葛藤 18
王宮の中庭、
かつてパトリックとよく遊んだ場所。
その一角に、白い壁が象徴的な、2階建ての建物が立っている。
窓ガラスがある扉に手をかける。
鍵はかけていないようだ。
普段は使われることのない建物だが、室内は定期的に掃除がされているようで、埃っぽくはなかった。
ジュリアンは中に入り、内側から鍵をし、扉を覆うようにレースのカーテンをかける。
これで外からは中の様子を伺う事はできない。
ここは眠りの館。
かつて、ある王妃が夢の世界を過ごすために作られた。
この小さな建物の天井は曇りガラスで、柔らかな日差しが入り込むので日中はとても明るい。
部屋の床の中央は磨かれた一枚板の石でできており、あらかじめ、とある魔法陣が掘り込まれている。
ちょうど魔法陣の真上に来るように白いハンモックと、その中には同じく白い枕とブランケットが畳まれて入っている。
枕がある方には木製の棚が据え付けられていて、大小様々な砂時計が設置されている。
その中、一際大きい砂時計。
木でできた枠の天地にはWと掘られている。
その大きな砂時計だけ頻繁に使われたようで、他のものよりも多少手垢が付いている。
その傍らには、いくつかの枯れた草花。
ひょっとして、これはかつてここに通っていた少女が、自分の母親に渡していたのかもしれない——自分にも一つくれたように。
いくつか砂時計を手に取り確認し、今使うべきものを選び出す。きっと数時間もあれば大丈夫だろう。
彼は壁際にあった椅子に上着を置き、魔法陣のすぐ外に靴を脱ぐ。
ハンモックに入り、ブランケットをかけて、選んだ砂時計を逆さまにする。
横になり目を閉じてしばらくすると、魔法陣が光だし、直上で横たわるジュリアンを光で包みはじめた。
――――――――――
しばらくして目を開けると、一面緑の森の中に彼は立っていた。
周りを見渡すと、少し遠くに小高い丘があり、その中央に、八角形が特徴的な白い城のような建物があった。
澄み切った空を背景にそびえ立つ、堂々とした石造りの建物。
まるで各角に忘れられた秘密が隠されているかのような、神秘的な雰囲気を醸し出している。
自分が立っている場所は石畳が敷き詰められており、どうやらその道が丘の上まで続いているらしい。
——道なりに歩くこと10分ほど。
丘の一番高いところまで来たので、見晴らしがいい。
見下ろすとあたり一面、先ほどいたところと同じような森が広がっている。
夢の中だというのに、風は穏やかに吹き、彼の緩く束ねた濃紺の髪をなぶる。
青空には、所々かすみのような薄い雲が広がっていた。
遠くに広がる景色をしばし見つめていたが、時間がないので、早く用事を済まそうと彼は歩き出す。
建物には、少し高いところに1箇所大きな扉があり、そこまで階段が10段ほど続いている。
彼は階段を登り、鉄の取手に手をかけて、少し強く押すと扉が開いた。
目の前には白の外壁に沿う形で左右に廊下が分かれている。
彼は少し思案した後、右回りに歩き出す。
アーチ型の廊下を歩くと、ひんやりとした石の床を踏む足音だけが響き、静寂の中に歴史の重みを感じる。
ちょうど正面の扉の真反対に来たところ、左手に扉があった。
その扉に手をかけると、ゆっくりと内側に扉が開く。
中には扉から部屋の中心にかけて、赤い絨毯が敷かれている。
部屋の中央は数段上がっており、真ん中には黒い大きな箱が安置されている。
高さは1.5メートルほど、横幅は2メートルぐらいだろうか。
底面積はキングベッドサイズくらいかもしれない。
その大きな箱の前には、玉座を彷彿とさせる赤を基調とした、特別な装飾や彫刻で飾られ立派な椅子が一つ置かれ、そこに一人の少女が座っていた。
膝には、バスケットボール大の透明な球体があり、それを大事そうに抱えている。
その少女は眠っているのか、はたまた瞑想をしているのか——。
目を閉じているので青年が扉を開けたことをまだ認識していない。
彼はゆっくりと歩を進め、段の一番下から1メートルほど離れたところで片膝を付いてしゃがむ。
人の気配に気づいたのか、その少女——本来の「マディラ姫」はゆっくりと目を開ける。
マディラは少し驚いた表情をしたが、そのまま二人はしばし見つめ合う。
「私は、あなたとの約束が果たせそうにありません。そのことを伝えに来ました。何もかもが終わってから貴女の知るところとなるのは、良くないと思いまして」
ジュリアンは、彼女に向かって、ゆっくりと落ち着いた声で話しかける。
「その箱の中に、陛下が恐れているものが入っているのですね。それゆえ、貴女は父王から疎んじられている」
少女は、彼の緑の瞳をじっと見つめ、彼の言葉に耳を傾けている。
「私の立場では、あなたと関わりを完全に絶つ事は無理なようです。そして来るべき日、その箱が開いた時には、私があなたのそばにいようと遠くにいようと、なすべきことは変わらないのですから。」
——結局、自分の取る道はニーベルや王家を守るか、マディラを止めるかしかないのだから。
「ですから、陛下がその箱を恐れるあまり、貴女を遠ざけると言うなら」
そこで一旦言葉を切り、ジュリアンは再び言葉を続ける。
「自分も貴女と共についていきます」
今までじっと青年の話を聞いていたマディラが、その一言を聞いた途端、急に口を開く。
「それはいけません!それだけは絶対に。あなたの立場を危うくするような事を自らなさらないでください。どんな恐ろしい目に遭うか……」
箱のそばからは離れられないものの、精一杯椅子から身を乗り出して力強い口調で反対をするマディラ。
「私のことで、もう誰も傷ついて欲しくないのです。お願いですから、それだけは……」
そう絞り出すように言ってマディラの顔が曇る。大事そうに、透明な球体を抱えながら。
人間界での激闘の日々、最終的にジュリアンの命も危険に晒された。
「もう良いのですよ、姫。……もう良いのです」
穏やかに微笑むジュリアン。
「もったいないお言葉を賜り、大変感謝しております。全ては、我々が長くニーベルを離れ共に過ごす時間が長すぎたのです。起きてしまった事は、もう変わらないのです。」
「——もう、決めてしまわれたのですね。」
ジュリアンの、迷いのない清々しい表情で全てを悟り、説得することを諦める少女。
「約束してください、決して無茶をしないことを。あんな命を投げ出すような事も望みませんし、二度と禁忌の術に手を出すような危険なこともしないでください。どんな状況であっても、あなたが傷つくことは望んでおりません」
少女の願い事に対し、直接返事をすることをなく彼は話す。
「陛下のことは、なんとかします。大丈夫ですよ。ですから。」
そう言って立ち上がり、彼女の前の段を登りマディラに近づく。
手を伸ばして彼女の顔に触れようとするが、彼の手が透き通ってきてそのまま通過してしまう。
「お時間が来たようです」淡々と、そう宣言する少女。
「僕たち、きっとまた会えますよ。だから心配しないでください」
そう言い終わるや否や、ジュリアンの姿は完全に消えるのであった。
――――――――――
彼は目を覚まし、上着を羽織り、靴を履き、館を後にしながら呟く。
一分一秒でも長く笑顔でいられるように、この生きづらい世界から君を連れ出すんだ




