旅立 3
突然の、ジュリアンとの面談予定のキャンセルの知らせ。
侍女から告げられて、マディラは一瞬とても残念そうな表情になりかけた。
しかし二人の関係はまだ公になっていないので、あっさりと返事をする。
「え、そうなの?せっかく茶菓子を用意したのに。」
とても残念だけど、陛下の命令とあらば仕方がない。
ジュリアンは父王の側近だし、そういうこともある。
「……」
テーブルを見つめながら、マディラはしばし考える。
お茶菓子を用意したけど、今日はもう必要ない。
準備をしなくていいのは、楽になっていいのだけど……。
実は用意をしながら、この珍しいお菓子をつまみ食いをしたくて仕方がなかった。
だが、もう我慢しなくていいのだ。
「じゃあ、もう食べてしまおうかな」
そう言って彼女は、珍しい花をあしらったビスケットをひとつ口に近づけた瞬間——。
衝動的に、違和感を感じてお菓子を口に運ぶのを止める。
——まずい
急に吐き気を催し、すぐにトイレに駆け込み、なぜか朝食で食べたものまですっかり戻してしまう。
唯一部屋にいた侍女に付き添われ、彼女はすぐに医者に面談を申し込んだ。
――――――――――
医務室
「……どういう、ことでしょうか……」
絶句しながら、かろうじてマディラがそう声を絞り出す。
医者から、自分の症状の診断が告げられた。
「——問診と検査結果から、ご懐妊の可能性がありますが……父親の方と、連絡は取れますか?」
混乱のあまり、目の前が真っ暗になる。
吐き気どころの騒ぎではなかった。
「すみません、心当たりが、ないのです……」
彼女は泣きそうなのを堪えながら、俯き、そう答えるだけで精一杯だった。
王女の反応で、付き添いの侍女と医者は無言で目を合わせる。
「一旦、部屋に戻りましょう。今後どうなさるかご検討ください。処置をするなら、早いほうがいいです。陛下へのご報告は、保留にしておきます」
医師は、極めて淡々と話した。
――――――――――
リヒトとラウンジにいた時のアクシデント。
一瞬思い出した、カーテンが揺れる窓際で近づいてきた影の男性。
「これ以上近づいてはいけない、ここで離れなければいけなかった」と脳裏に響いた自分の声。
恐らく、彼が父親ではないか。
それくらいしか心当たりがない。
しかし、それは人間界での出来事。
彼と会って、真相を突き止める事は絶望的だ。
これまで他人行儀だったジュリアンと、やっと以前のように会話ができるようになったのに——
こんなことが知れたら、軽蔑され、再び離れてしまうのではないかと思うと恐ろしい。
ただでさえ、彼の気持ちに応える自信ない。
その上、知らない男性との子供がいると知られたら、再び孤立無縁に戻るのは間違いない。
——それは嫌だ。
どうしよう、どうして、どうすれば……
ベッドに入り、涙を流しながら、マディラはそんなことをずっと考えていた。
――――――――――
緊急招集された一連の会議後
「体調不良……数日前から、ですか?」
ジュリアンは、今日のマディラ姫との日中の面談を一旦キャンセルしていた。
しかしまだ夜遅くはないので、マディラの部屋に直接足を運び、今から面談可能か確認にきたのだ。
「それは、やはり薬の副作用でしょうか?」
彼は、入り口で対応してくれている侍女に、心配そうに質問をする。
先日会った時は、彼女はご機嫌そうに頭をブンブン振っていたので大丈夫だと思っていた。
大した問診もしなかったが、本当はもっと注意深く観察すべきだったか。
ただ、受け答えもしっかりしていたし、何も違和感がなかったので、そんなことはないはずだが……
「いえ、それは大丈夫そうです。恐らく、その件とはまた別だと思います。」
「なら安心です。しかし、体調不良のお話を聞いてしまって、ちょっと心配ですので、後日改めてお見舞いに伺えればと思います。」
ジュリアンは侍女にお礼を言って、その場を離れた。
今日を過ぎてしまえば、日数が立ち過ぎて、薬の副作用が心配だなんて口実は使えなくなる。
見舞いの新しい口実を作ったが、それ以前に普通にジュリアンは彼女の体調が心配だった。
