葛藤 19
マディラ姫の私室
「姫様、英知殿がいらっしゃいました」
侍女の声かけの後、ジュリアンが入室する。
「マディラ姫、体調はいかがでしょうか?」
「特に変化はありません」
「それを聞いて安心しました。実は、少しお力になれればと思いまして、参りました。」
「ありがたい事です。事前にご連絡いただいた件ですね」
ジュリアンは、少し視線を侍女たちの方に向けて、慎重に言葉を選ぶ。
「実は、少々個人的なお話もありますので……ほんのひととき、二人だけになることは可能でしょうか」と、マディラにお願いをする。
「では、隣の間に移動しましょう。ここは少し広いので」
姫が立ち上がり、その後をジュリアンがついていく。
通常は、場所を移動せずに人払いをする。
今回は事前に要望があったので、二人は移動をする。
「何かございましたらお呼びくださいませ。」
侍女たちは、二人の移動の手伝いをし、礼をしながらそういって個室の扉を閉めて持ち場に戻る。
侍女たちの足音がしなくなるタイミングで、ジュリアンは扉に手をついて、人よけの結界を施す。
これで、部屋の外で聞き耳を立てられても、室内の音は聞こえない。
「これが……例のものです。」
二人っきりになったので彼は少し表情を緩め、懐から小さな包み紙を取り出し、姫に手渡す。
「ありがとう。……これで、少しは良くなるのかしら。」
「おそらく、この中和剤が効果を発揮してくれるはずです。少し苦いかもしれませんが、飲んでいただければ、すぐに効果が出ると思います。」
元々は惚れ薬だったが、本来の効果が発揮されずに、彼女の記憶障害をもたらした薬。
恐らく、もう数週間すれば薬の効果も切れると思われる。
それまでに、再度フラッシュバックが起きないとも限らない。
彼は薬で記憶を取り戻すことを提案し、彼女はそれを了承した。
そこでジュリアンは魔女から聞き出した話を参考に、中和剤を調合して持ってきた。
ソファに腰をかけて、包み紙を少し見つめた後、少しためらいながらも、マディラは意を決する。
「わかったわ……、では、早速いただくわね。」
彼女は薬を慎重に飲み、頭をソファの背もたれに寄りかからせる。
ジュリアンは、ソファの隣に置いてあった椅子に座る。
「大丈夫ですか?しばらく横になって、少し休んでください。5分くらいしたら、幾つか質問させていただきますね。」
そう促されたので、姫はゆっくりとソファの上で横になる。
クッションを抱えながら、目を閉じる。
体を無理に動かさないよう、慎重に息を整える。
ジュリアンは椅子に座ったまま、姫の方をじっと見つめる。
薬の効果を確認するため、しばらくの間、静かに様子をうかがう。
理論上は問題なく効くはずだが、ごく稀に意図しない副作用が出るということもある。
静寂が部屋を包む。
マディラは少しずつ呼吸が安定してくる様子だ。
ジュリアンは安堵の表情を浮かべるが、まだ気を抜けない様子で慎重に見守る。
「どうですか?気分が悪くなったりは」
懐中時計で5分以上経過したことを確認してから、彼が声をかける。
ゆっくりと目を開け、マディラは穏やかな表情で頷く。
「気分は、大丈夫。少し、記憶にモヤがかかった感覚もあるけど、これは少しずつ落ち着いてくるのかしら」
そう言いながらゆっくりと体を起こし、彼女はソファーに再び腰をかける。
ジュリアンは、人間界で一緒に登校していた友達の名前や、ジュリアンの当時の名前、住んでいた家の特徴などを彼女に質問をし、記憶が元に戻っていることを確認した。
口調も、王家の姫から、少し砕けた真唯佳のそれに近づいている。
「無事に、記憶が戻ったようだね。よかった。副作用もないようだし。」
ようやく緊張から解放されたジュリアンは、これまでかしこまった受け答えから、いく段か砕けた口調になる。
「それから、ちょっと話したい事があったから個室を用意してもらったんだ」
そう言いながら、安堵の表情を浮かべたジュリアンは立ち上がり、マディラの正面に移動して跪く。
手を取って、彼女の目を見て話し出す。
「離れてみて、あなたに危機が訪れてその出来事を通し、自分の中でどれだけあなたの存在が大きいか再認識いたしました。一生お側でお仕えしていいですか?」
そう言って、彼はマディラの手の甲に口付けをする。
「え?」
マディラは固まる。
何のことを言われてるか理解をするのに数秒。
一生?
