葛藤 17
ヴィンランド家
この屋敷には、当主のマクシミリアヌスが土の翁かつ陸軍トップであることもあり、敷地内にはちょっとした牧草地や裏山がある。
母屋の裏手に、使わなくなった石造の厩舎を改造した、ジュリアン専用ラボがあった。
主に、爆発の恐れがあるなど、危険が伴う実験を行っている。
今日は公休日で、ジュリアンは朝からラボに籠って、人間界から持ってきた粉末の混合機が問題なく稼働しているか眺めていた。
機械の単調な動きを眺めながら、先日のことをぼんやりと思い返していた。
——彼女の記憶障害。
記憶がないことで自分のことを含め、人間界でのことを忘れてくれるなら。
少なくともマディラが、過去の自分との関係について何か思うことがないなら、陛下の指示についても、自分が感情を殺して役割を演じさえすれば良いと思ったが。
ああいった形で、過去が不安定に思い出されて錯乱状態になるのは、かえって危険な気がする。
何かの拍子にアレの意識が目覚めないとも限らない。
そう考えていたところ、機械が停止した。
次の工程までの待ちの時間ができたので、彼は気分転換に外に出る。
庭で、ジュリアンは人間界から持ち帰ったタバコを取り出して吸っていた。
「おーい!」
遠くのほうからと呼ぶ声がする。
「あっ、勝手に離れられては困ります!」
侍女の制止を振り切って掛けてくる青年。
ターコイズブルーの少しウェーブのかかった長い髪、深い海を思わせる濃紺の瞳の持ち主。
サロモンだ。
携帯灰皿を取り出して、そろそろ終わりに近づいていたタバコの火を消した。
「大丈夫、僕の知り合いだから」
侍女にフォローを入れるジュリアン。
「何、お前。タバコ吸ってんの?」
「吸ってるってほどでもない。なんだか、瞑想的な状況を作るのに都合がいいから、数箱持ち帰ってきたんだ」
「へぇ」
そう返事をするだけで、ジュリアンの説明には大した興味もなさそうだ。
サロモンはハイテンションで話を続ける。
「お前んち、広いなぁ!正門から建物の奥に丘が見えていたけど、まさかそこも敷地内だったとは」
人間界の時と変わらないテンション。
相手は5つも歳が離れている、かなりの高官だというのに全く物怖じしない。
まるでつい先日も、二人は学校で顔を合わせていたかのようなノリだ。
「なんの用だ、わざわざこんなところまで」
——自分のことを毛嫌いしていたくせに。
急に馴れ馴れしく話しかけられ、どういう風の吹き回しであろうか。
訝しげな顔で突然の来訪者を見つめるジュリアン。
「釈放されたからお礼が言いたくて……あ、市場を通りがかったときにうまそうだから思わず買ってきたんだ、食う?」
手から下げていた布袋からリンゴを差し出すサロモン。
しばしの沈黙の後、ふっとジュリアンは微笑む。
「せっかくだから、頂くとするよ」
真っ赤に色づいた、こぶし大のリンゴを受け取った。
2年2組は賑やかなクラスだったが、それは蒼がムードメーカーになっていたことを思い出す。
真唯佳のことがあったのでずっと警戒していたが、この人懐っこい性格が本来の彼なのだ。
「平和だなー。人間界にいた頃は、まさかお前とこうやって並んでリンゴをかじるなんて想像しなかったよ」
広々とした草原を眺めながら、無言で何口かリンゴを味わいってたが、ふとサロモンが呟く。
侍女が用意してくれた飲み物が置かれた、腰の高さの丸い簡易テーブルを挟むように、二人とも建物に背を預けている。
普通にニーベルで過ごしていれば、異世界に行くことも、ましてや争うことさえなかったかもしれない青年達。
ほぼ芯だけになったリンゴをテーブルのゴミ箱に捨てて、何口かグラスの冷たいお茶を飲んでから、サロモンが口を開く。
「マディラ様、元気?」
「さあ」
「さあって……会わないの?」
意外そうにジュリアンを見つめるサロモン。
「全く見かけないということはないが……」
同じくリンゴを食べ終わり、グラスを片手にジュリアンがそう答える。
「人間界での出来事をお互い隠している以上、何の接点もないのだから、これといって話すことはない。」
正確には、記憶喪失の事さえなければ至って元気なのだろうが。
それを言うとややこしくなる。
ジュリアンは無難にこの話題を切り上げたかった。
「ん、まぁそうなんだろうけどさ」
サロモンは正面を向き、もう数口お茶を飲んでいた。
草原を見つめながら、サロモンはまた口を開いた。
「結局のとこ、彼女のことどう思ってるわけ?」
「どう思うも何も、王家の姫君と、陛下に仕える忠臣、という以上に何があるんだ?」
当然あるべき答えを即答するジュリアン。
またその質問か、と言いたげな表情をする。
「前回の「回答拒否」よりは一歩前進だね」
ちょっと呆れた口調でサロモンが茶化してくる。
「じゃあ逆に聞くけど、どういう回答を望んでいるの?」
「いや、俺に対して何かを言って欲しいってことじゃないけど……」
彼に問われて、そうボソリと呟くサロモン。
「俺だったら、好きでもないやつと永遠に一緒にいるよりは、心底ほれた女と一瞬でもいいから一緒にいたほうがましだけどね。たとえそれが破滅の道であっても」
そう言いながら、ジュリアンを見つめるサロモン。
ポーカーフェイスでサロモンを見つめるジュリアン。
「あ、別にお前に意見しに来たんじゃない。ただほんとに、お礼が言いたかっただけなんだ。」
そう言いながらサロモンは肩をすくめる。
さっきまでの、平和な空気感がすっかり損なわれてしまったのを後悔した様子だ。
「忙しいとこごめん。そろそろ失礼するよ。お茶ご馳走様。じゃ」
そう言い残し、ジュリアンに対しひらひらと手を振って先ほど来た道を戻っていった。
マディラの側につくということは国王を、ひいては国全体を敵に回すということであり、下手したら重罪人扱いだ。
その上、万が一アレが目覚めた時には、自分が制御できるとは到底思えない。
誰が考えても取りうる選択肢は明白であり、それを知っているからこそ決して触れ合ってはいけないとマディラ本人からも言われたことを、ジュリアンは思い出す。
もっとも、人間界での最後の日の時点で、二人とも国王の新たな指示を知る由もなかったが。
この先、彼女と全く接点を持たずに過ごす事は不可能となった。
むしろ最悪の形で関わり続けるかも知れない。
「一体何をわかっているっていうんだ。何も知らないくせに、知った風に……。君に言われなくても」
と呟きながら、サロモンが見えなくなった後、ジュリアンは室内に戻っていった。




