思い当たるのは一人だけだった。
(……蒼か)
ジュリアンは表情を変えないまま、視線をわずかに落とす。
(振られたくせに、そこまではしたのか)
苛立ちというほど強くはないが、気分のいいものではなかった。
それについて、あの嵐の日に、真唯佳は何も言ってなかった。
何よりも当の本人が、リンゴを食べながらマディラとひっつけと説教めいた事を言ってきたのだ。
万が一キス以上のことをしていて、自分にそんな大事な話をしないなんてあり得ない。
ジュリアンはゆっくりと視線を戻す。
さっきと同じ表情に見えるように整えながら。
そのわずかな変化に気づくことなく、マディラはほっと息をついた。
同じ学校に通っていたのだから、ジュリアンは当然その子の事を知っているのだと察した。
そして、その男子生徒のことは気にしなくていいんだと知った瞬間に、安堵の表情を浮かべる。
「こんなことになってしまって、軽率なことをして申し訳なく思っているよ。でもせっかく授かったのだから、二人で育てていこう思っている。……どうかな?」
真っ直ぐにこちらを見て彼にそう言われ、気が緩んで涙がぽろぽろと流れ落ちるマディラ。
「私……、私、その頃の記憶がなくて、だからきっとあなたに軽蔑されるようなことをしたんだと思って、それで……」
「心細かったね。不安な思いをさせてしまってごめん」
そう言いながら、ジュリアンは彼女を抱きしめる。
「このことは、自分が一切を引き受けるので、今後は侍女や医師に話をしないで。侍女の記憶はもう消したから。万が一、体調が悪くなったら、僕を呼び出してくれていいよ。何を置いてでも駆けつけるようにするから」
そう言いながら、優しく彼女の頭を撫でるジュリアン。
「……わかった」
マディラは、やっと安心ができて、そっとジュリアンの背中に両腕を回す。
「グリーンフレードムって知ってる?」
突然ジュリアンが、全く脈絡のない質問をポツリと呟く。
「え?なんだったかしら……どこかの地名よね、確か」
なんの話か皆目見当がつかず、うーんと考えながらマディラは返答をする。
「あ、いや、今の質問は忘れてくれ」
そう言いながら、ジュリアンは、頭の中で色んなことを検討していた。
――――――――――
“ボクは、すでに存在する者”か……
後ろ手にマディラの部屋の扉を閉めて、唇に手をあてながら思わず一人ごちるジュリアン。
いつか、願望が再現された夢で見た、人間界での生活。
最後に現れた自分そっくりの少年の言葉が、脳裏に浮かんだ。
その後、舞踏会の日に騒ぎがあって、それ以来夢のことはすっかり忘れていた。
まさか正夢になろうとは思いもしなかった。
計画が……
そうつぶやきながらいろいろと思案しながら、帰路に着く。
もともと、着々と足元を固めていたが、もっと長く時間をかけようと思っていた。
だがしかし、こんなことになるとは……
彼女が妊娠したことについて、国王が知るところとなれば、直ちに中絶をさせられるであろう。
恐らく幽閉も免れない。
彼女の能力だけでも恐れられているのに、その子となれば、どんな力を秘めているのか想像もつかないと判断されてしまうだろう。
——”夜の帳よりも、いと黒き光”
生まれてくる子もまた、皆が恐れる存在になるのだろうか。
それよりも万が一、それが自分との子だと知れたら、そもそもジュリアンの地位だって危うい。
それがなくたって、いくら両思いとはいえ、嫁入り前の姫の妊娠や、婚約者がいるのに他の女性に子供ができたなんて知れたら……
我ながら、最低なクズ男だと思う。
身から出た錆といえばそうだが、あまりに重い現実に目の前が暗くなる。
いや、しかし。
これくらいの事で歩みを止めてしまうくらいの覚悟しかないなら、あの時プロポーズをしていない。
彼女のお腹が目立つ前には、なんとかする必要がある。
急ぎ計画を実行しなければならないのでは……?
計画のピースは揃っている。
だが一部見切りで発車をすることになるが……おそらくはいけるはずだ。
“ボクの存在を消さないで”か……
強引に進めた皺寄せは来るかも知れないが、後でフォローしよう。
もはや躊躇している時間すらない。
ジュリアンは、一か八か、賭けに出る決意をしながら、馬車に乗り込んだ。




