旅立 2
遠い地で起きた部族の侵攻が、戦闘では無い形で、王宮内にも影響が広がり始めていた。
見知らぬ老人が客間で騒いでいた頃。
マディラの私室。
今日は、ジュリアンとの面談の日だった。
彼は午後に来るというので、たまたま入手した珍しい茶菓子を用意していた。
いつもであれば、侍女達がマディラの要望を聞いて、盛り付けのために手を動かしてくれる。
だが、今日は事情が違っていた。
何やら昨夜から今朝にかけて、侍女数人が急遽休みが欲しいと申し出てきたので、自分が盛り付けを手伝っていた。
――――――――――
遡ること、一週間前。
それは、マディラが記憶を回復させるための薬を服用した日から、10日ほど経っていた。
薬を服用した後、体に変化がないか確認のための往診という名目で、ジュリアンが面談希望を出していた。
記憶が回復した後、彼から告白を受けた。
その後初めて顔を合わせるので、マディラはちょっとそわそわしていた。
ジュリアンは、いつから私を気にかけていたのだろう?
普段から「彼はいい人、私にはもったいない」と周りに言っていたが、それは私が特別に目をかけられていたから?
出会った時から、瞑想やトレーニングをする時に手ぐらいは度々繋いでいたけど、流石にその時から何か特別扱いされていたということはないだろう。
時に頭を撫でられたりしたこともあったけど……
そういえば、学校で襲われた時には抱きしめられたりした。
——え?あの時の行動はそういうことだったの??
全然気づかなかったわ……私ってなんて鈍いんだろう
そう思いながら、ソファーに掛けてクッションをぎゅっと抱きしめる。
自分の鈍感さが恥ずかしくて、頭を左右にブンブン振っていると——。
「……何をしているの?」
いつの間にか、ジュリアンが目の前に立っていた。
「あ、いやー、その……、なんにもない。いらっしゃいマセ」
過去の自分を振り返り、恥ずかしさのあまり身悶えしているところを見られるなんて、ますます恥ずかしい。
穴があったら入りたいとはこのことである。
「その様子だと、調子は良さそうだね。」
クスクス笑いながらそう言って、彼はソファの、マディラと反対の肘掛けの方に座る。
「じゃあ、診察の用事はもうおしまいだね。ちょっと、これからの話をしようか」
そう言いながら、ジュリアンは出されたお茶を少し飲み、話を続ける。
「いつでも気軽に会えるように、というのがなかなか厄介でね。一つは僕の婚約の件。母上もそうだけど、先日の舞踏会で一緒だったマルゴーが、えらく乗り気でね。」
「一緒に踊っていたあの美人の人?良さそうな人よね」
「あ、ありがとう」
不意をつく形で姫から婚約者を褒めてもらったので、ジュリアンは反射的にお礼を言う。
しかし、「でもちょっと、意地悪そうよね」と彼女がコメントを付け足し、彼は思わず、え?と聞き返す。
「舞踏会でのリヒト、ちょっとかわいそうだった。わざとでしょ、あれ」
「なんでわかるの?」
ジュリアンは見抜かれていたか、と思いつつ聞き返す。
「なんでって……なんとなく。」
うーんと考えて、ああそうか、と言いながら彼女は返事をする。
「昔、いじめられてたから。いじめっ子のオーラはなんとなくわかる」
「……反応に困る回答をありがとう」
ふと、こんな掛け合い、久しぶりだなとジュリアンは思った。
一緒に住み始めた頃はともかく、中学2年になるまでには、よくあった、他愛のない言葉のキャッチボール。
特に、ニーベルに帰国してからはそんなことを言い合う相手もいなくて。
あえて言えばパトリックぐらいだが、彼とも表立って茶化した会話をしづらくなったから、本当に久しぶりの感覚だ。
「あ、で、確認なのだけど、マルゴーさんが第一夫人で、私が「二号」ってことじゃダメなの?一夫多妻制なのだから、彼女とすぐ結婚して、次の婚約をすればいいじゃない」
こう言うところが、真唯佳なんだよな……。
無邪気に、とんでもないことを言い出すところも彼女らしい。
その発想がなかったと思いつつ、一瞬でその案を棄却するジュリアン。
「その案に、僕の気持ちは考慮されているのかい?」
そう、精いっぱいの抵抗を示す。
やっぱりそれはだめなんだ、と呟くマディラ。
ひょっとして彼女は、自分が二人と結婚したいから告白したと思っていたのだろうか?