側って??
「そ、それって……プ、プ、プロっ……!」
「そういうことになるね」
そう言ってにっこりと微笑むジュリアン。
彼女は言われた事の意味をやっと理解する。
驚きのあまりジュリアンから自分の手を離して両手を口元に持っていく。
うーんと考えて数秒。
手を膝に置き、最後に俯く。
「ごめんなさい」
マディラは暗い表情をする。
まぁ、2割の確率で断られると思っていたけど。
ジュリアンはさして気にしていない。
「あなたのことを思い出したけど、あなたのことをどう思っていたか思い出せないから。気持ちに応えることができない」
ポツリと断った理由を話し出す。
「人を好きになるという感覚がいまいちわからなくて、そういう状況で特別な関係になるのは、相手に失礼かな、と」
どこかで聞いたセリフである。
おそらく、蒼にも同じ事を言ったのであろう。
どうやら、先日の八角形の城での会話は、彼女は知らないようであった。
もっとも、本来の人格のマディラはずっと眠っている。
真唯佳の人格と、頻繁にやりとりするとも思えないが。
「城に戻って、人間界での生活を話すわけにいかないから仕方ないけど、他人行儀なのは何より嫌だった。でも、それはきっとこっちの知り合いがまだ少ないから。あなたのこと、好きかどうかわからないの」
そう言って、彼女は寂しそうな顔を浮かべる。
「学校で、クラスの友達とかが恋愛話をしているのを聞いてもピンとこなくて。きっと幼いころから愛情を受けずに育ったから、そういう感情が欠落しているのよ。」
顔を上げて、ジュリアンの目を見る。
「私は、一緒に暮らしていた時に、家族みたいに他愛のない話で自然に盛り上がれるような関係に戻れればいいの。付き合うとか、そこまで特別な関係は望んでいない」
やはり、こういうところは真唯佳らしいというか……
“元通り”はともかく、家族って恋人よりも特別な関係だぞ。
ジュリアンは密かにツッコミを入れる。
「では、会って数ヶ月のリヒトとの婚約には前向きで、私との関係を躊躇う理由はなんでしょうか」
「え、あ……それは……」
もっともな指摘を受けて、彼女は答えに窮する。
多分、マディラも自分も、望んでいる世界は一緒なのだ。
それをどう表現するか、だけの問題だ。
女性に告白するには、正式な形で伝えた方が良いと思って改まった言い方をした。
(まぁ、ちゃんと伝えることは伝えたから)
もう少しいつもの二人の会話らしく喋ろうと、彼は作戦を切り替える。
「では、こういうのはどうでしょう」
そう言って、彼は再び椅子に座り、軽く咳払いをして言い直す。
「先日、庭園でそっけない態度を取って悪かったよ。後悔している。だから一緒に住んでいた時のように、いつでも気軽に会って、他愛のない話で盛り上がる関係に戻ろう。場所は人間界ではなくここ王宮、そして騎士と姫君といった身分差のない、パートナーとして」
それを聞いて、しばし考えるマディラ。
「あ、うん、それなら」と頷く。
「抱きしめていい?」
ジュリアンがそう聞くと、マディラはしばし考えて、小さく頷く。
彼女のそばに歩み寄り、そっと両腕を回し、耳元で静かに話しかける。
「あなたは、そのままでいい。何も変わらなくて良いのです。愛情がないと思った事はないですよ。人間界にいるときにずっと、大した問題もなく過ごしていたのだから、大丈夫」
「……ありがとう」
仮面をつけた彼と、馬車でお別れの抱擁をして以来
あの時と同じ、いや、人間界にいた時から変わらない彬の匂い
彼女のほおにそっとキスをし、立ち上がるジュリアン。
「面談の時間が終わるから、そろそろ仕事に戻るよ。またくるから。」
そう言って、彼は王女の部屋を後にした。