戦略策定中はなかなか時間が取れないし、作戦が実行された際には、王宮から離れる可能性すらある。
ひょっとしたら、当分彼女と会えないなと思いつつ、彼はしぶしぶ帰路についた。
――――――――――
「姫様、先ほどジュリアン様がいらっしゃいましたが、ご指示通り面談をお断りしましたよ」
「ありがとう……」
侍女からそう報告を受けて、ベッドの中で、か細く返事をするマディラ。
「本当に、よろしかったのでしょうか。体調不良だと申し上げたところ、とても心配されていましたよ」
「……だって、本当に体調不良だし。」
医者と話した後も吐き気が止まらない。
フルーツを数口食べただけで、マディラはほぼ水だけで過ごしている。
その水でさえ、なんだか気持ち悪くて、半ば無理やり飲んでいた。
「英知殿は医学の知識もおありですし、親身に相談に乗っていただけると思いますよ。」
——そう。
普通に知り合いとか、幼馴染とか、父王の側近という点だけで見れば、うってつけの相談相手だ。
侍女の知らない、彼は最近マディラに告白したばかり、という一点を除けば。
「もう、会えないな……、会いたくないな……」
マディラは、布団に潜って、誰にも聞こえない声で呟き、声を殺して泣いていた。
――――――――――
二人の男の影
「作戦は順調に進んでいるか」
「ええ、今のところは。ただ……英知翁がなかなか曲者かもしれません。ひょっとしたらこちらの作戦が読まれている可能性が」
「国王の側近を引き込むことは可能か?もしもそれが叶わぬなら、手強い相手となる。そうなる前に消すか……作戦実行前に対応が必要そうだ」
――――――――――
数日後、王家の図書館
王宮の内宮に位置するこの図書館は、一般の貴族は入室禁止である。
ジュリアンは、業務に必要だと言ってここの入室許可証を持っている。
以前、マディラに施した禁忌の術の手引書などは、この図書館の奥の扉に鍵のかかった制限エリアに所蔵されている。
普段から、ここにしかない資料を閲覧したい時に彼は足を運んでいる。
また日中、他の貴族と連携をする業務は執務エリアで行っているが、一人で集中して思考を巡らせたい時も、この人気のない場所で作業をしていた。
業務時間も終了したこの時間に、ジュリアンは足を運んで資料作成をしていた。
——ここにいるのは自分一人のはずなのだが。
どうも、人の気配がする。
その人物の視線が自分に向けられていると気付いた瞬間、集中力が切れてしまい、とても作業がしづらい。
仕方がない。
ジュリアンはおもむろに立ち上がり、開架エリアでいくつか資料を閲覧しつつ、数冊適当に本を抱える。
そうしながら、本棚の間をどんどん進む。
ジュリアンを見つめていた人物は、どうやら彼を見失ったようで、焦ったようにキョロキョロしている。
「僕に何か用かい」
「うわぁああ!」
怪しげな人物の背後に回り込み、ジュリアンがそう質問したところ、かなり動揺をして叫び声を上げられてしまった。
「あ、あの、申し訳ありません。その、なんと申していいのやら……」
そう言って土下座をする30代前後の男。
彼の身なりは貴族というより、王宮内で作業をしている者のようだ。
「顔を上げて。何か用事があったんじゃないの。それとも、僕を背後から刺そうと思っていた?」
「い、いえ、そんな刺そうだなんて、めっそうもございません。ただ、ちょっとご相談がありまして——。本来なら私のような者が、ここに入っていけないのは重々承知しておりますが……」
そう言いながら、男はかなり切羽詰まった表情をする。
王宮内で話しかければいいものを、わざわざこんなところに忍び込むなんて、どうやら訳ありのようだ。
「そうだね、本来なら処罰を受けることになるけど、今回だけは見逃してあげるよ。話を聞こう。だたし、作業しながらでいいかな。生憎、僕は今とても忙しいんだ」
「あ、はい、も、もちろんですっ!」
ジュリアンの提案に、急に男の顔が輝く。
二人は、先ほどまでジュリアンが座っていた席に移動をした。