自分は、残念ながらそういうタイプの人間ではない。
大体、第一夫人となったマルゴーとマディラが顔を合わせる瞬間なんて、想像するだけで疲れる。
それに国王の秘書官に就任後、立て続けに妻を二人も娶るなんて正気の沙汰とは思えない。
ただでさえ自分の人事を快く思っていない貴族がいるのに、そんなことをしたら、ますます有頂天になっていると勘違いされてしまう。
「彼女のことは、どちらかといえば僕の家のことだから、君の事と切り離して考えられるのだけど」
そうなのだ。
マルゴーのことは、究極的にはなんとかなるとジュリアンは思っていた。
「今、どうすればいいか考えているのは、陛下の方でね。」
その一言で、二人の顔から笑みが消える。
「国王が君を遠ざけたいと思っているのは知ってると思うけど、陛下の秘書官が君と一緒になりたいと申し出て、すんなり受け入れられるとは到底思えない。どういう口実が一番効果的か、考えていてね。」
マディラ本人も知るところなので口に出してしまうけど、子供としては親に嫌われているのはショックだろうなと思う。
当然、彼女は微妙な表情で彼の話を聞いている。
「避けては通れない問題だからこそ、現実を直視して二人でしっかりと話し合いたいと思って。」
ジュリアンはそう話す。
「……そこまでしてくれても、自分はその気持ちに応えてあげれるという確信が持てなくて。申し訳ないと思う。負担だと思うから、無理しなくていいよ」
マディラは、心配そうな顔をしてジュリアンを見る。
彼は真剣だが深刻そうな顔つきにはなっていない。
「置かれている状況は厳しいけど、自分の気持ちに正直になって動いている分、ストレスはないんだよ。この話をしたのは、何も変化が見られなくて、先日の言葉は嘘なんじゃないかと思われるのが嫌だったから」
——そう。
自分の愛する人が、苦痛の表情を浮かべて廃人と化すような戦略を立て続けるより、どうやって自分たちがその苦痛から逃れられるか考えている方がよっぽどやりがいを感じる。
——たとえその可能性が限りなくゼロに近くても。
「薬の副作用の確認の口実も次までしか使えないから、まずは自然に定期的に会える方法を考えてみる」
そういって、マディラの額に口付けをして退室した。
――――――――――
前回はそんなやりとりをして時間が来てしまった。
ずっと当たり前だった、他愛のない言葉のキャッチボール。
そしていいことも悪いことも、ジュリアンは自分たちに関係があることは話してくれて、マディラが不安に思うことは励ましてくれる。
変わらない、在りし日々の一コマだった。
——時間が限られていることと、人目を忍ぶこと以外は。
学校の登下校でも、ランチタイムでも、学校の行事でも。そして家にいる時はいつでも二人は話しができた。
でも今では、王宮で話しかけることができず、マディラの部屋の中の小さな個室の、用心で張った結界の中で、10日間でたったの30分だけ。
人間界の時に、何も考えずに毎日笑ったり怒ったりしていたのが、当たり前じゃなかった。
その一方で、変わったこともある。
二人の距離が近くなった。
話している時の座る位置も、すぐに手が届くところ。
以前はそんな事はなかった。
そして、ちょっとしたスキンシップもある。
なんだか照れくさいけど、すぐに慣れるのだろうか。
実は、マディラはここ最近いまいち熱っぽくて体調がすぐれなかった。
今日はその貴重な時間なので、彼がきた時ぐらいは調子を取り戻さなければ、と自分を元気づけていた。
今回はどんな話をしようかな、と思っていたところ——。
「ジュリアン様が、急遽来れなくなったそうです。陛下から緊急の召集がかかったとのこと」
侍女が、誰かの使用人の来訪に気づき、部屋の扉付近で数分やり取りをした後、マディラにそう告げた。




